■世界の片隅がもう見えない
君が好きだよ、と突然吐かれた台詞に眉間に皺を寄せて意味を理解しようとすれば、俺の顔がおかしかったのか、兎吊木はふっと息を吐くように笑った。
今、こいつ何て言ったんだ?たっぷりと数秒その言葉を頭の中で反芻しても、どうしてもその言葉の意味が悪態でない方向にしか行かず、俺はこれ以上とない程動揺してしまった。
「悪い、今の言葉がよく聞こえなかった。もう一度言ってくれないか」
「なんだ、外部担当の癖に注意力が足りないね。何度でも言って構わないよ。君が好きなんだ。愛していると言っても過言じゃない」
ますます意味が分からない。好き?愛してる?こいつはあれか。同性愛者だったのか・・・知らなかった。
いつも通りのチェシャ猫のようなにやにや笑いを浮かべた兎吊木の顔をまじまじと見ても、その表情にはこの状況を明らかに楽しんでいることだけしか伺えない。俺の反応を見て楽しもうという魂胆なのだろうか。そうだとしたら大層な自虐趣味だ。男に向かってそんな言葉を吐いているところを多数の人間に見られたら、確実に自分の立ち居地が危ないことになるに決まっている。無論、この死線のマンション内で見られる可能性のある人間っていうのは同僚であるパーティのメンバーだけなのだろうが、見られたら確実にこの男は今まで異常にハブられるだろう。ただでさえ退かれているこの男がこれ以上退かれたらどうなるんだろうか。学校などでよくある苛め状態になるんじゃないだろうか。別に構わないが。
さて、この後自分がする選択肢としては『そういうことに興味がないので断る』または『そういう冗談はせめて女に向かって使った方がいいと言う』辺りだが、どちらかといえば後者の方がいいのではないだろうか。下手に前者をとって「なんだよ冗談に決まってるだろ俺の本命が死線だっていうのはチームメンバーであれば百も千も承知だろうに、まったく君の頭の中に脳味噌はちゃんと入ってるのかい?っていうかこんな冗談本気にするなんて、もしかして君、俺に気でもあったのかい?気持ち悪いな」なんてカナリアのような高い声で延々馬鹿にされるのも屈辱だ。
そう、そもそもこのパーティのメンバーはリーダーである死線の蒼に恋のような感情を抱いている。少なくとも全ての事象において己より彼女を優先できるぐらいには。その筆頭をいくと言っても過言ではない変態ペド野郎と噂されるこの兎吊木垓輔が何の因果があって成人男性を好きになることがあるか。いや、ない。チーターのような少年相手に恋でもするなら「ああ、ロリも好きだがショタにも手を出したのか・・・やると思った」で納得できるというのに。何が起こってこの俺に。
冷静になればありえないことばかりで笑えた。早とちりしなくてよかった。冗談に決まっているではないか。アホらしい。
「そういう冗談は女に向かって使ったほうがいいんじゃないか?」
は、と嘲笑うように言えば、兎吊木はきょとん、と目を見開いて俺を凝視した。にやにや笑いも一瞬なりを顰め、オレンジ色のサングラスの向こうの眼球の奥で、一切の感情を抱かない男の情が一瞬揺らいだように見えた。
「何言ってるんだい」
「は?いや、だから」
「日本語が分からないのかい?さっきから君が好きだって言ってるだろ?なんでそれが冗談になるんだ?そもそも君を好きだって言ってるのに、なんで突然女の話になるんだい」
俺はもはやなんと言えばいいのか分からない。兎吊木は、はぁ、と頭を振りながら溜息を吐き、生白い手を己の額に当てた。
「君・・・ねぇ、俺が言う言葉イクォール冗談っていう形式になってるのかい?そこまで俺の言う言葉は冗談で形成されてないよ。むしろ俺の本心で一杯だよ?饒舌キャライクォール嘘吐きっていうのは偏見だからね?」
「いや・・・どちらにせよ俺のことを好きだって言うのはおかしいだろ?なんで好きなんだ?そもそも死線を愛してるんじゃないのか」
兎吊木は俺の返答に対して、「私のどこが好き?っていうのは付き合ってから聞く言葉だと思うんだけど・・・」とぶつぶつ言いながら、あからさまに肩を竦めて見せた。
「なんで俺が君の事好きになるのがおかしいんだい?君は俺の好みをすべて網羅しているのか?だとしたら大した自信家だね。その自信を手に入れるために俺の一日の行動パターンでも調べたのかい?俺のストーカーまがいのことでもしたんじゃないだろうね?ちょっと叫ばないでくれよここが死線のマンションだってことは流石に忘れないでくれ」
兎吊木の台詞の途中で気に入らない台詞があったので殴りかかろうかと思うと、兎吊木はしっと人差し指を唇に押し当てて俺に黙るよう促した。どうでもいいがその止め方気持ち悪いぞ・・・。
「まぁ君の好きなところは結構あるよ。まず俺は面食いだからね。美人や美形には基本的には目が無いんだ。まぁこのクラスタには美人や美形は一杯いるけど。クール美人が特に多いよね。ま、インテリ軍団だからそれもしょうがないけど」
ぺらぺらと語る兎吊木は相変わらず軽い。先ほどまでの会話の内容を忘れてしまいそうだ。まず男からの告白なんて始めてだから、むしろどうすればいいのか分からない。俺は兎吊木が何枚舌があるんだと思いそうな勢いでべらべらと語り捲くる間、どうやってこの男を軌道修正させようか考えていた。
「君結構童顔だし。あとそこまで筋肉あるのは好きじゃないんだけど、お前驚くほど細身だからね。無駄な筋肉が一切ないところとか好きだよ。あと生真面目で率直な所とか。あと自分に自信があるとことろかね。頭がいい奴は無条件で好きだから。まぁ他にも色々と好きなところはあるんだけど、一つ一つ説明していったら一時間かかるかどうかってところだからもういいかな?」
「はあ・・・」
「あと言っておくけど死線の蒼のことは愛しているよ。お前が死線の蒼に対して抱いている感情とほぼ変わらないと思う。お前のことを愛してるけど、死線に今すぐ地面を舐めろって命令されたらもちろんできるし。彼女を神のように崇めてるさ」
じゃあなんなんだよ、と顔に出ていたのだろう、兎吊木は再びにやにや笑いを口に浮かべて、彼女とお前は違う好きなんだ、と恋愛小説でありきたりな台詞を堂々と吐いた。
「付き合うのなら断然お前だよ。俺と死線はつりあわないから」
「・・・まぁなぁ」
暴君と兎吊木がつりあうとはまったく思わない。
「で?」
「は?」
兎吊木はにやにや笑ったまま、俺をじっくり見つめて言った。
「返事は?」
「断るに決まってんだろ」
何が面白くて男なんぞと付き合わなければならないんだ。
しかし、予想に反して兎吊木は俺の返答に満足したように「そう」と一言笑いながら言うと、諦めたのか俺の横をすれ違って部屋から出て行こうとした。妙に諦めのいい奴だな、と思って俺はぼんやりと兎吊木のいた場所を見ていると、突然、ぬるりと湿った生暖かい物体が自分の頬に触れた。
「はぁ!?」
気を抜きすぎていたのか、まったく気がつかなかった。驚いて身を翻せば、俺の隣で舌を出したまま兎吊木がにやにや笑っている。こいつ・・・もしかして舐め・・・!?
予想だにしない変態の行動に目を白黒していれば、兎吊木は「諦めるなんて一言も言ってないのに、無防備だねぇ」なんてけらけら笑いながら言った。
「俺がそんな聖人君子だなんて思われてたなんて光栄だ」
「う・・・うつりぎ、てめぇっ・・・!」
なんて・・・・なんて野郎だ・・・予想以上にこいつ・・・やべぇ・・・!!
ぞわぞわと体に鳥肌が立っていくのを感じながら、にやにや笑う兎吊木を睨みつける。「そういう顔も可愛いよ」などとぬかしながら、あっという間に部屋から出て言ってしまう。唾液が乾いたせいでぴりぴりと皮膚が固まった感触がして、急いで頬をぬぐう。やばい・・・やばい奴に目をつけられてしまった。
早鐘のように鳴り響く心臓の音を体で聞きながら、俺は今更兎吊木垓輔という同僚の危険さに気がついたのだった。
2009/3・15