■ソニアとレクイエム
 
 ステージの上、唯一はっきりとしたライトで照らされるピアノの椅子の上に腰を掛けながら、零崎曲識はカウンターの前に座り何も言わずに酒を煽る一人の男にゆっくりと視線を向けた。男はさすがに普段のラフな格好で来るのを躊躇ったのか、深い漆黒のスーツに身を包んでいる。客の一人も居ないピアノバーの中を察するに、その日は休業で、男は店主である零崎曲識の知り合いであるが故にこのような貸切状態になっているのではないか、と考えられる風景だ。
 「お前が―――――殺した餓鬼の内臓を体に巻きつけるあれって、今更だが何の意味があるっちゃ?」
 しかし、それでもキャラ作りを止めない男―――零崎軋識に返す言葉を捜しながら、曲識は肩を竦めて見せる。細く滑らかな曲識の指が艶やかに光を反射する純白の鍵盤の上を撫でた。
 「趣味だよ」
 「・・・あんまり感心できない趣味だっちゃね」
 「そういうアスの感性は悪くないだろう」
 頷きながら、ゆっくりと鍵盤を押す。ぽぉん、と高い音をピアノが発せれば、バーの中に反響して空気を振るわせた。
 「だが、そう頭ごなしに感心できない、なんていう言葉を使うことはお勧めできない。近頃は切れ易い若者が増えている傾向があるらしいからね。うっかり会話の中で相手の癇に障る言葉を発してしまえれば、最悪、殺さなければならなくなる」
 単調な音が吐き出されていたピアノからは、段々と音の繋がりが溢れ出ていく。低音と高音が織り成す音楽が緩やかに重なり合い、スピーカーから吐かれるその音から店内は一気に騒がしくなった。
 騒がしくなる、と言っても曲識の奏でるその音楽は優しくゆっくりとした曲調で、ここにカップルがいたら酷くロマンチックな雰囲気になるであろう空気に室内が犯され始めた頃、耐えられなくなったように「わかったっちゃ――――」と、溜息混じりに軋識が声を荒げた。
 「さっきのは失言だっちゃ。・・・謝るっちゃ」
 「アスはこういうのが嫌いだったかな」
 子供をあやすかのような優しい微笑を浮かべて、曲識は指を止めた。急激に静かになる店内に、響き渡るような声で曲識が呟く。
 「作詞作曲――――零崎曲識。作品No.19、アコーレーサー」
 宣言にも似たそんな言葉を聞き、軋識はアコーレーサーって何だ?と心の中で思いながら、ゆっくりとステージから降りてくる長髪の男を待つ。曲識は自分に酔ったかのようにふらりとカウンターの中へと入りこむと、己用のグラスを持って、再びカウンターから出てきた。
 軋識の隣に腰を下ろし、平然とした顔つきのまま、優しくその柔らかなテノールの声で歌うように言葉を紡ぐ。一々動きが気取っているようなのが気になるが、いつまで経っても変わらないな、と軋識は内心笑いながら曲識のグラスへと透明な色のカクテルを注いだ。
 「昔からベタベタな恋愛ものにはゴミを見るかのような目で見ていたと記憶しているけれど――――あれは君が奥手故かそれとも恥ずかしがりやなのか判別がつかなかったんだが」
 「・・・ああいうのは真顔でみれねぇだけっちゃ。そもそも、殺人鬼が恋だの愛だのと――――」
 軋識は言葉を濁しながら、グラスの中に入っていた残りの酒を一気に煽った。続かれる言葉を思って、曲識は「悪くない」と微かに笑みを洩らしながら呟く。柔らかな明りしか灯っていないカウンター席では相手の顔ははっきり見えない。
 かち、とグラスがボトルとぶつかる音が響いた。
 「姐さん達のあれは違うさ。子供を残そうとする本能から僕らはああいうのに反応しがちだが――――彼女らのあれは憧れなんだよ。幸せな家庭という夢に関してはああいう恋愛が必要不可欠なんだ。分かるかい」
 「お前が何を言いたいのかが分からんっちゃ」
 呆れたような軋識の顔を仰ぎ見て、曲識は優しく笑う。
 「アスは子供が欲しいと思ったことは?」
 「ない」
 「だろうね。悪くない」
 くつくつと笑いながらその言葉を享受すれば、不貞腐れたように軋識がカウンターに突っ伏した。ほの暗い明りに照らされた男の耳はいやに赤い。
 「そういうのは、よく、わからん」
 「それでいいさ。それのほうがいい。僕にとってはね」
 曲識はそのピアノを弾くせいか常人よりも長い指先を軋識の髪に絡ませた。脱色した白髪が橙色のライトに照らされて柔らかく暗闇に浮かんでいる。
 零崎の中で一番結婚しそうな人物は?と言われたら昔は軋識だろうと断言していた気がするが、今となってはそんなことがあったら寂しくて耐えられないかもしれない。
 「実を言うと、僕はアスが殺人鬼でよかったとか、思うんだよ」
 「・・・・・何を突然言い出すっちゃか」
 呆れた顔で睨まれるのに紛らわすように酒を煽り、曲識は困ったように微笑みながら、肩を掴み力ずくで軋識の体を起こさせた。
 「嫉妬だよ。兄さん」
 「っ、・・・・・!」
 そこでようやく、酒の影響以外の力も加わり、自分の体に力が入らないことに気づく。頭がくらくらすることが置いておいても、指先がぴくりとも動かない。
 「と、き」
 震える喉が音を吐くが、優しく微笑んだ曲識が、軋識の唇ごと音を奪ってしまった。
2008/2・18


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