■夜があなたへ伝えたものは
 
 屍の真似をして、勝手に男に近づいてみれば、暴君が怖いと言っていた獣は想像以上に最悪で、その上馬鹿だった。
 馬鹿、というのには語弊があるかもしれない。男が所有する年代物らしい屋敷の一室、いわゆる男のプライベートルームでだらだらと会話をしていると、さらりとするりと、特になんでもないかのように、西東天は「俺は何も考えていないからな」とのたまった。
 死線の蒼が恐れた男がまさか何も考えていない阿呆であるわけがないと思っていたから、その言葉については特に何も思わなかった。確かに、男は何も考えていないのか、座布団に胡坐をかいて座っていた自分を突然押し倒してきて、その上銀色のフレームのシンプルな眼鏡を俺にかけてきた。
 「なんですか、これ」
 「眼鏡だ」
 畳の上に寝転んだまま、その度の入っていないレンズ越しに狐の顔を見ると、視界が狭くなったきがしたので、それを外そうと手をかけると、「外すな」と命令された。俺に命令していいのは暴君だけだ、と心の中だけで思って、それでも今は人類最悪の遊び人の忠心をやってるつもりだったから、黙ってその手は畳に落とした。だらりと和室に寝転がる自分の腹の上に足を開いて乗っかり、狐はいとも簡単に顔を覆っていた狐面を取った。かつて、一度だけ会ったことがある馬鹿みたいに赤い女に似ていると思う。驚くほど悪い目つきだとか、ニヒルな笑い方、だとかが。
 狐面をすぐ近くにあった木製の文机の上に乗せて、狐は黙ったまま、俺のネクタイに手をかけて、それを奪う。しゅるり、と乾いた音が鳴った。放られたネクタイに続いて、淡々とワイシャツのボタンが外されていく。
 「何を考えてるんですか」
 「何も」
 狐は名前の通り目を細めて、慎重な手つきでワイシャツのボタンを全て外し終えた。狐の手はやけに骨が浮いている。戦闘ができない人間という生き物の念頭にいそうな体形だ。あの赤い女とは180度、ここだけが違っている。
 「俺を抱くつもりですか」
 「ああ」
 「何故?」
 「女以外を抱いたことはないから」
 それだけ言うと、狐は今度はベルトのバックルに手を掛けて、少し時間をかけてそれを外した。ファスナーを降ろされればもうそろそろ「やっぱなし」と言って引き戻ることは難しくなってくる。
 狐はそこで一旦俺の上からどいて、俺の両足を押し広げて、その間に腰を下ろした。俺の太腿が狐の太腿の上に乗せられて、少し腰を上げられる形になる。それにしても、女に対してもこんなやり方をしているんだろうか。モテる男ってのはそれなりにこっちのテクもいいもんだと思っていたが、予想外だ。俺が黙っていると、狐はいつものように「ふん」と鼻を鳴らして、冷たい手を腹に押し当ててきた。反射的にぞわりと鳥肌が立つ。殺人鬼としての本能なのか、それとも人間の本能なのか、肌を、それも内臓の近い腹を触られることが苦手だ。普段、自分が触る側だからだろうか。
 手探りで、といっても過言ではないような拙さで、するすると狐の手が俺の上半身に触れていく。気持ちが良い所を触るわけではない、純粋に人間の肉体というものを確認するかのような、どちらかというと医者のような手つきだ。もしかしたら女の肉体と男の肉体の違いというものを手で感じようとしているのかもしれない、と思った。途中で萎えられても困る。このままだったら大して心配することもないか、と思って、一人思考の海に浸ってみることにした。
 何も考えていない、とはどういうことなのだろう。言葉通り思考していない、ということはならばそれはもう植物人間のようなものではないのか?いや、植物人間状態、というのならばそれは感覚もないことだから、それは違うのか。ならば、感情がない、ということだろうか。いや、それも無いな。しかし、思考をしていないというのなら、今、この行為は何なのか?何を思ってわざわざ男を抱く、なんてことを。「女以外を抱いたことがないから」つまり、興味本位ということだろうか。見たことも無いものに挑戦したい、ということ?この何の意味の無い肌を触るという行為も、また。
 ぐるぐると考えていると、冷たい、骨ばった手が自分の胸の突起に触れた。ちりっ、とした痛み、というか痒さが奔って、思わず体が強張る。狐はそれに気づいたのか気づいていないのか、すぐに乳首から離れて、その冷たい両手で首の方まで撫で上げてきた。鎖骨の筋をなぞって、顎を包まれるように掌が覆ってくる。
 「・・・何を」
 「何も」
 首でも絞められるかと思って声を上げれば、狐はその一言だけ洩らすと、ぱっと身を引いた。冷たい掌が離れれば、今度は下半身の方へと手が伸ばされる。下着越しに性器に突然触れられて、思わず小さく声が漏れる。
 「・・・・・・」
 狐は何も言わず、今度こそ業とだろう、ずるずるとスラックスを引き摺り下ろすと、自分の膝のところで止めた。露になった太腿を、再び冷たい手が這い回る。ついでのように下着まで取り払われた。性器がまったく反応していないことに安心したが、そんなことすら気にせず、狐は淡々と体を撫でさすってきた。
 膝の裏側から太腿の付け根へやってくると思えば、腰を抱き上げられて臀部を撫でられる。奥の窄まった穴につ、と指が触れると思わず唇を噛み締めたが、冷ややかな目をしたまま狐はすぐに手を離した。今度は何も反応の無い性器に触れる。ひやりとしたものにつままれて、生理反応だったが体がびくりと撥ねた。
 「ふん、ま、こんなものか」
 「・・・・」
 「何か言えよ」
 艶やかに微笑んで、狐は笑った。手に捕まれた性器に、段々熱が集まってきていた。この何の意味も持たない狐の愛撫が憎らしい。こんなものに反応してしまうというのが、生理反応とはいえ、自分がおそろしく見境の無い生き物のように思えた。
 狐はじっと俺の性器を見たと思えば、体を撫でた両手でそれに愛撫をしてきた。袋を掴んで揉んだかと思えば、棹の裏筋を指先でなぞり、鈴口に親指を押し当てて、つるりと撫でるかと思えば、爪の先端をきり、と立ててくる。痛みを堪えるために畳に爪を立てると、ばりばりと猫が爪を研ぐような音がした。
 睦言のような面白おかしいことはしない。俺も狐も、まったくの無言だ。普段のようにくだらない軽口も叩かない。淡々とした作業と動作。当たり前のような反応。それに大して何も言うことは無い。
 「あん、た」
 「なんだ」
 「・・・女としか、したこと、ないんだろ」
 「ああ」
 「ローションとか、は」
 少し前から気になっていたことを口にだしてみると、狐は、何が面白いのか「ふん、ローション」と呟き、
 「ない」
 と一言返してきた。
 「どう、すん・・・」
 「別に、お前に挿入する気はない」
 そう言うやいなや、狐は俺をごろりとひっくり返し、四つん這いになれ、と低い声で命令してきた。転がされたせいで眼鏡がずれたが、狐の手がそれを簡単に直した。そんなに眼鏡がすきなのか。何なのか分からなかったが、死線のことを考えながら黙ってそれに従う。すると今度は力ずくで足と足を閉じられる。何だ、と思えば、ぬるりとした熱いものが太腿の間に挟まってきた。
 げ、と悲鳴を上げる暇も無い。後ろから抱え込まれるように背中に重みが加わると、ゆっくりと太腿の間にある狐の性器が前後に動き始めた。挿入されているわけでもないのに挿入されるより恥ずかしい。ただでさえ男にやられたことなんてのは強姦まがいのことばかりだったせいか、素股というのがこんなにも嫌なものだと思わなかった。
 「耳が赤いぞ」
 「そ、れは・・・っ!」
 囁かれた途端に狐の舌が耳たぶをねろりと舐めてきた。すぐ近くでするちゅくちゅくという水っぽい音が、やけに響いて聞こえる。う、ぐ、と声を堪えると、狐が笑った。
 「女みたいに泣きはらしてみせろよ」
 「こ、の・・っう、っひぃ、ん」
 ぬちゃぬちゃと響く水音と、臀部に当たる狐の薄い肉は忘れてしまいたい記憶に酷似しているのに、直腸にいつも感じるべきである痛みはなく、前に回された狐の骨ばった手がいやらしくただ自分のものを鬩ぐことだけだ。
 「い、い、ぁは、・・・っ、ん、ふぁ、ァッ」
 「っ・・・・気持ちいいのか?ん?」
 「っふ、うぅ、あ・・・っだ、いっ、ちゃ・・・あ、っひぃ、い」
 は、と低い笑い声が耳朶を打つと、ごろりと再び反転させられる。再び仰向けにされると、ぐちゃぐちゃと先走りで濡れそぼったそれから、すぐに精液が溢れ出てきた。「あ゛、あ、ら、だめ、ぇあ、んあ、ぁ!」もはや言葉になりきれない悲鳴だけが零れる。脱力感に全身が覆われると、どろりと意識を混濁する俺の顔に、容赦なく狐が精液をぶっかけてきた。
 ぴしゃ、と眼鏡や額や唇にかかる白く生臭い液体に顔を顰めると、「今の顔、いいな」と狐がなんともおかしそうに笑った。最悪だ、このおっさん。
 「やっぱり男は駄目だ、が。お前の今の顔はいいな」
 やはり最悪だ。「やっぱり」って最初から駄目なのわかってたんじゃねぇか。顔と腹の上を精液塗れにした俺は、ぼんやりと狐の顔と天井の木目を見て、まだ手酷く犯される方がいい、と思った。人類最悪っていうのは伊達じゃないと思えるほど最悪だ。
 「あんた、何考えてるんだ」
 何度目になるかわからない問いを口にだせば、狐はニヒルに笑って、「何も」と変わらない答えを口にする。狐の言うことは当てにならない、と俺は思った。
2008/4・29


TOP