■未来といってもその目の向こうに映されたそれは
きゃあきゃあと、子供特有の甲高い声が響く。忍の生まれである子供達は転んでも即座に受身を取って、飛び跳ねるように鬼ごっこを続けていた。幼い足が地面を蹴って、細い腕が空を掻く。
「猿のようだ」
「そこは天狗の子とでも称しなさいよ」
ぼんやりとしながらふと呟けば、背後から溜息混じりに叱責が飛んだ。体中に刺青を入れた女は縁側に腰を下ろした海亀を呆れた目で見つめ、「どうしてアンタはそうやって憎まれ口みたいなのしか言えないのかしら」と肩を竦めて呟く。余計なお世話だ。即座に反論しようとも思ったが、女は特に用事でも無かったのか、そのまま縁側の角を曲がって家の中へと消えた。
妖怪染みた特性のある女だが、けして仲間を愚弄するような言葉を用いらないのが好感が持てる。だからといって狂犬と恋愛沙汰になる人間なんていないだろう、と思う。毛皮をまきつけたような格好をした女は忍というには異様に目立つ風体をしている。変わり者の多いと言われる真庭忍軍でも、変わり者中の変わり者である。
「まさ亀海」
狂犬の消えた方向をぼんやりと見つめていると、唐突に背後から声をかけられた。子供達は先ほど鬼ごっこをしていたのか息が上がっており、白い頬を赤く染めていた。純粋な目を一心に海亀へと向け、「一緒に遊びませんか」と口を割った。
「断る」
「きゃはきゃは、つれねぇのー」
は、は、と肩で息をする黒髪の子供は、海亀を挑発するかのように特有の笑い方で口元をゆがめた。20歳そこらで十二頭領に選ばれた新参者だから里の子供達にも甘く見られているのかもしれない、と思うと胸をむかむかとした物が覆った。眉を顰めると、子供の癖に長い白髪の子供が「いけませんね、いけませんね、いけませんね」とにやにやしながら言う。
「怒ってはなりませんよ海亀さま。子供の願いなんて軽く一蹴するぐらいでなければ頭領としての位を疑問視されてしまいますよ。いけませんね、いけませんね、いけませんね・・・ふふふ」
「五月蝿いわ。お主らこそ追いかけっこでもするぐらいならば修行をするべきだろうが」
「よなう言、事ういうそ」
「鳳凰さまが遊びながらできる修行って言ってたぜ?きゃはきゃは」
「海亀さまも仕事しなくていいのかぁ?」
子供達は無邪気に笑いながら、これ以上海亀の説教を聴きたくないとでも言うかのように再び走り去って行ってしまう。静かになった縁側でやれやれと肩を竦めれば、きしっ、と床が軋んだ。
音のした方向へと目を向ければ、十二頭領に仕える女中が二人、手に盆を携えてやってきた所だった。海亀の姿を目に映し、すっと行儀よく頭を下げる。精錬された動きに一拍遅れて、女中の背後に隠れていた少女は緊張した面持ちでひょこりと頭を下げた。
泣き黒子が特徴的な、子供ながらも美しい顔立ちととれる少女だった。忍の里といえど、忍術の扱えない人間も多数存在する里でも、少女は忍の心得があるのか、足音が殺されている。
将来有望なんだろう、と思いながら、こちらをじっと見つめてくる少女から目を離す。もしかしたら将来狂犬に次ぐ女頭領にでもなるかもしれん、とそんな感にも似たことを思い、ようやく腰を上げた。
頭領の住む屋敷から少し離れた土倉へと向かえば、既に扉は開いており、隙間から埃っぽい空気が溢れていた。
鳳凰に相談したいことがあると言われていたので、顔を顰めながらもそれでも室内に身を滑り込ませる。
「・・・・・・・・鳳凰、どこに居る」
土倉の中は結構広い。両側に積み上げられる巻物や武器類はかなり上に位置している窓から零れた太陽の光でうっすらとその形を浮かび上げさせているだけだ。しかし、それとは違い、蝋燭の炎で明りがついている場所を見つけ、海亀はそちらへと足を進めた。
砂を噛む音がじゃり、と響く。蝋燭の明りを頼りにごそごそと倉の整理をしている人間はようやく頭を挙げ、目を大きく見開き、あ、と声を零した。
「・・・海亀さま」
「・・・・ああ、虫組の子飼いか」
そこに居たのは十二頭領虫組の子飼いである子供達だった。異様に背の低い少年と、睨んでいるつもりが無くとも人を睨んでいるように見える少年、そして異様にひょろひょろと背の高い少年と。
見た目に合わず、一番背の低い少年が一番の年長であり、しかし口ぶりも嫌に落ち着いている。
「鳳凰がどこにいるか知らんか」
「鳳凰さまは上の階にいらっしゃいます」
どうやら倉の武器の整理をしていたらしく、木箱に何重にも納められている刀を、恐らく大人でも力を込めなければ持ち上げられないであろう本数を片腕でひょい、と掴み上げ、背の低い少年は残りの二人の子供に「行こうぜ」と呟く。長身の少年はおろおろと目つきの悪い少年の着物を掴んで立ち上がり、海亀へと一礼して出口へと向かった。「何びびってんだよ」「だって、蝶々さまや蟷螂さまや蜜蜂さま以外の頭領の方と初めて話しましたから、」「話したのは蝶々だろう」などと、忍の聴覚のよさを考慮せずに堂々と小声で会話しながら土倉から退出していく。儂は一体どう思われているのやら、と肩を竦めながら、背の低い少年に言われたとおり階段へと足を向ける。
「鳳凰」
「ああ」
鳳凰は上階の埃塗れの床に腰を下ろし、蝋燭の明りを頼りに巻物を読みふけっている所だった。
「話とはなんだ」
「まぁそう急くな。ああ、人鳥の所に孫が生まれたらしいぞ。何やら特殊な能力が生まれながらにあるらしい。将来が楽しみだな」
鳳凰は十二頭領の中でもそれを纏める立場らしいことをにこやかに呟き、するすると巻物を仕舞いなおした。
「で、話とは?」
「何をそう苛ついている?何か悪いことでもあったか」
「なんもないわ」
否定すれば、そうか、と鳳凰はそれ以上踏み込むことは無かった。巻物を棚へと戻しながら、鳳凰は蝋燭の明りを消す。太陽の光のみが照らす薄暗い土倉の中、鳳凰はさて、と言葉を紡いだ。
「真庭の将来、どう見る」
「どう見る、とは?」
大まか過ぎて返答に困る問いかけに、海亀は問いで返した。鳳凰はふと微笑み、締め切った板戸を開ける。冷たい空気が土倉へと吹き荒れ、埃が舞い上がり、唐突に息苦しくなる。
「戦が終わり、天下泰平の時代が訪れた。乱波の使い道は無くなる。仕事は消え、我らは路頭に迷うかもしれない――――という話か?」
「ああ」
子供の笑い声が風に紛れて飛んでくる。鳳凰の表情は、こちらに背を向けているせいでうかがうことはできない。しかし、優しく微笑んでいるであろうことは伺えた。
「忍をやめるのも手かもしれぬ」
「しかし我らは忍として生まれた」
「だが、だからといって忍として死ぬ必要は無い」
「そう、簡単なものではない」
鳳凰が生まれた時代を、海亀は知らない。鳳凰がどれ程の時を過ごしてきたかも、知らない。
「おぬしが迷う問題を、儂が答えられるとも思わん」
「すまん。迷っただけだ」
鳳凰のさらりと零した呟きに顔を顰め、海亀は無言のまま背を向ける。ぎしっ、と階段が音を上げた。
「答えがあるとも限らん。答えを出すのも、今でなくともいいのではないか」
「・・・・・・・そうか。・・・・・そうだな」
鳳凰はふと気を抜くようにそっと笑みを零し、階下へと下がっていく海亀の背を目で追いかけ、板戸を閉めた。優しい暗闇が、降っていく。
2008/3・2