■ヴァニッシュ・オア・エスケープ
綺麗に飾られた一つの皿の上の食材の上に、最後にこれでもかというほどに黒トリュフのスライスしたものが目の前でかけられた。一礼して去って行ったシェフを見るのも億劫で、目の前の男をとりあえず睨みつけることにする。これで何度目なのかも分からないやり取りだったが、ついに飽きたのか兎吊木は既に食事を始めていた。
「美味い」
「・・・・・・・・」
「高級料理ってどんなもんか分からないけれど、黒トリュフと白トリュフって何が違うんだろうな?匂いが黒の方が強いとか聞いたけど、味に違いはないもんなのかね」
「おい・・・・どういうつもりなんだ?」
「質問は最後に聞くって言ったろ。それに食事時に喋るのはマナー違反だぜ」
兎吊木は飄々と言って、一人黙々と食い続けた。俺は一度自分の皿を見て、溜息を吐き、両側にあるナイフとフォークを取り、とりあえず形だけは大人しく、目の前の皿を片付けることにした。
前菜を食ってから4度目のやりとりだった。鉄板ギャグにしても流石にやりすぎな回数だと、自分でも思った。
「ありがとうございました」
「・・・・・・」
給仕の男が深々と頭を下げるのに一瞥もくれないで、兎吊木はさっさと先に出て行ってしまった。支払いは兎吊木持ちだったので、まるで俺がたかっているようで居た堪れない。
大理石の階段を一人先に降りていく兎吊木の背を睨みつけながら、俺はコートを着込みマフラーを首に巻く。兎吊木は自分の白いコートに合わせての女物のような白い上品なコートを着ている。それでもやはり胸部に対してのデザインはしていないので、女物のようだが恐らく特注だろう。こいつ引きこもりの癖にどうしてこういう変なところでオーダーメイドの服とか持っていやがるんだろうか。
有名人やらがお忍びでよく来るという有名高級料理店は噂に違わず豪奢な所だった。何故俺達がこんな所にいるかと聞かれれば、事は数時間前に遡る。死線の蒼のマンションで一仕事終えた俺達は、不運なことにほぼ同時に退出し、地下の駐車場でぶち当たってしまった。俺がさっさとその場を去ろうとすると、兎吊木は何を思ったか、一緒に飯を食わないかと、誘ってきたのだった。
無論断った。勿論断った。断らない訳がなかった。しかし気が付いたら兎吊木の白のセダンに乗せられていた。何故乗っているのかということに気づいた時には既にこのレストランの前に連れてこられていた。
今更だがこいつ、詐欺師の才能があるんじゃないだろうか。普通人間をこんなにも簡単に誘導できるもんなんだろうか? 確かに遺憾なことに、俺が乗せられやすいというのもあるかもしれないが、兎吊木のこの手腕はどう考えても異常だ。犯罪に近い。
「じゃ、次行こう」
「おい待て馬鹿」
既に車に手をかけて出発しようとしている兎吊木を呼びとめる。それでも兎吊木は無視して車に乗り込み、エンジンを掛けた。俺は流されていることを自負しながら助手席に乗り込む。仕方が無いのだ。ここで置いていかれたら困る。
兎吊木はさっさとシートベルトをつけて、駐車場から車を出す。俺に対しての対応も普段よりもあっけなく、俺は慌てることしかできない。まったくの無様で悔しいことこの上ない。
俺もシートベルトを付ければ車は既に通りに出ていた。もういっそシートベルト外して警官に捕まって罰金でも払わせてやろうか。そんなことを考えさえした。
「お前普段あんなレストラン行かないだろ。どういうつもりなんだ? なんで突然、しかも俺を連れて」
「質問は最後に聞くって言っただろうが。鉄板ギャグは3回までだぜ。6回やったらもうそれはギャグじゃない。儀式だ」
「・・・じゃあ次どこに行くかって質問も無しか」
「無しだな」
「じゃあ何時に開放されるんだ」
「いつでもいいぜ。今からでもお前が帰りたいって言えば、家まで送ってやるよ」
「・・・気持ち悪いな。彼氏面か?」
俺の言葉ににやりと口を歪めて、ようやく兎吊木は笑った。驚いたことにこれまでの兎吊木はにこりともしなかった。仏頂面というわけではなく、ただずっと真顔だったのだ。にやにやと人を食ったような笑みを今までずっと形を潜めさせていた。
「彼氏面。ふん、珍しく勘がいいな」
「・・・もしかしてこれ、デートのつもりなのか?」
「当たり」
「・・・・・・」
どこの世界に彼女を舌先三寸で言いくるめて詐欺師同然に車に乗せる彼氏がいるんだ? きっとそう問えば、ここにいるさと兎吊木は笑って答えそうだったのでやめた。それ以上に自分の口から自分のことを彼女役だと認めることが嫌だった、とも言える。
そりゃねーよ、と思って、「そりゃねーよ」と口にも出して言った。その場で引き気味の俺の腕を掴んで、兎吊木はにやにやと笑い、人ごみに連れ込んだ。力ずくで引き剥がせばいいのか、と思った瞬間にはもう扉は閉められていて、俺は兎吊木と二人きりで小さな室内に閉じ込められていた。
「・・・どうかしてやがる。今日は調子が悪いとか思えない。後手に回ってばかりだ」
「ふむ。朝のニュースの占いは馬鹿にできないな」
「どういう意味だよ」
「その質問には答えてやろう。実は今日、名前がか行から始まる人は、仲の悪い人と仲直りが出来る日なのだ」
なのだじゃねぇよ馬鹿野郎。
心の中で詰りながら俺は右側にあった椅子に座った。殴りかかる気も起きない。疲れがたまっているせいか、なんだかもう、どうにでもしてくれって感じだ。兎吊木はのんびりと俺の正面に座り、何年ぶりだろうなぁとしみじみとした声を上げた。
今度はどこかと言われれば、観覧車だ、と答えるしかない。わざわざ遊園地に来たわけではなくて、港近くで夜景が楽しめると評判のかなり大きな観覧車。一周回るのに15分強はかかる。どちらかといえば家族で楽しむためというよりはカップルがイチャつくための観覧車だった。
「観覧車の思い出といえば、昔サンデーで連載していたゴーストスイーパー美神って漫画で観覧車が最後に倒れたのを覚えているな。そこで戦った相手のパイパーって奴が、人間を皆子供にする能力を持ってて、いやぁ、アレには憧れたもんだ」
「やっぱりそういう方向に行くんだなてめぇは・・・」
っていうか最後観覧車関係なくねぇか。
それにしても、大の大人、しかも男二人で観覧車なんて、今時BL漫画だとかBL小説でもやらないだろう。少女趣味の奴ぐらいしか乗らないんじゃないだろうか。少女趣味という単語でふと一人の家族が脳裏を過ぎったが、あいつは好きそうだな観覧車。基本的に一人で落ち着ける場所が好きらしいし。レンの奴はジェットコースターとかだろうか。
「おいおい、二人っきりなのに一人きりだけで勝手に何か考え込むなよ。寂しいだろ」
「知るか。そもそもなんで突然デートなんだ?っていうかいつ付き合い始めたんだ俺達は」
「んー?いや、たまにはいいだろ?こういう遊びもさ。たまには正攻法で攻めてみようかと。美味しいディナーに夜景の見える観覧車で二人でランデヴーだ。女にやれば大抵こういうのにトキメクもんだろ?今をときめくスタンダードなデートって奴だ」
何を言い出すかと思えば想像よりずっとアホな内容だった。俺があきれ返って声も出せないで居ると、うん? と兎吊木は不思議そうな声を上げた。
「そういや・・・今思い出すと確かに俺達付き合ってないな。俺の妄想の中じゃお前はほぼ嫁だったんだが」
「知りたくなかったなそんな妄想・・・」
「まぁいいや。どうせついでだ。式岸、俺と付き合ってくれないか」
「・・・・・・」
改めてだがこいつの認識、いや価値観と言うべきだろうか。明らかに常人と違う。気が違っているとは流石に言わないが、おかしいとしか言い様が無い。
「お前のことが前から好きだった。好きと言ってもまぁ一番は死線の蒼な訳だが、人間と死線の蒼を比べるなんて次元が違うもんだろ?だから死線を抜けばお前のことが好きなんだ。愛している。セックスだってしたっていいと思ってる。男とのやり方は後々ちゃんと調べるから安心してくれ。俺はエロ方面に関してはそれなりに上手いんだぜ。信じないかもしれないが手先は器用だし配慮もできる。顔もそれなりに良い方だと思うし、無論金はあるぞ。希望するなら一軒家を購入しても良いし、いっそマンションを一つ買い取ってもいい」
「おいおいおい、待て馬鹿。勝手に話を進めるな。俺の話も聞け」
「ん?断るのか?」
「断るに決まってるだろ・・・お前は本物の馬鹿なのか」
俺が心の底から呆れた声をあげれば、兎吊木は本当にびっくりしたように大きく目を開けた。今更だがこいつ目でかいな・・・。女顔に見える要因もここにあるんじゃないだろうか。睫毛も長いし。
「断る? 本気か? 顔が気に入らないのか? もしかしてブサイク専門か? ・・・お、今気づいたけど専門か、って聞くと専門家みたいだな。なんだかプロのような印象になる」
「なんでそうすぐ脱線するんだよ・・・顔とか以前に大きな問題があるだろうが」
「ああ、性別?」
「ちげぇよ。お前の性格だよ」
確かに性別も重大だが、俺はそこまでジェンダーはしない。同性婚にも大して拒否反応は無い。それでも全てを超越して兎吊木の性格は苦手だ。こいつと普段会話するだけでも辛いというのに付き合うなど天地が逆になっても遠慮したい。
兎吊木は俺の返答にあからさまに顔を顰めるとお前ね、と呆れた声を上げてきた。呆れ声を上げたいのは俺だ。
「ルックスと金があったら性格ぐらい大目に見ようって思わないのか? 愛が無いわけじゃないんだぜ? ちゃんとお前を愛してるんだぜ? 流石に俺は自分自身の性格を聖職者やら善人やらとは言わないが、そもそも性格のいい人間がこの世にどれだけいるって言うんだ? ちょっと欲張りすぎだぜ」
「そういうことを言う時点で願い下げなんだが」
「まったく我侭さんだな・・・じゃあ性格の方はお前がカヴァーすればいいんじゃないか?」
「根本的な解決になってねぇよ!」
っていうか俺の性格が良くっても得するのはお前だけだろ・・・。
そもそもカップルってそういうんじゃないよな? 漫才コンビだよな? カヴァーって・・・。
俺がそろそろ疲れ始めていると同じように、どうやら兎吊木は限界が近いようだった。そりゃあ毎日阿呆なほど滅茶苦茶な行動をとってきた男が、今日一日だけ自重して過ごせるわけがない、という事実に俺は気づくべきだったのだ。普段の饒舌が少し形を潜めているということにも、気づくべきだった。
業を煮やしたのか我慢の限界だったのか、兎吊木は拒否し続ける俺をじろっと一度見やると、するりと体を寄せてきた。今日俺の調子が悪いのがもしも兎吊木の言う朝のニュースの占いのせいならば、それはもう占いじゃない。呪いだ。
体を留めることも普通にできず、兎吊木は俺の抵抗も禄に受けないまま顔を近づかせて、そのままあっさりと俺の唇に口を押し付けてきた。むに、と肉のぶつかる感触がぞわっと鳥肌の立つほど気持ちが悪い。肉が柔らかいという事実がより一層、だった。
「うおわああああああああああぶねぇえええええええええ!!」
「ちょっ、ここ空中!吊り下げられてるけど空中だから!」
思いっきり突き飛ばすと兎吊木が壁に一度ぶち当たり、個室が大きく揺れた。がたんっ、と大きく揺れるカプセルが落ちなかったのは本当に奇跡だったのかも知れない。もしかしたら男二人だけ乗っていたのが幸いしたのかもしれない。しばらくゆらゆらと揺れる個室で、ぜえぜえと荒い息を吐く俺の呼吸音と恐怖でぜえぜえと荒い息を吐く兎吊木の呼吸音が響いた。
「あっあぶねぇ・・・!何してんだ俺は・・・!!」
「危ないのはこっちの台詞だよほんと・・・落ちるかと思った・・・どうしてお前はこうも順応性がないのかね」
「誰のせいだと思ってんだてめぇはあああ!!」
「でもまぁ初デートでキスまで持ち込めたのはギャルゲ的にはかなりの高得点かな」
「反省しやがれよこの野郎・・・」
相も変わらず阿呆なことを抜かす兎吊木を一度殴って、俺はもうしばらく、こいつと付き合うことに了承なんてできやしないな、と一人思ったのだった。
2009/12・17