*酔っ払い兎吊木×素面軋騎*
「よお、式岸」
片手に26万の赤ワインを持ち、雨やら風やらで風化して白っぽくなった青いベンチに腰掛け、兎吊木は珍しくも薄い赤いサングラスをかけて、いつもの上等な白スーツでびしっと決めて。
赤く火照った顔をこちらに向けていた。
公園の、蛾が集まった街灯の下で、まるでステージにライトアップされたかのような状態に、軋騎は心の中で「ああ、三流だな」と嘲笑った。
「・・・・・・・・こんな所で何やってるのかと、思えば」
「ふふふ、月見酒だよ。いいだろう、ロマンチックで。俺はいつでもロマンを忘れない男だ」
「例えば?」
「とりあえず、男のロマンといえば幼女を侍らしながら生涯終え―――」
「黙ってろ酔っ払い」
台詞をすべて言い終えないうちに台詞を遮る。軋騎は痛くなってきた頭に軽く手を当てた。先程兎吊木から寄越された「助けてくれ」と書かれたメールなんて、無視すればよかったと今更後悔するが、(もしもパーティのメンバーに何かがあって死線が気分を害したら、罪悪感で死んでしまう)来てしまった事はしょうがなかった。
「助けてくれってのは、嘘か」
「おいおい、そんな顔で睨むなよ。人殺しの顔だぞ。飲むかい、お前これ、この前好きだって、言ってただろ」
途切れ途切れの言葉には、いつものひょうきんさが無かった。
ちゃぽん、と瓶の中で赤い液体が音を立てた。苛々しながら飲まないことを無言で伝えると、兎吊木は楽しそうにくすくすと喉を鳴らす。
「ふふふ、機嫌を損ねたかな、殺人鬼。でも、俺を殺しちゃまずいだろ?まずいから―――来てくれたんだろ?ふふふ、ふふ、楽しいなぁ、お前は、優しいね」
しまいには肩を痙攣させて笑い出す。ああ、完璧に酔っ払っているな。軋騎はそう判断して、兎吊木の手からワインを奪い去ろうとした。
しかし、それはひょいっと兎吊木がワインを持つ手を後方に下げることによって阻止される。
手を中途半端に差し出した状態で、無言で睨みあう。
「お前、今「飲むか」って言っただろうが。それを寄越せ」
「ふふふ、嫌だよ。飲む気がない奴に寄越すほど、俺は正気を失っちゃ、あ、いないよ」
「飲むから寄越せ」
「はははっ・・・・・俺と関節キスが御所望?ふふ、キスなら唇でやれよ。意気地なしだな」
「うぜぇ。口が恋しいんなら地面とキスでもするか?それとも一生地面と共に生きるか?手伝うぞ」
「くくっ、埋めるぞって意味?流石に死ぬよ。俺はお前と違って血の気は少ないん、だ。ふふ、ふふふ」
もう、既に笑いが止まらないらしい。酒の飲みすぎで死ぬのはどれほどからだったか、軋騎は記憶をひっくり返しながら、泡吹いて倒れねぇだろうな、と少しだけ不安に思った。
そんなことを知ってか知らずか、兎吊木は一人でしばらく笑い転げた後、ふらりと立ち上がると街灯の下でふふふ、と微笑んだ。
「良い夜だね。月が明るい」
「月なんて出てねぇよ。今日は雲が厚い。お前が思ってる月は街灯だ」
「ふふふ、だろうね。俺の目には、月が列を成してるようにも見える、し。くくっ、ふふふっ、・・・・軋騎」
兎吊木は急に真面目そうな顔になると、サングラスを外した。街灯によって照らされる黄色の目が、煌々と光った。キチガイの色を灯している。
「ね、お前、近頃人、殺して無いだろ」
「・・・・だからどうした」
にやあ、と兎吊木は哂うと、ワインを掲げ―――、それを己の胸元へとぶちまけた。
軋騎が目を見開いてそれを驚いて見ている中、兎吊木はぐっしょりと赤く塗れた白スーツの胸を白い指で押さえる。
「内臓ぶちまけてるみたいだろ?なぁ、欲情したかい、変態」
どっちが変態だ、と心の中で毒吐きながら、軋騎は顔を顰め、付き合っていられないと踵を返した。
「俺を殺してくれてもいいんだよ」
「お前なんて、頼まれても殺さねぇよ。自分のクソ喰って病死しろ、首吊り兎が」
「ふふっ」
振り返らずに立ち去る軋騎の背に、兎吊木の笑い声が追いかけてきた。微かな嘲り声は最後には哄笑となり、軋騎を背後から突き刺す。
最後に見た兎吊木の赤く爛れた姿が脳裏をよぎって、軋騎は心臓が冷えたことに気がつかない振りをして、家路に着いた。途中、コンビニエンスストアの前にある青い電気に蛾が体当たりする音がバチン、と大きく鳴って、ああ、まるで心臓が破裂したかのようだと、軋騎は意識の外側で思った。
*日常力円*
「はー」
ティラノサウルスの骨格の標本が置いてあるコンクリートの上に腰掛け、マルコは肩を落とした。じわじわと遠くで蝉が鳴いている声が、まるでガラスを隔てたようにぼんやりとしている。兎に角、暑い。
既に制服の上着を脱いで、ついでにネクタイも外し、ワイシャツのボタンを二つほど開ける。着ていないよりマシだが、暑いのには変わりなかった。
峨王もラフな格好だが、ネクタイは外していない。こういうところは規則を守るのだ。反抗すると目を付けられやすいからだろうか?
ワイシャツが黒いのも考え物だな、と心の中で思いながら、マルコは頬を伝ってきた汗を拭い、呆れた声を上げる。
「梅雨なんだから、雨降れっちゅう話だよな。日本の癖に・・・」
「なんつったっけ、地球温暖化じゃなくって、あー・・・異常気象?なんか多いよな。今年の冬も雪少なかったしよ」
「そういやぁそうだったなー・・・懐かしい。中三の思い出って既に色褪せてるっちゅうか・・・なんかよ、俺クラスの奴等に「マルコが中学生って思い浮かばねぇ」って笑われたんだけど、あれ、馬鹿にされてたっちゅう話かね?」
「老け顔だからじゃね?」
「お前がいうか」
峨王の顔はまぁ置いといて、体形からして中学生なんか思い浮かばない。小学生も同様だ。もしもこれで小柄な上にガリ痩せだったら、俺は逃げるねと嘯きながら、マルコは雲の少ない空を睨む。
「これがあと二ヶ月も続くなんて想像もつかねぇや」
「偶に9月まで暑い年もあんだろ。異常気象・・・だったら、7月に大量に雨降っかもな」
「神は俺らを殺すつもりだっちゅう話?」
「違ぇねぇ」
零れる笑い声にも力が入らない。これで部活は想像もしたくないな、とも思いながら、それでもアメフトがしたいとも思ってしまい、ああ、ついに暑くて可笑しくなったかと口元に笑みが浮かんだ。
「暑いなー」
「そうだな」
「部活、今日何する?」
「・・・・・・サック」
「死ねと?」
「冗談だ。本気にすんな」
くっ、と峨王が喉奥で笑いを噛み殺しながら、べたつくシャツが気持ち悪いのか首元を掴んでばさばさと空気を中に取り込む。体中から吹き出た汗が、風によって冷えて一瞬涼しいと感じたが、一瞬だけだった。生温い風は逆に体に毒だ。そう思った。
「うちわ、そういや教室に忘れてきたな」
「・・・うちわ?コンビニで大量にあるやつか」
「ああ」
「お前にあれ、小さそうだな」
「そこは気にしたら負けだ」
「誰に?」
「・・・・・・・・・夏に」
「成る程」
教室で手持ち無沙汰に持っていた男子に扇いでもらったが、あれは画期的だと思う。日本は凄いな、とも思った。
マルコはぼんやりと空を見上げていたが、やっと視線を峨王に移した。それにつられて峨王もマルコを見る。
「部活」
「あ?」
「走るか」
峨王は一瞬視線がマルコの顎を伝った汗から、肌蹴たシャツから覗く白い胸板へ移った。が、知らぬ振りをして「そうだな、走るか」と返答した。
精魂尽き果てれば、不埒な考えも飛ぶかもしれないな、など、神龍寺みたいな考え方をして。
そしてはぁ、と二人して溜息を吐くと、殆ど同時に「暑い」と不平を言った。
遠くで蝉が一際大きく鳴いた。体の内側で、心臓もまた大きく鳴く。
*人識が幼い時代の人軋と見せかけて軋人な小説*
「弟がいるんだ」
「・・・何歳っちゃか?」
双識は口元に運んでいたカップをテーブルにことりと戻した。中に入っている黒い液体が揺れた。
「・・・9つ」
「9歳・・・ふん、人は既に殺したことはあるんだっちゃね?」
「ああ」
白い湯気が、コーヒーから溢れ出ては消える。ミルクや砂糖を入れることすら忘れている双識に、軋識は眉間に皺を寄せた。らしくない、というべきか。
双識は珍しくも困惑した表情で、「遅い」と呟いた。
「そうか?平均的な数字だと、思うっちゃけどね」
「機織と零識の息子なんだ」
その言葉に、軋識も息を呑む。それを目の端で捕らえながらも、困ったように、双識は呟いた。
「昨日初めて人を殺したんだ。ちょっと、逢ってくれないか」
軋識は無言で肯定した。
零崎の止まり宿用のマンションの一室で、その少年は背に黒いランドセルを背負ったまま、カッターナイフで黙々と鉛筆を削っていた。黒いハーフパンツに白のカッターシャツ。しなやかな黒髪は肩口で弧を描いていた。少々髪が長い。
芯の部分を、細く、そして尖らせていく。
「・・・鉛筆ぐらいじゃ、そうそう人は殺せ無いっちゃよ」
「!」
ばっ、と人識は素早く軋識に顔を向ける。そして軋識をはじめて見た変な生き物を見るかのような視線でまじまじと見ると、鉛筆をテーブルに置き、にやあ、と口元に笑みを湛えた。
「吃驚した。お兄さん、零崎だよな?・・・兄貴以外の零崎って初めて見たぜ」
うきうきと楽しそうに、人識は椅子から降りるとぱたぱたと軋識に寄り添ってきた。動きがひよこのようだが、警戒は解かれていないらしい。軋識は人識をまるで無視するかのように、先程人識が座っていた椅子の丁度向かいに腰を下ろした。それを見て、人識も元の席に戻る。
「名前はなんつーの?」
「零崎軋識だっちゃ」
「かはは、変な喋り方」
人識は快活にそう言って笑うと、両手を命一杯軋識の方に伸ばしてきた。それを怪訝そうに見やると、人識はにこにこ笑いながら「手、貸して」と強請ってきた。言われるがままに左手を差し出す。
人識は嬉しそうに軋識の左手を撫でたり掌を上を向かせたり下を向かせたりと、まるで玩具のように扱った。軋識は興味なし、とでも言うように、人識に尋ねる。
「昨日初めて人を殺したらしいっちゃね?」
「おうよ。あんまりにもあっさり死んじまうから、何事かと思ったぜ。兄貴が言うには急所を一発やったってさ」
「当たり前だっちゃ。零崎はそういう風に生まれついてるからこそ、殺人鬼って呼ばれるハメになるっちゃ」
「へぇん。お、軋識さん生命短い・・・いや、長い?」
「あ?」
何を見ているかと思ったら、手相を見ていたらしい。左手を見るのか右手を見るのか軋識は知らないから、何とも言えなかったが。
「変なの。軋識サン、生命線切れたり続いたりしてんぜ。2回ぐらい死ぬんじゃねぇ?」
「・・・・・・人識」
軋識にとっちゃ、己が何度死のうが興味は無かった。それよりも、聞かなければならないことがある。弄くってくる人識の手を逆に掴み、引き寄せる。
「おめぇ、相手にナイフ寄越したってホントか?」
そう、双識は困った顔をした理由は、人識が昨日人を殺す際、相手にナイフを貸してやり、あまつさえ『斬りかかってこいよ』とまで挑発したらしい。
零崎としては、異常な行動である。
人識は一瞬、暗い赤の双眸を冷たくさせたが、静かに呟くように言い返した。
「だって、只の人殺しなんかつまんねぇじゃん」
「アホか。人殺しに楽しいつまらん関係ねぇっちゃよ。レンにも言い聞かせられてんだろうが、俺達は『殺すべくして、殺す』と」
「・・・へいへい。つきあってらんねぇよ、あったかい家族ごっこなんて」
ぶすっとしたように人識が拗ねる。あだ名呼びが気に入らなかったらしい。
軋識は立ち上がり、出て行こうと踵を返した。子供は苦手だった。まともな説教なら、双識のほうが向いているだろう。
扉に手を掛けた軋識の背中に、また鉛筆に手を伸ばした人識が「ヘイ」と声を掛けた。
「な、軋識サン、いつか二人っきりでデートしない?俺あんたの人殺し姿、見てみてぇよ」
「お前が大人になったら、デートでもなんでもしてやるっちゃよ、クソガキ」
はっ、と鼻で笑ってやると、人識は約束だぜーと楽しそうに笑って見せた。
「上手く殺せたらちゅーとかしてくれる訳?」
「上手く殺せたらな。・・・血の匂いのしない乳くせぇガキなんかに欲情するわきゃねぇっちゃ」
「かははっ」
扉を閉めると、扉越しに笑い声が聞こえてきた。扉の向こうで人識はにやりと微笑み、「お兄ちゃんにはおねだりしてみるもんだね」と、まるで可愛らしい少女のように呟いた。
2006/8・01