■ブラックボックス
ねぇぐっちゃんにしかできないお願いがあるんだけど、聞いてくれる? と死線に尋ねられたら俺達は返す言葉は一つしか無かった。もちろん言葉は俺の知らない言語を含めれば何百何千とあるだろうから一つしかないというのは語弊があるが、それにしたって全て肯定であるということ以外に違いは何も無い。
「はい。なんなりと仰ってください」
「いいお返事だよぐっちゃん。本当にぐっちゃんは良い子だね。撫でてあげる」
よしよし、と彼女は小さな掌で俺の頭から頬にかけて優しくなぞる。何もしていないうちからご褒美とはどうやら機嫌がいいらしい。俺は膝をついたままベッドに腰掛ける彼女に頭を垂れる。
「何をすればよいのでしょうか」
「あのね、さっちゃんの家に行って、私が4ヵ月と二十日と十五時間四分二十八秒前に上げたデータディスクをね、取ってきて欲しいんだ」
先ほどのように「はい」と答えればいいものを、反射的に声が出せなかった。何故兎吊木の家にあるものを兎吊木ではなく自分に持って来るよう言うのかということがまず分からなかった。しかし死線は困惑する俺ににこりと、言いたいことはなんとなく分かるよぐっちゃん、と笑った。
「本当はもうさっちゃんには言ってるんだよね。あれが今ちょっと必要になったから持ってきてちょうだい、って。でもさっちゃん、無くしたって言ってるんだ」
「無くした……?」
「多分嘘だけど」
だから、家宅捜索なんだ。死線はそう意地悪そうに微笑んで、で、行ってくれるよね? と俺に問う。今度こそ俺は即座にはい、と頷いた。
◆◆◆
兎吊木に死線が連絡したのが一昨日のことだったらしい。彼女は兎吊木に例のデータディスクを持ってきて欲しいと頼んだところ、兎吊木は明日までには用意しておきますと抜かした癖に、昨日になって「申し訳ありません死線の蒼。俺としたことがデータを紛失してしまいました。バックアップが幸運なことに残っているのでそちらを解析・解凍した後にお送りします。またはデータディスクが見つかるという場合があれば、そちらをお送りします」などと飄々と言ってきたらしい。死線は別に、今すぐそれが必要というわけではないらしい。しかし死線の見立てでは兎吊木はデータを寄越す気が無い、らしいのだ。
兎吊木の死線へ対する嫌がらせ、否、面倒をかける行為は今までに度々あった。死線の手を煩わせるなど万死に値するが、兎吊木は善意でやっているのだとぬかしやがる。死線のような万事が予想できてしまう人には、たまにはお楽しみがあったほうがいい、などと。お楽しみなわけがあるか頭おかしいんじゃねぇのかと言っても兎吊木はどこ吹く風だ。頭のお堅い番犬どもに、死線も飽き飽きしてるだろうさ、と兎吊木は笑う。
◆◆◆
兎吊木のマンションに俺が突然押しかけても、そいつは驚きもせずにがらんどうの部屋に唯一置いてある椅子に優雅に座って、よう、と片手を上げてうっすら笑っただけだった。相変わらず無自覚で病気にかかっている男だ。
「おつかいかい? 迷子の子猫ちゃん」
「その首噛み千切られてぇのか兎風情が」
「おっと、立派な肉食獣だったらしい」
けたけたと笑って兎吊木は怯えるように肩を竦めた。動きが全て嘘臭いところが嫌いだ。
「失敬。猫というより犬だったし、子供でもなかったな。残念無念」
「死線のデータはどこにある」
「そう牙をむき出しにして唸るなよ。餌をもらえてないのかい? 可哀相に。飢えているんだな」
「てめぇの肉は不味そうだが喰い散らかされてぇんならやってやろうか」
「痛いのは我慢できるが死ぬのは嫌だな」
兎吊木はやれやれ困ったものだ、と呟いて、椅子に悲鳴を上げさせながら顔を上げた。
「この部屋から出て廊下を右に曲がって、その突き当たりの部屋に、確か置いてあるはずだよ」
「……」
やはり、兎吊木がデータを紛失したという話は嘘だった、という死線の見立ては当たっていた。俺の睨む視線に気付いたのか、兎吊木はくつくつと笑う。
「なんだよ、何で睨むんだ?」
「自分で探して渡して、謝罪するのが筋だと思うがな」
「なんだ、そんなことか。関係ないじゃないか。別に、俺が持って行こうがお前が持って行こうが死線には何ら問題は無いし、俺が探して持っていくよりお前が探して持っていった方が早い。それにお前が持って帰ったら死線に喜ばれるんだぜ? 俺に対して感謝して欲しいぐらいだ。死線に褒められる機会を与えて貰えるんだからな」
くだらない話に付き合ってられない、と思って返事はせずに部屋から出た。感謝しろだと? 相変わらず狂ってやがる。俺がどう喜ぼうが死線の手を煩わせた時点で俺もお前も同罪だ。
兎吊木の言っていた突き当たりの部屋はすぐに見つかった。鍵は勿論かかっておらず、すぐに開いた。が、中を見て唖然とする。倉庫か何かと思ってしまうほど、散らかっている。
物が、散乱している。溢れかえっている。 先ほどの兎吊木の居た何も無い部屋から、椅子以外のものを全てこの部屋に押し込んだ、と思えばあの部屋がああも何も無いと言うのが納得だ。
部屋の中には棚という棚がまるで図書館のように設置されていたが、本当に何のためにあるのか分からないようなガラクタが、と言ってもいいほどバラバラな物体がぐちゃぐちゃに、しっちゃかめっちゃかに置いてある。
「……こんな部屋に死線のデータディスクを置いてるって時点で卒倒もんだな……」
足の踏み場はあるが、否、足の踏み場しかない、と言った方が早い気もする。どこから手をつければいいのかさえわからない。やはりこれは、掃除からやらなければならない、ということだろうか……。
気がつくと兎吊木がドアの前に立っていた。お前、と俺が睨みつけると、ほら、と何か袋を差し出してきた。
「ゴミ袋、必要だと思ってね」
「……てめぇもやるんだよっ!」
◆◆◆
この部屋の惨状を見ると、なるほど、死線が俺を遣わせたわけだ、と納得してしまう。チームのインドアなメンバーが、しかも自分の道を外れない頑固者ばかりときたパーティが、兎吊木の部屋を掃除するとは思えない。もしかしたら既に俺の前に誰かが来て、この部屋を見てから「やっぱ無理」となって帰って報告でもしたのかもしれなかった。
「おや」
要らないものをとにかく片っ端からゴミ袋に突っ込んで行く作業は大して苦ではなかった。そもそも八割方が要らないものに思える。ゴミ袋に入れても兎吊木は「それは捨てちゃ駄目だ」とかなんとかは言わなかった。言い出したら張り倒してやろうかと思っていたが、兎吊木はどうやら惚れやすく冷めやすい性質らしい。
「おい俺の話を聞いてくれ」
「なんだよ煩ぇな。喋ってる暇があるんなら早く手を動かせ。それともデータディスクが見つかったか」
「これ、お前にあげるよ」
あ? と振り向けば、兎吊木が何かをぽんと投げてきたところだった。思わずそれを反射的に掴む。それは丁度手に収まる大きさの黒い箱だった。
「なんだこりゃ」
「さぁ、何だろうねぇ」
兎吊木はにやにや笑って、でも、確かそれは俺の母親の形見だった気がする、という。形見ぃ? と俺はあからさまにいやな声を上げて、それを再び兎吊木に投げつけた。黒い箱は俺に背を向けて大量のUSBメモリを整理していた兎吊木の背中に当たって床に墜落する。いてぇ、と悲鳴を上げる兎吊木は、「形見だって言ったのに」とぶつくさ言って、それをまた拾い、俺にまた投げつけた。そして俺はまたそれを掴んでしまう。
「いらねぇよ。形見なら死ぬまで大切に持ってろ」
「俺はお前みたいに家族を大切にするような奴じゃないからね。いいじゃないか。貰わなくたっていいよ。本当に要らないなら帰りにゴミ箱にでも捨ててくれてかまわない」
「今ゴミ袋に入れればいいだろ」
「すぐこの家から追い出したいものなんだ」
「忘れてたくせにか」
「思い出したら、いやになったんだよ」
兎吊木は少し黙ると、ああ、そうだ、と声を張り上げた。
「今度はなんだ」
俺が黒い箱を手持ち無沙汰にしていると、兎吊木はにこりと笑って、「すまん」と一言謝る。
「死線から頂いたデータディスクをこんな部屋に置いておくわけがなかった。そういえば俺の作業部屋の神棚に置いておいたんだった」
俺は再びその黒い箱を投げつけた。今度は兎吊木の顔面に向けて。
◆◆◆
いやぁありがとう、随分部屋も綺麗になったよ式岸が来てくれて本当に助かった。そうぬけぬけと言って兎吊木はにやにやと笑う。こいつの笑顔を永久に消し去る方法は無いんだろうか、やっぱり殺すしかないのかと思いながら、俺はへぇへぇそりゃ良かったなゴミ野郎と言って兎吊木の手からデータディスクをもぎ取る。懐に丁寧に仕舞い込んで、じゃあな、とマンションを後にしようとすると、兎吊木がおい忘れものだぜ、と先ほど発掘された黒い箱を俺に再び投げ渡してきた。さっきから思っていたが母親の形見をこうもぽんぽん投げていいものなのだろうか? その息子の顔面に投げつけている俺が言う台詞ではないかもしれないが。
「っていうかこれ、何なんだ。中身は」
「俺は開けたくないから開けないなぁ。まぁ、俺からお前への単純な贈り物とでも思っていてくれよ。形見と言ったがあの女がそれを使ったのは人生で一回ぐらいだろうから、きっと垢とかはついてないよ。今回掃除してくれた代金だとでも思ってくれ」
「垢とか気にするぐらいてめぇは潔癖症だったか……?」
「知らなかったのかい? 俺は結構綺麗好きなんだぜ」
俺は今日掃除した部屋の惨状を思いだしながらそうかよ、と言ってその場を後にすることにした。これ以上あいつの意味の分からん会話に付き合っている暇は無い。
「じゃあまた、掃除でもしに来てくれよ、式岸君」
「ぶっ殺すぞ」
やっぱりそれが目的だったのかよ、と思いながら死線のマンションへの道を急ぐ。これ以上怒りが噴出したら今すぐ飛び掛って兎吊木の首の骨を折ってしまいそうだった。
◆◆◆
俺のコートのポケットには兎吊木が寄越してきた黒い箱が入ったままだった。道端に捨てようかとも思ったが、道の途中にある公園のゴミ箱に入れた方がまだ不謹慎ではあるまい、と思う。否誰に対して不謹慎であるかどうかは、分からない。そもそも兎吊木の母親が生きているかどうかさえ分からないのだ。妹がいる話は聞いていたので、その二人は生きていると考えられるが、親はどうなのだろう。あの男の親だ。碌な奴じゃないだろう。形見という言葉は大抵死んだ人のものであるというイメージだが、兎吊木は今日のように平気で嘘を吐く。母親生きてるのかと聞いたら生きてるよ勝手に殺さないでくれよと笑うかもしれない。それを想像しただけで吐き気がしてきた。苛々する。
公園に着いた。俺は箱を取り出して、捨てようとしたが、ふと中身が気になった。兎吊木は開けたくないと言い、しかし形見であるということは特に気にするな、と言っていた。そもそも親の形見というものが何が一般的なのか分からないので、中身の想像ができない。自分の両親など俺は覚えていなかったし、零崎の《両親》の場合物を残していなかった。そう考えると、俺は大分物を残していると思う。殺人鬼の癖に、笑えるな、と自嘲した。いや、こんな殺人鬼になってしまったのは、きっと双識のせいでもある。あの、家族が大切で仕方が無い兄は、今日も至る所に自分の形見を残している。心や記憶に。
「……笑えねーっちゃ」
俺はその兎吊木の親の形見とかいう黒い箱を、中身も見ずにゴミ箱に捨てた。死線から頂いたものならいざ知らず、あんな男から貰ったものを大切に持ってやる義理など無い。
ばきっ、と嫌な音がして、黒い箱の蓋を止めていた金具が壊れた。やたら投げたりしていたせいだろう。案外脆い。箱は真っ二つに割れて、無惨にも中身を露呈させた。
中身は結婚指輪だった。高価そうなダイヤモンドの指輪が光っている。適当に放置されていたせいで中身には細かい埃が入っていたが、それなりに価値のありそうなものである。俺はそれを見下して、本当に笑えねぇな、と言うしか無かった。ゴミ箱を漁る男として近所の人に見られるのはいやだったので、この可哀相な結婚指輪の行方は、明日のゴミ収集しに来た地域の人に任せることにした。
2011/3/20
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