■一個目は、同情 二人目は崇拝 三つ目は、嘆く声が聞きたくて 
 死線から、永遠とも思えるようなお暇を出されてから一週間。
 元々無職に近かった式岸軋騎はそこで命を絶ち、それからは完全に零崎軋識として生きるようにした。
 二つだったのがおかしかったのだから、今こそ本来の姿になったと言っても過言ではないだろう。
 チームのメンバーも、今やまっとうに―――まっとうな生き方が出来ない奴は、今まで通りサイバーテロリストまがいのことを一人だったり二人だったりでやったりして―――生活を始めているようだったし、そもそも人付き合いが宜しくなかった式岸軋騎としては、飼育係だったクソ餓鬼以外とは殆ど縁を切ったと言ってもいいだろう。飲み会なんてそんな仲良しなことを死線亡き今、やることもないだろうし。
 己の住処としている京都の高級マンションのエレベーターに乗り込み、上へ上がるためのボタンを押しながら、そんな考えをすっと頭から追いだす。
 ――――いや、いたか。繋がりがある人間が。
 脳裏に思い出されるのは薄ら笑いが酷く似合う、女顔の人を食う兎男だ。気が向けば家にやってきて、特に何もせずに帰っていく。何かすることもあったが―――そこはここでは省略しておこう。大部分は死線に捨てられたことによっての愚痴や、いーちゃんに対しての恨みやつらみばっかりだ。あえて言うのならば己も言いたいところなのだけれど―――しかし、そこは口を裂いてしまったら負けだと思う。
 「(――――でも、そろそろ、追い出さなければ―――)」
 気に掛かるのは、偶に転がり込んでくる家族達についてだ。今の所、兎吊木と接触しているのは双識を初め2、3人程度。殺人鬼と2、3人と知り合いなのからして色々おかしいが、仕方がない。まだ気性の荒い連中には運良く会ってはいないようだが、兎吊木がひょんなことで殺されることなんて無いとは言い切れない。
 死線に捨てられたとはいえ、『死線の捨てたもの』としては永遠と逝き続ける。勝手に死なれては、死線もお怒りになられるはずだ。今にもなって未だ彼女のご機嫌を気にする自分に嫌気がさすが、もう今更である。
 軋識は停止したエレベーターから降りると、一直線に己の住処へと足を伸ばした。玄関においてあるのが白い靴一足だけであれと願いながら扉を開ける。
 しかし、軋識の健気な願いははずれ、そこに整理されておいてあるのは見慣れた長兄の革靴と、そして願ってしまった兎の靴だ。せめて一つだけであれと思ったのに、こういうところで願いは報われない、と肩を落とし、しかし、そこで違和感に気がつく。
 馴れた匂いが鼻腔を擽った。立ち込める、まるで母体の中の赤子に戻ったかのような血生臭さ。やわらかい、ねとつく空気。纏う、その一本の刃のような殺意。
 「――――――――――・・・・・・・ば、か、なっ」
 靴を脱ぐことさえ忘れ、がつがつと革靴の底がフローリングを殴る。
 近い扉を開ける。リビングに繋がっているそこには、人影はない。
 走る。
 忠告はしていた、筈だ。殺してはならないと。だからこうして兎吊木は生きてきていたのだから。
 ならば何故――――いや、まだ、誰かが死んだとは限らない。兎が死んだとも、限ってはいない。
 しかし、廊下を曲がった時点で、己の部屋の開かれた扉の先から赤い液体が川の様に流れ出ていて。

 「レンっ!」

 覗いた部屋の先に立つのは、見慣れた背広姿の長兄、零崎双識と。
 紅を吐き出し続ける、首なし死体。
 「――――――――・・・っ」
 「おや、おかえり、アス」
 平然と、双識は返答した。当たり前だ。殺人鬼なのだから。
 殺人鬼なのだから――――――人を殺すのは、当たり前だ。
 人を殺さない殺人鬼なんて――――おかしい。
 しかし、軋識の目の前の惨状は、確実に起こるだなんて思っていなかったのに。
 白いスーツは血を吸って赤く彩られていた。床に放置されてある白髪の首に少し離れた所に、薄いオレンジ色のサングラス。
 「兎吊木―――――垓輔、だ、な?」
 双識は、少しだけ、参ったな、と顔を顰めさせた。
 「うん。ごめんよ」
 何に対して謝っているのか、分からない。軋識は少しだけ怪訝そうな顔をして、自殺志願を手に持つ双識を伺った。
 「殺したかっただろう?彼のこと」
 記憶から掘り返されるのは、兎吊木に対して吐いていた、殺意。仕事のためだから、殺せないと、愚痴っていた記憶。
 「あ――――――・・・」
 双識は、ぽかんとした軋識に小さく笑いかけ、そして囁く。
 「仕事、終わったんだろう?もう再開することはないって―――――氏神さんから、聞いたよ」
 情報網と――――認識の、違い。
 死線に対しての、俺達と、世界の認知の、違い。
 だくだくと溢れる紅と、立つ殺人鬼。
 間違ったのは、俺だ。
 「いや――――――――――、殺してくれて、ありがとう」
 家族はそれはもう楽しそうに笑ってくれた。その笑顔に一抹の悲しみがよぎったことを、俺は、知らない。







 そして7ヶ月が経った。
 兎吊木垓輔が死亡したことは隠蔽した。隠蔽した、とはいっても必要以上にやると元仲間達に何かつつかれるかもしれないので、氏神に頼む程度のことを、各方面に連絡して、時間差を作らせた。
 幸いなことに飼育係はそれに関してはスルーしたらしく、つっこみをいれられることはなかった。元々飼育係は兎吊木のことが大嫌いだったから、特に報告することも無いと踏んだのだろうか。
 愚神礼讃を玄関に放置し、リビングのソファへと身を沈ませる。
 先月亡くなった双識のことや、それと共に消えた早蕨の名とか、チームが解散して2週間後に刑務所入りになった凶獣やらのことが、頭の中を駆け巡る。
 人識や、曲識は何をしているだろう。新しい妹ができたとか、できてないとか。零崎が死んだとか、死んでない、とか。
 今もなお美しいであろう、蒼色だとか。
 今もなお燃え続けている、赤色だとか。
 恐ろしい、狐だとか。
 「(死に損なってしまった――――・・・)」
 繰り返し思い出されるのはそんなことだった。
 皆死にいそいでいるというのに。自分も、死にいそいでいるのに。
 死ぬぐらい、器用になれたって―――、いいじゃないか。
 ふと頭によぎった一握りの疑問が、今更になって思い出された。
 どうして、双識は兎吊木を殺したんだろう。どうして―――あんなに、安心した風に笑っていたんだろう。
 「・・・・・・・・・・」
 と、そこで、テーブルの上に置いてあったノートパソコンが開いてあることに気がついた。来たときに気がついてもいいだろうに、薄暗いリビングにノートパソコンの明りだけが目立っている。
 点けたまま、出かけただろうか。なら、昨日からついていることになってしまう。
 画面は、暗証コードを入力してください、と赤文字で警告されている画面のままだった。居なかった間に零崎の誰かが入って、覗こうとしたがコードが分からず点けっぱなしで帰った、とか。などとそんな可能性にも考えながら、暗証コードを入力して画面を表す。メールが一件入っていた。
 宛名が飼育係だったのに珍しくて驚きつつ、フォルダを開いて中を確認した。
 暴君がいーちゃんと一緒にかの有名な斜道恭一郎博士の研究所に遊びに行ったという内容だった。遊びに行った、と書かれてあるが、堕落三昧にとっちゃ遊び所じゃないだろう。ふぅん、と興味なさげに文を辿り、メールの最後まで目を通す。
 しかしそこで、俺は手を止めた。

 『兎吊木垓輔が死んだ』

 「・・・・・・・・・・・何、だ、と?」
 思わず呟く。喉から搾り出された声は掠れ、脳はまともな思考が出来ない。
 メールの文では、死体の死因の詳細、その後なども細かく書かれてあり、俺は気持ち悪さに顔を覆った。
 兎吊木は―――――7ヶ月前に、レンに殺されたはずだ。磔死体ではない。首切り死体な筈だ。
 それに、死んだのは、京都のマンションで、だ。研究所ではない。
 「――――――――・・・・」
 そういえば――――兎吊木の首、確認、したか?
 した筈だ。急いでいたが、ちゃんと。
 一度死んだ兎吊木が、山奥の研究所で、二度目の死を迎えているという――――凶獣の話だから、確実すぎる、事実。
 「――――――」
 声が出ない。
 軋識は、己の声が出ないことを理解していた。
 そして部屋の中にある、もう一つの『人間』の気配にも。
 ソファの背凭れを隔てて、後ろ側。
 恐らくノートパソコンを開いたのはこいつで。
 そのまま、この部屋の中に息を殺して潜んでいたのもこいつで。
 後ろを見ずとも理解できる。

 凶獣が、大嫌いなあいつの情報を、わざわざ死んだぐらいで軋識に連絡してきたというそれこそが―――――――何にも変わることのない、その、現実、で。



 「よお。俺としたことが、地獄に少女がいないから、二回も帰ってきちまったよ―――――」



 「そうか。じゃあ三度目は、殺した後に、少女も殺してやろうじゃねぇか」


2007/10・09


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