■沈黙の末に訪れる結末が愛しいものを奪い去るのを知っている
ぎし、とベッドのスプリングが軋んだ。頭蓋が悲鳴を上げる音に似ている。麻酔のように、頭の中へ沈殿していくような所が。
「俺、明後日堕落三昧の所に行くんだ」
少し変えれば死亡フラグのような台詞を吐きつつ、兎吊木はうっすらと笑った。
「へぇ、・・・あんな三流のところに行くのか」
「うん、あんな三流のところに行くんだよ」
うっとりと微笑みながら、兎吊木は答えた。同時に内臓を引っ掻き回されるような気持ち悪さが腹の中を覆う。こいつ、まさか中出ししやがったのか?まさか、そんな馬鹿な。そこまで非常識な奴ではあるまい。
「っ、ぁ、はあっ・・・あ、あ!」
ゆっくりと挿入を繰り返され、追い詰められたように熱を吐き出し、俺は一度果てた。二回目だった。気だるいにも程があった。
「天才は死線の蒼だけで十分なんだよ。だから、俺はああいう三流の下について、死線の蒼の素晴らしさを毎日のように噛み締めるわけだ」
その行為は、一般人から見れば確実に馬鹿馬鹿しい、愚かな行為に違いなかった。彼女はもういないというのに、兎吊木は彼女の栄光と彼女の影からけして出ようとしない。彼女に命令されない限り、延々と彼女のベッドのシーツの端を離しはしないだろう。
それでも兎吊木は満足そうに笑って言った。精液がぬるつく俺の腹を緩く摩りながら。子供はできないぞ気狂い。
「それで君はこの後何処に行くんだい」
「っん」
兎吊木は体を前傾して俺の胸をねとりと嘗め始めた。これを許すなんて俺は馬鹿だ。こいつ異常に頭がイカレているに違いない。気持ち悪さと嘔吐感と、惨めさが腹のうちをのた打ち回る。餓鬼を孕まずに悲しみを孕んだのか、男なら何も孕むべきじゃないのに。
俺はいつから哀れな女になったのか、くだらない、そんな考えが頭にこびりついて仕方ない。
残ったものは何もなく、救ってくれるものすら全て消えた。
「なぁ」
「っあ、ぁは、は、あ、」
零れるのは吐息なのか嗚咽なのか。身を焦がすのは快楽なのが憎悪なのか悲しみなのかそれとも、ただ残された殺意なのか。
兎吊木の唇が胸を這い上がりぷつりと現れた突起を舐った。拭いきれない気持ち悪さと嫌になる成り下がった感が脳髄を殴った気がする。
「ああっ、いっ・・・・・・あ、あ」
「なぁ、式岸、君はこの後何処に行けるんだい」
兎吊木の顔は気がつけば間近に迫っていた。詰問は目を逸らさずに行なう。
何処にいけるか?そんなの俺が聞きたい。そもそも零崎は『どこにもいけない人間が集った集団』なのだ。どこにもいける、わけがない。
いつのまにかまた勃ちあがってしまった己のそれを、兎吊木が嘲笑いながら指先で嬲った。どうせなら女になりたかったかもしれない。兎吊木の背中に手を伸ばし、懇願も救いを求めることもできず、ただその両手は行き場をなくして白いシーツを握り締めている。
「君は何処に行けるんだい?」
ぬぷぬぷと尾孔から兎吊木の男根が出れば、恐らく中に出された精液が続いて零れた。恥辱という枠を超えるような恥ずかしさだった。死にたい。
「あっあああ、ああ、はぁ、んっ」
「・・・可愛いなぁ」
苦笑と共に零されたその呟きは、今すぐにでも兎吊木を殴り殺したいという希望に火をつけた。しかしシーツを握る手を離してしまえば両手はどこへ向かうか分からない。兎吊木へと伸ばしたら末代の恥だ。・・・俺が誰かと子供が作れるとは思わないけれど。
「堕落三昧のところになんか連れてけないからね」
一緒に行きたいとも思わん。そう吐き捨てようと思っても、口を開けば溢れたのは女みたいな悲鳴だけだった。目を開けるのも嫌になって、唇を噛み締めて顔を逸らす。
「軋騎」
ふと、耳のすぐ傍に囁きかけられ、体がびくりと痙攣した。なんだ今の。自分でやって愕然とする。
「・・・・・・・・・・・・・『いーちゃん』は」
三度目の絶頂に俺は気を失った。
2005年、1月。
空港の入り口の柱に、俺は『式岸軋騎』の格好で立っていた。零崎の格好でも別によかったが、別に人を殺すつもりはなかったから、そしてあいつに会うつもりだったのでスーツだった。
NYから成田までの便が来たのか、どっと人の波が押し寄せてきた。ホームにたむろしていた人間がその中へと突っ込んでいき、感動の再会をやったりしている。その中、誰とも会うことなくたった一人で歩いてくる青年を見つけた。青年というよりは少年というべきかも知れない童顔の男だったが、その容姿が数年前とまったく変化の無いことに肩透かしを喰らいながら、俺は通りすぎようとする男へと素早く歩み寄り、その肩を一度叩き、「すみません」と声をかけた。
「・・・はい?」
振り返った男の目は暗く透明に沈殿しており、これが魚の死んだ目、とその死に具合に感嘆の声を思わず洩らした。小さかったので、その煩わしいホームの中では男の耳に届かなかったようだった。
「これ、落としましたよ」
俺は黒皮の財布を空いた手で差し出した。もちろん自分のものである。中に現金が3万円、カードも何も入れていないが、財布の値段は8万した。因みに俺が買ったわけではなく、悟轟が新しい財布買ったからやるよと押し付けてきたのだ。(恐らくゴミを捨てろと押し付けられたに違いない)買って一日しか立っていないので、殆ど新品のようなものだ。
男は財布を一瞥し、「いえ・・・僕のじゃありません」と言って受け取らなかった。
「そうですか。なら、違う人のですね」
「・・・インフォメーションに届けたらどうですか?」
「そうですね。・・・所で、付かぬことをお聞きしますが――――何の用でここへ?」
「―――――――――」
俺の訳の分からない質問に、男は一度言葉を無くし、俺をじっと見つめてきた。値踏みするような視線だ。
「・・・・・・・・・・やりなおしに来たんです」
「何を?」
「僕は数年前に色々やってしまして・・・アメリカへ逃げたんです。それの謝罪をしに。そしてできれば、償いをしにきたんです」
男はそう言って、言葉を切った。俺が一体何なのか、知ろうとしているのだろう。潮時かな、と俺は一度頭を下げて、「いらぬ質問をしました。時間をとらせて、申し訳ありません」と謝罪し、帰ろうと男へ背を向けた。
「・・・貴方は誰ですか?」
「俺は、・・・・・・・・・」
さて、どちらの名を名乗るべきだろうか。俺は一度言葉を切り、考えた末に返答する。
「零崎軋識という」
俺は、兎吊木のようにはならない。屍のようにもならない。そして、『いーちゃん』のようにもならない。
その名乗りは確実に式岸軋騎を殺したであろうことを、俺は頭の片隅で認識した。
2008/01・02