■ブログ短文集


■時真

 あ、駄目だ、と時刻は瞬時に思った。こちらを振り向いた真心の眼球が、あまりにも真っ直ぐに時刻を見据えたからだった。そこに怒りはなく、卑屈な心もなく、呪うような痛ましささえなかった。
 真心にとって、それはただ男を視界に捕らえただけの行為だったのかもしれないが、時刻はそれにあっさりと屈し、反射的に目を逸らした。他人と目を合わせるという行為自体が呪いの術式である男にとって、その行為はあまりにも無様で弱弱しく、その男のことを知っているものならば腹を抱えて笑ってしまいたいほどの行為であると言えた。
 4年前に男が自由を奪った少女はそれ相応に成長を遂げていた。しなやかな肉体を動きやすそうな体のラインのわかるシンプルな衣服に身を包み、彼女はそこに居た。彼女の親のような存在である人類最強の赤色を彷彿とさせる姿であった。
 かつて時刻を魅了した橙色の眼球や、ライオンのような逆立った橙色の柔らかな髪が、過去のように燦々と輝いているように思えた。太陽のような存在で、彼女は男の前に立っている。微塵の揺らぎもなく、自ら男の逸らされた目を追った。
「何か言うことがあるだろ、時刻」
「・・・・・う・・・」
 彼女が何を言わんとしているか、時刻は理解ができない。時刻は、真心が己を殺しにきたのだと思った。幼く、その小さな体に押し込まれた膨大な力をただ操り人形のように利用された彼女の自由を奪い続けた、百獣の王たる彼女を侮辱し続けた自分を、おそらく真心はついに殺しに来たのだと。
 呪いも使うことができなくなり、時宮から離反し、逃げるように世界から消え、辺境の地で何かから怯え続けるような無様な時刻の元へ暴風雨のようにやってきた真心に、時刻は何と言えばいいのかわからない。許されるのならば地面に額を擦り付けて彼女に謝罪したい所ではあったが、実際目の前にしてしまえば、それすら彼女を侮辱するようなものであると思えた。それほどまでに、彼女はあまりにも堂々としている。一切の恐れなく(無論、今の時刻に対して恐れの感情など抱いて会うことなど馬鹿のようだが)かつての仇敵の前へ現れた彼女に、どういった対応をとればいいのか、時刻はわからない。
「前を向け!こっちを見ろ!」
「なん、なんですか、もうやめてください」
 息も絶え絶えに、時刻は言った。真心の前に立つというこの状況だけでショック死してしまいそうである。今にも泣きそうな大の男を苛々とした風に見て堪えきれないとでもいうように真心は時刻の胸倉を掴み上げた。
「時宮時刻!」
「すみません、ごめんなさい、本当に、申し訳ありません・・・!」
 嘆くような嗚咽を洩らし、時刻は崩れ落ちた。真心に掴み上げられた胸倉だけで上半身を立たせている状態で、小さく悲鳴を上げた。
「貴方を思っていただけなんだ・・・!」
「・・・・・馬鹿野郎」
 押しのけるように手を離し、真心が眉根を寄せて呟く。かつて己を信奉していた男の見るも無惨な姿を見ていられないとでもいうように目を伏せ、「こんなお前を殺しにきたんじゃない」と、あまりにも優しい台詞を吐いた。彼女はまだ呪われている、と時刻は思った。自分だって、こんな優しい彼女を救いたかっただけだったのに、と言い切れない思いだけが心中を渦巻いていた。



■兎吊木と軋騎

 唇は、いつの間にか乾いていた。口を開いたら、ぴりっと痛みが奔った。
 マグの中でたゆたうコーヒーの表面には、うっすらと埃が浮かんでいた。角度を変えればすぐに見えなくなる、小さな白い皺。
 「主よ、憐れみたまえ!」
 ああ、と間抜けな声を上げて己の額をその白く女のような指で擦り、兎吊木はオーバーリアクションで嘆いた。
 「この俺が産まれた日を美女ならまだしも幼女でも少女ですらない、間抜け面の男と過ごしている俺を!」
 「間抜け面はてめえだし、お前が産まれた日は33年前だろ」
 「揚げ足取りだけ得意だなお前は!」
 悲痛な叫びでも上げるようにきいきいと声を荒げて、兎吊木はテーブルをがんと拳で打ちつけた。なんでもいいけど喧しい。どうしてそうお前はテンションが低いとわざわざ上げるために五月蝿くなるんだ?
 「ああ、プレゼント。プレゼントが欲しい!女の子から心の篭った、俺のことを考えて3日3晩悩み続けて買ったどうでもいいようでどうでもよくないプレゼントが欲しい。因みにどうでもいいものがそんな女の子から貰ったプレゼントだからこそどうでもよくないものになるのであって、実際はどうでもいいものでいいんだ。ツンデレ少女抱き枕とかね!」
 「それどうでもいいのか?」
 「どうでも・・・・・・・・」
 兎吊木は一度薄い無精髭の生えた顎を撫で、いや、と首を振った。
 「よくないな・・・。ちょっとマジで欲しいかもしれない」
 きもちわるい・・・。
 「きもちわるい・・・」
 「お前、そういうのは心だけに留めておけよ・・・口に出すなよ」
 「気持ち悪い」
 「二回言った!」
 もうやだぁこいつ酷い!と兎吊木はわっとテーブルに突っ伏した。ぐすんぐすんと口で泣き真似をしている。泣き真似にしてもぐすんぐすんはねえだろ・・・。
 現在、兎吊木が住んでいるマンションの一室。テーブルしか置いていないこいつのプライベートルームにパソコンを二つ引っ張ってきて、死線に命令されたハードディスクの中身を解析中だった。因みに一徹目。
 うううううう、と独特の機械音が響く中、暇を持て余して淹れたコーヒーにも飽きて(10杯目だった)ごろごろと寝そべっていると、兎吊木が今は何時かと聞いてきた。何か用事でもあるんだろうか、見たいアニメだろうかと思いつつ夜中の午前2時、と答えると、沈痛な面持ちで、「俺、今日誕生日なんだ」とぼそっと言った。
 そもそも俺に何か言ってもらいたいわけではあるまいと思って、へぇ、ほお、そうなのか、何歳だっけ?34?と言えば、33だよ!と絶叫された。
 叫ばなくてもいいだろ・・・。
 「何か言うことはないのかい」
 「33歳の誕生日おめでとう。再来年は四捨五入すると40代だな」
 「なんでそう嫌なことばかり言うかなぁ?徹夜でいらついているといっても、その矛先を俺に向けないでくれよ・・・俺だって凄く悲しい。・・・・ああ、口に出して言ったら凄く悲しくなってきた。あああなんて悲しいんだ!俺の誕生日!こんな密室で男と二人っきり!あーもう、女の子がほしい!」





■兎吊木と軋騎

 「空が蒼いのはきっと神さまが海に落ちたいと願っているに違いない。きっと皆溺死がしたいんだ。なんてったって蒼い中に埋没できるのだからね。海水というのはしょっぱいと聞いたけれど、もしもそれが死線の涙であれば、彼女が涙を流さないのも納得だ。きっと全ての涙を零してしまったに違いないからね。彼女の涙の中で溺死できて、しかもその中で自由に生きる生物に食べられて消えるなんて、まるで楽園のような話だ。天国というのは空ではなく地上にあったんだな」
 「それなら階段はいらないな」
 「そうだね、飛び降りる勇気があればいいのさ。どうだい、二人でどこかに飛んでみないか」
 「それが口説き文句なら、笑えるぐらいセンスがねぇな。紐なしバンジーがしたいなら、近くのビルで手伝ってやるよ。お前のその背を、優しく突き落としてやろう」
 「優しく?そんな言葉がお前から聞けるなんて!ついにデレ期到来なのかな」
 「そうだな、死ぬ時ぐらいは優しくしてやるよ。冥途の土産に、殺人鬼に優しくされるのもまた、美談だろう?」
 「じゃあ俺のハートも買って、極悪非道な鬼に売りつけてよ!」
 「どういう美談で、ショーウィンドウから何を見てれば、そんなうさんくさいおっさんが声をかけるっていうんだ?」
 「そりゃあ、世の中のショタコンならなんだってするさ。可愛い子ならなんでもね」




■時に心すら裏切る(姫ちゃん


姫ちゃんは他の人が考えてるよりよっぽど利口なのです、と姫ちゃんは言った。
私はそれをただ聞いている。
そもそも優しさを享受するだけで生きるなんてまっぴらご免なのです。姫ちゃんは誰かに愛されることを望んでいるわけではないのです。姫ちゃんは姫ちゃんの世界が守られればそれで十分なのです。そのためならば姫ちゃんはなんだってできるんです、貴方だって殺して見せます、と姫ちゃんは言う。
私はそれをただ見ている。
先生やお友達だってどうせ姫ちゃんが戦場でどれほどの功績を積めるか、それだけしか考えていないに違いないのです。ただ姫ちゃんが扱いづらくって、少し卑怯な頭を持っているから、ぺこぺこ頭を下げるんです。萩原先輩だってどうせすぐ姫ちゃんを捨て駒にするつもりなのです。姫ちゃんはお利巧なのでそんなのすでに看破しているです、と姫ちゃんは語る。
私はそれをただ正面に立たせて、面接みたいに観察していた。
だから姫ちゃんは誰だって裏切ってみせますです。それは例え自分自身であったとしてもです、と姫ちゃんは叫んだ。
わたしはただひめちゃんのくびがしまるのを みて

そしてちょっとだけ泣いた。



■骨捕り(兎軋

おや、これはなんだろう?
兎吊木はそう言って、玄関先で小さな白い欠片を拾い上げた。俺はそれを見て、少し前に愚神礼讃の鞄から転がり落ちたものだと気づいた。
「人骨」
「人骨・・・うひゃあ」
棒読みで兎吊木が悲鳴を上げた。手はしっかりと骨を持ったままで。
なんたって君の家の玄関に人骨があるのだい、もしかして人骨収集家かい?ならば釘バットで殺すなんてことやめたほうがいい。刃物で殺した方が骨が傷つくことが減るよ。といけしゃあしゃあと兎吊木は言った。
うるせぇボケなんで人の骨なんざ集めにゃならんのだもう少し物を考えて喋れ。そもそも人骨収集してるならなんで玄関先でんなもん見つけるんだ馬鹿か。馬鹿だったな。
その小さなどこかの人間の部品は、愚神礼讃の釘部分に引っかかったというかめり込んでいたものだった。結構簡単にころりと取れたが、電機をつけて床に落ちたのを探すのも面倒くさかったので放置していたわけだ。
「可愛そうになぁ・・・この人の親戚は骨が足りなくてがっかりしてるだろうなぁ」
「足りない骨に気づくか?っつーかその骨がどこのもんかもわかんねぇだろ」
かわいそうになぁ、と兎吊木は数度言うと、玄関の扉を開け、そのままぽいっと、マンションの通路から外に骨を放り投げてしまった。白い物体が視界から消えるまで、しばらく俺はそれを眼で追い、その白さに少し驚いた。
2009/9・30


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