■結局たどり着きはしなかった指先を目で追って
ごぉん、と低い音が響いて、車両の扉が閉じられる。通勤ラッシュのせいで人がまさに密集させられた車両の中、端に追いやられた状態で、ラッドは小さく肩を竦めた。電車を降りるのはまだまだ先だが、これでは入り口まで向かうことすらできない。壁によりかかりながら、、隣の人間の鞄の角が腰に押し付けられてやけに痛かった。
扉が閉まってから数秒後、がくん、と一度大きく揺れてから、だんだんと電車が動き出した。すぐにたたん、たたん、と規則正しく線路を噛む音がする。一度電車が動き出したことにより、人間の塊がラッドにのしかかってきて、壁に頭をつけながら、ラッドははあ、と重苦しいため息を吐いた。
空調が効いているせいで、これほど人が犇めき合っていても大して熱くは無い。妻であるルーアがアイロンをかけてくれたスーツの皺が不安だったが、ラッドはそれも仕方が無いかと、鞄を抱えて小刻みに伝わってくる振動に体を預けた。
と、段々襲ってくる睡魔にうとうとと瞼を落としかけた瞬間、するりと腿の間に何かが入ってきた感触があった。
「―――――・・・?」
誰かの鞄だろうかと思って身を捩っても、その感触はすっかり吸い付いてきたかのようにぴったりとラッドの腿に入り込んで離れない。その太腿に押し付けられた何かは五つの細い棒のようなものをばらばらと動かし始め、するするとラッドの臀部を撫で上げた。
「・・・・・・・・・・」
考えられる選択肢は一つ、痴漢だ。
ラッドは自分がおそらくありえない状態にいることに愕然としながら、この場合の対処法に関して頭を捻った。今すぐ振り返って後ろの奴を殴るか、または俺の周りにいる人物の中から怪しい奴を選んで適当に殴るか。いや、しかし痴女ということだってある。
ラッドの体形は平均男性と比べれば引き締まっており、結構しっかりとしている。身長は他人より少しは高い。少なくともラッドのことを女だと勘違いするアホはいないだろう。するとやっぱり、痴女かホモか・・・。ラッドはどっちにしろ嫌だなぁ、と思いながら、延々と局部を撫で上げる手に体を強張らせた。
「・・・・・・・・・っ」
痴漢の行動も動きを増しており、後ろからラッドの体を抱きしめるように回された片腕は、すりすりと服の上からラッドの男根をすりあげてきていた。生理的に上がった媚声に唇を噛み締めながら、ラッドはその無遠慮に回された手首を掴み上げる。
「おい、お前」
「はい、おはようございます」
すでに見覚えのある人間の腕に口元を歪めれば、後ろから普通に聞こえてきた男の声はやけに楽しそうだった。俺は全然楽しく無い。頭の中で血管がぶちっと千切れるような音が聞こえるのではないかというほどラッドは頭に熱が溜まっていくのを感じた。
「何のつもりだ、馬鹿野郎」
「何のつもり・・・ああ、ええと、近頃残業が多くて姐さんともよろしくやれていないのではないかという気遣いのつもりです」
「大きなお世話だ・・・!」
声が震えることを感じ取りながら、ラッドは抱きついてきている男の手を引き剥がそうと力を込めた。己よりも細い腕の癖に、まったくといって良いほど動かない。ぐに、と一段ときつくラッドのそれを握り締めてきて、痛みで顔を顰める。
「・・・お前はいつからそんな変態になったんだ?」
「いつからと言われましても・・・とりあえず兄貴に対しては一年中盛れる自身があります!」
小声で言っているとはいえ、最悪な告白である。目の前が真っ暗になるのを感じながら、ラッドは電車の冷たい、車両を移る為の扉に額を押し付けた。冷静になれ。とりあえずグラハムの馬鹿は今はどうしようもならない。どうやってこの状況を打破するかが問題だ。幸いなことに調子の悪い冷房のごうごうという音のせいで会話は殆ど他人に聞こえないと思っていいだろう。グラハムの声を聞くのもラッドには本当に耳を掠めるようにしか聞こえない。
今にもブチ切れそうなラッドを知ってか知らずか、グラハムは手早くラッドのベルトを緩め、ズボンの前部分をくつろげた。ここでそこまでやるか!?と驚きと混乱によって、体がぎくりと強張って動けない。布越しに愛撫されていたせいで、生理的に緩く反応を示し始めていたラッドに機嫌を良くして、グラハムの片手が下着越しにラッドの棹を弄り始めた。
「・・・っ・・・・の・・・!」
周りに人々が鮨詰め状態で密集しているせいで、いつこの行為が感づかれるか分かったものではない。壁際に押し付けられているせいで、片手を壁について体勢を整えることは可能だが、振り返ればそれだけで他人の視線を集める嵌めになるのは必至だ。
「ハハ・・・兄貴勃ってきてますよ・・・?」
背中に張り付いてきているグラハムが囁く。ぎり、と奥歯を噛み締めれば、背後で男が笑う気配がする。
ぐり、と尻の狭間にグラハムの腰が押し付けられた。素肌を絡めるのを良しとしない衣服があるのだけが救いで、情交のようにいやらしくグラハムの性器がラッドに擦り付けられてきた。駄犬が、と罵る言葉も今は歯を噛み締めるだけで零れることは無い。ズボンの中に納まっているが既に勃ちあがっているグラハムのそれが、電車の揺れに合わせて尻たぶを嬲った。どっと汗が吹き出る。
「っ・・・ぅ、・・・・・」
壁に体を押し付けるようにグラハムから逃げようとしても、男の体はぴったりとはりついてくる。背中に感じる体温にがくがくと足が震える。背後を取られているという恐怖。良い様にヤラレているという事実。劣等感。苛つき。羞恥心。殺意。
ぬちゃぬちゃと零れる先走りがグラハムの手を汚した。びくりと強張るラッドの肩越し、グラハムが耳に囁く。
「次の駅で降りましょう。辛いですよね」
「・・・・っ、は・・・・」
目の前でちかちかと瞬く閃光、なんとか首を捻って伺った背後で、金色と蒼が笑っていた。ぴくりと震えたラッドの足にくつくつとくぐもった笑みを零して、グラハムが微笑む。
次の駅名のアナウンスが流れたのをどこか遠くで聞いている気分で、ラッドは苦しげにひたすら熱を持った息を吐き続けた。
2008/5・3