■嵐の前の愛すべき静けさ
 
 
 
 それは10年前のことだった。大戦争の始まる、まさに5日前。そもそも、大戦争という空前絶後、前代未聞の戦争でありながらその戦争が始まったことは明確には分かっていない。恐るべき災害である赤色の少女が生まれた時から、すでに大戦争の幕は開けていたのかもしれない。そう考えると大戦争の始まる5日前、と明記するのは正しくはない。それでも、零崎一賊だけとは言わず、闇口一派が地獄が如く荒れ狂い、殺し名という殺し名が全て奈落の底で地獄を見たような時期。その5日前のこと。零崎一賊が長男である零崎双識、零崎至上最も惨忍な手口で最も人を殺したと称される零崎軋識、零崎の中でも異色と言われる天才的音使い零崎曲識。彼らは珍しく一所に集まり、その顔をつき合わせていた。
「うー・・・・・・・ん」
 たっぷりと考え込み、双識は首を横に傾けた。ファミレスのそのメニュー表にあるものは依然として変わらない。というのに双識は首を傾げ、その表に載っているものが変わりやしないのかと、眉間に皺を寄せてしばらく睨んだ。その正面に座る零崎曲識はこの3人の中で最も若いのだが、彼は目の前の双識の不思議な動きに特に反応も示さず、黙って目の前の水をごくごくと飲んだ。
 むしろ黙って見ていられなかったのは軋識の方だった。あからさまに呆れたような顔をして、テーブルに肘をつき、双識を見ている。
「おい、双識。俺は腹が減った」
「ちょっと、ちょっと待って」
 まだ眼鏡もかけず、似合いもしないスーツをも着ていない双識は、そこら辺でも歩いてそうなラフそうな若者と言った風貌で、どう見ても殺人鬼とは思えないだろう。その斜め向かいに座る軋識といっても、双識と一緒にいるにはまったく問題の無さそうな白いシャツにジーンズというラフな格好だ。曲識だけが、まるでこれから合評会にでも行ってきます、とでもいう風な小奇麗な燕尾服を着ている。今の彼らにとってはその格好こそが普段着なのだが、異色といっても異色だった。軋識は適当にファミレスに入ったが、この目立つメンバーでのんびりゆったり過ごしたくはなかった。本当は昼食だって家で取りたかったのだ。しかし、ちょっと双識に連れられてこの三人で少し遊びに出かけたら、気が付いたら昼時になっており、ならそこらで済まそう、という話になった。
 店内に入ってくる人の奇異な目に、軋識は頭の血管がブチ切れそうだった。別に怒っているわけではない。ただ自分の欲求を押さえ込むのが辛いのだ。軋識は基本的にあまり人に会いたいと思わない。なんたって殺したくなってしまうからだ。人殺しは面倒くさい。死体の処理が面倒くさい。だからやらなくていいならやりたくない。でも、やりたくなってしまう。
 これほど殺人鬼である自分の特質を恨んだことはなかった。はぁあ、と重苦しい溜息を吐くと、隣に座っていた曲識がこて、と軋識に寄りかかってきて、くあ、と欠伸をする。
「双識、曲識が眠そうにしてるんだが・・・頼みたいならいくつ頼んでもいいから、さっさとしてくれ」
「んー、んー、わかった、分かったよ。じゃ呼ぶよ。すみませーん」
 眉間に皺を寄せていた双識は、それでも悩んでいるようにしたまま店員を呼んだ。ウェイトレスがやってきて、ご注文はお決まりですか、と月並みの台詞を吐く。
「これを一つ。曲識」
「僕はオムライスで」
「これと、これと、これと、これと、これを」
 一人だけ異様に多いのはなんだろう、と運良く軋識と曲識の心の声ははもった。口に出して言っていれば曲識はハーモニーが生まれた、と感動していたかもしれない。
 ご注文を繰り返させていただきます、とウェイトレスが言う。
「きのこハンバーグ定食をお一つ、オムライスをお一つ、夏野菜グラタンをお一つ、苺パフェお一つ、チョコレートパフェお一つ、バナナパフェお一つ。以上で宜しいでしょうか」
「はい」
「デザートはいつお持ちしましょうか?」
「食後で」
 レシートにペンを奔らせて、はい、それではお待ち下さい、とウェイトレスはにこやかに去って行った。沈黙がしばらく落ちる。確かに軋識は「いくつ頼んでもいい」とは言ったが、最後のあれは一体なんだと言うのだろう。この男、金出すのが俺だと思って好き勝手しやがって・・・。ふつふつと軋識の怒りが沸き立つが、曲識は先ほど双識が睨んでいたメニューを見て、「双識さん、そんなに甘いもの好きだったか?」とマイペースに聞いた。
「いや、別にそういうわけではないけど」
「じゃあ何だ? 俺への嫌がらせか」
 軋識の言葉に、いいや、と首を振り、双識は少し照れくさそうに頭を掻いた。
「いや・・・それがね、零崎の一人で今僕が面倒見てる秘蔵っ子がいるんだけど」
「秘蔵っ子」
 そんなこと初めて聞いた。家族の誰からも聞いたことがない。本当に秘蔵の中の秘蔵らしい。
「それ、俺達に話していいのか?」
「君らは零崎の中でも中枢を担ってるだろ。もしも僕が面倒に巻き込まれた時、その子の面倒を見るのはきっと君らになるはずだし、それなら今知っておいてもいいだろ。名前はまだ言えないけどね」
 曲識は自分が零崎の中枢にいるとは思わなかったが、家族のためならば、とその言葉は黙殺した。家族の役にたつのは吝かではない。
「で、その秘蔵っ子がどうした」
「その子が凄い甘党なんだ。可愛い可愛い子・・・弟だがね。甘いものが大好きなんだよ。前もお土産で買っていった八つ橋をほんと幸せそうにもぐもぐ食べてて・・・で、まぁ、食べたくなったんだよ。甘いのが」
 双識はそう言って笑う。その様子を見て、思わず二人はげんなりしてしまった。というのも、この男はなにかと家族に甘い。甘ったるい。おそらくその子供が美味しそうに甘いものを食べるのが、本当に美味しそうに見えて、何かを食べようとしたのだろう。
 だが、そう食べようとした時、羨ましそうに自分を見る弟の姿が目に入って、どうしても家でお菓子が食べられなくなった、とか。そういうのだろう。
 軋識は流石に無いが、曲識にはそういうことがある。曲識は一時期ドーナツに嵌まったことがある。軋識だったか、零崎の仲のよい人の誰かだったか、曖昧なのだが、その記憶の中で食べたドーナツがとても美味しくって、買ってきてもらったそれを一箱一人で平らげたことがある。どちらかというと少食気味だった曲識が本当によく食べる、しかも本当に幸せそうに食べるものだから、双識はそれを少しだけでもいいから食べたくなってしまったわけだ。しかし曲識の前で食べると、曲識がじーっとその様子を見つめるものだから結局それは曲識にあげてしまう。結局曲識の前で食べれなくなってしまって、家族を連れてわざわざドーナツ屋に出かけ、そこでようやくドーナツを自分のために買って食べられた、というわけである。
 子供であるせいか、そういう視線にまったく気づかないのだ。恐らく最初睨んでいたのも、一体どれが美味しいのか分からなかったせいだろう。人は隣の芝生が青く見える。そうなると自分の味覚が信じられなくなるのだ。
「でも3つ全部僕が食べるわけじゃなくて、一人一個をノルマに食べようよ。交換しながらさ」
「なんでそんな女子高生みたいな・・・」
 ますますげんなりした風に軋識が唸る。それでも曲識は一人で「悪くない」と呟いた。そういう双識が大好きだ。



「注文は以上で宜しいですか?それではごゆっくり」
 ウェイトレスが去っていって、全員が目の前のパフェを見る。食べ終えた昼食は既に片付けられていた。
「どれ食べたい?」
「先選べ」
 軋識はそう言って水を飲む。やはり年長として良い人だ、と曲識は思う。双識はやっぱり癖なのか、曲識に先に選ばせた。曲識はどれでも良かったので、すぐ近くに置かれていたバナナパフェを選ぶ。双識は一度軋識を伺って、まったく選ぶ様子が無いので、とりあえず目をつけていた苺パフェを選ぶ。成人男性、しかも針金細工のごとく細長い双識が苺パフェを食べるという図がシュールであるが、それを言うなら自分もか、と溜息を吐いた。
 しばらく自分のパフェをつついていたが、軋識はそろり、と双識を見た。双識は普通にパフェに舌鼓を打っていた。本当に美味しそうだ。双識も、こういう気持ちで弟を見ていたのだろうか。
 次に曲識を見れば、彼も彼で美味しそうにパフェを食べている。子供なのでやはり甘いものは好物らしい。表情はいつも通りのぼうっとした無表情なのだが、スプーンを動かすのが早い。ぱくぱくと口の中に生クリームを運んでいる。
 こんな図、全然殺人鬼に似合わない。似合わないのに、どうしてこんなにも。
「軋識さん」
「・・・・ん、あ?」
 唐突に話しかけられて、軋識はスプーンを取り落としかけた。まさか目を開いたまま眠りかけていたとは。驚いた。曲識はずりり、と自分のパフェの器を軋識に押して、「軋識さんの貰ってもいいですか」と聞いた。
「・・・・・・・・・・・好きなだけ喰え」
 女子高生じゃない、女子高生じゃない、と心の中で呟きながら、軋識は曲識にチョコレートパフェを押す。曲識は嬉しそうに、といっても表情は変わらないのだが、軋識のパフェから一掬い、二掬い、と口に運んで、今度はどうぞ、と自分のバナナパフェを軋識に押した。
「・・・・・・・」
「僕のも交換しよう」
 双識もへらへら笑いながら苺のパフェを曲識に押して、中途半端なところにあるチョコレートパフェとバナナパフェから腕を伸ばして中を掬った。
「美味しいねぇ」
「悪くない」
「・・・・・」
 まさしく子供のようにパフェを食べあって、殺人鬼は極々幸せそうににこにこ笑った。軋識も勧められるがままに苺とバナナを口に運んで、諦めたように少し笑った。
「あー、うん、悪くねぇよ」
 こんな日も、こんな殺人鬼も。
2010/2・13


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