■ソナタとララバイ
 「やぁ」

 電話越しに男はそう言って笑った。
 吐き気がする。
 「何の用だ。害悪細菌」

 「行き場の無くなった哀れな化物をからかうため?」

 みしっ、と握り締めた携帯が軋み、その音を聞き取ったのか、その向こうの無機質な声で、男は、ははは、と嘲笑うように笑った。
 「切るぞ。お前と会話できる場合じゃない」

 「隠れ蓑を作るため?それとも殻もなくなったから生きていくことも困難か?でも無理だろ?殺人鬼なんて生きてる限りやめることなんてできないから、あんな集団作ったんだろ?病気・・・そう、病気が治らないのに病気が治るわけないじゃないか。文脈的にはおかしいけれど、間違っていない気がするのはどうしてだろうな、ふふふ」

 「黙れ。お前には関係ない」

 「式岸軋騎になろうったってそうはいかないだろ?」

 電話の向こうで、男は笑う。

 「死線から捨てられたのに式岸軋騎になれるわけがない!死線はもう俺達を必要とはしない。けっして。だって『いーちゃん』がいるんだからな。同じように、『いーちゃん』がいる上で俺達を必要ともしない。何故か?要らないからだよ」

 「自虐か?一人でやれ」

 「両腕両足ぶった切って殺人を犯せない状態になったら殺人鬼もやめざるを得ない状態になれるかもしれないけれど、残念だがお前にそう上手い話は無い。何故なら死線から捨てたものとはいえ勝手に傷つくことは許されていないからだ。人に頼むのも無し。さぁどうする?答えは簡単だ。殺人鬼として死ねよ。あの橙とやらに特攻かましてこい。一賊全滅でお前らの話は終わりだ。お疲れさん」

 「・・・・・・・・」
 男は笑う。

 「おいおい黙るなよ。そう怒るな。冗談だよ。好きに生きて好きに死ねよ。どうせ会うことは無いだろう?そもそも聞いた話じゃ名前も無い橙とかいう奴の目的は『零崎殲滅』だろ?逃げ回ってもいつかはお前を殺しに来るさ。ちょっと部屋でコーヒー飲みながら死でも待つといい。走馬灯が長い時間みれるぜ」

 「死線の元へ行かずとも、名前だけは使える」

 「おや、珍しい。死に方の分からない殺人鬼だったくせに生きる道を選ぶのか。まぁ死に方が分からないからといって死にたがり屋というわけではないから、別にいいけれど。ふぅん、生きるのか。じゃあそんなお前にビッグニュースだ。楽しい、地獄にも行きたくなっちまう楽しい話を教えてやろう。耳を凝らして聞くといい」

 「何だ」

 「死線が死ぬ」

 「・・・・・・・・・・・・・・・」

 「残念だが冗談じゃない」

 それでも、向こうの男は笑っている。
 冗談だとしか受け取れないその言葉と声音で、さらりと水に流すような気軽さで、男は言った。
 「まさか」

 「なんで死ぬかはご想像にお任せしよう。というわけで、これだけは言わせてくれ。『お前は来るなこの殺人鬼』」

 「・・・・・・・・」
 受話器越しに、男の笑う声がする。

 「別に死線がお前に来るなと言ったわけじゃないから、正式な命令じゃない。俺の独断だ。名前を捨てる?生き方を捨てる?そんなことが簡単にできると思っているのか?お前は死線に心酔しているから別にいいが、もしもお前が死線に会いに行ったとき、橙が来たらどうする?狙いはお前だけかもしれんがその飛び火が来るのは御免だ。勝手に死んでくれ」

 「・・・・・・・そうだな。分かった」
 受話器の向こうの、男の笑い声が止まる。

 「意を決したのか。どうするんだ?」

 「逃げる」

 「・・・・・・・・・何で?どうやって?」

 「式岸軋騎のまま、世界一周でもしてみる。あの橙がどこまで追いかけてくるか見てみても良い。死線の所には戻らない。俺に彼女の前に出ることはできない」

 「・・・・・・潔すぎて逆に俺がなんか悪い人みたいな気がしてきたんだけど」

 「そもそも今までの言動の時点でお前が良い奴か悪い奴かてめぇの胸に手を当ててゆっくり考えてみろ」

 「・・・・・・そうか。行くのか」

 「ああ。それじゃあな、名前も知らん赤の他人」

 「・・・・・・それじゃあ、死ぬなよ」

 「お前の言うことは分からん」

 携帯をたたむ。ついに静寂に満たされたマンションの中、俺はのろのろと床に座り込んだ。冷たい。
 視線を少しずらせば、テーブルの上には零崎の女の奴の私物だろう、ファッション雑誌がのっていた。食器を洗うことも無く出かけた、空のマグカップ。煙草の吸殻が一つだけ入っている灰皿。赤い携帯電話。黒いDS。スケッチブック。短編小説。
 関東の方に住み着いていた家族の私物。一つとして自分のものは無い。
 きっと、会ったことの無い殺人鬼もいただろう。知らないうちに家族になって、知らないうちに既に死んでしまったかもしれない。
 外国にも、殺人鬼がいるだろうか。肉親も恋人も友人も持つこともできず、人を殺すことしかできない、人外の鬼。
 そんな奴らは、もしかしたら、零崎に出会う前の己のように、一人きりで死ぬ方法を模索しているかもしれない。
 橙が来ても来なくてもどちらでもよかった。奴らを見る限り、零崎が憎いという感情も見られなかった。そもそも他人に憎まれるようなことさえも俺たちは許さなかったのだから――――奴らが零崎を襲ったのには、違う意味があったのだろう。もしかしたら、意味さえも無かったかもしれない。
 とりあえず、どこにいこうか。金は有り余っているし、他に使う予定も無い。ああ、零崎全員の墓を作ってもいいな、と思った。自己満足だったが、俺たちにも最後ぐらい居場所があってもいいだろう。
 俺は中に置いておいた緊急用の通帳とその他必要なものを適当に持ち、スーツに着替えて外に出る。近い空港はどこだろうか、などとマンションの前で視線を宙に向かわせると、ぽん、と肩に手が置かれた。
 「なぁ兄ちゃん、クラッシュクラシックってどこにあるか知ってるか?」
 その名前に、ぎくりと体が強張る。ああ、そうだ。そこにも寄るべきだったな、などと思い出しながらふと振り返った先、俺は言葉を無くした。
 「あれ?あんたあの時の」
 唐突に現れた赤色に俺は一瞬全てを忘れ―――――その手に持たれていた黒いマラカスに一瞬意識を飛ばしそうになった。
2008/3・12


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