■F&F
「とりあえず帰れよ」
「まだお前の家に入ってすらいないのに!」
相変わらず辛辣なマイスイートハートはもはやパソコンの近くで虫を発見したような目で俺を見た。今更そんな目をされても怯まなくなった自分を褒め称えたい。
現在、場所は式岸が住んでいる京都市内のマンション、式岸がフロアまるごと買い取ってる階の玄関の前で俺達は会話していた。死線がお休みになられたのを確認した後ぞろぞろと一群のメンバーは自宅へと帰っていったのだけれど、俺は一人自宅ではなく式岸の後を追ってきていた。そろそろストーキングスキルも上がってきたんじゃないだろうか。インドアをここまで動かすなんて恋って凄いな。
「お前は一体いつからそんな酷い大人になってしまったんだ・・・初めて会ったときのことを覚えているか?式岸・・・あの時のお前は白いうさ耳に眼帯をつけて白いロリータ服に身を包んでいる推定12,3歳の少年だったっていうのに・・・」
「そろそろ現実世界をまっとうに生きろ。それは一体どんなシチュエーションなんだ?俺はその年齢の時一体どこで何をしている設定になってるんだお前の頭の中では・・・」
「とりあえず現在進行形で俺の嫁かな」
「離婚届出させてもらおう」
ぺっと唾を吐き捨てて式岸は言った。俺の嫁は相変わらずツンデレキャラを地でいっているようで安心だ。ツンデレっていうのはどの時代でも人々から愛されるもんだしな。本命は死線の蒼だけどやっぱりツンデレはいいよ。変わらない対応をしてくれる所や予想外の行動を起こしてくれるところがたまらなく愛しいと思うんだけど、どう思う?
気を抜いたらすぐに口元が緩んだ。もう緩々だ。頬の筋肉が引き攣る。顔に熱が昇る。いとしい!なんていとしい生き物!
一人でにやにや笑っていると素早く鉄拳が飛んできた。見事に俺の左頬にクリーンヒット。「気持ち悪い笑い方してんじゃねぇよ!」だって。しょうがないじゃないか楽しくて仕方がないんだから!
式岸の手は人を殴ることに適してない。筋肉が付きにくい体質なんだ。全体的に細い、華奢な印象があるけれど、それを裏打ちするように式岸の手は骨の浮いた、指の長いまさしく『綺麗な手』と評するに値する手をしている。もちろん、よく見れば爪に細かい傷は入っているし指の先の皮は所々破れて瘡蓋になっている。
まったくもってアンバランスだ。一見弱弱しいのに、少し中を覗いてみればどろどろ濁った人を殺すことしか考えられない殺人鬼の一面が眠っている。そのくせ愛しいものを捨てられない。なんて無様。なんて惨めなんだろう。
頬がじんじんと痛むけれど、俺がなるだけ平気そうな顔してもう一回顔を正面に向けると、式岸は普段見られないような顔をした。呆けたような顔にも見えるけど、目がすでに獣のそれになっている。緑色の、透き通るような二つの眼球が俺の目を捉えた。
「帰れ。兎吊木」
「やだ」
俺が笑った瞬間、式岸の左手が俺のオレンジのネクタイを掴んだ。ちなみに俺の今日のコーディネイト、白いスーツにオレンジのネクタイ黒のネクタイピン。ぐいっと式岸の方に引き寄せられたと思ったら、俺を引き寄せる方向と逆に、もう一度式岸の右拳が俺の左頬に再びヒット。歯が折れたんじゃないかと思った。
でも式岸はその道に関しちゃ一応プロな訳で、もちろん歯は折れてない。外から見る限り怪我をしていない風に攻撃するのは手馴れてるらしい。あと、痛みが長く続く地味な拷問みたいな方法とかも。
俺が式岸を呼ぼうとすると、声なんか聞きたくないって風に今度は後ろに叩きつけられた。左手はまだネクタイを掴んだまま。背中が通路の壁に当たって一瞬息が止まる。そこからもうどこを殴られたかは俺には感知できなくなる。痛いだけ。どこもかしこも痛いだけだ。鈍い音が俺の脳味噌に直接響いて、通路にも多分響いた。でも勿論助けは来ない。このフロアは式岸の所有物だから。エレベータの扉が開く時は何か間違えたこのマンションの住人がやってくる時だけ。つまり俺は今は恋人と二人っきりって訳だ。ロマンチックだけれどその行為は人気の無いトンネル内でチンピラにフルボッコされてる学生とか、そんな感じだ。口の中が切れて口内に血の味がした頃、ようやく式岸の暴力が終わった。耐えられなくてしゃがみこむ。はぁ、はぁ、って荒い息が上がるけれど、勿論エロい意味は無い。
コンクリートに直接座り込んで、目の前に立つ式岸を見上げると、なんかこうありがちなBL小説みたいに泣きそうな顔をしてるとかぶっちゃけ泣いてるとかそんな訳もなく、ただ俺のことをアホを見る目で見下していた。勿論今までタコ殴りにしていた相手に手を差し出すとかそんなこともしない。ただ、くだらない生き物を見る目で俺を見ていた。殺人鬼って人のことをどんな目で見るんだろう、と思っていたけれど、こういう目をしているんだろうか。それとも、式岸だけだろうか。
「お前、マゾヒストだよな」
「何?確認?」
くすくす笑うだけで顔が痛くて涙が出そうだった。唇が切れている。手で触れたら掌が真っ赤になったから焦った。
「お前、今更だけど凄く馬鹿だろ」
「だってしょうがないだろ?お前を愛してるんだから」
スーツの裾で顎を拭うと、白いスーツは真っ赤に染まった。まるで人でも殺してきたみたいだ。どっちかっていうと、さっきまで俺が殺されそうだったんだけど。にやにや笑って見せると、式岸は少しだけ不快そうな顔をして、とどめとばかりに右足で俺の腹を一度踏みつけた。白いスーツにくっきりと式岸の靴の裏がうつった。げほっ、と咳き込む。内臓とか潰れてないだろうか。さすがにそこまで俺だって弱くないか。
「死なないと治らないか?」
「そうだね。でも、今殺してくれるなら、今度はお前の子供に生まれ変わってやる。子供攻めとか結構人気なんだぜ?」
「悪いが俺は子供は作れないし、結婚だってできねぇよ」
分かってんだろ、とでも言うように式岸が言う。知ってるよ。だって愛されるのが怖いんだろ?臆病者だから。
「そうだね。もしもお前が結婚したら、嫉妬で頭が狂いそうだよ」
「既に狂ってんだろ、害悪細菌」
こんな俺が好きだって言うんだから。式岸の言葉に、ふっと俺は笑った。違いない。殺人鬼に恋する人間なんて狂ってるかもしれないね。でも恋ってそういうものじゃないか?
知らねぇよ、って一言吐き捨てて、式岸は家の中に入って行ってしまった。扉の閉まる音を見送って、その分厚い壁を見る。でも、人に恋する殺人鬼だって狂ってるって思わないのか?馬鹿な奴。俺はたまらず笑ってしまった。
2009/4・12