■鬼と祭
 
 
 
 祭りに行こうぜと言い出したのは、やはりというか意外というべきか、零崎一賊末弟である人識の口からだった。昼食に何を食べようかと悩んでいた軋識は、曲識が淹れたアイスココアを一口飲んで、「どこの祭りっちゃか」と聞いた。
 人識は革張りのソファに寝転がっていたが、そのままごろりと反転して仰向けから俯きになり、頭だけを上げた。伸びた斑の白髪がうなじで緩く結ばれているのが、ぐしゃりと崩れて細い毛がほろほろと肩口に滑る。
「知らねぇの大将。すぐ近くの神社に出店が出てんだぜ。あそこの大通りだって神輿が通ってるし」
「知らなかったっちゃ・・・・・・」
「アスは外でないから」
 からからと笑って、双識はテーブルの向かいにあった茶菓子を手を伸ばして取った。常人より長い手がクッキーを抓むのを見ると、人識はそれが度々ジャック・スケルトンを彷彿とさせると思う。針金細工のような身体は見方を変えれば骸骨だ。人の首を持って空を翔るなど、幽鬼以外の何物でもない。
「ここ、防音だしね」
「昼飯は買って食おうぜ。大将」
「てめーは財布が欲しいだけっちゃろ」
 吐き捨てるように言えば、人識は下手に弁明しなかった。核心をついたらしい。軋識はココアを飲み干して、窓から外を見た。窓を開ければ太鼓囃子の音でも聞こえてくるのだろうが、設備の整ったこのマンションではエアコンの働く音とテレビの音しか聞こえてこない。
「まぁ、いいっちゃ。支度して、いくっちゃ」
「さっすが大将太っ腹ぁ!」
 バネのように飛び上がり、軋識に抱きつこうとする人識を片手で押さえ込み、近寄るんじゃねぇ、と軋識は顔を顰めた。双識はそれをにこにこと笑って見ていて、丁度曲識がコーヒーのお代わりをしにきたのと同時に立ち上がった。



 零崎の仮宿として用意したマンションが建っているのは、小さな田舎の辺鄙な場所だった。どこかの金持ちが道楽かただの気まぐれかで建てたマンションは、金持ちの別荘として使われるようで、人が使うことはあまりない。マンションから出るときも、一人とも擦れ違わなかった。どうせだからと押入れにしまわれていた浴衣を取り出して、人識と舞織、曲識はそれを着用した。双識が着れるサイズの浴衣はなく、軋識は頑なに浴衣を着るのを嫌がったので、(ノリが悪いと人識がなじったが)結局三人だけが祭りの正装で挑んだ。田舎とはいえ、交通は神輿が通るだろうから不便になっているだろうし、近いから徒歩で行くことになった。細い路地を通れば、大通りの商店街には出店が並び、普段見かけない数の人々が道路を歩いていた。
「車で来なくてよかったね。通行止めみたいだ」
「トキ、あまりうろうろすんじゃねーっちゃよ」
「僕の心配をしてくれるのかい、アス。僕はそんなに迷子になる性質ではないし、それにレンもいるから見失うこともあまりないと思うが・・・まぁ、悪くない」
「一人でうろついてそこらへんのガキ殺して騒ぎになるのを止めたいだけっちゃ」
 普段着ないような格好のせいか、ふらふらと危なっかしい曲識の腕を掴み、人にぶつからぬよう誘導させる軋識はいつもなぜか保護者の立ち位置に立たせられるが、これを見ていたらむしろお節介のように見える、と双識は心の中で思う。そしてやはり目を輝かせる人識と舞織を見てにやける顔を止められなかった。可愛い家族達に目移りが止められないらしい。うふふ、と笑うと人識が舞織の肩を掴んで引いた。
「大将、とりあえず一休団子食いてぇ」
「早速遠慮ねぇっちゃなおめーは・・・ほら」
 千円札を2枚、人識に手渡す。適当に食いたいものを勝手に買ってこい、ということらしい。舞織にも同じように渡せば、うなー、と舞織が鳴いた。
「手が」
「じゃ、人識」
 流石に義手を付けるのは人目につくからと、舞織は両手がないままだ。長めの浴衣を着ているので、手を下ろしたままにしていれば手がないことは見えにくい。人ごみの中なので、舞織の顔立ちに見蕩れる人は多いが、その両手に目をやる人はいない。計4千円を手にいれた人識はほくほく顔だったが、舞織が二千円は私のぶんですからねーと抜け目なく口を挟む。わかってるってーの、と言い合う姿は兄妹のようだった。満足したらメールするよう、と言い含めて、人識と舞織は人ごみのなかに消えた。
「じゃ、私も」
「てめーはいいっちゃろ」
 その背を追いかけようとする双識の首根っこを掴み、曲識を押し付ける。ぼんやりした音楽家は人ごみに目を奪われっぱなしだ。
「私もあの子達とあーん、とかやりたいよアス」
「やりたくてもやらせて貰えねぇのは目に見えてるっちゃろ」
「舞織ちゃんにやったら多分普通にやってくれるよ」
「人の弱点に付け込むのが長兄の手をは思いたくねぇなぁおい」
 苛々、と軋識は双識を容赦なく睨む。アスが怖いよう、と曲識に泣きつけば、何かと双識に甘い男は、おおよしよし、と何を相手にしているつもりなのかその頭を撫でてやる。
「アスは酷い男だ。・・・悪くない」
「なんでもかんでも悪くないって付けるのやめろっちゃ・・・どっちなのかわかんねーっちゃ」
 寸劇をしているとくだらなくてやる気が失せる。そもそもここへは昼食を取りにきたのだ。軋識はひとまず目立つ長身の男に曲識を押し付けて、焼きソバやたこ焼きやお好み焼きや、食事になりそうなものを適当に選んで買った。人ごみを見ていると、普段より若い人間がやたら見えることに気づく。どうやら地元の祭りだからということで、帰省している人々がいるらしい。活気付く田舎の風景を見ても心に湧く感情といえば殺人衝動しかないのだが、やはり懐かしいと思う意識は、どこかにあった。生まれも育ちももはや軋識にとってどうでもいいことでしかないのに、それでもいい場所だと思える感情は、残された人間らしい心に少しでも残っていたらしい。人ごみの中に見える双識の姿を見つけ出し、買った袋を人にぶつけないよう注意して向かえば、双識と曲識は何か食べているようだった。軋識が近づけば、お帰り、といいつつ、透明な黄色い飴を差し出してくる。
「杏飴だって。美味しいよ」
 双識がヒモのように与えられる金で買った菓子というだけであまり食べる気は起きなかったが、問答無用で口に押し付けられる鼈甲飴でコーティングされたそれを、軋識は結局銜えた。口の中に広がる砂糖菓子の甘い味に、昼時に何故飯じゃなく菓子を食うのかと思いはしたが、結局、注意するのはやめた。曲識は興味津々といったように軋識の買ってきたお好み焼きの入った袋を覗いていて、近くを通る少女の笑い声にも気づかないようだった。双識がとても幸せそうだったので、軋識は黙った。釣られて口が緩みそうになっていたが、人識から来たメールの音で、なんとかそれをきつく結んで耐えた。たこ焼きの熱で指先が温かくなっていた。夏の終わる日のことだった。
2010/9・13


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