■その幻の向こうにあるのは救いだと本当に思っているのか?
 地下二階にあるピアノバー、クラッシュクラシックの扉に、歓楽街にしては優しすぎる施錠を一度だけかけ、曲識はそれを一度ドアノブを捻ることで扉が閉まったことを確認するとくるりと踵を返して店の奥にある己の住処へと戻っていく。現在時間は午前5時半。ピアノバーの運営時間を越え、従業員も既に帰路へとついている。
 人気の無くなったバー内の灯りを消し、強盗などのために一応スピーカーから出る超音波を設定する。基本的にはその体から自由を奪う形のものだが、曲識不在の時に何が起こるかは分かったものではない。無断で入ってきた場合、とにかく大きな音を立てさせる、という条件も含める音楽を超音波として流した。壁の内側が微かに震え、曲識ではないと認識できない空気の中の振動が一段と揺れを増す。
 「・・・・・悪くない」
 最近の科学とは本当に発達したものだ、などとのんびり感じながら、曲識は自分が寝泊りする店の裏側へと向かう扉を押し開けた。暗闇の店内から既に明かりのついているその内側に微かに笑みを零しながら入れば、そこは従業員が着替えをする部屋と自室へ向かう二つの扉がある通路へと出る。迷わず自室への扉を開ければ、フルート2重奏で構成されたメヌエットが流れてくる。演奏時間75時間3分42秒。『フェンス』。
 筆が乗ってしまってうっかり書き上げてしまった曲だったが、それは一度演奏したものに違うフレーズを演奏することによって録音にだけは成功した、おそらくもう戦闘などでは演奏できない曲だった。3日間における演奏は終わってから筋肉痛や指が攣りそうになったことで色々と苦労したものだが、今となっては良い思い出である。
 洋室であるが故に靴を脱がずにそのまま室内へと入っていけば、私室となっている部屋へ到着する。地下であるが故に窓はない。閉鎖的な空間を思わせるが、明るい色を基調とした室内ではあまりそんな気もしなかった。真っ白いダブルベッドの横には観葉植物、テレビよりも巨大なスピーカー。黒い革張りのソファ。そしてその上ですやすやと眠っている男。
 「アス」
 「・・・・あ・・・?」
 曲識が声を掛ければ、男はあっさりと目を開けた。ぼや、と視線を空中に這わし、再びうとうとと瞼が閉じそうになるのを、手で目を擦ってどうにか上半身を起こす。
 「おはよう」
 「・・・ん」
 くて、と軋識はソファの背凭れに上半身を凭れかけされ、顔を顰めながら曲識を見る。肩に最初かけていたと思われるタオルはソファの上に落ちており、麦藁帽子も床へ置いてある。寝返りでも打ったのか、軋識の白い髪はぐしゃぐしゃになっており、ふあ、と欠伸しながら軋識が髪を手櫛で直しても、ひょこりと癖をつけてしまっていた。
 「仕事、終わったっちゃ、か」
 「ああ」
 そんな己よりも年上の姿にそっと笑みを零し、曲識は軋識の隣に腰を下ろす。猫背になっているせいで、シャツの前側から鎖骨や胸板などがモロに見えることになっているが、軋識は特に気づいていないらしい。華奢な軋識の体格を堪能するように曲識が軋識を抱きしめれば、軋識もそれに応じるかのように曲識の背中に手を回した。互いに互いの肩に顎を押し付け、動物が互いの体を擦り合わせるように微かに相手の髪に頬を押し付ける。
 「・・・どうした、トキ?」
 「いいや、何でもないよ」
 未だぼやぼやとした軋識が、曲識の真っ白い燕尾服の背中を覆う長い黒髪に気を取られて、己の指先をその長い髪に絡ませる。「アス、」と、咎めるように名前を呼んでも、軋識は子供のように曲識の長い髪を弄び続けていた。
 悪くない、と心の中で呟きながら、曲識は白い手袋を己の手から外し、軋識のシャツの裾から軋識の肌へ直接触れる。冷たい掌が唐突に己の腰を掴んだのに、「あ?!」と軋識は悲鳴を上げ、反射的に曲識の髪の毛を引っ張ってしまう。
 ぐき、と曲識の首が後方に引っ張られ、う、と小さく呻き声が漏れる。
 「・・・・・アス」
 「悪い、っちゃ」
 恨めしげに名前を呼べば、軋識は体を縮ませて曲識の首をそっと撫でる。お仕置きと称して何かしてしまおうかなどと一瞬頭を過ぎったが軋識に悪気が無いのは分かっている。
 事実、軋識を知っている人間が現在の軋識を見たら変なものでも喰ったのでは、などと思われるのではないだろうか。
 零崎曲識の音楽は、他人の思考すらも操る。
 軋識は今や曲識の思うがままとなっている。思考は幼児化し、全ての縋る対象を無くしている。
 恋をしているであろうその対象も、零崎というものも。
 今やたった一人ぼっちという状態における零崎軋識という殺人鬼の意識は全て零崎曲識に注がれている。
 「(こんなことをやりたいと思ったことがないと言えば嘘になるが)」
 曲識は思う。
 これはきっと恋なんて優しいものじゃない。ただの独占欲だ。
 今まで己を守ってきてくれた兄貴分としての零崎軋識が、たった一人悩んで悔やんで泣き腫らしていたのに絶望したのだ、と曲識は思う。
 泣いている姿ぐらいは、守りたいのだ。
 「アス、愛してるよ」
 それは嘘だ。そんな台詞、普段は「そりゃ良かったっちゃね」で流すような男は、少しだけ幸せそうに笑って、「俺もトキのこと、大好きだっちゃ」と囁いた。
 軋識の腰を抱き寄せていた両手をやわやわと胸の方へと動かせば、指先にぶつかった突起が見つかる。指の腹で抓んで弄れば「うう、」と羞恥で苦しそうな軋識の嗚咽が耳元で呟かれる。普段ならここで殴られてるところだと思う反面、動かない軋識に不思議と落ち着かない気分になる。背中に回された両腕は同じものだというのに不思議と守りたい気分になり、同時に少し苛めてやりたい気分になる。抱き寄せるようにして予想以上に軽い体をベッドに倒せば、「トキ、」と困ったように名前を呼ぶ軋識が顔を歪ませていた。微かに滲んだ緑の目が、不安を顕にしている。
 「好きだよ」
 「なんで、」
 「うん?」
 軋識の小さな呟きに首を傾げれば、軋識はううん、と首を横に振った。困ったような顔をしているのに疑問を持ちながら、曲識は軋識のシャツをたくし上げる。綺麗に筋肉の付いた上半身に見とれながらも指で弄っていた赤い突起を落ち着かせるように舌を這わせれば、は、と熱い息が漏れる。
 「や、だ」
 思考を操れるといっても言動を含め全てというわけではない。ある程度の方向性、または命令を下すだけだ。本当に軋識が嫌がっているのか、それとも命令されたので嫌がっている振りをしているのか、曲識は分からなくなっている。ぐ、と言葉を詰めならがも曲識の手が軋識のファスナーへと伸びる。衣服越しに性器を押せば、「いたい、」と悲鳴混じりに軋識の声が上がる。
 苦しい。
 何故苦しいのかも分からない。ただ縋りついてくる軋識の掌だけが己の理性を保たせているのだと思った。
 「アス、勃ってるよ」
 「ちが、ちがう、」
 呻くように上げられる声が痛々しい。それでも服を握り締める軋識の手は震えながらも何かを求めている。
 じぃっ、とファスナーを外しベルトを緩めれば、じとりと濡れた下着が現れる。微かに反応を持っているそれに、羞恥で顔を歪めた軋識が「見るな」と嘆いた。
 曲識は言葉を無視して下着ごと軋識に噛み付いた。唾液によって下着に沁みていた部分が増え、ひっ、と小さく悲鳴が上げられる。びくっと腰が痙攣して浮き上がるのを知りながら、舌でどろどろに下着を濡らしていく。黒ずんでいく下着の面積にじわりと目尻に涙をため、軋識がいやいやと首を振る。己よりも年上の男がする動作とは思えないわりに、それは酷く愛しさを覚えさせた。可愛い。
 びちゃびちゃになってしまった下着の中で勃起した性器に笑みを零し、曲識はトラウザースの隙間から左手を差し入れた。指先が普段は触れられないであろう軋識の窄まりに触れれば「なっ」と突然の出来事に混乱した軋識の声が上げられる。
 「きたない、」
 「初めてじゃないだろう」
 「え、」
 驚きで困惑する軋識を無視して、先日からテーブルの上に放置していたローションを手にする。先日から始まったこの演奏が終わるまで、軋識はこのままだ。卑怯な手とは分かっているが、曲識のように道を持たない人間がとるにしてはまだこれは軽い方だと思われる。監禁のような形だが、不器用な人間にはこれ以外道が浮かばなかったのだろう。無理やりではないだけマシだという話だ。
 掌にたっぷりと取り出したどろどろした液体を見て、軋識がそれをどうするのかと動きを止める。曲識は下着ごとズボンを引き下ろし、脱力した軋識の足を肩にひっかけ陰部が全て曲識の目の前に見えるように担ぎ上げる。えええ、と突然のことに泣きそうな声を上げる軋識にくっと笑みを噛み殺し、そのローションを後孔へ指と一緒に突き入れる。ひぐ、と変な声を上げた軋識は未だ目を白黒させたまま、とにかく曲識の行動を阻止させようと手を伸ばした。
 「タオルを掴む」
 「なっ、・・・え!?」
 突然吐かれた言葉になんだと目を見開けば、軋識の両手は本人の意思と関係なくタオルにしがみ付く。何故、と顔を蒼くするも、ぬるぬると差し入れられた指がいつのまにか2本へと増え、ローションがどろどろと注ぎ込まれるのに悲鳴をあげることしかできなくなる。
 「あっ、あああぁ、やっ、はぁ、つめた・・・!」
 曲識の指が付け根まで捻りこまれ、指先がぐり、と軋識の奥にある前立腺を引っかく。ひっ、いっ、と引き攣った悲鳴を上げると同時に軋識の体がびくびくと震える。ぽたぽたとカウパー汁が軋識の薄い腹に落ち、ひくひくと後孔が痙攣する。
 「意識では初めてになって居るくせに、体の方はちゃんと覚えているらしい」
 「あああっああ、あっ、ぅ、んん!や、はぁ、ぁああ、」
 「物足りなさそうだけど」
 「ちが、いや、あああ、あああっあ!
 ぽろぽろと軋識の頬を伝って涙がソファへと落ちる。曲識は幼い動作にそっと微笑み、下半身を下ろして己の勃ち上がった性器を取り出した。
 「むり、やあ、ああっ、はいんな、」
 はっ、はっ、と肩で息をする軋識はふるふると震えて怒張した男性器に微かに体を後退させた。曲識は「入ってたから平気だ」とさらりと答え、指を無くした事によってぱくぱくと震える軋識の肉壺にその先端をあてがった。少し腰を前に押し出すだけで難なくそれを飲み込んでいく軋識に苦笑を零すも、軋識はその事実にああ、と対処できない嗚咽を洩らすだけだ。
 「んあぁ、あああぁあああっ!ときぃ、っああ、あああっ!」
 「アス・・・っ、」
 ぬぷぬぷといやらしい音を立てて入っていく曲識の欲望に軋識の悲鳴が重なる。軋識の中の熱さにくらくらしながらもみっしりと己を圧迫してくる肉壁に、「気持ち良いよ」と微笑む。
 「やああっ、とき、と、ぁつ、熱いぃ・・・っ!」
 「ああ」
 「はっ、ぁああ、あ、いっ、あああああああああっ!」
 がくがくと震えながらも落ち着いてきたときを狙って、曲識の腰がゆっくりと引き出され勢い良く打ち付けられる。びくびくと痙攣しながら弓なりになった軋識の肉欲から先走りとは思えない量の精液が迸り、軋識の胸へぶちまけられる。
 「ああああっあっ、あっやっ・・・!」
 「・・・・・・・アス」
 名前を呼んで、服につく精液も気にせず抱きしめれば軋識の微かな震えが伝わってくる。きゅうきゅうと曲識を締め付ける軋識の中が一層強まり、曲識の精液が性器を取り出すよりも早く軋識の中へたたき付けられた。
 「あああっやっ、あつ、あああっ・・・!」
 「・・・・・・・愛してるよ」
 弁解するように、曲識の呟きが叫びとメヌエットに混ざって空気へ解けた。真実味が無いな、と自分で思っておきながら、抱きしめた体全てが愛しく、そっと曲識は軋識の唇に己の口を押し付けた。
 「・・・・・・しつこいっちゃね・・・俺もだと、言ってるだろ」
 「!?」
 突如として言われたその低い声の物言いにぎょっとして身を離せば、軋識は気を失ってまた眠りについているところだった。恐る恐る「アス?」と問いかけても返答は無く、睫毛についた涙がふるふると震えて頬を伝った。
 「・・・・・・・・・・・」
 気がついたのだろうか。しかしメヌエットは未だ途切れずスピーカーから流れ出ている。明日が終わるまで平気なはずだ。
 「・・・・・・・どこから気がついてたんだい?」
 返答が無いことも百も承知で問いかける。精液の匂いが酷く、燕尾服をべっとりと汚した軋識の精液を指で掬って嘗め取る。青臭い味が口に広がったが、別にいいかと思った。風呂に入れて、とりあえず精液を掻き出そう。音楽が届かないから、正気の軋識と2日ぶりに面会だ。どこからが操られていなかったのか問いただそう。酷く楽しみだった。
 「おやすみ」
 囁いた言葉は予想以上に幸せそうだった。こんな声も出せるのか、と自分で自分に驚きながら、曲識は眠りについた己の愛しい人間の癖のついた髪をそっと撫でた。
2008/3・15


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