■無知の味覚
 テーブルの上に鎮座するその透明な器の中に山盛りに入れられた生クリームの塊を見て、軋識は黙ったままてらりと光沢を放つスプーンを徐に突き刺した。
 たっぷりと掬われたその白い塊を眺めた後、顔を顰めて、結局正面に座る人識の口元へと運ぶ。違うパフェを胃に流し込んでいた人識が、ん、と動きを止めて、口を開けてその生クリームを待った。
 「んむ」
 ぱくりとその口の中に吸い込まれた生クリームに別れを告げ、軋識はスプーンを人識の口から抜き取る。餌付けをしている気分だ。軋識は心中で呆れながら、パフェの中の生クリームを掻き分けて、奥に溜まったビターチョコレートに浸ったコーンフレークをざくざくと掬って己の口へと運んだ。
 ビターといってもその微かな甘さと、チョコレートのカカオの匂いがやけに甘く感じる。よくもまぁこんな砂糖の塊のようなものがつがつと食えるものだと思いながら、軋識は注文していたコーヒーを口に流し込んだ。
 見せしめの後に少しぐらい寄り道したい、と言い出した人識に連れられて入ったのは大型ショッピングモールのとある小さな飲食店だった。テーブルが150センチ程度の高さの壁で区切られており、座っていれば周りの状態を見ることもできないし、見られることもないような作りになっている。人識と軋識がやってきた時間は3時ほどで、客はまったく無いといっても過言ではなかった。店員も2人だけがレジ近くに立っており、店としては休憩に当たる時間帯なのだろう、と思えるほどだ。
 人識は意気揚々と苺パフェを注文し、軋識は人識がもう一つ食いたい、と言ったチョコレートパフェを一応頼んだ。それと無糖のコーヒー。男二人でパフェを二つも頼むということにウェイトレスは一瞬ぎこちなさを見せたが、人識が中学生であるというのにまぁそれもあるか、とでも思ったのかにこにこしながら注文を聞いていた。
 「大将って甘いもん嫌いなのか」
 「別に、果物とかの甘いのなら別に好きだっちゃけどね」
 「砂糖とか嫌なのか?」
 そう言うが早いか、人識は己のパフェに盛られていた真っ赤な苺類を軋識のチョコレートパフェへと送った。
 「いいっちゃよ別に」
 「奢ってもらってんのに大将が食えないのって悪いじゃん」
 人識はにやにや笑いながら、苺と交換とでもいうかのようにたっぷりの生クリームとミルクチョコレートの塊を掬って持っていた。別にいいか、と思いながら渡された苺をのろのろと食えば、甘酸っぱい果汁が口内に広がる。
 「大将が苺食うとなんかエロい」
 「訳わかんねぇこと言ってんじゃねぇっちゃ」
 かはは、と笑う人識に顔を顰め、軋識はとりあえず目の前の透明な器の中身を空にしようと奮闘した。生クリームが持っていかれた分減ったといってもいいが、その代わりに苺がやってきた。しかも苺を食うとエロいとかなんとか言われも無い非難のようなものまで受けてしまったものだから、なんとなく食べる気が失せる。先に底に溜まっているアイスでも無くすか、とチョコレートアイスにスプーンを突き刺せば、「あ、いいな」と声が正面からやってきた。
 「・・・・・・・・・」
 「だって美味そうだから」
 お前はいつからそんな食う子になったんだ、なんて母親のようなことを考えてしまった自分を叱咤し、アイスを一掬いしてテーブルの向こうへと伸ばす。
 しかし、不幸なことにパフェの中に溜まっていたチョコレートアイスは食べるのが遅かった軋識のせいで滑らかにとろけ始めていた。スプーンからはみ出たアイスの欠片がスプーンから溢れ、垂直に落下する。「あ、」と人識から声が上がる瞬間、軋識が反射的にもう片方の手をスプーンの真下へ移動させた。アイスはテーブルを汚すことなく、そのまま軋識の掌へ墜落した。
 「う、あー」
 「・・・・」
 人識がやれやれと言った風な声を上げて、次に零れる前にスプーンに齧り付いた。第二段として墜落しかけたアイスはその寸前で人識の口の中に吸い込まれる。
 「人識、ティッシュ取ってくれ」
 軋識は一応スプーンをパフェの中に戻し、設置されてあるペーパータオルをとろうとするが、不運なことに軋識達が座っているテーブルの籠の中は空っぽだった。
 人識は変なところで几帳面だから、ハンカチとティッシュぐらい持っているだろう、と思って人識を見れば、人識は鞄の中を漁っている途中だった。
 「悪い、大将。忘れてきた」
 「・・・・・」
 運が悪いことは重なるもんだ、と思いながらポケットにハンカチぐらいあるだろう、と空いた右手を懐へ手を伸ばしたところ、ぐいっと左手が捕まれた。何事だ、と軋識が視線を正面へと向ければ、人識が両手で軋識の手首を掴んで、その掌に付着した、溶けて液体になっているアイスクリームに顔を近づけているところだった。
 そこまでするか、とぎょっとして腕を引こうとするも、人識の力は予想以上に強い。ねとり、と人識の舌が軋識の掌を舐めた。
 「・・・・・・・・っ!ひっと、しき」
 テーブルが区切られているといってもいつ客が来るかわからない。店員が水のお代わりにでもやってくるかもしれないし、と軋識の頭が一瞬混乱で真っ白になりかけるが、声を出さない方がいい、と判断して、無言のまま人識の頭部を右手で掴む。なんとかして離させようとするが、舐められる左手のせいで力が入らない。
 人識はアイスクリームなんてもう残っていないだろうに、掌から指の間までべとべとにしながら丹念に舐めてくる。てめぇはどこの変態だ、と軋識は叫びたくなったが、ここで叫んだら色々と危ない。
 「止めろ・・・っ」
 話を聞かない中学生はおそらく最初の狙いも忘れて軋識の掌を舐めることに集中していた。頭が沸騰してきた軋識は本能でテーブルの向こうにある人識の脛を思いっきり蹴っ飛ばす。いぎゃっ、と変な悲鳴が上がった。
 「いっ・・・ちょっ脛は・・・っ!」
 「自業自得だ馬鹿野郎!」
 声を小さくしてこそこそと叫びながら、軋識が人識の頭に拳をたたきつける。痛い、と悲鳴が上がるのに満足しながら、軋識は退避するように椅子ごと後ろに下がった。
 「くそ・・・っなんてクソ餓鬼だっちゃ・・・!レンの奴、甘やかすからこんなこと平気でするように・・・!」
 混乱によって存在から忘れてしまっていたお絞りで左手を拭えば、人識が一人しょんぼりとしている。んな顔しても無駄だ馬鹿野郎、と心の中で吐き捨て、軋識は顔を赤くしたまま周りに注意をする。足音がやってくる音もしないから、店員が無視しているか気づいていないかだろう。さっさと出よう、と判断して、軋識は食べかけだった溶けかけのチョコレートパフェを人識に押し付けた。
 いじけながらもぱくぱくとチョコレートパフェを胃に押し込み、人識が「ひでぇよ大将・・・」とぶつぶつ呟く。
 「おめぇもこんな公共の場所で人の手舐めるなんて・・・恥を知れっちゃ。彼女になんてやったら確実に嫌われるっちゃよ」
 「はぁ!?なに大将、俺が誰の手でも舐めると思ってんのかよ!」
 人識が心外だ、とでもいうように破顔するが、軋識は違うのか?と首を小さく傾げただけだった。人識は刺青の入った顔をくしゃくしゃに歪ませて、がつがつと残りのコーンフレークとクリームを口に流し込んだ。
 「ありえねぇ大将!馬鹿じゃねぇの!?」
 どん、とパフェの容器をテーブルに置いて、人識が叫ぶ。顔を顰める軋識にテーブルを回って近づき、そのまま胸倉を掴み上げて唇を軋識の口に押し付けた。
 甘ったるいチョコレートと生クリームの味が匂いと共にやってきたのにも驚きで反応できず、椅子に座り込んだまま人識のキスを受ける。
 口を離して、人識が身を翻し一人店から出て行ってしまった後、店員がようやくやってきた。「どうなさいました?」という恐る恐るとした声に何でもないと返し、五千円札を押し付けて店を後にする。
 「あの、お釣り・・・」
 「いらねぇっちゃ」
 返答しながら逃げるように店を後にし、何だ、何なんだ、と驚きながら人識の口と触れ合った唇を指先で触れる。
 ふと唇が甘ったるいことに気づいて手の甲で口を拭えば、人識の口から受けた生クリームが微かについていた。
 甘い。
 「ああ、くそ、あいつ、どこに行きやがった・・・!」
 奢らせた上に逃げるなんて何て奴だ。しかも一方的に罵っていきやがって。
 人ごみが煩わしくもういっそ全員殺してやろうかなんてことを考えながら、背の低い銀髪を捜す。捕まえて、とりあえず叱る。
 そしてやるまえにすることがあるだろうが、と長兄の失敗した教育にケチをつけてやるのだ。
2008/4・1