■退屈の苦日
「なぁアス」
「あー?」
「久しぶりに遠出しないかい?」
「了解。で?相手は何処っちゃか?」
「え・・・あ、いや、そうじゃなくて」
「あ?」
「ピクニックにでもいかないかな?」
振り向いて見た、二十番目の地獄は控えめに微笑んでいた。
「わざわざ学校まで休むなんて・・・お前阿呆っちゃか?」
「かはは。男二人だけでピクニックなんてむさくるしい事にならんように休んでやったんじゃねーか」
山道をジープが疾走する。10分に一台か二台車とすれ違う以外、木と道路しか見えないど田舎もど田舎を、三人の殺人鬼はのんびりと走っていた。
運転席にはいつものようにハンドルを握る軋識がいて、助手席には楽しそうに外を眺めている双識、後部座席には二人分の場所を一人で寝転がって占領している人識。
木しかないというのに、双識は今にも鼻歌を歌い出しそうなぐらい楽しそうだった。軋識は双識をちらりと横目で見やってやり、ぼんやりと視線を前に移した。
双識の考えていることは軋識には理解できない。それは出生の問題や立場上の問題故だったけれど、些細なことにでもつきあってやるとこの男は嫌というほど喜ぶのだ。
ふと空を見上げる。雲ひとつ無い青空だった。
ああ、くそ、頭が痛い。
双識に指示されるままについた所は、山頂付近にある丘だった。花はあまり無いが、青々とした草が一面に広がっている。
崖近くには柵があり、ベンチが点々と置いてある。景色が良い。
軋識はジープから下りて息を吸う。ああなるほどこれが空気がおいしいと言うのかとぼんやりと考え、先に下りて崖の方に歩いていく双識の後を追った。
人識が山の方に草を掻き分けて入っていったが、軋識は特に気にしなかった。迷子になったら置いていけばいい。
景色をぐるりと見回して、少し不思議そうに双識は呟いた。
「こんなに狭かったかなぁ」
「背が伸びたから大きく感じてたのが小さく感じるようになったんだっちゃ」
「あーなるほどねぇ」
双識は柵に手をかけて景色を右から左に向けてゆっくりと見回した。楽しそうに微笑んでいるのを見て、軋識は近くのベンチに腰を下ろす。
「じゃあ、あの時と全然変わってないわけだ」
「誰と来たことがあるっちゃか」
「お父さんとだよ」
「へぇ」
成る程だからこの場所を知っていたのかと納得する。双識は見晴らしがいいなぁと眠たげに呟いた。
「ここの近くの町に人を殺しにきたときに、良い所に連れて行ってやろうって、教えてもらったのさ」
「そうか。俺はあいつにそんな良いこと教えてもらった記憶がねぇっちゃね」
軋識の記憶の中では、何かと忙しそうにあちこち走り回る男だったとしか言いようが無い。下手をすれば5,6ヶ月会わない父親なのかもしれないほどに。
その台詞が寂しそうにでも聞こえたのか、少しだけ微笑みながら双識は軋識の方に振り向く。
「ふふ、嫉妬かい?」
「いいや」
「アスはあんまりお父さんの良い事を言わないね」
「言えることがねぇっちゃからね」
軋識はそう吐き捨て、空を見上げた。見事なほどの晴天だった。蒼い。真っ青な空だ。
双識は少し残念そうに顔を歪めたが、静かにまた崖下を覗く。
その背を見やりながら、軋識には思い出される彼女との会話がよぎった。
『暴君には家族って、いるんですか?』
『いない。』
彼女は間髪いれずに答えた。
『それがどうかしたの?』
「それがどうかしたの、ね・・・」
「うん?」
ぼつりと呟いた軋識の暗い声に、双識がくるりと振り向いた。軋識はなんでもないと笑ってやり、また脳の世界に引きこもろうとする。
「何か悩んでいるのかい」
それを寸前で双識に止められた。双識は緩やかに微笑み、何か相談でも乗れるかもよ、と言ってきた。
軋識は嫌そうに顔を歪めたけれど、結局肩を竦めて口を開いた。
「もし零崎が無かったらお前どうなってたと思う?」
一拍遅れて、双識が肩を竦めて見せる。
何を言うんだい、とでも言うように。
「それは、私が一生檻の中で生きることになっていたら、ということかい?」
「その前だ。お前が殺人鬼じゃなかったら、という過程で」
「キャラ作り壊れてるよ、軋識」
バツの悪そうに顔を歪める軋識から視線をそらして、双識は崖から下を見下ろした。
「そうだなぁ・・・まず私がどんな人間だったか、って所からして分からないからね」
もう一度双識はそうだなぁ、とひとり呟いて、顔を歪めて見せた。
「人を殺してると思うよ」
まるで当たり前かのように、双識は言った。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうか」
「人を殺さない私は考えられないんでね」
軋識は拍子抜けしたように肩を落とす。ああ、そうか、そういうものか、と。
そっと軋識を見やりながら、双識は、きみは?と呟く。
双識は軋識を見下ろして聞いた。
「自分が人を殺さないで生きる姿が思い浮かぶかい?」
それは――――――――。
式岸軋騎の姿ではないのか。
軋識は一度俯いて、立ち上がる。
「飯でも食おうっちゃ。・・・あの小僧を探してくるっちゃから、ここで待ってろ」
「ああ。早く帰っておいでよ」
背を向けて獣道に入っていく軋識を見送り、双識は溜息を吐いた。
「もう少しぐらい頼ってくれても良いだろうに・・・」
呟いた言葉は軋識には届かない。
草を掻き分け人識を発見したとき、すでにお昼だった。
低めの木に座っていて、口笛を吹きながら小枝をナイフで削っている。
「ん・・・・・・・?何だよ大将。飯?」
「そうだ。さっさと戻るっちゃよ」
軋識は頭を押さえて呆れたように踵を返した。人識はふっと息を吹いて、削っていた木から、剥けた皮を落とす。そして猫のように木から飛び降り、すたりとしなやかに着地した。
「・・・・・・・・なー大将」
「何だっちゃ」
「顔色悪いけど、大丈夫かよ」
「別に・・・・」
清潔な空気に毒されてでもいるのだろうか?
軋識はぼんやりとした頭を振りつつ、草木を掻き分け丘へ一心に戻ろうとする。
「兄貴と何か話した?」
「ああ」
「何を?」
「どうでもいいっちゃろ」
「言えない事?」
「・・・・・・・・・・」
振り向くと、にやにやと笑う人識と目が合った。
軋識が一度睨みつけてやっても何も言わない。
「分かった。好きな奴でもできたんだろ」
「違う」
「んだよ・・・つまんねーなー・・・まぁ嬉しかったりもするけど」
最初から当てるつもりも無かったのだろう。人識はかははと笑うと軋識の横を通り過ぎ、ひょいひょいと身軽に山を上っていく。
「おい人識」
間があいてしまったあと、軋識は人識に問いかけた。きょとんとした顔が見下ろしてきて、軋識は少しだけ、顔を歪める。
「両親のことを、どう思う?」
「・・・・・・・・・・」
一瞬だけ、無表情になり、人識は一言だけ洩らした。
「親なんていねーよ」
人識はそう言うと、またひょいっと木の根っこをジャンプして飛び越えた。
一瞬だけ、人識の顔が彼女と被ったとは、あいつにだけは、言えまい。
軋識はふと思い出された男の顔を振り払い、人識の後を追った。
2006/10・14