■凍りつく涙をいくつ振り切ればこの夜に別れを告げられるのだろう



 蒼はいつ見ても綺麗だった。彼女の蒼い髪を梳く時、私の心は天にも昇る気持ちだ。彼女の蒼は劣化の証と誰もが言うが、そんな彼女が愛しくて堪らない。柔らかなその髪に触れたとき、彼女の一部が自分の手の中にあるというとき。幸せだ。彼女の指先がシーツをなぞって、私の体に触れたとき。柔らかな小さな唇が私の名前を呟くとき。幸福という概念が全てと言える一切に切り刻まれる空間。
 死線の寝室。
 この世の天国。
 楽園。
 ユートピア。
 シャングリラ。
 それらは全てイクォールで繋がっている。海がこの世にある限り。空が蒼い限り。この世の全ての事象が蒼という全てに愛されている間、私の世界はどこまでも美しい。
 それでも、蒼にだって不機嫌なときはある。眉間に寄せられた皺、明らかに怒気を孕んだ眼球。その口調。嵐の来る前兆。屍はただ、押し寄せる波と風に、その身を曝すことしかできない。
 「なっちゃん、私の話をちゃんと聞いてるの?」
 蒼は、一度そう言って私を睨んだ。小さな手がベッドのシーツを握り締めるのをやめて、、床に傅く私の頬へと添えられる。ついっと顎へと指先が動かされるのにしたがって、顔を上げると、彼女は笑っていた。彼女はいつだって笑っている。不機嫌であろうと、ご機嫌であろうと。
 「聞いてますとも、蒼」
 「嘘つき。なっちゃんは駄目な子だもの。私の言うことなんて全然聞いてない。分かってない。欠片たりとも理解なんてできてないんだね」
 蒼の台詞はどうとっても八つ当たりに過ぎない。それでも、その怒りの矛先が自分に向けられるのすら快感でもあった。顎を撫でる指先が、するりと離れた。冷たい指先が離れる瞬間、まるで地獄にでも突き落とされたかのような絶望感が身を襲った。彼女はベッドの上に座ったまま、冷ややかに私を見下ろしている。
 「そんなことはありません、蒼。お願いです。機嫌を直してください」
 「なっちゃん、あのね、私は何もなっちゃんに何か悪いことをしたいわけじゃないの」
 言いたいことが分からないの?蒼はゆっくりと私を切り離す。ただ、その苛々とした蒼い瞳が私の心の臓を抉った。
 「蒼」
 「悪い子」
 叱咤する声に続いて、蒼は静かに言った。
 「床の上に上向きに寝転がって」
 「はい」
 私は間髪いれずにそう答え、服に皺がつく事も気にせず、床の上に転がる。薄暗い室内に、ベッドの上から私を見下ろしてくる蒼の顔を見えた。蒼は私を確認してから、ゆっくりとベッドから降りた。そして私の上に、私の肉体を両足で挟んで、腹の辺りで立った。白い、細く柔らかそうなふくらはぎが、男ものの黒いコートの中にすいっと艶かしく生えている。まるで百合のようだと想った。
 彼女はゆっくりと身を下ろし、膝立ちになった。そして私の腹の上に腰を下ろす。私がそれを何もせずに黙ってみていると、うふふ、と彼女は笑った。
 「私は、あのね、女の体って嫌いなんだ」
 「何故ですか?」
 「子供を孕むというのが嫌い」
 彼女の幼い手が、私の腹部に押し当てられる。そして何の前振りもなしに、白いワイシャツのなかに、冷たく小さな彼女の手が侵入してきた。
 「子宮というものが嫌いなの」
 それは貴方がそういう生まれだからですか、と心の中で思う。彼女は柔らかく微笑み、すっと身を私の上に横たわらせた。胸の上に彼女の未発達な肉体が押し付けられ、可愛らしい顔がそっと私の顔に寄せられる。
 「キスは駄目」
 「ぁっ・・・」
 ふっ、と彼女の吐息が私の唇にかかる。それだけで惨めな私の体がびくりと震えた。ふふふ、と彼女が可愛らしく笑う。
 「いやらしい子」
 「蒼、お願いです、慈悲を」
 「だめ」
 彼女の、まるで海のような深く暗い青を宿した眼球が、細められて笑んだ。
 「使えない死体は何も動かずに死んでなさい」
 あんまりです!彼女は悲壮な顔をした私を一笑して、服の中に入れた小さな手を好き勝手に這わせた。穿いていたスカートを捲られ、ワイシャツのボタンはとられた。私の体は死んでしまったかのようにぴくりとも動かない。
 「このままお前の子宮を抉り出してしまおうか」
 そうしたら私の大切なお友達が他人の肉なんて孕まなくて済むんだからね。彼女は柔らかく笑う。
 「私も、蒼以外を体に入れるなんていやです」
 彼女はすっかり機嫌をよくして、可愛いと私を褒めた。そっと唇に押し付けられた彼女の口にむしゃぶりつこうとすると、いじきたない、と私を詰った。いつも通りの、優しく可愛い笑顔だった。
2009/6/23


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