■自己の死亡確率においての確立
あの白髪の男が嫌いだ。
どれぐらい嫌いだと言われれば名前も知りたくないぐらい嫌いだ。
ぶっちゃけ殺したい。
あの気持ち悪い目玉をサングラスごと壁に縫い付けたい。
あの眼球に丁寧に丁寧に硝子を詰め込んでやりたい。カッターナイフでぐちゃぐちゃに差しまくりたい。
あのぐだぐだと言葉をとめようとしない口を針と糸で縫い付けたい。舌を切り取りたい。
気持ち悪い憎い嫌いだ嫌いだ嫌いだきらいだきらいだきらいだだいきらいだ。
軋識兄さんの前で息を吸うな家族を見るな触るな笑うな不肖を見るな。
見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな。
「しんでしまえばいいのに・・・」
ある限りの憎悪を含んで吐き捨てれば、予想以上に低い、地を這うような声が出た。部屋の角に身を寄せて、体育座りをして、頭を下げているので、多分声は聞こえなかったと思う。しかし、耳から取れる情報の中で、軋識兄さんは呆れたようなため息を吐いた。
「おい、デイ」
「へい」
「・・・具合悪いなら部屋に戻った方がいいんじゃないか?」
心配するような声音で、軋識兄さんは言う。でも、その心配っていうのは不肖に対して、っていうよりも、このリビングにいるもう一人に向けられたことのように思えて、一瞬涙が出そうになった。
その人間というのが、零崎でもないただの一般人。つまり不肖達の獲物になるべき言ってしまえば「標的」のことだ。軋識兄さんが金を得るために零崎以外とつるんでいるのは知っていたが、(というか零崎以外とつるんでいる零崎はけっこう居る。一応偽名は使ってるけど)つるんでいるとはいえ一般人を家に呼び込むなんて、それはどうなんだろう。軋識兄さんが不肖達を騙しているのではないか、という気持ちでいっぱいで、今にも吐いてしまいそうだった。
その一般人というのが、白いスーツを着た30歳前後の男だ。総白髪で女顔、その癖に無精髭を生やしている。そして原色メインのカラーサングラスをよく掛けてくる。色は毎度違うが、今日はオレンジだった。何が面白いのか口元が常に笑みの形をとっていて、しかし気持ちが悪いことに目の奥はまったく笑ってない。その癖に、人のことをじろじろと観察するように見てくるのだ。
不肖は人間の視線が嫌いだ。むしろ人間の視線が嫌いなせいで殺人鬼になってしまったぐらい、視線が嫌いだ。眼球が嫌いだ。値踏みするようなあの目が大嫌いだ。
それを、不躾にも男は何度やってきたってそんな目で不肖を見る。にやにや笑ったまま。
気持ち悪い。とてつもなく気持ち悪い。最低だ。最悪なほど最低に気持ち悪い。なんであんな野郎がのうのうと生きてるんだろう。死ねばいいのに。
そう、困ったことが一つあるのだ。そんなに気持ち悪いならさっさと殺せばいいだろうと皆思うだろうが、不肖だって何度奴の眼球に鑿をぶっ刺そうとしたことか。それができない理由があるのだ。
不肖があの野郎に会う前に、軋識兄さんは不肖に釘を刺してきた。絶対にあの男を殺すなと。
初めて会って、あの男が帰るまで、俺がのた打ち回りたい気分だった。普段なら間髪いれずに奴を磔にして脳髄をぐしゃぐしゃにしてやるところだってのに、大事な家族の、その上特に慕っている軋識兄さんの命令だからやろうにもできないのだ。あいつが帰ってから、不肖は本当に泣きながら懇願した。あいつを殺させてくれと。
しかし、軋識兄さん曰く、あの男を殺すと零崎としても、もちろんもう一つの偽名の方でも厄介なことになってしまうらしい。不肖の涙に大層困惑したようだったが、軋識兄さんは不肖の頭を撫でて頼む、とむしろ軋識兄さんが泣きそうな声で言った。ますますあの野郎を殺したくなった。
その白髪男は、あろうことか今日も来ていた。この男がどんな頻度で軋識兄さんのマンションにやってくるかなんて知らないが、それに丁度よく不肖も居合わせてしまったのも不運だった。最悪だ。
「なぁ、君」
「兎吊木」
唐突に、カナリアのような高い声がして、それを遮るように軋識兄さんがそいつの名前を呼んだ。
「そいつに話しかけるな。お前を嫌がってるぐらい分かるだろ」
軋識兄さん!なんかもう今すぐ飛び上がってその背中を抱きしめたいぐらいだ。あの男がここへ来てから始めて不肖のことを優先してくれた気がして、諸手を上げて大喜びしたくなる。そんな我ら兄弟の感動シーンに水を差すように、カナリアのような高い声の男が(おそらくあの気持ち悪い笑みを深くして)続けて言葉を発する。
「君ね、過保護にも程があるんじゃないか?社会に出るにはある程度嫌いな相手に対して社交辞令程度の会話を交わせるぐらいまで自分の感情を操作する必要があると俺は思うけどね。ちょっと声を掛けるだけでそうやって庇護下に置こうとするのをやめた方がいいよ」
「うっせぇ死ねよ」
ぼそりと吐き捨てれば軋識兄さんが硬直したのが分かった。多分不肖の臨界点が近いことを悟っているのだろう。部屋の隅に体縮ませて座り込んでいる不肖の声があの男に届いたかどうかは分からないが、聞こえても聞こえなくてもどっちでもいい。不快に思って帰ってくれれば万々歳だ。
「ふん、大層嫌われたもんだね俺も。式岸、俺のどこが嫌われたんだと思う?何が気に食わないのかな」
「知らねぇよ・・・」
勝手に不肖の視線恐怖症のことをばらすのは不肖に悪いとでも思ったのか、軋識兄さんは不肖から話題を逸らすように一蹴した。こんなに優しいのにあの男を帰らせないことに胸がぎりぎりと痛む。もう嫌だ。さっさと帰ってくれ。声も聞きたくないしそこに存在することが許せない。軋識兄さんに近寄るな。
「ふぅん・・・」
不肖は頭を両腕に挟んだ状態でじっとした。もうこれは幻覚だと思い込むことにする。あんな気持ち悪い男が存在するなんてありえない。きっと不肖が妄想で作り上げてしまったこの世にいちゃいけないような生き物を具現化した姿なんだ・・・。もう塩撒いたら消えてくれないかな・・・。
じっと身を固まらせていると、しばらくあの男も軋識兄さんも無言になった。つけっ放しにしているテレビから何のものかよくわからないCMが流れているだけだ。ああ、今頭を上げたらあの男が消えているんじゃないだろうか。っていうか消えてるかもしれない。消えてろよ。
すると突然、ばんっ、とテーブルを勢い良く叩きつける音がした。何事だ。
「兎吊木!やめろ!」
軋識兄さんの焦った声が上がった瞬間、不肖の右手はせっかちにも鑿を取り出していた。ほぼ飛び上がる形で軋識兄さんと男の方に突撃する。男の手が軋識兄さんの胸倉を掴んでいて、おそらく先ほどテーブルに叩きつけられた両手は軋識兄さんが抵抗する音だったんだろう、釘バットを振り回すにふさわしくない腕がテーブルに押し当てられていた。テーブルに飛び乗り軋識兄さんの胸倉を掴む男の手首を踏みつけ、反対に自分が男の胸倉を左手で掴み上げ、そしてそのままオレンジのサングラスの向こうにある眼球に鑿を振り下ろ――――――。
「アホか!」
「びゃあ!」
振り下ろしたと同時に軋識兄さんが不肖の足を掴み、思いっきり引っ張った。そのせいでテーブル(木製のよく滑るやつ)の上で体勢を崩し、無惨にも顔面をテーブルの上に思い切りぶつけてしまった。振り下ろした鑿は目標を大きく外れてテーブルの上にがつっ、と音を立てて突き刺さる。胸倉を掴んだまま離さなかったので男の方も引っ張られて顎をテーブルにぶつけた。
「いっ・・・・いた、・・・・」
「おま、鼻血・・・」
起き上がった不肖の鼻からぼたぼたと血液が垂れる。思い切り打ったせいで両鼻の中が切れたらしい。慌てて軋識兄さんがティッシュを取ってきた。
「とりあえずテーブルから降りろ・・・ああ・・・テーブルに鑿突き刺さってるし・・・」
のろのろとテーブルから降りている間に、軋識兄さんはテーブルに突き刺さっている鑿を引き抜き、付いてしまった大きな抉られた傷を指で摩っていた。結構目立つ。
あの男といえば顎を押さえて椅子の上でじっと肩を震わせていた。予想以上に酷いダメージだったのだろう。舌でも噛んだのかもしれない。自業自得だばーかはーげ。
「大丈夫か?鼻の骨とか折れてないよな?」
「う・・・だいじょうぶれす・・・」
ティッシュの上から骨格を確かめ、ちらちらと軋識兄さんの持つ鑿に目を映せば、「没収だ馬鹿」と怒られた。そしてくるりとあの男に目を移せば、「おい、大丈夫か?」と聞いた。そんな!不肖<サングラスですか!
「痛い。死にそう」
「舌が切れてなければ死なねぇよ。・・・もうお前帰れ。死にたくなければな」
むくりと男は起き上がって、不肖と軋識兄さんを一瞥し、君たちおかしいよ、と呟いた。何がおかしいんだ。意味分からんこの電波。帰れよ。
「そうだな、おかしいかもな」
「ええ?」
軋識兄さんの言う意味が分からず、横からその顔を盗み見ると、軋識兄さんはちょっとだけ笑っていた。その顔が少し満足そうで、不肖はますます分からなくなる。にいさん、と声を掛けようとすると、軋識兄さんの手が不肖の頭に乗せられた。
「ありがとな、景識」
・・・・・・あ。
この人に頭を撫でられるなんて、いつぶりだろう。鼻から血が出っぱなしで、あまりシリアスな雰囲気じゃないけど、懐かしくて涙が出そうになった。ああ、うん、この人が大好きだ。ずっと前から、この人だけが。
「・・・ブラコン」
お前まだ居たのか。
2009/3・26