*軋識片思い*
ずきん、と心臓が痛む。
ずきん、ずきん、とまるで圧迫されるかの痛みが心臓をキリキリと捩じ上げるようで、軋識は右手でぐっと心臓を押した。痛みは引かずに、じくじくと腹の奥底へと溜まるようだった。は、と苦笑ともとれるような声音で己を嘲笑う。
どこの女子だ。女々しいにも程がある。――――――気持ちが悪い。
「――――――アス?」
平気か、どこか痛いのか、と気遣うような声音が向かい合ったソファから投げかけられる。「平気だっちゃ」と突き放すように言ってやると、まだ心配そうに男は軽く身じろぎしながら、話を続けた。
何故恋をすると(己が恋だなんて言葉使うことが、どれほど似合わないことか!)これほど心臓が痛むのだろうか?興味が無いから知らないが、いつかチーターに聞くのもいいかもしれない。(しかし恐らく奴は変なものを見る目で俺を見て、「ついに害悪細菌の奴に毒されたか?」と本気で聞くだろう)
呼吸法が関係あるのかもな、と自分で思いながら、目の前の男が心配そうに顔を歪めているのが目に映った。
「具合が悪いのなら、人識を連れて行くが・・・」
「いや、気にすんな。・・・外の空気が吸いたいから、先に車の用意しとくっちゃ」
「仕事の内容を・・・いや、何でもない。気分が悪いときに外の空気を吸うことは、悪くない」
「悪い。それ、お前が良く見ててくれ、っちゃ」
最後にキャラ作りが取れそうになってしまった。のろのろと外へと出て、エレベーターを待つ。あの部屋から出てから段々気分も優れてきていた。
「・・・・あー・・・・変に思われた、か」
ずきん、ずきん、ずきん。
生温い空気が喉を通って肺に満たされる。痛みが引いた気がして、軋識ははぁ、と溜息を吐き、みるみるうちに赤く火照る顔をべしりと右手で覆った。
「っあー・・・・アホか・・・・くそっ、気持ち悪い・・・・」
記憶の片隅で心配そうに首を傾げた曲識が、酷くおかしく見えた。
*蝙蝠受け小説(鮫蝙*
ここは、とても寒いよ。
歩き出せもしない。
例えるのならば、深く、暗く、まるで、ここのような、酷く寒い、海の底。
地面は、倒れる男の血と雨を抱きとめきれずに水溜りを作った。体に叩きつけられる雨が痛い。ああ、さっきまであんなに晴れてたのに。
「おや、おやおやおや、奇遇ですね蝙蝠」
「・・・・・・最悪」
吐き捨てるように呟いて、蝙蝠は背後に振り返る。死んだ男の恋人の姿に身を変えていたのに、名前を呼ばれて嫌な気分だった。(いや、恋人に殺されたこの男の方が嫌な気分だっただろうな)
予想通り、にやにやと嫌らしい笑みを口に浮かべる喰鮫が腕を組んで立っていた。髪が雨を含んでじっとりと重そうに垂れている。顔に垂れている前髪かぽたぽたと水滴が垂れているのが馬鹿っぽく見えて、やっと蝙蝠は口に微かに笑みを浮かべる。
「ああ、いいですね、貴方の笑い顔を見るなんて何ヶ月ぶりでしょうね、いいですね。いいですね、いいですね、いいですね―――」
「うるせぇな、お前のその何回も言うの、俺嫌いなんだよ―――それより、何でお前がこんな所に居るんだよ」
また蝙蝠はつまらなさそうな顔に戻って、体を変形し始めた。元に戻る。ごきごきと聞きたくないような音が響いたが、喰鮫は笑ったままそれを眺めた。
「お仕事ですよ。それ以外に忍者が何をするんですか?それにしても、貴方がその男を殺す瞬間に立ち会えなかったのが残念でなりません。ああ、残念ですね、ざんねんで」
「もういいっつーの。きゃはきゃは、愚問だったな、何しに来たかなんて。・・・ほれ、さっさと帰れよ。俺はまだ仕事があるんだ。お前みたいに暇じゃあない」
やっと元の形に戻った蝙蝠はごきごきと最後に首を鳴らして、崩れた女物の着物を少し直した。
口癖を途中で止められて少し不機嫌になった喰鮫は、微かに首を傾けて「一緒に帰らないんですか?」と至極当然そうに聞いた。蝙蝠は、はあ?お前日本語喋れやとでも言いたそうな顔で「一人で帰れ」と突っ返す。
「仕事があるっつってんだろーが。魚介類は早く里に戻って水槽の中で寝てろよ」
「酷いですねぇ。痛く傷つきましたよ。ああ、愛が痛いですね、いたいですね」
「お前は一体何処に愛を感じるんだっつーの・・・」
はあ、と小さく溜息を吐いて、喰鮫は静かに後方へ足を向ける。
「それでは、先に戻ってお風呂の用意でもしていますよ、あ・な・た」
「殺すぞ」
「ああ・・・小さい頃はあんなに可愛かったのに・・・いえ、今も可愛いんですけどね。・・・というか、良い響きですねあなた。ああ、良い響きですね、いい―――」
「さっさと帰れ!」
いい加減嫌になった蝙蝠が、さっきまで持っていた匕首を投げつける。それは喰鮫には当たらず、さっきまで喰鮫が立っていた背後にある大木に深く突き刺さった。
『牛乳用意してましょうか?』
「・・・・」
聞かなかったことにして、蝙蝠はさくさくと森の中へと入っていく。
最後に男の死体が残り、水溜りはいつの間にか晴れた空を反射して映していた。
*軋識と舞織小説*
「あーっ!」
「今度は何だっちゃか」
大型ショッピングモールをのろのろと歩きながら、幾分か前を歩いていた舞織の叫びに足を止める。
人識と落ち合う約束の時間まで余裕があるので、暇つぶしに妹を連れて、親子連れにごった返すここへと来たのだが、舞織のテンションの高いことと言ったら!女子高生は本当舐めてはいけない、と軋識は再認識している所だった。
「あそこのアイス、この前テレビに出てたんですよ!食べたいですね!」
「・・・・・・・」
「食べたいですね!」
二回も言わなくて良いよ。
回りは子供の癇癪やら、迷子の子供が母を探す声だとか、各店から流れる色々な曲が混ざり合って、普通に会話しても相手には声が伝わらないぐらいの煩わしさだ。舞織はめげずに、大声で軋識を呼ぶ。
「大将さん、アイス、何が食べたいですか!?」
「いらねぇっちゃ」
「じゃあ抹茶で!」
「・・・・金出すの俺っちゃろ・・・」
そして、人の話を、聞け。
舞織はするりと人ごみを抜けると、ぱたぱたとアイス屋に直行した。軋識はその動きに少し感心しながら、その小さな背を追った。先に4人ほど並んでいる後ろについて、売っているものをチェックしている舞織にやっと追いつく。
「はぁ・・・俺の分はいらねぇっちゃから、さっさと買って行くっちゃよ・・・ショッピングモールを甘く見てたっちゃ。ここは俺にとっての鬼門だっちゃ」
甘い匂いに混ざる、隣人の体臭も、耳にひっかかる人の喧騒も。
そんな軋識に軽く微笑んで、舞織はアイスを指差す。
「だから気分紛らわすんじゃないですかぁー。あ、チョコミントありますよ。某美大青少年が、歯を磨きながらチョコ食べてるみたいだって的確なことを言ったチョコミント」
「誰だっちゃ某美大青少年って・・・」
「え、お兄ちゃんから借りて呼んだりとかしてないんですか?あれ名作だから、貸されたと思ってたんですけど」
きょとん、と目を見開いて驚く舞織に、お前も毒されてきたっちゃなー・・・と心の中で合掌しながら呆れたように呟く。
「あいつから本は借りない・・・100分の99の確立で漫画だっちゃろ」
「ってか漫画しかないじゃないですか。あ、ジョジョは一気に40巻ぐらいまで読むと筋肉痛になりますよ」
「アホか。読む気は無いっちゃ」
「そんな!人識君も読んだのに!ノリ悪いですねー。友達無くしますよー?」
「今更い」
「てい」
ぷに、とそっぽを向いていた軋識の頬に、手袋をつけた舞織の人差し指が押し当てられた。
ぎょっとして身を引く軋識に、「うふふ」と舞織が双識のように微笑む。
「隙ありなのです」
「てめぇ・・・調子に乗るのもいい加減にしろよ・・・」
「きゃーたいしょーさんが怒ったー」
軋識がぎらりと舞織を睨んでも、舞織は楽しそうに笑ってわざとらしく身を翻す。
「友達がいらないなんて、言っちゃ駄目ですよー。欲しくてもできないんですから」
「・・・・・・・」
少しだけトーンを落として真剣そうに呟かれたその言葉に、軋識が動きを止める。
視線の先で、舞織はちょっとだけ笑った。
「うふふ、私は大層傷つきました」
「・・・・悪かったっちゃ」
「アイス、買ってくださいね」
にこにこと笑顔で言われて、軋識は分かってると呟く。しかし、その言葉に舞織は肩を竦めた。
「勘違いしないでくださいよー?買うのは、私の分と、大将さんの分」
「・・・いや、いらないっちゃ」
「私は大層傷つきました」
「・・・・」
「アイス」
にこりと微笑まれて、軋識は困ったように溜息を吐いた。こういうときは以上に頑固なのだ。
「お待たせいたしました」
「苺と抹茶一つずつお願いします」
お前が決めるんかい。
やっと順番が来たときに即座に舞織が注文したのに、軋識は溜息を吐いたが、怒りはしなかった。
2006/8・01