■オリジナル零崎集
(零崎飛織)
放課後、誰も居ない屋上への階段を上り、僕は目的の場所へと着く。
少し錆付いた扉のドアノブを回し、半ば体当たりする形で扉を開けた。
冷たい風が頬を撫でて、僕は部活のせいで火照った頬が一層熱くなるのを感じる。
「・・・・・・・あ」
そこでやっと、僕は屋上に居た僕以外の人間を初めて目にした。
大学生ぐらいの歳の女の人だった。錆ついてゆるゆるになったフェンスに手を掛けて、気を抜いたら飛び降りてしまうんじゃないかと思う情景に、うっかり僕はその人に駆け寄りそうになってしまった。
この屋上は何年か前にこの学校の生徒が飛び降り自殺をしたせいで閉鎖されていたものだから、ここに居ることを先生に見つかったら怒られてしまう。
早く立ち去ろうと慌てるも、女の人はそれよりも早く、くるりと振り向いた。
淡い金色の髪を三つ編みにして、頭の方にぐるっとまきつけている、珍しい髪型だった。
カラーコンタクトだと思われる赤い眼にぎょっとして立ち竦んでしまった。
「野球部の人かな?」
「え、あ、はい」
女の人のワンピースが風を孕んで膨らむ。ピンクのミュールがかつんと音を立てた。
「部活、大変みたいだね。大会とか近いの?」
確かに、一週間後に大会を控えていた。「はい」と答えながら僕は頷く。
女の人は少しだけ首を傾げて困ったように笑った。
「声が聞こえにくいから、こっちへおいでよ」
「え、あの、その、貴女は、学校関係者の人ですか?」
「ああ、この学校の卒業生なの。吹奏楽に入ってたんだよ」
僕はやっと足を動かし、女の人に近づく。「良い景色だよねぇ」と女の人は伸びをして、グランドで走るサッカー部をのんびり見下ろした。
「あたし、高いところ好きなの。馬鹿だから」
「はぁ・・・・・」
女の人は、ちょっと舌ったらずな喋り方だったけれど、別に頭が悪そうとは思わなかった。
「ここへの扉、錆ついてたね」
「・・・なんか、昔、ここで飛び降り自殺した人が居たらしくって、それで立ち入り禁止になったんだそうですよ」
「へー・・・だからか。飛び降りねぇ・・・その話は知ってるけど、自殺とは知らなかったなぁ」
「そうなんですか」
女の人は、ゆっくりと僕より後ろに下がる。僕は隣に並ばれるのに居心地が悪くなり、フェンスに手を掛ける。
「あ、自己紹介が遅れたね。あたし、零崎飛織、っていうの。飛ぶに織姫の織でとびおり。不吉でしょ。今にも自殺しそうな感じ?」
「・・・・・・・・不安なこと言わないでくださいよ」
「そうだよねー落ちるのあたしじゃないし?」
次の瞬間、ガシャン、というフェンスに叩きつけられる音が立つのと、僕が空中に投げ出されるのはどちらが早かったんだろうか。
女の人は振り向く僕よりも早く、引いた拳を僕の鳩尾に叩き込んだ。まさか錆びたからと言ってフェンスごと吹っ飛ぶわけが無い。おそらく女の人は先にフェンスの留め金を完全に緩めておいたんだろう。足が宙に浮いて、屋上から僕が放り投げられた次に、女の人の踵落としが、宙を浮く僕の体に止めを刺す。
第二撃。
僕はフェンスと共に、グランドのの下まで落ちた、ふと見た女の人は、屋上の上で笑っていた。
先生、これは僕の推測ですけど、何年か前の飛び降り自殺は、あの女の仕業ですよ。
因みに、この学校は四階まであって、屋上はいわゆる5階にあたる。
地面に叩きつけられるまで、あと何秒かだなんて考えたくも無かった。
最後まで風が心地よかった。
(零崎蜜織とぼく))
少女は、赤い着物を着ていた。
どこかのお嬢様なのだろうか、おかっぱ頭に幼いながらもどこか気品のある顔立ちをしていて、崩子ちゃんと似通っているながらも、雰囲気が全然違う。
赤い鼻緒の黒い下駄を履いていて、ぼくに気づくとからん、と音を立ててぼくと向き合う。
「夜中に出歩くと、ろくな事が御座いませんよ・・・伊井様」
ぼくは何も言うことが出来ない。彼女の背後には、家があった。
炎上していた。
ごうごうと音を立てて、暗い空を焼き尽くそうとするかのような真っ赤な炎。
少女の小さな手には、小さな可愛らしい模様の書かれたライターが握られていた。
わらわらと集まってきた野次馬の人たちが、ぼくらの横を通り過ぎていく。
いつぞやの川原で、かの通り魔殺人鬼の言葉を思い出した。
『兄貴から聞いた話だが、零崎にも変な奴らがいっぱいいてな。目潰し魔に破壊魔に、溺死魔に――――放火魔もいるらしいぜ』
コンビニのビニール袋を握り締め、ぼくは少女を見つめる。少女は口元を痙攣させたかのような、笑みなのかどうなのか分からないような顔をして、自己紹介をした。
「お初にお目にかかります。零崎が新参者、愛するお兄様から頂いた名を零崎蜜織と申します」
少女は道の真ん中でいきなり正座をすると、土下座のように深々とぼくに向かって頭を下げた。
それが、世にも珍しい放火魔との出会い。
(屍と飛織と蜜織)
「あの人のためだ」
何度目になるのか、吐き出された言葉に溜息を吐いた。
吐き出された言葉、というのにはしかし間違っているのだろう。
相手は電話の向こう側だし。私は電話のこっち側だし。
そう思って、飛織は携帯のメールに文字を打つ。
「また「あの人」のため?馬鹿じゃないの。あんたはただ自分で何かすんのが怖いから、あの人とかいうのを盾にしてるだけなんでしょ。相変わらずの臆病者め」
「否定はしない」
2,3秒もすればすぐに返答が来る、異常なまでのメールが返ってくる早さに、相変わらず機械類を扱うのは得意なんだなぁと思う。
「言い訳ばっかりしないで、昔の友達にでも会いにいきなよ。同窓会とか来なかったじゃん」
「お前もだろう飛鳥」
「誰から聞いてんの。情報は早いんだよね、あんた」
「ひきこもりは世間に疎いが、有効範囲内は細かい所まで目が行き届くもんなんだよ」
「あんたの台詞って10分の9が言い訳だよね」
「お前の言うことは10分の9が喧嘩腰だよな」
「もういいや。それじゃあ、暇になったらまたメールする。おやすみ統乃」
「おやすみ飛鳥。このままメールの会話だけしか残らないように、実際会わないことを、いつだって望んでるよ」
「ばーか」
呟いて、携帯を閉じる。
ぱこ、と音を立てて部屋から明かりが消えた。
「あたしも、実際会わないことを望んでるよ。委員長」
20年前とは、どちらも酷く変わっただろうから。
飛織は携帯電話を尻ポケットにつっこみ、部屋を出る。
リビングの扉を開けると、部屋の中央で椅子に座らず正座している着物姿の少女がいた。
頭を上げて飛織の姿を見ると、「お電話は終わりましたか飛織お姉さま」と行儀良く聞いてくる。
「まぁね。ってかあんた正座して足痺れないの?」
「慣れました。むしろ椅子に座ることが落ち着きません。それではこれからどうするんですか?」
「そうだね・・・賢識の先生を待つってのもまぁ手だけど、だるいしね」
「私、あの耳好きの変質者野郎と耳について考察するのにも飽きました」
「蜜織、地が出てるよ」
「あら、私としたことが、機嫌を損ねさせましたら申し訳御座いません」
「んん、いや、お上品なあんたからそういう台詞聞くと、逆に気分が良いや」
くしゃりと少女のおかっぱを撫でると、飛織は少しだけ笑いながら、「小遣い稼ぎに零崎でも始めちゃおっか?」と少女に聞いた。
「それはとても宜しゅう御座いますわお姉さま」
少女も艶やかに微笑んだ。
(零崎賢識)
「あー・・・耳がぼあっとする・・・」
横向きに椅子に座り、丁度首を乗せれる位置にある台に横を向いて頭を置く。左耳を天井に向け、人識はぼけっと気の抜けた声を上げた。
「あと1分ぐらいですから、我慢してくださいよー、と。耳掻きは一週間に一度で良いんでちゃんとやってくださいね」
「これさぁ、首痛くなるんじゃねぇの」
「まぁまぁ、取れたらすっきりしますから」
人識の言葉に対応する男は、棚に入っている薬を整理し、カルテをさくさくとしまうと、人識のほうに顔を向けて笑って見せた。眼鏡の奥の垂れ目の優しげな瞳は人識の耳を凝視しているようだった。
水泳後に耳に溜まる水ってこんなのかーと思いながら、人識は男―――零崎賢識を見る。
中肉中背の平凡そうな男で、黒のハイネックに黒のパンツ、その上に真っ白な白衣を着ている。白いフレームの楕円の眼鏡をつけていて、双識から29歳だと聞いていたが、30代後半に見える老け顔だった。両耳にピンクの小さなピアスをつけている。
「なぁセンセ。今度耳にストラップつけたいんだけどさ、穴どれぐらいでかくすりゃいいかな」
「ストラップ?そうですねぇ・・・そこまでさせると耳の美しさが欠けそうな気がしますけど・・・。後で調べます。それより人識、右の耳がそろそろ開けるところ無くなってきそうですけど・・・止めてくださいよ、むやみに開けるのは。いいですか、耳と言うのは音を拾うためにできた器官なわけでは無いんですからね。そもそもこのような形になったのには意味があるんですよ。人間の進化の結果完成された最終形態なんですから」
「へいへい、耳については聞き飽きたぜ先生」
賢識は話を途中で止められたのに不機嫌な顔をしたが、人識の天井に向けている耳にガーゼを当てると、頭を逆にしてください、と至極丁寧に、(まともな医者のように)命令した。人識が言われたとおりに逆にすると、耳の中に入っていた汚物がすべて吐き出されたような気分になった。思わずすげーと声を上げる。
「水、残ってません?」
「全部出たって。え、うわー、すげー。これから耳掻きの代わりにこれしたい」
「片方の耳、切り取って僕にくれたら、喜んでいつでもやってあげますよ」
にっこりと微笑まれて人識は声をなくす。そうだった。こいつも特殊な変態なのだ。
「代金はちゃんと払って帰ってくださいよ」
「いえっさぁー。つかさ、トイレ行きてぇんだけど、何処だっけ?」
「突き当りを右、ですけど・・・今故障中ですから」
「別にいーよ」
人識はにやっと笑ってみせると、賢識の行ったとおりの方向へ向かった。トイレのマークを確認するより前に、故障中と張り紙が貼ってあるせいですぐ分かった。
躊躇の欠片も無く中へと入る。人識の予想が当たっているのならば、トイレは使えるはずなのだ。おそらく、一つを除いて。
中には個室が5つ、右側に二つ、左側に三つあった。しかし、右側の一つが扉が5p程隙間を開けたまま開いていた。他のすべては全開になっている。
人識はすたすたとその一つへと向かって、むりやり押して開けた。続いて呟く、あらら、という感嘆の声。
便器に頭を突っ込んだままぴくりとも動かない男が、背中をこちらに向けて、膝をついた状態で倒れていた。異様な所は、耳だけが切り取られていて、頭の両端が真っ赤にそまっていた。人識の場所からは見えないが、おそらく顔は蒼くぶよぶよに膨らんでいるだろう。あきらかな溺死。
「先生も趣味わりぃの・・・」
人識は視線をトイレタンクの上に常備されているトイレットペーパーへと移した。トイレットペーパーをつつむ紙には、上紫波耳鼻科医院と書いている。
「死体ぐれぇ処理しろよなぁー・・・耳以外に興味が無いっつったって、これはねーだろ」
人識はがりがりと頭を掻いて、何事も無かったかのように向かいのトイレの個室に入った。トイレの芳香剤と、嫌なにおいの混ざる空間に顔を顰めながら。
2007/8・01