■一目惚れの有無について
 
 
 
 扉に厳重に敷かれているセキュリティを丁寧に解体しながら、施設の奥へ奥へと進んでいくと、ようやく目当ての部屋に到着した。清潔に保たれている部屋は精密機器を扱うせいか、埃が溜まらないようにあちこちにファンが回されている。少し肌寒かった。

 資金を手に入れるために手を出した分野が、自分に予想以上にあっていたので、そういう分野に手をだす犯罪者との繋がりは、自分が想像するよりも簡単にできた。何といっても高い技術を持っていない人間でないと入れない、そういうセキュリティシステムを興味本位で掻い潜った先にあった秘密サイトを、うっかりと言っていいほど簡単に見つけてしまったからだ。それこそ運良く、世界でもっとも情報分野に長けた綾南豹と知り合いになれたのが一番良かった。殺人鬼なんてものをやっているせいか、情報分野は重大だ。全国に散らばっている零崎の連中を見つけるのも難しかったので、綾南には大層世話になった。その代わり、今現在そいつのパシリにされているのだが。

 積み重ねられたコンピュータの本体や、それに繋がるマザーボード、この部屋を製作したこの会社全てを掌握するコンピュータが、重い音を響かせながら稼動している。既に把握しているマップを思い出しながら、知人の許から盗まれたデバイスを探す。家族の行動を教えてもらった礼に、綾南に頼まれた仕事だ。曰く、数日前に綾南の持つ隠れ家の一つに泥棒が侵入し、彼が言うにはそこまで大切なものではないが、その技術だけで一つの会社が立ち上げられるような一つのデバイスが盗られたらしい。別に無くなっても痛くも痒くもないらしいが、困ったことにそれは友人に渡す約束を取り付けていたものらしい。そもそも引きこもりの綾南が自分から盗りにいけるわけもなく、外界でもそれなりに動ける俺が、代わりにそれを取り返しにきた、というわけである。それも難なく見つかり、俺はさっさと退散しようと踵を返した。そのときだった。
 ふと、右手側の壁に、透明な自動ドアが設置されているのを発見した。この部屋に入ってくる時に使ったのは重い鉄製のセキュリティドアだが、その扉は丁度その入り口の左手側につけられている。ホテルの入り口などでよく見る、硝子製の自動ドアだ。どうせ防弾硝子だろうが、その硝子の向こう、髪が少し長い小さな子供が、ドアに片手をついたままじっとこっちを凝視していた。

 最初は、この施設で育てられている子供か何かかと思った。人体実験などもする、と聞いたことがある会社だった。子供の服は、この部屋に合わされたような白い病人服だったので、その考えはきっと正解だろうと思った。しかし、不思議なことに、扉の向こう側の部屋には様々なコンピュータを初めとする精密機器が取り揃えられていたが、それは子供に合わされたような不自然な高さに設置されていた。
 それに加えて、子供はたった一人だった。人体実験をすると言っても、モルモット役が一人とは珍しい。そんな子供はこれといって特に拘束具もつけられておらず、その色素の薄い黄色に近い眼球をじっとこちらへ向けていた。

 「お兄さん、美人だね。ここへは何しに来たの?」

 ドア越しに掛けられた子供の声は、カナリアのように高い音をしていた。声変わりが済んでいないのだろうか。しかし、少年の身長から察するに、16、17歳ぐらいだ。自分よりも頭1つぶん低いように思われるが、声変わりが済んでいないようには見えない。顔もどこか女のような柔らかい顔立ちをしていて、睫毛が長い。ふと、自分が相手の睫毛の長さまで見えるほど自動ドアに近寄っていることに気がついて、慌てて後退した。
 自動ドアは、どうやらこの施設の研究員が持っているカードキーを横に設置されてある認証機に入れることで開く仕組みになっているらしく、近づいても動く気配はない。薄幸なモルモットを思えば、普通は助けるべきなのかもしれない。しかし、この扉を開けるのは容易いが、何故か俺は自分がそういう気がまったく出てこなかった。その上、それ以上子供に近づくことさえ嫌がっていた。

 「お兄さん、どこの研究所の人?ああ、そのデバイスを持ってるってことは、もしかして、軍の要塞施設を作る機関の人?」

 子供はにやつきながら言った。子供とは思えないほど嫌な表情をする。歪にひしゃげた瞼の隙間から垣間見える眼球が、俺を嘲笑するような色をしていた。
 俺が返答に窮すると、子供は首を一度傾げ、ああ、と高い声を上げる。相変わらず不気味に笑ったままだ。

 「俺が何者か警戒してるんだね。俺は兎吊木垓輔っていうんだ。ここの施設のセキュリティ管理を任されてる、技術者だよ。お兄さんは?泥棒?」
 「違う。俺はこれを取り返しに来ただけだ。そもそも泥棒はそっちだ」
 「ああ、はぁ。なるほど。綾南豹の知り合いの人?うんうん、ごめんよ。俺は一応、盗みは駄目だよと偉い人に進言したんだが、勝手に取ってきちゃったみたいでさぁ。いや、まったくごめんごめん。言い訳もできないよ。わざわざありがとう」

 兎吊木垓輔と名乗った子供は、そう言って肩を竦めてみせる。謝る方法というものを馬鹿にする行為と倒錯しているような、そんな寒々しい動きだった。こんな重要な部屋に配属されているということは、本当に技術者で、しかも素晴らしい才能を持っている奴かもしれない、とも考えたが、俺ならどれほど天才であろうがこんな子供を部下にしたくはないな、と思った。いや、もしかしたらこの会社の連中も同じことを考えているかもしれない。だからこそ、こんな所に一人きりで放置されるのだ。

 「ねぇ、ちょっとこっちに近づいてきてよ」
 「何で」
 「お兄さんの顔をもっとよく見たい」
 「断る」
 「お兄さん、ツンデレなのかい?そういうこと言ってると結局いつか近づく羽目になるんだぜ?そういうの、巷じゃフラグって言うんだ」
 「お前はネットオタクか」
 「しょうがないだろう?こんな所で遊ぶにはちょっと狭すぎるし、一定の運動量を取れないように指導されてるんだ。逃げださないようにね」

 確かに、兎吊木垓輔の居る部屋は走り回るには精密機器が犇きすぎているし、パソコンなどの機械以外に物が無いのだ。そのせいなのか、兎吊木垓輔の体はやけに痩せ細っている。俺も子供の頃は華奢だなんだと言われたが、それよりも細い気がする。

 「逃げたいのか?」
 「いや、別に。ただここの研究所の人達はやけに俺が逃げることに怯えているようだけど。食事もちゃんと貰えるし、別に逃げる必要は、今のところ見つからないなぁ。別に外に出ても、あまり変わらないと思うし。ただ住むところが広くなるぐらいだろ?」
 「そうだな」

 俺の答えにくすくすと声を上げて兎吊木垓輔は笑う。硝子声に聞こえる声はくぐもっているのに少女のように高い。柔らかく細められた眼球がいやらしい。今更時間をとっていることに気がついて、俺は慌てて身を翻した。

 「お兄さん、もう帰っちゃうのか」
 「もうこんなところ用は無い」
 「寂しいな」
 「知るか」

 舌打ちを一回。吐き捨てて、俺は入ってきた通路へ向かった。硝子越しに向かってくる子供の眼球が、ぴたりと俺の背を見ているようだったが、無視してその場を後にする。ガキは嫌いだ。男も嫌いだし、あんなふうに笑う人間も嫌いだ。それじゃあ好きな人間はと聞かれれば、そんなものは居ない、としか答えられないのだが。











 「こんばんは。お兄さん」
 扉を開けてすぐ前に居た子供は、高層マンションに現れるにしては流石に場違いな格好をしていた。重症患者の着る様な白い病人服を着ているのだ。髪の毛は脱色したのかどうなのか分からないが、真っ白になっていて、黒いサングラスの向こう側で黄色い目が笑っていた。
 思わず喉が引き攣って、お前、と呟いた声が掠れた。兎吊木垓輔はにっこり笑って、「いいところだね。一人暮らしかい。お兄さん」とあの時硝子越しで見たのとまったく変わらない高い声音で嘯く。
 「なんでてめぇが・・・ここにいる」
 「脱走してきた」
 無論、ここはあの地下の研究所ではない。あの仕事から丁度1週間後、ちなみにここは俺が住み家にしている某県の高層マンションだ。どうやって見つけたのか、この技術者のガキに聞くのも愚問といったものだろう。
 何のつもりなのだ。迷惑だ。さっさと帰って捕まって、穴倉に帰れと吐き捨てようと思った。しかし声を出すのを忘れてしまった。兎吊木垓輔は扉を支える俺の手を両手で掴むと、何をするかと思えば、滑らかな動作で唇を押し付けてきたのだ!
 「てっ、めぇ・・・!」
 「お兄さんに触りたくて」
 気持ち悪い人間のクソガキが触るな、殺すぞ、と脳味噌の奥で殺人鬼が喚く。少女のように綺麗な面した兎吊木垓輔は、俺が驚愕と畏怖で震えるのをいいことに、こういうのを一目惚れというのかな? と阿呆のぬかす様に笑った。
2009/9・16


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