■形の無い愛を歌わせてよ

 僕には歌しかないんだ、と曲識は言った。
 お前を取り巻く全ての音がお前のものではないのか、と俺は思ったが、曲識は一度笑って、もう一度、僕には歌しかないんだ、と噛み締めるように呟いた。
 ぷつりと音を立てて閉ざされたテレビの画面をじっと見つめる、曲識の横顔は笑っているように見える。椅子に座ったまま、俺はしばらくそれをみた。
 曲識の髪は昔よりも伸びて、もう少しで腰まで届きそうだ。髪のあちこちについている白や紫の装飾品は、一体誰から貰ったものだったのか。二つの眼球はぴたりとテレビの黒い画面を見つめ続けている。何か良くないものでも見えているのではないかと思うと、背筋がぞっとした。
 「歌を歌っていいかい?」
 曲識はゆっくりと俺の方へ振り向き、黒い、テレビの画面のような感情の篭らない目で俺を見た。薄い唇が次に開く時はきっと言葉ではなく音を零れさせるのだろう、と思った。人間にしては作られたかのような造型をしているこの男が、たまにオルゴールのように見える。眼球が硝子玉であれば、きっとその通りだろうと口に出すかもしれない。
 「何を歌うんだ」
 「ラブ・ソングを」
 曲識は女を口説くような口調で囁いた。その言葉だけで歌のように聞こえるから不思議だ。そもそもこいつの歌唱力といえばプロ並だ。本当なら大ホールでも使って聞きたいのだが、残念なことに今俺とこいつがいるのは俺の住むマンションの一室でしかない。反響板が使用されてる壁でもないし、もちろんマイクもスピーカーも無かった。いや、コイツの声ならオペラのようにそんなもの必要としないから、どちらにせよ構わないのかもしれないけれど。
 「僕の奏でる音は全て人を殺めることに使われるんだ。レンのよく言う、『悪』そのものなんじゃないかと思うんだ」
 零崎としては、悪くない。と曲識は笑って言った。お前はその音を全て悪だと思うのか、と思ったが、言及するのはやめた。
 「俺はお前の歌が全て悪だとは思えないっちゃけど」
 「例え、昔のようにレンやアスを操ってトレーニングに励ませるっていう方法ができたとしても、結局君達がやるのは人殺しだろ?人殺しの手伝いをすることのどこが悪じゃないって言うんだ」
 曲識は首を振った。その動きが俺の言葉を聞かないようにする行為のように見えて、俺は口を閉じて、次の言葉を待つ。たまに、零崎の中に何人かいる、『零崎にならなければ幸せになれただろう』と思える生き物。
 大抵の奴らはどこにも行き場がなくて、零崎にしか居場所が無い、って奴らばっかりだ。だが、その中に数名存在する、曲識のような輩。
 きっと、こいつらだって実際は零崎以外じゃ生きていけないだろう。殺人鬼なのだから。でも、それが分かっているのに、俺はどうしても奴らに他の道があったのではないかと考えてしまう。双識は甘い考えだと笑っていた。でも、そう思えるのはいいことだとも言っていた。
 そう、確かに、零崎を相手になんて甘い考え。殺人鬼が人間に混ざって生きていけるわけがないのに。
 「また何か面白いことを考えてるね?」
 曲識はくすくすと笑った。俺が椅子に座り込んで一人で考えこむのがおかしかったのだろう。
 「アスは優しいから、すぐ希望を持てるんだ」
 そうだろうか。それは、俺がただ弱いだけなんじゃないのか?
 曲識は微笑むばかりだ。目を細めて、俺を見る。
 「僕はアスが好きだよ」
 しんじられない?と囁く。
 「普通なら愛の証に、何か贈り物でも送るべきなんだろうけど、生憎僕には歌しかないんだ」
 ねぇ、僕に歌わせてくれよ、と曲識は言った。多くの生き物が聞き惚れるような声で。綺麗に。
 「僕にアスへの愛を歌わせてよ」
 好きにしろ、と俺は言った。それしか言えなかった。いつ、お前の歌が聞こえなくなるだろう。それを思うと苦しくて、何も言えなくなってしまう。
 俺たちは死んだら、誰にも気が付かれないまま髪も肉も骨も衣服も、どこかへ消される運命にあるんだ。それに比べて、曲識のこの歌がどれほどの重みを持つものか。
 俺は分かりたくなかったし、分かるつもりもなかった。ただ、曲識の歌はいつも通りに美しく、そして命に満ち溢れていた。
2009/3・31


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