■汚濁
そんな怖い顔しなくてもいいじゃないですか。
飄々と見下ろしてくる保健室の教員である兎吊木垓輔は、手に持っているガムテープをびぃぃぃ、と音をたてて剥がし、手ごろな長さで千切り、これでもかと貼り付けている俺の手首に再び貼り付けた。まるで固まりと化しているその手錠代わりのガムテープはパイプベッドの格子状の隙間に突っ込まれた俺の手首を拘束している。直径2センチもないような太さの鉄の棒がひっかかって腕を動かせない。
「・・・・・・」
体育教師である俺は基本的にスーツは着ていない。というより毎日スーツを着ている奴も少ないだろう。学校の中で上げるならこの、目の前の男、兎吊木垓輔ぐらいだろうと思う。特注の赤いスーツに赤いコブラを乗り回す学校長であるあの女でもたまにはラフな格好をしてくるが、こいつは一年中白いスーツだ。この学校の生徒である少女が「好きな色は白」と言ったからだと男は言っていたが、まさかその言葉を聞いてから毎日白いスーツを用意してくるなど、正気の沙汰とは思えない。
そんな正気じゃない男に何故俺が捕まっているかと言われれば、それは数十分前のことだ。
体育祭の準備として俺はあっちこっちに呼び出され、貧血を起こしていた。忙しさのせいで水分も塩分も取ることがままならず、その上照りつける太陽の下に何時間もいたせいで、ついに体調を崩したわけだ。仕事を他の教員に頼んで少し休ませて貰おうと思ったら、音楽教師である曲識の奴が保健室に行くように薦めやがった。あれやこれやとやっているうちに俺は保健室に放り込まれ、気味の悪い兎吊木にさっさとベッドに寝かされたのだ。
加えて数日前から引き摺っていた睡眠不足もたたってか、俺はあっさりと眠ってしまった。その眠りもかなり深いものだったらしく、目が覚めたとき、俺の両手はこのとおり、ガムテープでぐるぐる巻きだったというわけだ。
ここで恥を忍んで叫んででも助けを呼べるのならばそうしたい。しかし俺の身に降りかかっている災難は両手の拘束だけではなかった。俺の声を止めているもの、ボールギャグだ。
実際目では見えないのだが、悲しいことに知り合いの男が持っているものだということが舌で触って判断できた。嵌められた球体には穴があいており、顔を横に向けていないと唾液で窒息しそうになる。ボールギャグから零れる唾液が頬を伝って枕に染みている。耳の辺りがべたべたしていて気持ちが悪かった。
何故こんな状況になっているのか、はっきり言ってわからない。ただこれで決定したのが、この男がかなりのアブノーマルな奴で、クビになっても警察行きになっても構わないと思うような犯罪者の思考を持ってることだ。
「・・・・・・」
「式岸先生、子供はいいですよねぇ」
兎吊木は持っていたガムテープとテーブルに置き、代わりにマグを口に運んだ。コーヒーか何かをのんびりと飲みながら、しんみりと言葉を繋げる。
「子供は可愛いのがいいです。まず小さいのがいい。素直で情に脆く、弱いところがとてもいい。・・・でも、貴方は真逆ですよね。俺よりでかいし、捻くれもので冷徹で、とても強い・・・。なにより、可愛くない」
「・・・・・・」
何が言いたいのだろうか。そもそも成人男性、いや30近い男に可愛くないなど当たり前のことを言わないでほしい。何を求めてるんだ。意味がわからない。しかし兎吊木はマグを置いたあと、ガムテープの代わりに細長い、鉢巻のような布を手に取った。黒く、厚手の布だ。それを持って俺に近寄り、予想はしていたが、滑らかな動作でそれを俺の目に当てた。視界から兎吊木と光が消える。しゅる、しゅる、と音を立てて、頭の後ろでヒモは縛られた。俺の口からはだらだらと唾液が垂れるだけで、ふぅふぅと息を吐くことしかできない。俺から離れる前に、兎吊木の少し鼻で笑うような擦れた音を聞いた。
「でも、苛めたくなるのは同じですよね」
同意を求めているのだろうか。俺は認める気はないぞ。
視覚を奪われるとどれだけ落ち着こうと思ってもなかなかできなくなる。ガムテープの剥がれる音、金属音、衣擦れ、一つ一つの音がすぐ耳元で聞こえるようで鳥肌が立つ。まだ自由な足だけでも暴れてやろうかと思ったが、下手に足まで拘束されたらと思うとなかなか行動に移せない。犯罪者に相対したときはなるだけそいつを刺激しないように、と学校に変質者がやってきたときのマニュアルに書いてあったきがする。
さて、これから一体どんな目に会わされるのか。もしもこれから降りかかる不幸で死ぬことになってもそれはまだいい。問題はそれをやられている最中に生徒の目に触れて、それでなおかつ生き残ってしまうというルートだ。無論責任問題に引っ張り出されるだろうし、その上年上の男にこんな目に遭わされたってだけで世間からは好奇の目で見られるだろう。俺だけならまだいい。世間の波が落ち着くまで引きこもりでもしていればいいのだ。しかし、そのせいで家族に迷惑はかけられない。かけたくない。
鍵は閉めたのか、とかカーテンは閉じているのかだとか言いたかったが、口にはボールギャグが突っ込まれている。これ意思表示はどうすればいいのだろうか。SMの人は大変だ。・・・やはり死に掛けたときのために何か合図でも用意しているのだろう。プレイで死んだなんで笑えない。家族はどうするのだ。
俺が一人ですることも無いので悶々と考え込んでいると、ズボンが引っ張られた。まさかとは思うがこいつ、まさか性交をする気なんだろうか。いや、まだ裸にして写真でも撮って俺を脅す、とかいう可能性も捨て切れ無いが。
饒舌な兎吊木にしては無言のまま、そいつは俺のパンツをすっかり脱がした。素肌に感じるシーツの感触に今更ぞわぞわする。何よりも自分の生温い唾液が気持ち悪かったのであまり気にならなかったが、それでもこれを見られていることが苦しかった。ついでに口がだるい。
「表情変えませんね、式岸先生」
「ふー・・・・ふ・・・・」
「慣れてるんですか? まさか?」
男はそう言って少し振りに笑った。いつもの鼻にかけるような嘲笑だ。女のようでもあり、男のようである。卑しい、人を見下すことに馴れたような笑い方だった。
「もうちょっとの我慢ですよ」
兎吊木は俺から下着まで奪って、さて何をする、と身構えていると、力を抜いてくださいよ、と俺の片足を持ち上げた。その様子は見えないので、生暖かい男の手が足に触ってきたのに驚いてびくっと震えてしまった。兎吊木は声は出さなかったが、どうせ笑っているのだろう。
足は折りたたまれ、そこで固定された。足を広げる羽目になるのでもう片方の足も上げようかと思ったが、まるで生娘のようだと思ったのでやめた。足を閉じる恥と閉じない恥、どちらが酷いかは分からないが、そもそも男同士なのだから股間がどうとかどうでもいいことではないか。ちっちゃいとかでかいとかそういうのもあまり関係がない。俺は銭湯などで見るに平均的な形だと思うし。まぁ世界を見てきたわけではないのででかいかちっちゃいかなんてわからないのだが。
ベッドが一度沈んだ。兎吊木がベッドに乗ってきたのだと判断する。さぁ、何だ。何をする。俺はじっと耐えた。すると、次に聞こえてきたのはガムテープを剥がす音だった。びぃぃぃぃ、と音がして、それでもまだ千切る音は聞こえてこない。びっ、びっ、と随分長くガムテープを剥がすようだった。ようやく切ったかと思うと、ガムテープが張られたのは俺の足のようだった。ようだったというか、絶対にそうだ。両手首に感じる感触と同じだ。粘着性のあるテープが太腿に張られ、一緒に脹脛ごとぐるりと張られる。限界がきたので空いた片足で兎吊木がいるであろう場所を蹴りつけようとすると、片足に乗られた。
「ふーっ! ・・・・・・っ! ぶふっ」
流石に片足に成人男性一人分の全体重をかけられたら動かせない。ギャグボールから唾液がぼたぼたと落ちる。叫ぼうとしたせいで吹き出た唾液が散った。汚いなぁ、と兎吊木が笑う声がした。
「できた」
兎吊木が片足の上に乗ったままガムテープで拘束された片足を離した。一応の希望を持って動かそうとするがぎちっ、と固められていて動かない。兎吊木が離れても足を開いたポーズになるのが屈辱で苦しい。顔を傾けたらギャグボールに溜まっていた唾液が逆流してむせた。
「撮るよ」
「ぐっ、ふっ、・・・・!? ふーっ! ふーっ」
次の瞬間、ぱしゃ、とカメラのフラッシュ音が聞こえた。写真、と思い立って背中にどっと汗が吹き出た。前から予想はしていたというのに実際にやられるとこの予想外の出来事の連続のせいで冷静に対処ができない。ぎくりと体が強張るのを感じた。どこからどう撮られているのかが分からない分、不安が湧き起こる。いつの間にか全身が汗をかいていた。太腿がぴくぴくと痙攣を起こしている。
「はは」
兎吊木の笑い声とカメラのシャッター音が続いた。どくどくと響く心臓音が姦しい。両手に感覚がなくなってきた。じっとりと濡れた手がやたらと冷たい。ふー、とギャグボールから息だけが吹き出る。やめろ。やめてくれ。
「お仕舞い」
少しして、シャッター音が止まった。こと、と何かをテーブルに置く音がして、少し緊張が解けた。兎吊木は俺の足と足の間にまだいるようだった。汗凄いよ、と兎吊木は笑う。てめぇが変なまねするからだ。俺は心の中でひたすら詰った。
「よし、じゃあ、セックスしよう」
「・・・・・・」
こいつは頭がおかしい。気が狂ってる。そもそもロリコンじゃねぇのか、お前は。死ね。くたばれ。
初めてギャグボールを銜えていることを苦痛に思った。体が動かなくてもこいつの喉笛喰いちぎってやりたい。未だ暗幕で覆われた視界の中、男を殺すには俺には力が足りなかった。どうしてこうなった。分からない。分かりたくも無い。
行為は簡単で安直、愚直で率直だった。男同士のやり方なんてわざわざ考えたくも無い。そもそも男を抱くという楽しみがよく分からない。女でも肛門を使ったセックスの方が気持ちいいとか聞いたことはあるが、男でわざわざやる必要もないだろう。男女差別だと言うかもしれないが、それとこれとは話が違うはずだ。肛門は同じ機能だろうが、違うだろう。絶対、違う、はずだ。
「ふっ、ふーっ、ふぶっ、ふ・・・・っ!!」
ギャグボールは外されない。口を開いたままなので、空気を求める喉が収縮したせいでひゅうひゅうと音を立てる。息をするのさえ苦しい。生理反応で溢れた涙が目隠しをじっとりとぬらしている。
めりめりと肉を割いて入り込んできた兎吊木の性器は拷問のようなものだった。頭ががんがんと痛む。体が人間の肉体として機能していない。痛い。辛い。穴になった気分だ。内臓を引っ掻き回されている。腸液が太腿をぬらしている。苦しい。
「ふーっ! ひゅふっ、ひゃふっ! ふっ! ふー、ふーっ!!」
「スターウォーズにいたね、お前みたいなのが」
兎吊木の声が遠い。反響している。ぐずぐずと腰を揺らされて、腕が柵にぶつかる。唾液がどろどろと落ちる。
「ふっー、ふっ、ふーっ!」
「内臓の中を精液で満たしてやろうか」
何も見えない、何も考えたくない。こいつが何が目的なのか、知りたくもない。どうでもいい、どうでもいい。女が欲しいのなら何故男を選んだ。わからない。痛い。苦しい。腹が痛い。気持ちがいい。きもちいい。死にたい。生きて、痛くない。
頭に血が溜まる感覚。ぼんやりと濁る。呼吸ができない。視界は奪われたまま、水音、感触、兎吊木の手のひら。爪。
「孕めよ、軋騎」
なにもかんがえたくない。
2010/7・7