■紅花の赤日
久方ぶりに少しだけ暴君のマンションを訪れてみると、滋賀井統乃が荒々しく扉を開けて出てきたところに遭遇した。
統乃は軋騎を見つけるとヒールを鳴らしてがつがつと迫ってきて、そして身を後ろに引こうとする軋騎の頭のすぐ前で止まり、人差し指をびしりと指して来た。
「兎吊木がムカついたから、アンタの家に愚痴りに行く。10時から開けててくれ」
「会話になってねぇ」
びしりと目の前に人差し指を伸ばしてくる死体の手を横に押しやり、一応軋騎が呆れ声で文句を言うと、丁度奥から暴君のお呼びがかかった。
きっと軋騎が来ることも予想していたのだろうか、監視カメラもないこのマンションの玄関先までぎりぎり届く声が耳に触れた。
慌てて中に入ろうとしつつ、統乃を睨む。
「言っとくが了承してねぇぞ」
「生憎だがお前は仕事、私はこれから遠出だ。連絡する暇は無い。だから会話することもできない。拒否もできない」
「屁理屈捏ねてんじゃねぇよ死体」
「返事は無い。只の屍のようだ」
統乃は某有名RPGの有名な言葉を口にして、口笛で魔王を口ずさみながら階段へ向かった。
コートが風を孕む。
「・・・・・・・・遅くなりました、暴君」
酒でも用意してるかな、と心の隅で思いながら、軋騎は死線の寝室に入った。
「元気にしてた?」「そこそこですね。ですが貴方を眼に出来ただけで疲れなど無くなります」「そうそれは良かったねぇ」・・・
そんなありきたりな会話を交わし、2つ3つ頼まれごとを受け、2つ3つ頼まれていたものを謙譲し、2つ3つ軋騎が居なかった時のチームのメンバーが起こした不祥事を聞き、軋騎は寝室を後にした。
時計は8時を差している。統乃が来る前に風呂には入れなさそうだな、とげんなりしつつ、長い階段を降りて自分の車に乗り込む。
哀川潤が助手席に乗っていた。
「・・・・・・・・・・あんた何やってんだ」
「お前の車の助手席に乗ってる」
「見りゃ分かるよ」
こいつ何しに来たんだとげっそりして、軋騎は運転席に乗り込んだ。
鍵はどうしたんだ、とかいつから乗ってたんだ、とかほんとあんた何しに来たのとか色々軋騎は思うことがあっただ聞くだけ無駄な気がして、無言でシートベルトを着用してエンジンをつけた。
「何、会話無し?酷いなーきっしーったら。そんなことしてるから女にもケツ狙われちゃうんだぜ」
「だからつながりが分からん」
何がしたいんだこの女、と絶望しながら道路に出る。月は満月だった。異様に明るくて、軋騎は肝が冷えた。
「今日はちょっと大きな仕事をやり遂げたってことで気分が良くってね。高いお酒買ってきたから恵まれないきしたんと月見酒でもしようかなーってきちゃったわけです」
「可愛くねぇ」
「ありがとう。何?嬉しくないの?日本酒だぜ?もしかして・・・・・・・この後女の子といちゃつく予定だったりとかすんのか?」
何でこの赤色はこんなにも妙に勘が鋭いのか。
軋騎は軽く眩暈を覚え、「いちゃつく予定は無い」と呟くように答えた。
「えっ、何?つまるところ女の子は当たってるわけ?ありゃま困ったね潤さんお邪魔しちゃうところだったぜ」
「悪いがそいつは女の子って歳でもないし、お邪魔とかそういうのじゃない。ムカつくことがあったらしいから、押しかけられて愚痴を聞かされるだけだ」
ぷっ、と隣から噴出す音が聞こえてきた。この女殺してぇ・・・。
「きっしーはあれだね。結婚したら奥さんの尻に敷かれること間違い無しな訳だ。かんわいー」
「頬をつつくな」
ぷにぷにと潤は運転していた軋騎の頬を指でつつく。
いやほんと用が無いんだったら帰れやと大声を出して追い出したいところだったが、運転で手が離せない今下手に刺激をするとこの車はつかえないものになるかもしれないし、もしそうなってしまうのならば何で帰れというのだろうか。タクシーか?
「何だか今日つれなくない?いやいつもつれないんだけど」
「それは悪かったな。謝るからさっさと帰れ」
「・・・・・・・・そういう口の悪い子にはお仕置きが必要ですね」
「口調変わっ、ばっ!」
瞬間、軋騎は死を覚悟した。
いきなり横から潤に扉に押し付けられたのだ。
運転中に。
当たり前に前にも右にも左にも後ろにも車はあり、しかもよりにもよって潤は運転中のハンドルを握る軋騎の左手首を掴んで、ぐわりとキスをしたのだった。
「ぐっ、ぅ―――――!!」
今ここで、赤信号とかなったら必ず事故る。潤が生き残れても俺は必ず死ぬ。軋騎は走馬灯を見たかと思った。
「・・・・・、っく、ぶはっ」
あれからどれくらい立ったのか、やっと軋騎は正常に息が吸えた。
いきなりのことで呼吸を忘れてしまっていたので、ぜぇぜぇと軋騎は肩で息をする。視線を少し上に上げると、潤が片手で前も見ずに運転していた。
お前いつから大道芸者になったんだよと軋騎は心の中でつっこみをいれると、いきなり潤の足がのびてきてブレーキを踏んだ。
「到着ー。ご苦労様でしたにゃー」
「・・・・・・・・・・さ、最悪・・・」
いつの間にか、軋騎の住むマンションだった。時計は9時過ぎを差している。
「あたしに生意気な口聞くからこうなんだよ。おわかり?」
「・・・・・・・・ヤー」
にっこりと至近距離で微笑まれ、軋騎は例えば死にそうな声で小さく呟いた。
「お礼としてその来る人といっしょにお酒飲もうぜ」
死線すれすれまで言った感想として、とりあえずこれから潤と接する信条として、軋騎は嘆いた。
「勝手にしてくれ・・・」
2006/9・8