■意地汚い男
 
 
 
 じゃり、と奥歯が砂を噛んだので、うええ、と身ごと吐いた。無惨にも歯型に潰されたアサリが皿の上に唾液と乗る。静かな食卓に突然響いた嗚咽に、大将は少し眉間に皺を寄せて、俺を見る。サラダに突き刺さったナイフ同様、冷たい視線が俺を射抜く。そんな物騒な目ぇしなくてもいいのに、と心の中で思いながら、だってよ、とアサリに向けて言う。
「なんでアサリに話しかけるっちゃ・・・電波キャラでも狙ってるっちゃか?」
「俺が悪いんじゃねーもん。砂食ってるこいつが悪ぃんだよ」
 そう言って、アサリの味噌汁をずず、と飲んだ。どちらかというとアサリの味噌汁はアサリを食べない派なのだが、大将の真似を少ししてみたらこんなことになった。
「んー、外れた」
「・・・悪いっちゃね。買い物行ってないのを忘れてたっちゃ。下準備が適当になったっちゃ」
「まぁ、別にいいよ。うめぇし」
 というか、突然転がり込んだのが不味かったというか。いや、むしろ俺的には良いタイミングだったんだが。



 5日ほど前メールしても全然連絡が付かないから、もしやと思って来てみれば、案の定大将は徹夜三昧でお仕事三昧だった。お仕事といっても無論零崎のお仕事じゃなくって、違う名前でやってるお仕事だ。お金の入る方。(俺は人殺ししてお金とってるけど)
 俺が転がり込んできて飯食わせてって強請ったら、滅茶苦茶ふらふらになりながら飯作ろうとするもんだから、少し寝ればと言って寝かせた。あの様子なら冷蔵庫の中は全滅だろうと思って見てみれば、ゼリーとジュースと水、あとは納豆ぐらいしかなかった。無論米も炊かれてない。
 寝ボケの大将に「食えるもんないから金貸して、適当に買ってくる」と言うと、無言で部屋の隅にあった黒い鞄を指差された。中身を見てみれば10万の札束が底にぎっしり入ってて噴き出した。そりゃねぇよ。銀行強盗かアンタ。
 とりあえず一つ拝借して、中から3万円ほど貰った。おつりはお小遣いでいいだろう。鼻歌交じりにマンションから出て、近くのスーパーに行く。とりあえずこの間食わせてもらって美味かった鱈と白子の何か色々乗ってるパスタを作って貰おうと、それっぽいのを入れてみる。まぁ実際あれに何が使われてるかなんか分からなかったから、とりあえず、本当に「それっぽいの」だ。使われてそうなのだから、チェダーチーズとか、牛乳とか、むしろグラタンっぽいチョイスになってしまった。
 あとは味噌汁が飲みたかったからなんとなく、アサリを選んだ。
 そんでもってアイスをいくつか突っ込んで、お会計。結構買ったつもりだったが結構余裕だった。一万円も懐に入った。
 アイスを食いながらマンションに帰ると大将はまだぐうすか寝てた。あれから大体1時間経ってたけれど、起きるまで待とうと思って、アイス食いながらDVD見たりなんだりしながらだらだら過ごして、なんと丸一日経ってしまった。
 飯を食うために腹を空かしてやってきてみれば一日飯出してもらえないってなによ。拷問?(まぁアイス食ってたけど) ついに我慢がきかなくなって、次の日の朝に大将を起こした。
 起こすっつっても、ちょっとしたイタズラでキスで起こしてやった。べたついた髪をかきあげて、乾いた唇に噛み付く。食べ物の恨みは怖ろしいと知れ! 大将の下唇を自分の口ではさんで、少し噛む。ちゅ、と映画のワンシーンみたいに音が立って、笑った。ふっ、と息を吹きかけて、ぱくりと大将の唇を食べる。段差やらを舌で舐めたら、白子を思い出した。ああ、腹減った。鼻を抓んで呼吸を止めてみると、ぐふ、と不可思議な音がして、びびって離れた。やべぇ。うっかりで殺しかねない。というか、うっかりで死にかねない。この人。
 大将は起きてから少し呻いてぼーっとしたかと思うと再びパソコンに向かおうとして、それを止めるのに一苦労だった。子供みたいに駄々捏ねやがって、あとちょっと、だとか、あとすこしだからゆるして、となんとも女々しい限りだった。風呂にも入ってないのか髪の毛が少しべたついていて、無精髭もそのままだった。まぁ大将だって成人男性だし?俺だって流石に何日も放置すりゃ髭生えるし?
「大将、匂うんだけど」
「う、うー・・・ん」
「ふっ・・・・・・・なぁ大将、俺結構マニアックでさ、女ってちょっと臭いぐらいが燃えたりするんだよ」
「う、うう・・・・うん?」
「大将のそんな姿にちょっとムラっとしてんだけど、ここでエロいことしちゃおうか?あん?」
「・・・・・・・・・あー、う、うー、まっ、まった」
 恐らく話半分にしか聞いていないだろうけれど、大将は俺が床に引き倒した後、よろよろと立ち上がり、どこへ行くかと思うと無言で浴室へと入って行ってしまった。
「・・・・・・・・・・ふぅむ」
 一番予想として怖ろしいのはあの人が風呂場で寝てしまうという話なのだが、殺人鬼が風呂場で溺死ってどうよ。面白いかもしれんがあまり格好よくはないな。
 しかし、親戚の素敵なお兄さんのダメな部分を見てしまった中学生女子の心境ってこんな感じかな、と思ってしまった。まぁこれはこれで俺的にはきゅんと来たけれど。大将って人が関わらなくなるとダメになるタイプなのか。
 しばらく浴室の前の廊下でアイス食って待ってたら、いつも通りすっきりしゃっきり、零崎の面倒見る大将が出てきてくれた。
「死ななかったんだな」
「・・・・何言ってるっちゃか?」
 まぁ流石に意味が分からなかったらしい。訝しげに俺をみて、ところで人識、と不審気な声を上げる。
「いつ来たっちゃか?」
「・・・ふふん」
 そこからか・・・。もしもこれで金取ってることに怒られたらどうしよう、とか思いつつ上手く誤魔化す方法を頭でシミュレートする。こういうの苦手なんだよな、俺。真面目だから。
「昨日来て、大将を寝かして、飯食おうかと思ったら何も無かったから、大将に金貰って、スーパー行って材料買って、大将が起きるまで待とうかと思ったけど一日経っても起きないんで起こして、さっき風呂に入れた」
「・・・そうっちゃか。・・・・・・なんか、色々細かいところが違う気がしてならねぇっちゃけど、まぁ、悪かったっちゃね」
 そう言って、大将は俺の頭にぽん、と掌を乗せてぐしゃぐしゃと掻き撫ぜた。うおお、罪悪感。何もしてないけど貴方の金は俺の懐に入りました、と心の中だけで暴露する。
「・・・ところで俺、どの金をてめぇにやったっちゃ?寝ぼけてたからよく覚えてねぇんだっちゃ」
「部屋の隅にあった黒い布製のショルダーバッグの中にあった札束からちょっととった」
「ああ、あれっちゃか。じゃ、いいっちゃ」
 ・・・いいのか・・・。ってか何万取ったかも聞かないのか・・・。おっそろしい人だな・・・改めて思うけど。
 大将はもうしっかりした足取りでリビングの方に向かっていって、適当に俺が突っ込んだ冷蔵庫の中を見て、ん? と不思議そうな声を上げた。
「どういうチョイスで買ってきたっちゃか」
「あれ。前食った鱈の乗ってるパスタ食いたい」
「はぁん。なるほど・・・・っちゃ。んー、ああ?結構いらんもん入ってるっちゃね・・・ナスは入れるか・・・アサリ入れたいっちゃか」
「や、それは味噌汁作ってほしくて」
「はぁ・・・・ふん、まぁ。なんとかなるっちゃ。でも今からアサリか・・・平気・・・っちゃかね・・・。まぁ、おめーはアサリ食わねぇから、いいっちゃか」
「ん?」
 良く分からん一人言だ。大将は卵を手に取りながら。あふ、と大きく欠伸をした。
「一年ぶりにでも起きた気分だっちゃ」
「・・・・・・・まぁ、そうだな」
 もしそれが本当だとして、俺のキスで起きたとすれば、アンタはどこのお姫様なんだ? と笑い飛ばしてしまいたかったが、それを言ったら最後、金を取ったことよりもそっちに怒られそうだ、と思った。



「あー幸せー」
 あぐあぐと大将のご飯に舌鼓を打っていると、テーブル向かいで大将は心から呆れたように俺を見ていた。
「んだよ」
「いや、そこまで美味そうに食ってもらえると、作ったかいがあったと思っただけっちゃ」
 大将はそう言って、パスタを口にはこび、ホワイトソースのついた唇をぺろりと舌で舐めとる。ふむ。もはや俺の皿はすっからかんになってしまって、お代わりをしようかと立ち上がりかけていたのだが、それを一瞬忘れて大将に見蕩れた。
「だって、美味いし」
「そりゃ、どーも、っちゃ」
 少し嬉しそうに言う大将を見ると口がにやけた。俺がどれを、美味いといったのか、全然気が付かない。
「ごちそうさま」
「あ?お代わりするっちゃ?」
「勿論。まぁさっきのは、ご飯より前のことにたいして?」
「は?」
 首を傾げる大将を笑って、キッチンに向かう。唇は乾いていたけれど、うまかった、と自分の口を舐めた。いじきたねぇっちゃ、と大将が怒った。
2010/2・7


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