■幸せになるにはなんらかの犠牲が必要だと思わないか
 零崎の、人と接するときの前提条件は、『殺すこと』だ。
 それは、人識が物心つく前に理解していたことで、そしてかつ、双識が何度も説いたことだった。
 友人ができる以前に相手を殺すことを目的としている。恋人ができる以前に相手を殺すことを目的としている。ライバルができる以前に相手を殺すことを目的としている。理解者ができる以前に相手を殺すことを目的としている。指導者ができる以前に相手を殺すことを目的としている。
 人は殺すものだ。
 そう、生きてきた。
 己たちには同じ孤独を持つ殺人鬼の家族しか持てないのだと。
 そう生きた。生きてきた。殺してきた。何年も。
 なまじ、人識の肉親こそ殺人鬼であったから、その『覚醒』なんてのもなかった。殺人鬼になるべくしてなった、生まれながらの殺人鬼。
 人識は、そんなことには興味が無かった。人を殺すのなら殺せば良い。目の前に人が居るのなら殺せば良い。
 それは、ふと足元に寄ってきた蟻を踏み潰す感触に似ている。
 踏みつけて、そのまま足を引く。
 地面に潰れたクズが線上にへばりつく。
 人に似ている。
 そう思っていた。



 零崎のアジト、といっては不思議な感じだが、日本中のあちこちに軋識が持っている別宅がおいてある。
 それはマンションであったり普通に一軒家だったりとバラバラだが、金も無くしばらく人に逢わずに過ごしたいと思った零崎の隠れ家となっている。殆どの零崎は根無し草のようなもので、基本的に肉親は既に他界しているものが殆どだ。故にホームレスばりに公園で寝泊りするような零崎は昔は少なくなく、それを嘆いた双識が軋識と相談して家を建てたのだ。簡素なベッド類と非常食、電話やテレビなど、しばらく篭っていても問題は無いように完備されているので、全国放浪しながら人を殺してまわっている零崎はそれらを重宝している。
 人識はその中の一つのマンションで一人暮らし状態で住んでいた。中学に通っているのだから、一つの場所に定住しなきゃいけない。しかしそれでは危ないということで、零崎があまり人識の近くへ寄らない様に連絡をし、双識も2,3ヶ月に一度ぐらいの割合で人識を見に来るようにしている。そう一箇所で人殺しをしていると、他の殺し名がやってくるかもしれないという気遣いだ。故に、人識は全国放浪している零崎が1年に2,3回やってくるのと、心配性の兄がやってくるの以外は一人で生活していた。
 そしてとある日。教師陣が授業の研究会ということで午前授業だった日。いつも通りにマンションに戻ってくると、部屋が勝手に開いているのに気がついた。まさか不法侵入できる訳がない。このマンションや零崎の別宅などには軋識が設置したセキュリティシステムが稼動している。そう簡単に人が入れるわけが無い。
 ということは、零崎の誰かがやってきたということだ。
 人識はめんどくせぇなぁ、と心の底で思いながら、中へと入る。
 玄関には、予想通り知らない靴が置いてあった。かなり上等なものだと思われる、ブランド物の革靴が。
 「――――――・・・・・・・誰だこれ」
 一瞬、即座に曲識が思い出されたが、彼がこんなにも上等なものを履いているわけが無い。それなりに高価なものを身に付けてはいるが、彼は本当に根無し草だ。仕事もろくにしていない。そんな男がそうそう履きそうに無い。
 では誰だ?人識は脳裏で零崎の面々を思い出してみるが、当たっていそうな奴は思い出せなかった。
 考えるより見たほうが早いか。
 人識は靴を脱ぎ捨て、鞄を放置し、奥へと向かった。廊下の一本道に、両側に部屋があるワンフロア半分程の面積をとるこの住みかには、トイレやバスルーム、リビングとダイニングを抜いて計4つの部屋がある。三つは先に書いてあった通り、簡素なベッドと、いくつかの棚が設置されてある個人部屋だ。一つを人識が使っている。残りの一つは、軋識がどの別宅にも置いてある部屋だ。基本的に鍵が閉められていて、中に入ることは滅多に無い。
 しかし、つい一週間前軋識が入っていったのを見た。隙間から覗けたが、中には他の部屋と同じ簡素な造りになっていて、他の部屋と違うのはパソコンが設置されてあるか無いかだ。一度だけ、学校の宿題でパソコンを使いたいと強請ったが、扱う字が英語ですらなくフランス語で、全て軋識に訳してもらわないと使えなかった。
 廊下を突き進んでいくと、奥のほうで話し声が聞こえた。軋識のパソコンが置いてある部屋だ。
 「―――――――・・・分かった。綾南、後で金は払う。兎吊木にもそう伝えといてくれ」
 いつもの軋識の声だが、普段の語尾が無かった。感情を消してる冷たい言い方に変わりは無いが、聞いたことの無い名前に眉を顰めた。
 綾南?兎吊木?誰のことだ?
 足音を消して、部屋へと近づく。中をそっと覗いてみると、携帯で電話をしている、軋識に似た男が顔を顰めて立っていた。
 前に少し聞いたことのある、仕事の話か。しかし、少し、違うな。
 人識は、双識から軋識の金が一体どこから出てくるのか一度聞いてみたことがあった。双識が言うには、氏神という家系に軋識が名前を変えて情報提供などをしてやっている代わりに色々と零崎に力を貸してもらっているそうだ。
 だったら、格好なんて関係ないだろう。それに、綾南?兎吊木?なんでそんなに、親しそうなんだよ。
 人識の脳裏に、教え込まれていた零崎の業が思い浮かんだ。
 友も、恋人も、ライバルも理解者も指導者も―――、全て、殺すことが前提だと。
 「兎吊木に代わらないでいい。おい、待て、お前兎吊木のこと嫌いなんだろうが。・・・というかお前今何処に居るんだ?家じゃないのか?・・・暴君の所にいるの・・・・・・・・」
 やっと、スーツ姿の軋識が廊下の方へと視線を向けた。殺気も無く音も気配も消していた人識に気づいたのは、殺人鬼の長年の勘と、軋騎であるときの潜入時の勘が働いたからだろう。じっと廊下の方に視線を向けていたが、ちっと舌打ちをする。
 『・・・おい、式、』
 「悪い。後で掛けなおす。手違いの無い様にな」
 すっと掌で携帯から零れた相手の声を消すと、そのまま携帯の通話ボタンを押して消した。ぱたん、と閉じる。
 「人識」
 呼びかけて3秒後。ゆっくりと、暗い廊下から身を潜めていた人識が軋識の前へと出てきた。半分睨みつけているような視線だ。口元にいつもの笑みは無い。
 「・・・帰ってきてたのか」
 「大将こそ・・・なんでいる訳?っていうか、さっきの人は?氏神ってのの仲良い人?あとさぁ、その格好は?なんなわけ?兄貴から聞いてたけどよ、氏神ってのとはネット上でのやりとりだけじゃなかったのかよ」
 やっと人識の口元に笑みが浮かぶが、それはいつもの飄々とした笑顔ではなかった。引き攣ったような、軋識を嘲笑うかのような笑みだ。
 「っていうか、大将スーツ似合うんだな。はじめて見たぜ。おっとこまえー。キスしてやりたいぜ・・・かはは」
 「・・・零崎のための仕事だ。金を手に入れるのも楽じゃねぇんだよ」
 「ふーん。金なら殺して奪えよ。だからこその殺人鬼だろ?・・・ああ、分かった。今は零崎軋識じゃねぇんだな。大将は。仕事のためのもう一つのお名前って奴?へー、なるほどぉー了解したぜ」
 「人識、話を聞け」
 「やだ。殺人鬼に必要なのは殺人鬼だろ?一般人さんよ」
 するりと。人識の懐に、いつも持ち歩いているちゃちなバタフライナイフがいつのまにか手へと移動していた。軋識の顔色が変わる。
 「てめぇ――――」
 「そう怖い顔しなくて、いいじゃん。殺しはしねぇよ。零崎は家族を殺さない。今のあんたは、まぁ家族じゃないが―――殺せないしな」
 軋識と人識の間合いは5m程だったが、一瞬にして人識が軋識の前へと移動した。速さについていけずに、軋識の体が壁につく。そのまま胸倉を掴まれて、床に倒された。
 「ふーん、そんなんになっても、基本的な動きはしっかりできんじゃねぇか。かはは、新鮮だな、そんなたいしょ・・・じゃ、なかったな。あんた、それ、名前は?」
 「退け」
 地を這うような暗く重い声が、軋騎から発された。ざわざわと普段の軋識の殺気が部屋に篭っていく。微かに顔を顰め、一瞬手を緩めそうになった人識が、手に持つバタフライナイフを軋騎の首筋に当てた。
 軋騎が反射的に息を詰める前に、バタフライナイフが軋識の胸に向かって引かれる。衣服だけを斬りさいて、ナイフが脇腹の所で止まった。スーツの前部分が全て縦に切り裂かれる。
 「一般人がそう殺気洩らしちゃだめだろ」
 「ぐっ、うっ、一般人じゃねぇ、と」
 「嘘吐きぃ」
 べろり、と人識の舌が軋識の胸を嘗め上げた。じとりとした汗がしょっぱい。
 過去の淫行を思い出して、軋識が小さく嗚咽を上げた。
 「あんたとえっちぃことすんのは久しぶりだな」
 「だま、れ」
 「前みたいに優しくしてね、年上だろう?」
 黒い皮のベルトに手を掛ける。手に持つ凶器が笑った気がした。そうだね、獣は刃を持たないね。
 男の黒い髪がいつもと違うせいで違う人間を襲っている気分になった。
 
 ねぇ、愛してるとか、言ったら、信じる?



 零崎軋識を犯したのは、今から3ヶ月前のことだ。犯したというには人識が一人でがっついているような、そんな稚拙でくだらない行動だったが、軋識の記憶には人生のうちでかなり上位に入る屈辱的なことだっただろう。「SEXもしたことない童貞につっこんで男に目覚めさせてもいいの?大将」とまるで馬鹿馬鹿しい脅迫をした。
 軋識としては、人識のことを思ったというよりは双識のためを思ったのかもしれない。最愛の弟を変な道に踏み外させるわけにはいけない、と判断したのかもしれないが、零崎としてはかなり古株に入る軋識は他人の犠牲よりも自分が犠牲になる道を選んだ。
 軋識は情事の最中、何も言わなかった。
 それが、今度はなんだろう?人識は押し倒されて獣のように息を吐く男を見下ろし、静かに思う。
 また、前みたいに、家族を思ってるんだろうか?二回も?馬鹿な。見上げた家族愛だ。
 「ね、愛してるよ」
 「ぅ、あ、あああ、ぁ」
 虚空をきる手が空しい。喘ぎ声というよりは悲鳴、悲鳴というよりは嗚咽のような気がする。痛みに耐えているのだ。
 何も。何も見ないように顔を隠そうとする腕が痛々しいと思う。
 「・・・あ。やべ。ローション部屋だ」
 「!!、ぐ」
 軋識の男根に口淫していたのから離れ、既に一度達してしまった軋識の精液で後ろを濡らしていたが、流石に無理かもしれないと冷静になって見ると、ここは軋識の部屋なのだ。いつかまたヤらせてほしいと買っていたそれは部屋で眠っている。
 「はっ、は、ぁ、あああ、ぐ」
 ひくひくと痙攣する細い腰がエロイと思う。組み敷かれて屈辱に耐える男を見ると、気分が高揚するのが分かった。嫌な奴。人が苦しんでいるのに楽しんでいる。
 「ね、このまま、いれていい?」
 「いやだ、いやだ、う、ああああ、やめてく、れ」
 熱に浮かされた男の懇願が脳をとろかす。
 「ねぇ・・・・・・・」
 「いやだ・・・いやだ、やめろ」
 声を聞く気も無いのかもしれない。いやだと繰り返す軋識が惨めで仕方が無かった。
 ふと。手元にあったバタフライナイフがかしゃんと音を立てた。軋識の体が浮く。
 「・・・・」
 「いや、だ・・・・・・」
 何かを察知した軋識が嗚咽を上げる。人識はバタフライを一度開いて刃を収め、普段の棒状の状態に戻すと、己でそれに舌を這わした。人を殺したことの無い、もはや鉛筆を削るためだけに使ったナイフだったから、それほど汚くは無いだろう。
 存分に濡らした後、己の精液でぐぷぐぷと卑猥な音を立てる後ろの穴へとそれを這わす。
 「いやだ・・・・・・・」
 「大将のお願いだったら聞いてたかもね、お兄さん」
 刃の出ないように反対側を持って、軋騎の指先がふらりと伸ばされる寸前でそれを入れた。
 かちかちと軋騎の歯が鳴る。本当に人を殺しているときみたいだ。
 これ程欲情したことはなかろうが。
 「うぁあ、ああ」
 「ね、愛してるぜ」
 殆ど埋めてしまった状態で、ああ、恐怖で萎えるかもなぁ、などと頭によぎったが、軋騎は恐怖で身を竦ませながらもまだ勃たせたままだった。
 「・・・大丈夫大丈夫。俺は変態でも愛せるから。っていうかちょっと変態入ってるほうが逆に可愛いかも知れねぇしなー」
 「はっ、あ、ちが」
 「うん、ごめん」
 自分の既に勃ちあがったものを取り出し、軋騎の男根とあわせて抜く。俺のほうが変態だろうな、と思いながらも止められなかった。
 「なぁ」
 ぐい、と顔を隠していた腕を力ずくで上げると、涙が滲んだ顔と目が合う。緑が歪んでいた。
 「俺、大将が、好きだよ」
 「知らな、は、・・・知らない。そんなっ、は、いらないっ」
 零崎に。そんなのは。
 びくりと男の背が痙攣した。すっと、軽く男の頬にキスを落とす。
 「ひ、ぁ、ぁあああ、っ、ひと、」
 「・・・・・・・・うん」
 二人同時に、一緒に腹の上に白濁を撒き散らした。
 男は目を開かない。
 じわりと部屋に篭った暑さが、人識の脳から熱を奪った。
 「・・・・・・・・・・・・ええー」
 ここで正気に戻ってしまった地獄。
 倒れたスーツの大将と、中に入ったままのナイフ。

 人識はとりあえず窓を開けようと蒼褪めた顔のまま立ち上がり、この後始末をしようとふらふらになりながら走り回った。
 全て元通り、男のスーツはどうにもならないが、それ以外を元に戻した後で、一人軋騎をベッドに寝かせ、壁に背を預けて座り込み、人識は久しぶりに二人で夜を過ごした。
 「(朝が来て、大将が起きたら、俺は死んでしまうかもしれない)」
 ずっと倒れたままの男を見ながら、人識は思った。

 男はまだ、起きない。
2007/8・12


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