■ブログ短文集
■人軋
真っ赤な眼球と言われれば兎を思い出すものだ。しかし人識が以前見た動物大図鑑にのっていた兎は笑えるほど真っ黒い目玉をしていた。どこで兎の目玉が赤いなんて聞いたのだろう。しかし、光の関係で黒に見えたのかもしれない。兎が見てみたい。人識は思った。
「大将、動物園行かない?」
だから、唐突に何も考えずに声をかけてみた。今更思えば「あれってデートのお誘いっぽくね?」とか考えたものだが、人識の頭の中は兎の目玉についてのことでいっぱいであった。軋識は当たり前だが、煙草を燻らせながら新聞の一面から視線を上げ、人識の真っ赤な目玉を一瞥して、「何をしに?」と問い返した。
「兎が見たい」
「お前は何歳っちゃ?」
軋識の返答はどこまでも冷笑を含んでいる。呆れた口調であった。当たり前だが、人識は今年18になる。兎が見たいだけで動物園に行くなど、その行動力を褒め称えるべきか、幼稚な考え方に呆れるか怪しい所であった。
「17歳だけど」
「17歳にもなって親の引率が必要っちゃか?」
軋識の言葉は至極最もである。人識は肩を竦め、「足がねぇんだよ」と吐き捨てた。もちろん足というのは車などの移動手段であるが、軋識は新聞に戻した視線を戻そうともせずに、「立派な足があるだろっちゃ、人類最速」と人識をからかう。意地が悪い大人だ。人識は不機嫌を隠そうともせずに、軋識の座るソファの正面にある対になったソファに腰を下ろした。スプリングが軋んだが、人識は気にせずごろりと横になる。
「大将、兎の目って赤いっけ?」
「そんなことが知りたいならネットででも調べろっちゃ」
「そんなことってなんだよ。どうでもいいことでもなんか気になったら中々忘れられないだろ?」
「目玉が赤かったらどうするっちゃか?」
軋識の率直な問いに、人識は一瞬言葉を無くし、ああ、と間抜けな声をあげた。
「どうするんだろうなぁ」
「意味の無いことに一々拘ってちゃ何も結果を招かねぇっちゃよ」
「あーやだやだ、大人は結果ばっかり拘って!」
拗ねてごろりと転がれば、軋識が一度鼻で笑った。ゆっくりと吸い込んだ空気をふっと吐き出す音がして、人識は目を閉じる。軋識の一瞬の優しさが好きだった。
「兎の目玉見てるよりてめぇの目見てたほうがいいっちゃよ」
驚いて身を起こせば、軋識は灰皿に煙草を押し付け、部屋に戻ろうとしていたところだった。人識はソファの上から跳躍し、軋識の線の細い、しかししっかりした背に飛びつき、「なぁ、もう一回言って」と甘えてねだった。
「なんなら至近距離で魅してやろうか」
「遠慮するっちゃ」
どさくさに紛れて唇まで押し付けてくる愚弟の顔面を片手で遮り、軋識は呆れて肩を竦めた。人識はそんな仕草も好きだった。
■兎軋
「俺の言葉を全て嘘だと詰ってくれ」
いつも通りの馬鹿な言葉遊びに辟易しながら、軋騎は画面から視線を離さず、「わかった」と承諾した。窓から差し込む太陽の光は暖かい。見事な秋晴れである。
微かに開けた窓の隙間からは冷たい風が入り込んで室内は丁度いい温度だ。部屋に溜まった埃が吹かれて、光の中でちかちかと光を孕んでいる。
二人きりでの作業は大して珍しいことではなかった。軋騎が一番タッグを組むことが多いのは綾南豹だったが、それに匹敵せずとも兎吊木と二人きりにさせられることも多いのだ。
兎吊木は壁に背を預け、ゆるりと宙へと注いでいた視線を軋騎の上等なスーツに隔たれた背中を見た。そして言った。
「俺はお前が好きだ」
「嘘だ」
言われたとおりに返答する。兎吊木の言葉を聞いてもいないかのような速さで。
陳腐な応酬に兎吊木がはぁ、と溜息を出した。軋騎は応じない。
「俺は少女が好きだ」
「嘘だ」
「俺は少年が好きだ」
「嘘だ」
「俺はおっさんが嫌いだ」
「嘘だ」
「お前、俺の言葉を聞いているかい」
「嘘だ」
「・・・・・・」
自分から言い出したこととはいえ、ここまで無反応で返されてはまったく楽しくない。すず目の前で静かにデータを読み込み続ける自分のパーソナルコンピュータはこんな時だけ自分に冷たい。俺の相棒は裏切ることに定評があった。そんなことを以前軋騎に洩らしたら、「持ち主に似たんだろうな」と鼻で笑っていた。
「式岸」
「なんだよ」
「お前のパソコンは性格悪いよな」
「使っている人間に真摯だと言ってくれ」
エロサイトに飛ぶとエラーが出るパソコンなんてどこが真摯だというんだ。俺は苛々しながら、言った。
「式岸軋騎は俺が好きだ」
「――――――」
数泊の沈黙。
「嘘だ」
軋騎は表情一つ崩さず言った。いつの間にか俺の方を向いている。冷たいグリーンの双眸がくだらないことを言い出した俺を軽蔑していた。背筋を這い上がる歓喜の感情に、あは、と俺の口が小さく笑い声を上げた。
「本当に」
「・・・・・・・」
軋騎は沈黙で答えた。静かな呼吸音だけが残っている。一度吸い、一度吐いた。
滑らかな空気は窓から入り込んだ冷たい風に押し流されて、どこかへ消えていく。
「愛しているよ」
「嘘だ」
また、ゲームのような応酬。いい歳をした大人の幼稚な遊び。
「ゲームはお仕舞いにしようか」
軋騎は強張らせた顔をけして緩めない。敵意のみを孕んだ殺人者の眼球が、俺の首と内臓と脳髄を狙っている。
お前からの愛を享受して、今すぐ俺の恋を本気にすれば、一瞬後には俺とお前は相思相愛だろう?
「愛しているよ」
「死んでしまえ。クソ野郎」
吐き出される言葉に可愛げはない。しかし俺が愛しているのはそんな生易しい優しさじゃないのだ。冷たい秋の風が、二人の間に積もった埃を静かに弄んでいる。
■人出
鼻血が口の中に入ってきたので、そのままごくりと飲み込んだ。方々に散らばるナイフが月の光を受けて艶かしく光っていた。艶やかなその表面をみて、俺は少しの間その白銀に見惚れる。ぼんやりとそれに映る暗闇と、チープな建物を見ていたら、ごり、と後頭部が他者によって踏みつけられる。
匂宮出夢である。
「ひぃーとぉーしーきちゃぁーん?なになになになになにくたばってんデスかぁー?夜はまだまだ長いんだからこんな時間からストリップしてもらっちゃ困るんですけどぉー僕は一体誰とダンスをすればいいんですかぁーせぇんせぇー」
ストリップはしてねぇよ。なんで突然脱ぎださなきゃいけねぇんだよ。ボケ。
そんな台詞を吐きながらもぐりぐりぐりぐりと俺の後頭部を延々と踏みつけてくる女の足。みしっとか音を立てて砕けそうな俺の頭。
「くそ・・・なんなんだよ・・・!」
出夢の足を払いのけ、前転するように距離を取る。転がり様に散らばったナイフの一つでも拾い上げれば、煌々と輝く月をバックにして、ありきたりなヒールのように、げらげら笑った。
「ぎゃははははははははは!!いいぃぃねえええええっ!それでこそ僕の惚れた男だねぇ!お色気担当は理澄だけど、特大サービスで僕が直々にエッロいことしちゃいたいっ、ってなぁぎゃははははははは!」
闇夜に吼え渡る化物の哄笑に、俺はまったく動けない。ナイフを構えるだけで精一杯である。逃げ切るなんて可能性はまったくの皆無。震える足は5km全力マラソンのお陰でがくがくである。肩で息をするにも、喉が張り裂けてしまいそうであった。
「逃げろよ」
出夢は笑いながら言った。黒い艶やかな髪の毛が、ナイフに負けず劣らず月明かりを浴びては柔らかく輝く。俺は同じように、静かに見惚れた。
「無様に転げまわって撤退しろ。僕以外に殺されないためにな。逃げる練習だよ。ほら、ガキのころやったことあるだろ?鬼ごっこだよ。化物から―――僕から逃げ惑って」
鬼が、化物から逃げ惑う。
桃太郎もびっくりだ。
「ほらほらほらぁ!ぼさっとしてると―――――殺されるぞぉ!」
一瞬の間に距離を縮めてくる出夢から、間一髪で右方向に転がることで回避して、俺は一目散に走る。ビルの間をジャンプして飛び移ってくるビックリ人間が相手では、俺に余裕なんて言葉は微塵も無い。隣のビルのベランダに移れば、スパイダーマンさながらに出夢も追いかけてくる。一拍遅れて円を描く黒髪が、艶やかに俺を嘲笑う。綺麗に。
「っ、ぐ、あ、あああっ!」
ついに転倒してしまえば、仰向けに誰かの家のベランダに倒れる。右手に握り締めたナイフだけが心の頼りだ。けして死にはしない。
「ほら、もう死んだ」
俺の上に柔らかく降り立って、出夢が笑った。細められた目玉が、俺を慈愛するかのように見つめている。柔らかく頬に添えられた手に体がぎしりと強張れば、あっという間に出夢の唇が、俺の唇に押し当てられた。
もう何度目になるかわからない行為に屈辱で舌を噛みそうになれば、それよりも早く出夢の舌が俺が口を閉められないように懐柔してくる。う、う、と呻き声が数度上がり、一度泣いた。
翻弄されている。化物に。
「何度殺されたいんだ?人識は」
舌なめずりする女の問いに、俺は口を閉ざした。化物を美しく思うのは、これで最後だ。
この女を殺す。俺は静かに目を開き、出夢を視認する。化物ではない。ただの人間だ。
人間を殺すのが俺。零崎人識だ。
俺は返答しないまま、握り締めたナイフを振り上げた。
■兎軋
一つ仮定してみようじゃないか。
兎吊木は普段の唐突な物言いで言葉をさらりと零し始めた。
「例えば、君が産まれたこの国が死刑制度のある国であったしよう。そして殺人鬼であるお前はその政府の役人に目をつけられて、死刑執行人の任務を与えられたとしよう。決まった時間、決まった日にちに贈られてくる囚人の命を目の前に、君は嬉々として自分の得物を手にして、そして嬉々として囚人の命を奪い去る。今現在と共通しているのはお前が人を毎日殺し続けるという点であるけれど、お前、これをどう思う?」
「どう思うって、どういう意味だよ」
あくまでも平然と、兎吊木が足を組んで座り込むソファの向かいに設置してあるソファに前屈みのポーズで座り込んで、式岸軋騎は聞き返す。二人を隔てるテーブルの上には今も湯気を立ち上らせるブラックコーヒーが双方ぴったりの量同士をキープさせながら、静かに黒い面に天井を映していた。
「回りくどすぎたか?つまり第一の問いとしては、お前は決められた人間を殺すことに対して快楽を得ることをできるのか?」
「前に俺が殺人で快楽を得られるわけじゃないってことは話したよな」
吐き捨てるような口調で、視線のみで己の感情を目の前にぶつけ、軋騎は自分を落ち着けるためにコーヒーカップへ手を伸ばした。砂糖もミルクも入れずに、ただ苦いだけの液体を胃に流し込む。そんな男の仕草を微笑ましいとでも思ったのか、微かに口元を緩めながら、兎吊木は静かに「もちろん知っているとも」と頷きながら肯定した。
「言い方が悪かったな。つまり、お前が無差別に人を殺す時のように、殺したという実感を得るということはできるのか、ということだ」
「できるだろう」
式岸は静かに、ただひたすらに静かな声音で答えた。
「人を殺すということは人を殺すということだ。それ以上でも以下でもない。命令であろうとなかろうと、己が人を殺すという事実に何も変化は無い」
「殺人鬼である状態と同じ気分であると?」
「人殺しの気分すら分からないくせに、殺人鬼の気分でも分かろうとするか?一般人」
静かに睨みつける軋騎の視線にオーバーリアクションで両手を上げ、兎吊木は「失敬。この話題をやめよう」と引き下がった。式岸が結局何も行動を起こさないことを目で認め、兎吊木は最後にほんの少し、食い下がる。
「なぁ、じゃあ最後に一つ、聞きたいんだが」
「なんだ」
「例えばお前が殺人鬼じゃなかったら、死線に惚れていなかったと思うか?」
「馬鹿な」
式岸は驚く顔というよりも、むしろ柔らかく口元を笑みの形に作って、宣言するように謳った。
「俺が俺である限り、きっとあの人に恋をするさ」
「そうだね・・・。すまない。愚問だった」
兎吊木は己の失態を流すように、目の前の熱いコーヒーを一気に喉に流し込んだ。かっと心臓に灯が灯ったかのように熱を生んだが、まるで阿呆のように幸せそうな目の前の男の顔に見惚れてしまって、柄にもなく、兎吊木は言葉を無くして、しばらく一人でうろうろと惑った。お前がお前じゃなかったら、死線ではなく俺に恋をしないか?と愚の骨頂のような質問が浮かんだが、式岸軋騎が式岸軋騎でないのならば、惚れられても意味が無いか、と自嘲するように一人で笑った。目の前の男は笑顔をすでにひっこめて、一人でにやにやしている兎吊木を気持ち悪そうに見ていたが、これで正しい状況だろうと思って、ただひたすらにこの男が笑わなければいい、なんて阿呆なことを一人で考えていた。
■兎軋
今日ぐらいゆっくりしようじゃないか、なんて白々しい言葉を吐いて、兎吊木は悠々と俺の目の前のソファへと体を沈めた。手土産のシャンパンを硝子製のテーブルに置いて、手だけで俺にグラスを持ってくるように促してくる。俺はその時ソファに斜めに座り、肘を背凭れに乗せて兎吊木に対してまったく不躾な態度をとっていた。自分でとってこい馬鹿野郎と思ったが、コイツに部屋をうろうろさせるのも許せないことに加え、手土産に対して何一つ対応が出せない家主だと思われるのも一人間として癪なので、重い腰を上げて手近な食器棚の上に入れていたグラスを二つ取り、兎吊木の向かい側のソファに再び腰を下ろし、グラスを向かいに押し出した。
「夫婦のようだね」
「何をぬかすか」
「言葉もなしに俺たちは酒を飲み合えるんだから」
まだ一滴も飲んでいないはずなのに、兎吊木は既に酔っ払ったような台詞を吐いた。俺はとりあえず「夫婦は夫婦でも別居中か離婚間際だな」と言った。「確かに」兎吊木は珍しく肩を竦ませて短い言葉で肯定した。もしかしてこいつ、ここに来る前に一人で酒盛りでもしたんじゃないだろうか。
馴れた手つきでシャンパンをグラスに注ぎ、一つを自分の前に、もう一つを俺の方に押しやり、さぁ飲もうとグラスを持って俺に乾杯するよう促した。
「何を祝う」
乾杯するならそれなりに祝う内容があるはずだ。兎吊木はあからさまに顔を歪め、君ね、一年の終わりとか、新年を祝うとか、そういうのはないのかいとぶつぶつ言う。俺はそれを一笑して、「お前、それ嬉しいのか?」と聞いてみた。
「ふむ、一理あるな。死線の蒼のお戯れもいつ終わるか解ったものではないし。できれば今年がもう一度あればいいのだけれど」
兎吊木は真顔で顎の薄い無精髭をざりざりと指先でなぞると、「それじゃあ、俺が今年君に殺されなかったことを祝おう」とあっけらかんとした声音で言い放った。
「俺にとってはそう祝うもんじゃねぇな」
「うん、なるほど。それもそうか」
「そもそも、それ本当に嬉しいのか?」
兎吊木はきょとんとすると、君は自分が好かれていることに関して結構理解しているのだね、と優しく笑って言った。なんだそれ。気持ち悪い顔すんな。
「じゃあ前向きなことを祝おう」
「暴君と一年過ごせたこと、とか?」
「そうだな。それと、今年お前とそれなりの時間を一緒に過ごせたことを」
暴君のくだりでグラスを合わせようとしていたのを寸前で引き返そうとすると、それを見越してか兎吊木は素早く俺のグラスに自分のグラスをぶつけてきた。小さな高音。この野郎。
「来年もよろしく」
「何をだよ」
「そりゃ、末永いお付き合いを」
にっこりと笑う兎吊木の顔を睨みつけ、拒否の言葉も憎まれ口も、今の所は酒で濁しておこうと、俺は無言のままグラスの中の液体を呷った。向かいの窓から見える曇天は、濁って黒い蒼色をしている。誰もが俺をからかっているのだ。俺がお前を殺せないなどと思っているのか。見くびるな。畜生。
2009/1・3