■スローテンポ・ダンス
最後の授業が終わると教室のあちこちからつかれたー、だとか、あーだかうーだか言葉にならないような嗚咽が聞こえてくる。教師に用があったのか、すぐに出て行ってしまった教師の後を追っていく奴を筆頭に、鞄にすでに教科書を詰め終えた奴らが次々に教室から出て行く。あの俊敏さを見るからに、おそらく教科書を持ってないんじゃないだろうか。
教室掃除にとりかかる奴らを傍目で見つつ、俺は教科書を鞄に適当に突っ込んで、その場を後にした。じゃーな、と声を掛けてくる男子に手を振り、掃除は!?と言う女子に「俺担当ないもん」と言って昇降口に向かう。日はまだ高いが気温が下がってきていた。少し肌寒い。靴を履き替えて外に出ると、既に部活の準備に取り掛かる1年生がだらだらと笑いながら用具を引っ張りだしていた。
人、人、人。どこをみても人ばかりだ。今俺が隣とすれ違う1年生に、ちょっと、と声を掛けて、校庭の人気の無いトイレに連れ込んで、目にも留まらぬ速さで頚動脈をカッターナイフで断ち切ったって、誰もわかりゃしないだろう。でも、それは考えるだけに留めておくことにした。なんてったって俺は善良なる中学2年生なのだ。善良な中学生は妄想だけに長けている一般人。殺人鬼くんは身を潜めるに限る。
ぐだぐだ歩いて校門を抜けると、すぐ隣に外車が止まっていた。濃い赤色をした格好いいというよりは可愛いというか、どこか古い雰囲気のするセンスの良い車。残念なことにその車には見覚えがあった。ついでに、その運転席側の扉に背を凭れかけさせて立っている男にも。
「早かったっちゃね」
「大将」
麦藁帽子を目深に被っていた大将は、銜えていた煙草を地面に落として履き潰したサンダルでその火を消した。じゃりっ、と音を立ててそれが消える。俺はその行方を見ずに、赤い車に眼を向けた。
大将の持っている車の中の1台で、この間パソコンを見ていた大将が俺に「どれがいい?」と聞いてきたから色の好みで答えた車にそっくりだ。もしかして新しく買ったんだろうか。どうして金持ちってこうも車を大量に持ってるんだろう。まぁ、どうせ大将の場合はアシが多いに越したことはない、だとか、家族の車持ってない奴に貸したりだとかするためなんだろう、けれど。
大将は運転席にさっさと乗り込むと、車にエンジンを掛けた。反対に後部座席の窓が開いて、兄貴が顔を出す。「ほら、ぼーっとしてないで、乗りなよ」ならさっさと言え。
兄貴の隣に乗るのが何となく嫌だったので、助手席に乗り込んだ。大将は少し驚いた顔で俺を見たけど、結局何も言わずに、俺にシートベルトをつけるのを促す。俺も無言のままシートベルトを付けると、ゆっくりと車が動き出した。軽車より少し小さめの車だったから、後部座席に座っていた兄貴は少し腰をかがめていた。もっとでかい車あるだろうに。俺が大将に「なんでこの車?」と聞くと、大将はさっきの俺の思いを察知したようににやっと笑って、「なんだ、ベンツで来てほしかったっちゃ?」と笑った。冗談。中学校の前にあるベンツに乗り込む自分なんて。笑えない。
「善良な中学生なのに」
「どこが!」
大将はおかしそうに笑った。やけに楽しそうだった。振り向けば、兄貴も少し首を前に傾けたまま、口元を笑みの形にしていた。なんだっていうんだ、気持ち悪い。
「や」
街中に入っていったと思ったら、ビルの角で曲識さんを拾った。燕尾服じゃなくて気軽そうなスーツだった。何故か花束まで持っている。俺が助手席に座っているのを見ると少し目を見開いて、そして普段の少し眠そうな顔に戻った。「悪くない」何がだ。
「レン、狭そうだな」
「うん、なんでこの車にしたんだい、アス」
「馬鹿。人識が他の俺が持ってる車に乗り込む所見られたら変に目立つっちゃろ」
「何か悪いのかい?」
それ本気でいってんのか。
大将は兄貴の非常識ぶりに口元を微妙な感じに歪ませて、「学校ってぇのは集団から逸脱すると何でも厄介なもんだっちゃ」と溜息交じりで言った。大将は学校行ったことあるみたいな口ぶりだったが、曲識さんも少し目を細めるだけで黙ったままだった。
ふぅん、と理解したんだかしてないんだか、分からない声を上げる兄貴を無視して、俺はバックミラーで後ろの二人を見ながら、なぁ、今日どこ行くんだ、と聞いた。
兄貴は少し柔らかく笑みを作って、慈しむような声音で答えた。
「墓参りだよ」
曲識さんは音楽が聞きたい、と大将にねだっていた。
零崎の墓っていうのも一応あったらしい。街から出て、しばらく田舎の方へとどんどん進んでいくと、山のなかに墓地があった。整備されているものじゃなくって、少し開けた場所に乱雑に墓が設置されている。一応列が作られてあったけれど、階段は石のブロックを素人が適当に並べたようなもので、一段一段が斜めになっていて凄く歩きにくかった。
「何で今日」
「皆都合があったから」
簡単な答えに、ふうん、と頷いて、兄貴を先頭にずんずん進んでいく。足を止めた場所にあったものは、墓石、というより石碑のようなものだった。ただ名前だけが彫られている。
「この下って骨とか入ってんのか?」
「入ってねぇっちゃ。っていうか実際死んでるかどうかも分かってない」
「なんだそれ」
曲識さんが花束を石碑の前に置いて、四人でそれを見下ろした。まだ夕焼けには早かったけれど、山の中のせいか少し薄暗い。漢字が独特すぎて名前がよく見えなかったが、その中に知っている名前がぽつぽつと彫られていた。
「死体がなかなか無事に手に入らないっちゃからね。結構前に、本人は生きてたけど数年間連絡が取れない上に情報屋からそいつが死んだって聞いたせいで、ここに名前を書いちまったこともあったっちゃ」
「死んだと思ったらひょっこり帰ってきて、石碑に名前書いちゃったって言ったら拗ねられてねぇ。懐かしいなぁ」
「ふーん」
烏合の衆だし、仕方が無いさ。などと曲識さんは言って、それでも少し笑って、だが悪くないと、お決まりの台詞を吐いた。兄貴は懐かしそうに目を細めてしゃがみこんで、久しぶり、と微笑んで、石碑の表面をなぞる。大将は、といえば、兄貴のその姿を見てから、黙って一人でその場を後にしてしまった。
俺は兄貴のその細い背中を見下ろして、その良く分からない石碑を見た。冷たい石に刻まれた殺人鬼の名前をざっと眺めて、俺も大将の後を追う。
大将は坂の上にあった石碑の場所からどんどん下って、入り口に止めていた車まで戻っていた。その少し手前の石段に腰を下ろし、俺が来たのを見ると、黙って帽子を脱いだ。
山の向こうが少し黄色くなり始めていた。今何時だろう。大将の隣に同じように腰を下ろすと、上の方から曲識さんの歌が聞こえてきた。こういうのを鎮魂歌と言うんだろうか。どういう歌なんだか分からなかったけれど、久しぶりに曲識さんの歌を純粋に美しいと思えた。
「大将は兄貴みたいにしねぇの?」
「ん?」
「何かさ、死んじまった零崎の奴らに何か言うこととか」
大将は困ったように眉間に皺を寄せて、「でも、あそこに居る訳じゃないっちゃ」と現実的な大人の台詞を吐いた。
「寂しくねぇの?」
「・・・寂しいと思うか?」
大将は笑うだけで、何か吐露したりはしなかった。煙草、吸わないんだろうか。街の喧騒から離れて、ここはやけに静かだ。寂しいほどに。
「俺も死んだら、あそこに名前入れられんのかね」
「・・・そうだな」
「ま、どうでもいいか」
俺が両手を組んで背伸びをすると、大将はきょとん、とした顔をして俺を見て、困った顔をするかと思ったら、ゆるゆるとした笑みを浮かべて、くしゃりと俺の頭を撫でた。
「なに」
「いや、おめぇは自分が死ぬとかそういう話をしないほうが、いいと思っただけだっちゃ」
柔らかいその声を聞きながら、ああ、と俺は理解した。寂しい、なんて当たり前だ。大将はあの石碑の殆どの殺人鬼が、生きて死ぬ所を見てきたんだから。それは兄貴にも、勿論曲識さんにも言えたことだったけれど、大将は別なんだ、と思った。寂しいというよりは不安、不安というよりは心配。俺は声を出さずに笑った。
「大将、俺、数年間ぐらい居なくなることあるだろうから」
「・・・?」
「勝手に殺さないでくれよ」
それは、簡単な、あまりにもちんけな冗談のやりとり。俺だってそんな言葉一つで何が起こるとも思わなかったけれど、大将は、一瞬だけ、俺が見たこともないような泣きそうな顔をした。
「そうか。分かった」
「うん」
「死ぬなよ」
「死なねーよ」
夕焼けが迫ってきていた。遠くから聞こえる唄が止んで、静寂が降ってくる。赤い車が光りを反射してつやつやと光っていた。
2009/4・25