■真夜中の邂逅

 「あ?」
 リビングに足を踏み入れた瞬間に、素っ頓狂な声を上げて動きを止めた軋識をのんびりと見上げ、曲識はやぁ、と平然と挨拶を投げかけた。
 「いや・・・やぁ、じゃねぇっちゃ」
 「ふむ、そうか・・・じゃあこんばんはと言うべきかな」
 軋識の言葉にしみじみと検討するように首を傾げながら、曲識はふふ、と小さく笑った。リビングの壁にかけられている真っ白な時計は夜中の1時をさしており、用がなければもう既に寝るべき時間だ。殺し名の人間だとはいえ、むしろ家族として仲のいい零崎は「明日寝坊するよ!別に学校にはいかないけど!」という言葉によって無理やり寝かせられることが少なくは無かった。それに、音楽家と名高い曲識は兎角夜更かしするのを嫌った性質だったはずだ。その曲識は珍しいことにソファに座って黙々と楽譜に何か書き込んでいる。
 まぁ、楽譜なら曲でも作っているに違いないのだが、しかしなんでこんな夜更けまで。
 怪訝な顔をする軋識の心中でも察したのか、曲識は至極真面目そうに「これだけはなんとかしたいんだよ」とはっきりと言った。曲を演奏するならば4日間ぐらい寝なくても平気だ、と豪語する男はこういうとき頑固で困る。
 「寝不足でふらふらになってぶっ倒れるんじゃねぇっちゃよ」
 「アスじゃないから、しないよ」
 「俺でもしねぇっちゃ!」
 曲識の失礼な言葉に反論すれば、不思議そうに首を傾げてみせた。本気で何故軋識が怒るのか分からない、という純粋な目が軋識の両目を真っ直ぐ見つめ、「そうなのかい?」と軋識の言葉と真逆に、酷く優しげに囁かれる。
 「戦争の時なんて皆に迷惑かけさせないためにレンと奔走して、今にもぶっ倒れそうなぐらいふらふらだったじゃないか。僕のところに転がり込んできたと思ったら、寝るって言ったっきり僕のベッドを占領して電池が切れたみたいにぐうぐうって」
 「あー!うっせぇ!うっせぇっちゃね!」
 純粋に天然っぷりを発揮して、過去の恥ずかしいこともさらりと抉り返してくる曲識の口を力ずくで止めようとソファへと歩み寄れば、曲識の隣に寄りかかる小さな影に気がつく。
 見慣れた赤のニット帽が少しずれており、曲識の黒い燕尾服にしなだれかかって赤茶の髪がぐしゃぐしゃになっている。小さな肩が息をするために上下にゆっくりと揺れ、「んぐー・・・」と小さな呻き声のような声が聞こえてくる。
 「・・・・・・・・・このガキはここで何やってるっちゃか?」
 「寝てる」
 「ベッドで寝るだろ・・・!寝てることぐらい見れば分かるっちゃ。俺が聞きたいのは何でリビングのソファで寝てるってことだっちゃ。まさかトキ、おめぇ湯たんぽがわりに舞織を無理に攫って来たんじゃねぇちゃろうね?」
 過去に、熟睡している人識を連れて同じようにソファで作曲活動に励んでいたことがあったので、軋識がじとりと睨みつけるように曲識を見れば、曲識はシャープペンシルを動かす手を止めることなく、「良く分かったな」と答えた。
 「てめぇっ・・・!」
 「というのは嘘だ」
 「・・・・・・・・・・・・・・」
 なんだか疲れてきた・・・。
 軋識はどっと肩に重みがかかったかのような気分にがくりと首を落として、ソファを一周して舞織を挟んで曲識と逆側の空いているスペースに腰を下ろした。曲識と軋識の会話にもまったく起きる気配の無い舞織は、ぎしっとソファのスプリングが軋んだのにもまったく反応が無い。もしかしてこいつ死んでるんじゃないだろうかと思うほどだ。
 ・・・・・・・・まさか、本当に死んでるんじゃないだろうか。
 軋識が冗談交じりにそんなことを考えた瞬間、腹にひやりとしたものが伝った。・・・ありえない話ではない。
 舞織が体を預けている男は少女しか殺さない男、少女趣味の零崎曲識だ。人識も最初舞織に義手を作ってもらうために曲識のところへ尋ねたときも、家族だとはいえ一応舞織を曲識に会わせなかったらしい。
 「・・・・・・・・・・・」
 「死んでないからな、アス」
 無言になった軋識の心をまた読んだかのように、苦笑交じりで曲識は言った。
 「家族の命を奪うまで僕は堕ちちゃいないつもりだ。それに舞織は人識の彼女だからな。いつか『ぎっこんばったん』が聴けるのも楽しみだ。―――レンは彼女が希望だと言ったらしいが、僕も色んな意味で舞織が楽しみだったりする」
 まだこいつ、舞織が人識の彼女だと思ってんのかよ・・・。
 小さく肩を震わせながら熟睡する舞織を見下ろしながら、軋識は苦笑する。こんな若い、10歳以上も離れた子供に、皆期待しすぎだ。でもまぁ、そんなものかもな。
 軋識は小さく笑みを浮かべたまま、そっと舞織の頭に手を当てる。柔らかな髪を指で撫でるのが心地よいと思いながら、その暖かな体温にほっとする。俺たちのような大人には、もうきっと零崎としては抜け出せないのだろう。きっと、一生。
 一生を、このままで終えるのだ。
 「確かに、楽しみかもな」
 軋識の言葉に、今までけして楽譜にペンを走らせるのをやめなかった曲識がおや?と頭を上げた。キャラ作りが崩れていることに不思議に思ったのだが、軋識が少し満足げに微笑んでいるのを見て目を丸くする。
 「アス」
 「何だよ」
 「・・・いや、何でもない」
 怪訝そうな顔をする軋識にふっと笑みを零しながら曲識は再び視線を楽譜へと落とした。意味深げに肩を竦め、「そろそろ寝るか」と呟く。
 「舞織も早く狸寝入りはやめたらどうだ?」
 「ああ?」
 軋識が目を丸くするのと同時にびくっと舞織の肩が揺れる。ずるり、とそのままずり落ちてしまいそうになったニット帽を反射的に両手で押さえた所で、しばらく軋識と舞織の間で時間が止まった。
 「・・・・・・・・・・・・」
 「え、えへ、お、おはよーございます、軋識さっ、ああああ帽子取らないでっ!」
 ぐわし、と軋識の手がニット帽をひきずり奪おうと掴むのに情けない悲鳴を上げて舞織が講義する。ひっぱられるがままに軋識の眼前に顔をあわせる形となり、え、えへへへ、と舞織が引き攣った笑みを見せる。
 「いつから起きてたっちゃ?」
 「えっえっとぉ、いつでしょうかね?い、今、ついさっき起きました!」
 「アスが来た時から呼吸が変化したけどな」
 さらりと横から呟かれた曲識の言葉にひゃあああああ、と舞織が顔を蒼くする。
 何食わぬ顔で曲識は手早く楽譜を整理し、我先にとリビングを後にする。扉を開けた時点でぴたりと動きを止め、ああそうだと反転し、動けずにいる舞織と軋識に最後の地雷を踏んで見せた。
 「そうだ、舞織、さっきアスがキャラ作りを崩したときに、アスが素敵に微笑んでいたぞ。あれには惚れるな」
 「ええっそんなぁ見たかっ・・・・うっ嘘!嘘です!いやあああごめんなさいぃ!」
 うっかり本音を出してしまった舞織が半ば泣きかけているそのすぐ前にて、軋識は先ほどの微笑みとは比べ物にならないほどににっこりと笑って見せて、「別に怒ってねぇっちゃよ」とにこやかに囁く。
 「ほ、ほんとですか?」
 あの釘バットで殴られるかも、なんて最悪な想像をしていた舞織は、少し気を抜かしたように軋識を上目遣いで見ながら、未だ笑顔を変えない軋識に心臓が恐怖でばくばくとなるのを感じ、次の言葉を待つ。
 「ところで、話がかわるっちゃけど、俺今日の朝から仕事ででかけるっちゃから、今日一日の家事は舞織に任せるっちゃ」
 「えええええ」
 「返事は?」
 「は、はい・・・」
 もはや反論の余地は残されていない。そう察知した舞織はようやく手放されたニット帽に安堵しながらも、未だ底の知れない家族達に肝を冷やした。
 やれやれと肩を竦めながら、どうやらリビングに電気が灯っていたからついでに寄ってみただけのような軋識は、早く寝ろよ、と舞織に告げてリビングから出て行く。最後に思い出したかのように扉の間から頭だけ出しながら、最後の忠告を残す。
 「狸寝入りなんて、俺達を騙すようなことすんじゃねぇっちゃよ」
 「・・・はぁい」
 「おやすみっちゃ」
 ぱたん、と閉じてしまった扉を見つめながら、舞織はふあーと変な声を上げてソファへと倒れこむ。零崎になる前の家族は、こんなに楽しかっただろうか。いや、楽しかった。これだけはいえる。あの時は、お兄ちゃんもお父さんもお母さんもあんまり好きじゃなかったけど、でも、楽しかった。
 今は?
 「・・・幸せ」
 失くしたものも沢山増えた。しかし、やばい。
 「楽しい」
 再びやってきた睡魔に、また怒られたら今度は何の雑用を押し付けられるか分かったものじゃない。慌ててふらつきながら自室へと向かう。ぱちん、と音を立てて暗闇に満たされたリビングはようやく静寂に満たされ、白い時計のかちかちという軽快な音だけが室内に響いた。
2008/4・8


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