■猟奇歌を歌うのは赤頭巾ではなく胃の中の祖母の口である
「『殺すことぐらい何でもないと思いつつ、人ごみの中を闊歩していく』」
朗々と室内に響く青年の伸びやかなテノールの声が、椅子に腰を下ろす曲識の眼前に跪く軋識の四肢を震わせる。
音は壁に反響してびりびりと窓ガラスを軋ませた。空気が振動し、ただ聴いているだけならばいつまでも聴いていたいと思ってしまう、好青年の朗読する声に屈服させられている状態にある軋識はぎっと口を噛み締め、ぴくりとも動きもしない両手両足をいっそ切り落としてしまいたい衝動に駆られた。
「『ある名をば丁寧に書き、丁寧に抹殺をして焼き捨てる心 ある女の写真の眼玉にペン先の赤いインキを注射してみる』」
「おい、トキ。俺はその趣味の悪い詩をいつまで聴かせられればいいっちゃか」
我慢できない、と言いたげな視線と共に、軋識の口から忌々しげに言葉が吐き捨てられる。椅子に座ったままの曲識は、「うん?」とやっと両手で持つ本から目を離し、膝立ちになって両腕を後ろに回している状態で動くことを許さない命令を出されたままの軋識を見下ろし、少しだけ困ったように笑った。
「趣味の悪い詩とは失礼だよ、アス。これはね、夢野久作という方が作った『猟奇歌』の一片だよ」
「知ってる。その続きもだっちゃ。今更お前に朗読してもらってまで聴こうとまで思わんっちゃ」
「へえ、それは凄い」
曲識は心の底から感心したようで、「続きを言って見てくれよ」と軋識を促す。
「『この夫人を縊り殺して捕われてみたしと思う応接間かな』・・・」
「凄い」
ぼそぼそと答える軋識の言葉に合わせて文面を辿り、楽しそうに曲識は笑う。何が楽しいのやら。心の中で毒づきながら、真意の測れない己の家族を睨み上げる。
「俺に読み聞かせたいのならせめて椅子に座らせろっちゃ」
「いや、アスにわざわざ床に座ってもらったのには意味があるんだよ」
「意味」
何のつもりかと問いただそうとすれば、曲識は軋識が反応するよりも素早く、その朗々と室内に響かせていた声を持って、一つ命令を下した。
「両手を前に」
「・・・・・・くっ」
軋識の意思と反して、無駄な筋肉も脂肪も禄についていない、引き締まった両腕が見えない糸にでも操られているかのようにゆっくりと前に出される。ハードカバーの向こう、軋識から見えない位置で、曲識の柔らかな唇が軋識にとって絶望的な命令を下す。
「ズボンと下着を脱ぐ」
「・・・・・・・・・っな、トキっ!」
既に両腕がベルトに手をかけているにも関わらず、表情だけがひきつり、曲識に縋るようにその翠の眼が揺れた。その動揺を楽しそうに見ながら、例えば軋識が演奏者ならば、その指揮者にでもなったかのような存在であろう曲識はにっこりと嘲笑った。
「先に言っておこうアス。これは嫉妬故の八つ当たりだ」
「何を・・・!」
曲識の考えていることが理解できず、軋識は狼狽が隠せない。しかし、既に曲識の支配下にある体は軋識の脳髄に反して着々と衣服を脱いでいく。だぼだぼしたズボンを己のものとは思えない両腕で何の感慨も無く引き下げれば、ぬくぬくと温まっている室内だといえど突然の温度の変化にぶわっと鳥肌が立つ。
頭では何をしているのか理解できないというのに、軋識の脳髄とまるで別物である存在であるかのように早々と曲識の目の前で下半身を曝け出す格好となり、軋識は羞恥で言葉を無くした。室内に足を踏み入れてから延々と膝立ちをしていたせいで、既に足は棒のように痛む。
ノースリーブ一枚のみを身につける格好となった軋識を、椅子に腰掛けたまま眺め、曲識は「ふむ」と一度感慨深げに頷いた。
「犯罪者の気分がよく分かるね」
「既に犯罪者だろう、が・・・っ!」
屈辱と怒りと恥辱で家族といえど目の前の男を殺しても構わない、などと思ってしまうが、曲識はそんな軋識の思いも知ってか知らずか余裕そうに笑い、再び本へと視線を戻した。
これから何をされるのかと思っていた軋識が怪訝そうな顔をして、まさか、このまま放置されるのだろうか、などと思った矢先、曲識の温度を持たない、柔らかな声が軋識の脳髄を甚振った。
「自慰をする」
「――――――――な、にっ!?」
一瞬言葉の意味が理解できず絶句した軋識だが、体が起こす行動はそれよりも早い。
普段は凶器を持ち人間を殺害することにしか使わない両手がやわやわと己の息子を包んでいたからだ。
「やめっ――――――」
間抜けな状況にも程がある。何を自分で自慰しているのに、止めろ、などとは。
それが音遣いである零崎曲識のせいだということが分かっていても、己の体を制御できないという理解不能な事実に反応が遅れる。
右手で先端部分をぐりぐりと弄くりながら、左手で竿の部分を業と苛め抜くように摩る。絶望的な手腕と状況に目の前が真っ暗になるのを感じ取りながら、軋識はいっそ狂ってしまいたいほどの思いに駆られた。
「やめろ、と、き」
「ああ、そうだ。言い忘れていた」
椅子に深く座り直し、柔らかに微笑んだまま、零崎曲識は淫蕩に溺れる己の家族を冷ややかに見下ろし、そっと命令の続きを囁いた。
「――――――零崎人識に犯されるように、自慰をする」
「――――――――――・・・・・・、ひ」
かっと目頭が熱くなるのを感じ取りながら、両手の動きが変わり、先程よりも陰湿に己を昂らせる淫行に、軋識は喉の奥を微かに震わせた。
「あ、ぁは、は、は、たのむ、トキ、やめ」
「『人体のいづこに針を刺したらば即死せんかと医師に問いてみる』」
ついに膝立ちの状態でいることが耐えられなくなったか、床に崩れ落ちる格好になった軋識に一瞥もくれず、曲識は淡々と言葉を連ねた。猟奇歌を謳い続けるその声は部屋の中をみっしりと音で満たしていた。その音を割るように、引き攣った軋識の悲鳴と嗚咽が零れる。
「あっ、あ、ぁ、・・・・・・・・・っ、っは、は、」
「・・・・・・・・どこまでやったんだ?」
曲識の視線は冷静に、軋識の両手の行き先を辿る。そそり勃った軋識の一物はカリからとろとろと先走りを零しており、片手でそれに愛撫を未だ続けている。空いた左手は己の後孔をぐにぐにと揉んでおり、床にごり、と額を摩り付ける軋識は顔を真っ赤にしてその淫行を見ないように必死だ。曲識はひくりと震える軋識の下半身を見ながら、ぱたりと書物を閉じた。急激に沈黙が支配し始めた広い部屋に、ぽたぽたと水滴が垂れる音、軋識の喉から漏れる嗚咽だけが静寂を押さえ込んでいる。
「アス」
「あ、つ、っ・・・・・!」
「止めろ」
ぽつりと曲識が呟けば、軋識の両腕が動きを止めた。精液でどろどろになった性器を愛撫していた手が床にとさり、と力をなくして墜落し、後孔を弄くり始めていた片方の手もよろよろとそこから離れ、床に落ちた。
は、は、と肩で息をする軋識はふるふると震えながら、涙で滲んだ眼で曲識を見つめた。不安と悲しみと絶望を溜め込んだ翠の眼で見つめられ、曲識は肩を竦める。
「付き合ってるのかい?」
「・・・いいや」
「ふぅん、喜ぶべきか、悲しむべきか。よく分からないな」
床に転がったままの軋識を眺めながら、曲識は腰を上げ、今度は床に腰を下ろした。軋識が先ほどよりも近づき、その全貌がよく見えるようになる。
軋識のペニスは痛々しそうなほど赤く張り詰めており、男であれば一度達した方がいいと思うぐらいだ。一度落ち着いたとはいえ、軋識の赤くなった頬や濡れた唇は確かに扇情的である。それを眺めながら、曲識は己の息子が下着の中で怒張するのをぼんやりと感じ取った。
「家族とやるなんて、駄目だと思うが」
「やって、ない」
「何で後ろ弄ってるんだい?」
「違う。挿れてない。信じてくれ」
軋識の声は掠れているが真剣だ。曲識はそっと軋識の額にかかる銀髪を払いながら、「彼はまだ若い」と囁く。
「殺人鬼の上に、まだ少年だ。道を誤る必要なんてない。アスが止めなきゃ駄目だろう」
「止めてる」
軋識は苦しそうに呟き、曲識の白い指先に己の顔を摺り寄せた。温度の低い曲識の手にふと溜息を零しながら、本当だ、と再び念を押した。
「後ろを弄ってんのはあいつがただ気になってるだけだ。男の本能だ。絶対に、やらせたり、しない」
「僕はアスも愛しているけれど、人識も愛してるんだよ。家族だからね。だから、いざとなったら殺してでも軌道修正するつもりもあるんだ」
猟奇歌は、その警告のつもりなのだ。愛するが故に殺すなんて、どこのラブロマンスのつもりだろうか。
軋識はそう思いながら、やっと信じてもらえたのだろうかとほっと胸を撫で下ろす。終わったと思ったのだ。
「僕の上に乗る」
「・・・・・・・・あ?」
命令を、聞くまでは。
「ま、て」
驚きと突然のことに口が回らず、なんと言えばいいのかわからない。体だけが従順に曲識の上に向かい合う形で座った。
「・・・・・・・・・・・おい、トキ」
「挿れなきゃいいってわけじゃないことを、君はちゃんと思い知るべきだと思うんだ。そうしないと、優位を取られた瞬間に痛い目を見る嵌めになる」
かちゃかちゃという不穏な音を下方向で聞きながら、軋識はぐいっと曲識の頬を抓る。
しかしそれでも真面目な顔をして、曲識はポケットから取り出した軟膏を指でたっぷりと掬い、すでに揉み解された軋識の後孔へとぬるりと差し入れた。
「――――――――――――――――!!」
ぎゅう、と軋識の両腕が曲識の背中を咄嗟に掴む。燕尾服に皺が付く、とぼんやり思ったが、体に侵入してきた異物の方が優先である。咄嗟に息を詰め、軋識は声にならない叫びを上げた。
曲識は半立ちであった己を昂らせるように愛撫すると同時に軟膏を己に塗りたくりつつ、軟膏をたっぷりと含ませた2本の指でずるずると内壁をマッサージする。暖かな、というよりは熱を含んだ内壁がきゅうきゅうと指を締め付けてくるのをどこか子供のような好奇心で撫でながら、これは人識もやりかねないな、と思った。
軋識はといえばお前それ止めてたじゃねぇか!と心の中で絶叫しながら、気持ち悪さと圧迫感の苦しみに唇を噛み締め、これから殺されるのではないかという恐怖のようなものを感じながら、「は、ぁ、」と小さく空気を吐いた。
「おま、さっき、言った・・・・!!」
「初ものは取られたくないっていう意味もある」
「なんのはなし、っああぁ!?」
つぷん、とカリの先端が軋識の後孔へと侵入を果たした。軟膏をつかってぬぷ、といやらしい音が音を無くした室内に響いた。
「ああっあ、ああ、や・・・!」
「最初に嫉妬って言っただろう?」
「あっ、ぁあ、ああ、あ、は!」
ずぶずぶと侵食してくる肉の塊に悲鳴を洩らす軋識の唇をぺろりと嘗め上げ、曲識はにや、と彼に珍しく悪そうに口元を歪め、白い軋識の太腿をぐい、と抱えなおし、ぐちゃぐちゃと軋識の息子に愛撫を加える。
「零崎として異常な君への嫉妬と、君とこんなことができる人識への嫉妬だよ」
「っんぁ、あぁ、は、・・・やっ、まった、ぁ・・・・・ぁぁあ!」
びくびくと体を痙攣させて一度達した精液が、曲識の燕尾服と軋識のノースリーブを汚す。ようやく達せた軋識が力を抜くよりも早く、曲識の腰が一度強く打ち付けられ、曲識へと体を強く打ちつけ、一際高い絶叫を上げる。
「あ、あああっ、ぁぁぁぁぁあああ!」
どくどくと腹の内側へ精液がたたきつけられるのを感じながら、びくびくと震える足を見れば、一度達した己の一物が再び頭を擡げている所だった。
「ふむ、本当に淫乱みたいだな・・・・・悪くない」
いっそ悪いと言ってくれ・・・。などと心の底で吐き捨てれば、曲識は目を細めて柔らかく微笑んで見せた。その表情にはいつだって猟奇的な意味が含まれていることに漸く気がついた軋識は、せめて何か言い返そうと口を開くが、乾いた喉が小さく嗚咽を洩らすだけだった。
2008/2・20