■緑日の橙日
ガチャリと音を立てて兎吊木は軋騎の家の扉を開けた。手には先程スーパーで買ってきた夕飯の材料が入っている。
「ただいまー」
「誰の家だと思ってんだ腐れ緑」
扉を閉めたところで、すぐさまに軋騎の蹴りが兎吊木の頭のすぐ横を掠った。
しかし当の兎吊木は少しショックを受けたような顔で、慌てて仁王立ちする軋騎を見上げる。
その反応に眉を顰めるが、そんなこと構わずに兎吊木はずいと身を乗り出してきた。
「ちょっ、何を言うんだ式岸。こういうときは『お帰りなさいアナタ。ご飯?お風呂?それとも』」
「『刃物?』」
「や、やめて!包丁はやめて!とってもドメスティックバイオレンスの香りがする!」
「家族じゃねぇんだからDVなわけねぇだろうが!!」
右手に包丁を握り締めて、軋騎はよろよろとわざとらしく跪く兎吊木に罵声を浴びせた。
ああ、どうしてこんなことに。
軋騎は空いているほうの手で眉根を押さえ、はぁと溜息を洩らす。
かの崇高な暴君から命令を受けた昨日のことが走馬灯のように思い出された。「ちょっと大きい所だから、二人で力をあわせて頑張ってね」と頼まれた標的は、日本全国にネットワークを広げる大手有名会社だった。
仕事の内容といえば、漠然と関東へのネットワークを丸ごと削除するというもの。仕事とすればフィクサーまがいの最悪版だろうか?
単純に揉み消すだけならば己一人で十分だろうが、彼女の言うには削除――――ぶっ壊して、消すことだ。
ならばハッカーとして兎吊木は必要なのだろう。
しかし超一流のハッカーは壊す腕が最強なのだろうけれど、頭のイカれ具合も最強だ。
やっと兎吊木は呆れたように身を起こした。
呆れてるのはこっちだと怒鳴ってやりたいところだが、軋騎は見下すだけで留める。やれやれ、と兎吊木は首を振る。
「まったく・・・一緒に暮らしているとやっぱり意見の食い違いが出来るけど、大丈夫俺は気にしないから!そんなちょっと血の色を見るギリギリな君も心の底から愛してるから!」
「とりあえず意見の食い違い以前に人種の問題だな。細菌だらけのその脳、頭刳り貫いて洗浄してやろうか」
本当に、手元に愚神礼賛があったら刳り貫く以前にこいつの頭を潰しているところだ。いくら暴君の命令でもこの瞬間耐えられていたか怪しい。
しかし兎吊木はそんな軋騎の心境にも気づかず、ふ、ふふふふふと笑い出した。三段笑いに至らないようだが、気持ち悪い。
「甘いな式岸・・・まるで砂糖のようだ。女の子はシュガーアンドスパイスだけれどお前は全て砂糖漬けだな・・・女の子より甘い・・・」
「その舌切り取んぞ窒息して死ね」
「まったく・・・照れ隠しにも程があるぜ。ツンデレしてても俺を興奮させることしかできないようふふふふ!」
「・・・・・・・・・・」
声も出ない。
「はっ・・・もしかしてもしかしなくても興奮させてベッドに持ち込むって訳かい!?まったく暗に最初の時の台詞の『わ・た・し?』を伝えようとするだなんてもう・・・この照れ屋さんめ!」
「・・・・・・・・」
「いっ、痛いっ!ちょっ、四の字固めはキツ・・・・・っ!」
反射的に兎吊木を引き寄せ零崎伝統の寝技を披露してみた。効果音が付くのならばごりごりごりごりと嫌な音が出そうな状況だ。
「いっ、痛い!痛い・・・・・・・・・・・・・あっ、でもちょっと気持ちいぃ痛い!」
ごきりとありえない所から音を出して兎吊木は動かなくなった。さすがインドア、体が硬い。
ぜぇはぁと息を吐きつつ軋騎は兎吊木から離れる。壁に手を付きつつ、軋騎はぼうっと呟いた。
「暴君もどうにかしている・・・なんでこんな変態とタッグ組んで仕事しなくちゃならねぇんだ・・・?本気出すから一人でやらせてほしい・・・」
心の底からの嘆きに、兎吊木はにやりと笑って軋騎の方に体を傾けた。涙目になっている。
「そりゃ俺が頼んだからだよ」
次の瞬間、軋騎の足が兎吊木の顔面を直撃する。ゆらりと立ち上がり、軋騎は包丁をぐっと握りしめる。傍から見たら人を殺す二秒前の絵面だった。
「てめぇかぁっ・・・!!!」
「まぁ腹を括れよ」
顔面を蹴られたせいでサングラスが割れているが、兎吊木は寝転がったままのんびりと笑った。
「どうせあと一週間は一つ屋根の下なんだからな、アナタ?」
よし、今日の夕飯、こいつの飯に毒を盛ろう。
にっこりと軋騎は微笑み、最後に兎吊木の頭を上から思いっきり踏みつけた。ぐしゃっとサングラスの砕ける音がした。
2006/10・6