■子供達の我侭
「少女漫画や男性向け漫画って狂ってますよね――」
目を細め、うつくしく微笑むことを絶やさない美少年は――、そう言ってにこりと笑ってみせた。
「いえ、それを言うのなら同人漫画とかいう、女性向け漫画というのも大抵狂っていると言っても過言ではありません。僕は結構友人が多いタイプの人間ですが、僕の住むアパートに、同性愛を好む女性がいて、交流を持っていたりするのです。まぁ、混沌を形にしたこの裏社会において、同性愛やらペドフィリアやらそんなことまるで当たり前だったりするのですが、それでもやっぱり、どこにでもあるのです、強姦というものは」
久しぶりに会った時に銜えていた煙草は既に無い。美しく軌跡を刻む唇からそんな強姦だ同性愛だという言葉が零れるというだけで軋騎が意識が遠のくような気分だった。流石に同じ人間として、否、軋騎は殺人鬼であり少年は死神であったりするのだが、それでも「男」という実在するものであることは熟知しているので幻滅ということは無い。
しかしそれでも不思議なことに軋騎はこいつでもそんな言葉を吐くのだな、と驚いている自分がいることに気付いていた。
「しかも、その強姦をきっかけに恋愛が始まるという病的なストーリーが、かなり王道なジャンルであるということを否定することはできません。強姦された人間は最初強姦してきた人間に恐怖し、嫌悪し、憎悪するのですが、それが自分を愛しているが故の不器用な愛情表現であったということを知ると―――途端にその犯罪者に恋をするんですよ。これ、おじさんはどう思います?」
「空想世界の王道ストーリーなんざ知るか・・・それに、俺はおじさんって歳でも」
ある、のか。と軋騎は心の中で呟く。32歳という歳は確かにもう、おじさんなのかもしれなかった。
「実際強姦された人というのは世間からの目からの恐怖や、羞恥、家族からの異端者扱いの恐怖から、警察に連絡しないというのが常套だとかいう噂を耳にするのですが、でも実際、どうなのでしょうね? それが男性で、同じ男性から強姦された場合――警察に駆け込んで強姦されたので訴えます、あいつを捕まえてくださいと――言うものなんですかね? おじさんはどうしますか?」
「これからのことを心配してるのか」
はっ、と軋騎は鼻で笑い、「俺は嫌な時は相手を殺す」とそう断言した。少年は、石凪萌太は、そうですかと言ってふわりと微笑み、ベッドの上に乗ってくる。ぎしっ、とスプリングが軋んだ。ラブホテルの安いベッドが抗議の声を上げているようだった。
「でも可愛くて天才な僕のこと、殺せるんですか、おじさん」
「嘗めるな、ガキが」
吐き捨てるように唸ると少年は柔らかくふふふ、と笑う。妖艶な女を彷彿とするようなうつくしさだったが、軋騎はそのアンバランスな年齢と中世的な顔立ちに、恋していた少女を思い出した。僕って愛されてるんですねぇ、と人を馬鹿にするような声音で子供は嘯く。
何をしているのだろう、と脳の片隅で疑問を投げかける声を聞いた気がしたが、軋騎はそれを聞かなかったフリをして、子供のうつくしい、人殺しの手が己の首に絡むのを冷めた目で見ていた。
声をかけてきたのは萌太からだった。先日零崎の一人が死亡したという情報に、また今朝、家族が死んだという話が軋騎の携帯電話を振わせた。軋識は軋騎として着るスーツに着替えて、もう少し情報の手に入れられる知人を当たろうと自宅を出た。チームが解散してから、軋騎は自宅にスーパーコンピュータを置くのをやめたので、家にいてもどうしようもないと判断したのだった。
双識が死んでから家族内の意思疎通が激減した。自由でありながら家族という絆で繋がる彼らは滅多に身内に連絡を取らない。それは殺人犯である彼らが徒党を組むという訳ではない、ということを表している証拠のようなものでもあった。家族のために殺し自分の意思で人を殺す殺人鬼にとって家族というものはつまり「家」であり、帰る場所でしかない。双識はその中でも珍しく家族が団結することを望む男だったので、家族内の交流を強く持とうとしていた。しかし彼が死んでしまって、零崎はその流血の交わりが薄くなったわけでもないのだが―――情報が錯綜するようになってしまった。
腐っても長兄か・・・。軋騎は己の不甲斐なさや、改めて家族の重要性について笑い出したくなってしまった。チームメンバーのパソコンを借りて打てるだけの手を打ち、情報を引き抜いてから帰路につくところだった。
「おじさん、死相が出てますよ」
「―――――――あ?」
突然、すぐ横でぼそりと呟かれた言葉に、軋騎は数歩歩き続けてから、ぴたりと止まった。ざわりざわりと蠢く雑踏の声だったので己に向けて言われた言葉だと判断していなかったのだが、その「死相―――」という言葉が、その柔らかい声がどこかで聞いたことのあるものであるということに気付き、素早く振り返る。深いグリーンの作業服の青年、というよりは若い、それこそ「青少年」というべきなのかもしれない美しい子供が、煙草を銜えて立っていた。
「どうも。お久しぶりです」
「・・・・・・・? ・・・・・・・っ、お前!」
にこり、と微笑む少年に思わず指をつきつけ掛けて、それを留める。背が高くなったがその子供は明らかに、軋騎の知っている「死神」そのものだった。あの大きな黒い鎌は勿論持っていなかったが、プロの人間が見ればすぐに分かるほど少年の体は一般人とは格が違う。軋騎も勿論愚神礼讃を持ってきてはいなかったが、これで徒手空拳同士、ハンデは無い。軋騎は対峙するように身体を正面に向け直し、足を少し開く。どうやら乱闘に持ち込むつもりなのかという軋騎の判断を察知して、萌太は嫌だなぁ、と両手を降参のポーズを示すように上げた。
「何もしませんよ。ただ懐かしい顔を見つけたので声を掛けただけじゃないですか。おじさん」
「今死相って言ったな」
「はい?」
己を睨み続ける軋騎に、きょとん、とした様子で首を傾げて見せる。そんな萌太をじっと睨んだまま、もしかしてこいつが、と軋騎は胸のうちで一つの可能性を呟く。
まさかこいつが零崎の連中を殺して回ってるのだろうか?
次の標的が俺なのだろうか?
「死相が見えるから、殺しにでも来たか」
「ああ―――なんだ、怯えてるんですか、おじさん」
「怯えて――」
ない、とは言えなかった。否、逆だ。むしろ「こいつを殺せるだろうか――」と考えていたのだ。
一度負けたのだから。
だが、やるしかない。家族を守るためには確実に、殺す。
「違いますよおじさん、怖い顔をしないでくださいよ」
「・・・・・・」
「本当に、ただ単に声を掛けただけです。おじさんに死相が見えるのはあの頃からずっとですけれど、僕はそのときに死ぬ人しか殺しませんよ。おじさんは今ここで死ぬわけじゃないですからね」
「ふん―――・・・」
偶然会った――と思うには偶然が過ぎる。ああ、そうか、この子供と初めて会ったのも、死線の命令でここのビルを襲撃した時だった。チームの奴らに会った後に、こいつと再会とは、運が悪い。
軋騎はすっと佇まいを正すと、そうか、じゃあな、と言ってくるりと背を向けた。あれっ、と気の抜けた萌太の声を背中で聞きながら、さっさと雑踏に紛れ込む。人ごみに一度混じってから、さっと細い路地に抜ける。これで撒けたら重畳だが、着いてきたらそれはそれでいい。住みかまで来られたら溜まったものではない。
死神は当たり前のようについてきた。人目がつかないところまで抜けて、軋騎はぴたりと再び足を止めて、振り返る。萌太は軋騎と1メートルほど距離を開けて止まった。
「それで、何の用なんだ」
「いえ、まぁ、深い意味は無いんですけど」
僕を買いませんか、と萌太は言った。ああ? とまるで安いチンピラのような台詞を零してしまった自分を心の隅っこで嫌悪したが、あからさまな嫌そうな顔も思わずとどめることはできず、くすっ、と萌太はそれを見て笑った。
お金が無いので稼がせて下さい、と子供は言った。ばいしゅん、と心の中でその言葉に思い至り、ゴミを見るような目で萌太を見下す。こいつ、頭おかしいんじゃないか。
「僕のことを頭おかしいと思ったでしょう」
「当たり前だろ」
「酷いですねぇ・・・買うと言っても、まぁ、ストレス発散だと思ってください。僕は貴方の言うことに従って何でもしてあげますから」
「それを俺にやる意味は何だ?」
「死相が見えるとか言ってしまったお詫び、とか言ったら殴られそうですしねぇ・・・貴方に一目惚れしていた、ということにしてください」
嘘にも質が悪すぎることをさらりと吐いて、萌太は微笑む。ストレス発散と言うのならば、じゃあタコ殴りにされろというのも有りなのだろうかと思う。しかしこの美しい子供を殴ったら、それこそ死相が本当のものになりそうだ。
夜道に気をつけろよ、みたいな。
「お前、何歳だ」
「15です」
犯罪だな、と軋騎は思いながら、努めて冷静に、そうか、と答えた。近くのラブホテルに入った時、男同士だったが何も反応が無かった点から省みるに、もしかしたら萌太が女と思われたのかもしれない、とも思えた。女装しても少し体格のいい美女にしか見えない。
スーツから財布を取り出し、カードを一枚、萌太に渡した。
「1億円ぐらい入ってる。暗唱番号は3521」
「・・・・・・おじさん、そりゃないでしょう」
死神といえどもその金額には驚いたようで、否、むしろその金額をさらっと渡す軋騎に引いたのか、うつくしい顔を引き攣らせながら子供は軋騎を見た。
「宝くじにでも当たったと思え」
「僕、一体何やらされちゃうんですか」
「ストレス発散だと、てめぇが言ったんだろう」
軋騎はベッド横に置いてある棚を漁り、ローションをベッドの上に投げ落とした。
「抱け」
「ああ、・・・・・・・・・・・・・け?」
初めて目を白黒させて驚く少年を嘲笑うように軋騎は笑って、ばさりとジャケットを脱いだ。
「未来もある子供のバージン取れるほど人畜非道じゃないからな」
殺人鬼ではあるのだが。
正直なところ、一泡食わせたかった、というのが本音だったのかもしれない。えげつない行為だということは百も承知だ。しかも相手は15歳だ。高校一年生というぐらいなんだろうか? 学校に通っていないだろうが、倫理は流石に分かるだろう。と、軋騎は踏んでいた。
「僕にとっての父親という人の夢は全ての世界に子供を作ることで――」
「う―――?」
ずちゅっ、と嫌な音が止まる。ぱたぱたと汗が軋騎の背中を伝った。うつ伏せになった軋騎には、子供の顔は伺えない。低く、ぼそぼそと呟く子供の声が、軋むベッドの悲鳴と逆に、ゆっくりと零れた。
「僕には腹違いの兄弟が、いっぱい居るんですが、その父親の妻、いや、・・・・・・子供を産んだ女の人達は、皆、あの男を愛していると、思いますか?」
「知らねぇ、よ・・・・・・」
腹の、内臓を抉るような感触は吐き気に似ていると思う。それでも強制的に快楽というものを引きずり出されているので、その嘔吐感とびりびりと痺れてくる気持ちよさに、軋騎は思考回路を鈍くされがちだ。歳を取ると快楽というものに反応が悪くなる、という話を聞いたことがあるが、残念なことに、いや、幸運なことにと言った方がいいのだろうか? 軋騎の身体はまだ若い部類らしい。
「お前の家庭事情がどんなもんであろう、が、それはてめぇのものだろうし、俺が、知ったことじゃねぇ、だろうが・・・」
「じゃあ、男の人の気持ちなら、分かりますか? あの男は、女の人たちを愛しているのでしょうか?」
「それも、知るわけが、ねぇ・・・俺は女を孕ませることだって、一生できない、鬼だしな。てめぇは、どうなんだよ・・・・・・、馬鹿ガキ」
「どういうことですか」
「俺を愛したり、できるのか?」
「・・・・・・」
軋騎は失笑するように肩を震わせて、う、と小さく呻き、ぎろりと無理やり萌太を睨め上げた。
「そりゃ、家族は大切だとは思うが―――それで愛が無いから、何だって言うんだ? お前に関係は無いだろうが。お前の人生に関係ないだろうが。両親が愛し合ってないのが悲しいってだけだろうが。それでもお前に家族は居るし―――要らないから捨てれるってもんでも、無いだろうが」
零崎は、軋騎にとっての「家族」は生まれたときからあったものではなかったけれど――それでも最後まで大切だった。誰が死んでも、誰が誰かを嫌いでも、誰が誰かを家族と認めていなくても。
それでも零崎は「家族」で、ちゃんと繋がっている。今だって。軋騎は家族のために、死のうとしていた。
そのいつまでも途切れない死相を、萌太は眩しそうに見て、ああ、と吐息を吐くように笑った。
「なんだ、ストレス発散してたのは、どうやら僕みたいでしたね・・・・・・」
「は、可愛い上に天才で間抜けだな、ぁ、く!」
「本当ですよ、まったく」
軋騎の手がクッションを握り締める。均整のとれた綺麗な背中を、しかしそれでも細かい傷の走る人殺しの背をつう、と指先でなぞり、萌太はふっと笑った。
「おじさんは優しい殺人鬼ですね」
「はぁ? なん、だ、ぁ、それ・・・」
「あの男の気持ちは分かりませんが、でも、僕はおじさんのこと好きですよ」
「っ、あ・・・・・・!」
びく、と身体が震える。引き締まった太腿をぐっと押し広げて身体を押し付けると、ひん、と軋騎が啼く。こういうのはいけないんですけど、と萌太はその耳にそっと囁いた。
「死なないでくださいね」
「っ―――ぁ、あ!」
びゅるっ、と精液が吐き出される頃、萌太は己の肉を引きずり出して、その背中に精を吐き出した。犯罪者だぁ、と萌太のからかう様な声がころころ笑っていた。
萌太はシャワーを使って一度ですぐに一人で帰った。軋騎も部屋を後にしたが、ふと棚の上に己が渡したはずのカードが置いて行かれているのを見つけて、結局ストレス発散したのは俺だった、と自己嫌悪した。自分で言った言葉に一人で救われていた気分になっていた。ガキは俺だ、と軋騎は呟いて、カードをポケットに突っ込んだ。
2011/1・8
陽向様へ