■階段の崩れる音がシンデレラを狙ってる
唇に噛み付くと生温い息が鼻から抜けた。見開かれるライムグリーンの目に自分のどす黒い赤い目玉をめい一杯近寄らせると、大将の黒い睫毛が俺の肌をするりと撫でた。瞬きの数だけ擦れる。
大将を押したせいで大将の頭が壁にごつりと当たった。背中もようやくおいついて、どん、と重い音を立てる。これが愛の形?猟奇的だな、俺たちらしい。笑いが込み上げてきたから笑った。唇が離れて、切なげに大将が俺を呼ぶ。人識。もっと甘く囁いてよ。恋人に愛でも歌うように、さ。
「人識」
「何、大将。俺が好きだって?うんうんありがとよ。俺も大将愛してるぜ」
「人識、おま」
何か困惑した声があまりにも人間臭かったら俺の愛が暴走してつい手が出てしまった。ぱっと開いた手のひらでぱぁん、と一度大将の頬をひっぱたくと、呆然とした顔で俺をみた。零れんばかりに見開かれる綺麗なライムグリーン。洋梨が食いたくなった。
「違ってた?俺が嫌い?どっち?」
「・・・え」
「答えろよ」
あ、これ、どっかで見たことある。昼ドラ?『俺のこと好きだろ?好きなんだろ?好きなら今すぐ俺に跪いてごめんなさいって謝ってキスを強請れよ、なぁ、なぁ!』無様な悲鳴だ。いじらしいと言ってもいいかもしれない。でも悲しいことに俺はいじらしくもないし女々しくもないし別に大将に跪いてもらって謝られたってなんとも思わないんだ。それなら今すぐ背中にしがみ付いて愛してる、って言われた方が百万倍も嬉しい。征服するより征服されるほうがまだ好きだ。その方が楽だし、愛を享受する方が幸せ。背中を追うなんて真っ平ごめんだ。俺はなんたってクールなんだから。ずっと背中を追いかけてほしい。キスはするよりされる方がいい。楽だし、愛されてる感じがする。
「好き?」
「・・・ひとしき、やめろ」
そういう答えを言う場面じゃないだろうに、大将、空気読めよ。殺人鬼だからって人語を忘れるなんてそろそろ獣染みてきたみたいだ。ウケる。
獣なら四足歩行で犬みたいに這い蹲って餌を待てよ、なんて言ってみようかと思ったけどそこまで俺の頭はいかれていない。クールでオシャレでクレイジー、そこらをのうのうと歩く平和ボケした人間じゃない、なんてったって生粋の殺人鬼零崎人識、嗚咽に塗れて弱弱しく俺を見る大将を苛めるほど性根は腐っていないのだ。欠陥製品でもあるまいし。
弱いもの苛めはしないに限る。弱いものは殺すだけだ。家族には甘いだけで弱いわけじゃない。やめろと言うなら止めてやっても構わない。何を?と首を傾げると大将は今にも泣きそうな顔をした。
「大将、泣けよ」
サディストっぽい台詞を吐くと、逆に大将は涙を堪えた。こういうところ、この人もサディストだ。楽しい。俺は笑って、目の前にある鎖骨に噛み付いてみる。薄い皮の向こうにある白い骨を夢想して、それをがつりと歯で挟む。悲鳴を堪えた大将は俺の後頭部を鷲づかみにして、離れるように後ろに引っ張ってきた。こういう図太い所が好きだ。抵抗してくれると燃える。
鎖骨をがじがじと噛みながら、両手を大将の下半身へ。ベルトのバックルを外してだぶだぶのズボンのなかに手を滑り込ませると同時に、大将の足が思いっきり俺の足を踏みつけたぼろぼろのサンダルに踏みつけられた俺の安全靴、汚れたかもしれない。まぁどうせ靴だ。汚れるもんである。それが愛しい愛しい俺の大将のものからのものだと考えれば見事な愛の形である気がした。幸せな脳味噌を持って生まれてきてよかった。初めて親に感謝した。
足元に転がっている死体の山が、変に拉げていた。丁度良くどいつもこいつも俺達を見ていない。むっとする血の匂いで溢れているだろうに、鼻が慣れてしまっているのかまったく匂いを感じない。大将の匂いをたっぷり吸って、唾液に濡れる鎖骨から歯を離せば、歯型が綺麗についている。赤く凹んだ肉に、ふっと息を吹きかけて、ようやく離れた俺を見ようと顔をこっちに向けてきた大将の顔にもう一度キスをする。素早く舌を口の中に入れ込むと、「ふ、ん」と甘えるようなぬるい声が上がった。恋人みたいだ。がちがちと歯が擦れあう。
下着の上から性器に触れるとぎくりと大将の体が強張った。可愛い。指先でなぞるとさらに震える。唇を離して「座って」と促すとその通りに、背中を壁につけたまま、ずるずるとゆっくりへたりこんだ。下着をずり下ろしせば半分勃起している性器が自然に出てきた。ふっと息をふきかけると唸り声のような声が、噛み締めた大将の口から漏れる。
「あは」
普段しないような、自分でも自負する可愛い笑顔で大将に笑いかけると、普通の知り合い、特に兄貴とか無意識にほだされたような顔をするっていうのに、大将は世界の終わりをみたような絶望的な顔をした。面白い。その顔から目を逸らして、その鈴口をべろりと舐め上げる。ぐ、と犯されているとは思えない声が上がった。
棹の裏筋を舐め上げて、ぷつりと先走りの漏れるその場所に舌先を入れると、大将の体が弓なりに捻られた。空いた手が、柔らかい床のカーペットに爪を立てる。赤いもさっとした毛に指先が埋まっていた。
「ん、う゛っあ、あ、は」
「興奮してんだな、やっぱり。生命の危機に立たされると勃起するってのはマジなんだな」
大将の腰を掴んで上に引き上げると、ずるっと背中が下がった。はー、と溜息のような長い呼吸を繰り返す大将の目が艶やかに潤んでいる。舐めてみたいと思ったけれど、俺の身長では今届かなさそうだった。
「なぁ、今さ、俺が持ってるナイフを大将の首に押し当ててさ、殺すまねしたら、もしかしてイっちゃう?」
ふと思い立ったことを口にだすと、大将は目を丸くして、すぐに眉間に皺を寄せて、いつも俺を詰るような顔になった。その顔、苛めたくなるんだけど。
「ば、かか・・・っ!」
「やってみようか」
無視して懐からナイフを取り出すと、大将の顔が引き攣った。腰を抱き上げているから、ぎりぎり大将の臍のところにしか唇が届きそうになかったから、けっきょくそこにキスをする。片手で腰を抱きかかえたまま、右手に握ったバタフライナイフの刃をむき出しにする。その滑らかな銀色に見惚れた大将の手が、獲物を求めたのかずるりと動いた。
「やめ、ろ」
「動くなよ、大将」
「う、あ」
ごそごそと大将が動いたせいか腰が自然に俺に押し付けられるようになった。倒錯的なエロス。にっと俺が笑うと、大将が反対に泣きそうな顔をした。
その時、間抜けなチーン、というトライアングルを叩いたような音が鳴って、ぐぃぃん、と何かが開く音がした。ぱっと振り向けば、さっきまで閉まっていたエレベータが空いていて、一人のスーツを着た会社員が目を丸くして部屋を見ていた。おそらくこの会社の者だろう。死体の山を見て、その中で性交に及んでいる俺達を見て、呆然と立ち竦んでいる。
「見られちゃったね、大将の恥ずかしいとこ」
「・・・・っ!」
次の瞬間、男が絶叫を上げるかと思えば、大将が俺の手からバタフライナイフをもぎ取って、素早く投擲していた。綺麗に周りながら飛んで行った刃物が、どすっと鈍い音を立てて男の脳天に突き刺さる。それと同時に、エレベータの扉が閉まった。閉じていく扉の向こうで目をぐるりと回して男がどさりと倒れた。赤く灯ったランプがまだ移動を始める。
「大将、ナイフ投げできんだ」
「・・・う」
「ん」
大将は目尻に涙を溜めて、ずるずると俺から離れようともがいていた。その両手を掴んで、もう一度密着する。どろ、と大将から出た精液が、大将の腹の上から零れた。
「いついったの」
「ちが、ちがう、これは」
「あいつ殺してイったの?変態だな、大将」
なんとあの一般人を殺したとき出してしまったらしい。大将は自分でも予想していなかったのか顔を真っ赤にしてぼろぼろ泣いていた。
俺は大将の腰を床に下ろして、大将の足と足の間から抜け出た。ばたりと床に倒れこむ大将に馬乗りになって、それを見下ろす。マウントポジションっていうんだっけか。
「泣くなよ」
「う、離れっ、人識の、アホっ・・・!」
「その顔、そそる」
両手で顔を覆う大将の、手の甲にキスをして、俺は勝手に自分の性器を取り出して、泣きはらす大将の顔にすぐにぶっかけてみた。生暖かい液体がとつぜん掛かってきて、びくっと肩を震わせた大将は、おそるおそる顔から手を離して、今自分の状態を理解したのか、愕然とした顔をして俺を見た。
「お、ま・・・」
「大将、可愛いな」
「っ・・・・!!!」
最低だ、人殺しの仕事先で、こんな、変態、馬鹿野郎、などと非難轟々だったが、新たに見つけた大将の隠れた性癖に俺は顔がにやけるのを止められなかった。俺もそうとうに馬鹿だけど、あんたもそうとうに馬鹿だ!
俺の精液をぶっかけられた大将は肩を震わせながらさめざめと泣いていた。その耳に「ね、癖になったらどうする?」と聞いてみると、死んでしまえ!と涙交じりの怒声が響いた。
2008/4・26