■ひきこもりのみょうにち
「おはよう!」
扉を開けてやってきた人識に元気良く笑顔を振りまき、双識はにこにこと笑ったまま、人識から返ってくる声を待った。扉を開けた時点でぎくりと体を硬直させて、朝から顔を蒼くして人識はひねり出すように「ああ・・・お、おはよう」と呟く。下手に意地を張って挨拶をしないと、今双識の持つ目玉焼きを顔面に叩き込まれるかもしれない。それならばすなおに挨拶した方が得策だと考えたのだろう。
一連の動作を呆れた目で見やりながら、軋識もコーヒーを啜り、適当に挨拶を交わす。新聞紙を斜め読みする軋識の背後を回って、特に面白い記事も見つけられないまま通りすぎ、人識は窓から興味無さそうに外を見て、一度だけ欠伸をした。
「・・・なんだ。引きこもりはまだ出ねぇの?」
テーブルに並べられている手付かずの朝食を見て、人識が空いた席に腰を下ろす。現在軋識のマンションに住み着いているのは人識と曲識、双識と景識だ。放浪癖のある数名がふらふらと寝床を探してやってきただけなのだが、何だかんだで一週間ほど溜まっていた。曲識はしっかりとした寝床が確保できたということで、今まで溜めていた曲の整理をすると言って一つの部屋に引きこもっていたし、景識は「なんですか軋識兄さんだけだと思ってたのにこんなに人が来るなんて聞いちゃいませんよむりむりむりむり耐えられないんで不肖はちょっと無我の境地開いてきます」と三日前にやってきて三日前からずっと物置に近い小さな部屋に引きこもっていた。
「景識の引きこもり癖は前々から知ってたけど、あれは駄目だよ。なんか夜中に人目を忍んでシャワーを浴びたり最低限の食事はしてるみたいだけど、体に悪いよね」
「あいつは空き巣か!」
新たな景識の真実に知らなかった軋識が声を荒げる。冷蔵庫からちょこちょこと食べ物が無くなっているのは腹を空かせた中学生約一名が貪っているものだと思っていた。
「じゃあもう面倒くせぇし呼んでこようぜ。錠開けなら俺に任せとけ」
「そのナイフ使うと鍵穴が傷つくから拒否する」
颯爽とお馴染みの錠明けナイフを取り出す人識の言葉を一刀両断し、軋識は無情にも吐き捨てた。しかし、部屋から出てこない家族を放置するほど零崎は無情な人間の集まりでもなかった。
「まぁトキは腹が減ったら出てくるだろうが・・・問題は景識だな。奴のことだから人に会うぐらいなら絶食を選びかねない」
「いらん根性だけはあるんだな・・・」
もそもそと朝食を胃に収めながら、三人はぼんやりと天岩戸を開けようかと思考した。
「・・・・・・・・・・・あ、俺めっちゃくちゃいい案浮かんだ」
「なんだい」
「まず曲識さんを出してきて部屋の前で演奏してもらって景識の奴を操ったらいいんじゃね?」
「あああああああああ鬼!鬼畜!悪魔ぁあああああ!」
早速といっていいほど曲識の部屋へ直行し、丁度一段落ついてソファで寝ていた音楽家にかくかくしかじかと引きこもりの問題児について説明すると、「家族の一大事に動かないような男ではない」と意気揚々と廊下でヴァイオリンを演奏し始めた。
演奏を開始してから音楽を聴かないようにと暴れ始めるような音が扉の向こうでし始めたが、その数分後、めそめそと泣きながら引きこもりが外に出てきた。
「あああ、お、鬼・・・鬼畜・・・死ね・・・地獄にでも行って脱衣婆に身包み剥がされろ・・・」
「脱衣婆ってなんだい?」
「三途の川の前で死んだ人の服を奪う婆さんだっちゃ」
もはや地獄と三途の川の話がごっちゃになっているが、景識はぶるぶる震えながらリビングでもそもそと朝食を食っていた。「朝食を食べる」という曲識の命令に従っているだけだが、恨み言を呟き、がくがくと震えながら味噌汁を啜る図ではもはや何がなんだか分からない。
「ううう美味しい、美味しいけれど、腹にあったかいものが沁みるけどそれ以上に屈辱ですよぉおおおマジ潰す家族がどうとか関係ない命はとらないから本気で目玉無くせ・・・!!」
「相変わらず病んでんなー・・・」
これは無理に出さない方が良かったかもなー・・・と思いながら、涙ながらに鰯を頬張る景識を見る。3日ぶりに会ったといっても髪などそれほど汗などでベタベタとしているようには見えない。双識が言うように夜中人目を避けて風呂には入っていたらしい。
「ところで景識、お前冷蔵庫から何とって食ってたんだ?」
「調理しなくても喰えるもんですよぉ」
純粋な人識の問いにも殺意むき出しというか敵意むき出しで答え、景識はちらちらと曲識の様子を見る。どうやら体を操られているので何をされるか不安で仕方が無いのだろう。しかし曲識は一足先に食事を終わらせ、テレビでやっているオーストリア特集に注目していた。
「何が無くなってたんだい?」
「あー・・・ちくわとかハムとかだったっちゃかね」
軋識の言葉にぶはっと人識が噴出す。
「お前ちくわとかハムとか素で食ってたのかよ!」
「ううううっせええええええ!!ちくわもハムも素で美味いからてめぇに口出しされるいわれはねぇんですよお!!ちくわ栄養あるんですから別にいいでしょうよ!!」
ちくわ一本をもそもそと食う景識を想像したのかテーブルに突っ伏しばんばんとテーブルをたたきながら人識が爆笑する。ただでさえ美形と見なされる男がちくわを食う時点で何かツボに嵌ったらしい。げらげらと笑いながら人識が追い込む。
「ちくわ笛とかやってんのかよ景識」
「ちくわ笛馬鹿にすんじゃねぇってんでしょうが!それになんでちくわ食ったって言っただけでんなことになってんですかぁ!何をするにも努力する人が居る時点で馬鹿にすることなんて許されないんですからほんっいらつくマジ殺すこのクソ餓鬼・・・っ!親子二代でほんっとに・・・!」
「親は関係ねぇっていってんだろこのニート!」
「あんたに言われたくないわヒモが!」
「ヒモになった覚えはねぇよ根暗!引きこもり!オタク!」
「オタクになった覚えはないですし根暗でもないですよ女顔のチビが!女装して男でも垂らしこんでみたらどうでさぁ」
話題が逸れ始めている己の家族たちを呆れたように見やり、双識と軋識はいつものことかと肩を竦めながら食器を片付けようと立ち上がり、そしてぼんやりと特番を見ていた曲識は、どちらのことを言ったのか分からないが、テレビから視線を逸らさないまま、ただ一言、「悪くない」と笑った。
2008/3・31