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■メールが 届きました
 
 
 
 クラッシュクラシックの閉店間際、曲識が一人でピアノを弾いている時、そのメロディは鳴り始めた。最後に一曲、と滑り込むようにしてやってきた積雪がグラスを傾けるすぐ横で、カウンターに置いたままの曲識の私物である鞄からポロネーズが零れ落ちる。それはものの数秒で止まったので、積雪は曲識に声を掛けるのをやめた。曲識は演奏に身を入れている。きっと声を掛けても止めないだろう。携帯からメロディが鳴っても、演奏には欠片も澱みはなかった。
 それから4分が経って、曲識は演奏の手を止めた。ボレロは完璧だったが、曲識は眉間に皺を寄せて、すまなかった、と積雪に謝罪する。
「先ほど携帯のマナーモードを解除したことを忘れていた」
「いえ、お気になさらず」
 どうぞ、と手で指し示せば、曲識は鞄の中から携帯電話を取り出した。黒い飾り気のないシンプルな薄い代物だった。ぱた、と開いて、おっとりと指を動かす。積雪は曲識が携帯を使うというそのアンバランスな絵に笑ってしまいそうだったが、曲識がふ、と口元を緩めたのでそれを堪えた。
「誰からです?」
「親愛なる家族からだ。積雪さん」
 丁寧に二つ折りにして鞄に仕舞い、曲識は楽しそうに笑った。
「すまないが数日店を休みます。これのお詫びは、また後ほど」
「いや、気にしないでくださいよ」
 積雪のグラスを手早く片付け、二人は共に店から出た。電気を消し、鍵を閉める。それじゃあ、と店の前で別れる前に、積雪は「ご家族によろしく」と頭を下げた。曲識は会釈を返し、一人駅へと向かう。




「あーん?」
 胸ポケットで震える携帯電話に首を傾げ、ビニルから取り出したばかりの棒アイスを口に銜え、携帯を取り出す。ぱちり、と開いてから開いた右手でアイスを掴み、左手で携帯を弄る。画面に映し出された名前を見て、一度人識は顔を顰めた。目の前を通り過ぎていった散歩中の犬が不思議そうにそれを見上げた。
 一度携帯を閉じたが、やはり思いなおして再び開く。かこかこと音の立つボタンを押して、人識は少し思案するように画面を睨んだ。ふん、と鼻を鳴らし、辺りを見回す。犬の散歩をする女性の向こうに、昼食を買いに行くらしい二人のOLを見つける。ぼりぼり、と溶け掛かったアイスを一息に食いきり、座るベンチのすぐ横に設置されてあったクズカゴにそれを投げ捨てた。コーヒー牛乳の入ったままのビニル袋を持ち上げて、人識はのそりと立ち上がった。携帯電話を再びベストのポケットに仕舞い、アイスの代わりにコーヒー牛乳を持つ。そして携帯電話の代わりにいつの間にか手に収まっているナイフを手の内側でくるりと回し、おねえさぁん、と可愛い声を上げた。運良く他に人通りはない。何かを察知した賢しい犬が、突然逃げ出すように走り出して、散歩中の女を引き摺っていってしまう。人識は犬が好きだったのでそれを別に追いかけはしなかった。




 ぴりりり、とスタンダードな呼び出し音を上げて携帯が震えた。詰まれた本の上にあったので、すこしだけ傾く。下に落ちそうなのを危うく捉えて、軋識はそれを開けた。昔人識に騙されて携帯電話を失った経緯を踏んでいるので、軋識は携帯電話を複数用意するようにしていた。零崎専用と言うべきか、チームに関係のない携帯電話だったので、これといって『彼女』からの電話ではないかと期待することもなく、軋識はスライドさせて画面を起動させる。新着メールを指でタッチすれば、ついさっきやってきたメールが開かれる。その名前と用件を見て、軋識ははぁ? と眉間に皺を寄せた。
 折り返して電話でもかけようか、と思ったが、面倒だったのでやめた。どうせ既に他の連中にもメールを送っているに違いない。もしかしたら伝言ゲームのように誰から誰に渡す役割なんてのもやっているかもしれなかった。首謀者はどうせわかっているのだけれど。軋識からの会話が途切れたことで、パソコンで繋がった相手がおおい、どうした、とか便所か、などと騒ぐ。軋識は急用だと一言打って、チャットを落ちた。人付き合いの相変わらず悪い奴、と言われることは見なくとも分かる。窓を開いて、特急で京都へ向かう新幹線の時刻表を検索した。面倒なことにしつこい仲間は「彼女とデートか」とわざわざメールまで送ってくるものだから、エレベータにはまされて死ね、とメールを打ってパソコンの電源を落とした。物言わぬ機械は少ししてからようやく画面を暗くする。軋識はひとまずシャワーを浴びようとタオルととって、バスルームに向かった。




「ケーキバイキングと聞いて」
 人識がやってきた高級ホテルのレストランは貸切状態だった。見れば零崎の半数ほどが各々勝手に席につき、自由に夕食にありついている。よお、人識、とメールを送った張本人である双識が歩み寄ってきた。ちゃんと来たんだな、と楽しそうだったので人識はあからさまにげんなりとした表情を作ってみせた。
「タダで飯食えるって聞いたからな」
「うふふ、そのために京都まで来てくれたんだから私は嬉しい限りだよ」
「近かったんだよここが」
 喧しい長兄から逃げるように歩けば、軋識と曲識が一つのテーブルについていた。顔見知りもいないので勝手に入れば、よお、と軋識が笑った。
「来るとは思わなかったっちゃ」
「タダメシ目当てだって言ってんだろ大将」
「そんなにツンデレアピールをしなくともいいだろう、人識。今日は双識の誕生日なんだ・・・いや、だからこそのツンデレということか。悪くない」
 人識はさっさとバイキングの奥に設置されてあるケーキを片っ端から取ってこようと身を翻したが、曲識の台詞でぴたりと足を止めた。今なんと言ったか。ぐるりと振り返れば、軋識がにやにやと口をゆがめている。
「たん、じょうびぃ?」
「そうっちゃ。ま、誕生日って言ってもレンには零崎以前の記憶が曖昧らしいから、零崎になった日記念みてぇなもんっちゃけどな」
 振り返れば、双識はにこにことして随分楽しそうだ。勘違いとはいえ人識が来てくれたことも嬉しいだろうが、零崎がこうも集まることを楽しんでいるらしい。家族内行事というものにやたら拘る男なのだ。人識は何を言っても墓穴を掘るような気がして言葉に窮した。
「この会のメールの差出人、てめぇじゃなかったか」
「そう、私が出した」
 双識は悪びれず恥ずかしがらず、自分の自称誕生日を自分で祝う場を作ったらしい。ここまで堂々とやられるとどう反応すればいいのかわからない。人識は電車代を頂くために殺したOL二人に謝りたくなった。
「ケーキ食ったら帰る」
「ホテル貸し切りだから泊まっていきなよ」
「てめーの金じゃねーだろこのヒモがぁっ」
 怒声を張り上げるが双識はまったく揺るがない。うふふ、と気味の悪い笑い声を上げて、幸せそうに微笑むだけだった。今更な人識のツッコミにも零崎一同は参戦することもなく、ただ人の金を使って料理に舌づつみを打ってるだけだった。利己的な家族だったけれど、どうせ全員久々に家族の顔を見れるだけで十分満足なのだろうと思うと、人識は舌を打ちそうだった。寂しがりやが多すぎる!
2010/9・14


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