■ブログ短文集


■ 不毛な話(兎→軋

ふと考えれば、この男はなんと不毛な生き方をしているのだろうか、と兎吊木は唐突に思った。今は目の前で静かに、平然とした顔でコーヒーを喉奥に流し込む作業をしているが、兎吊木は今までこの男が本当に報われた所をみたことがなかった。喜びはするし悲しみもするし、一瞬遠くを見るような視線で、窓越しに空を睨み、一度溜息を吐き、そして恋焦がれる。
不毛だ。何もかも。
この男のすべて。
それでいいのか?と問いかけたくなる。
しかし、目の前の男は兎吊木に心配されることなど頑として拒否するだろうし、兎吊木だって好き好んで男に媚を売るつもりは無かった。そもそも恋敵である。奪われたわけではないが、少なくとも、目の前の男が親愛なる彼女に愛でられているとき、確実に己は甘い蜜を吸う事はできない。
そうじゃないか。何で心配なんてしているのだろう。恋か?それこそ不毛だ。兎吊木はようやく、一度笑った。鼻から息を抜くような、温い笑い方である。目の前の男はグリーンの目玉を静かに兎吊木へ向けた。どうかしたか、と視線が問いかけていた。
「いや、そもそも、不毛じゃないことのほうが、少ないなぁ、と思い直しただけだ」
「お前の言うことは良く分からん」
溜息混じりに厭きられれば、それもいいか、と思った。実際、この男といて不快にならないのは、きっと、そういうことなのだろう。そんなことは自分だけが知っていればいいし、同時に嬉しいのも自分だけだろうと、兎吊木は静かに感じ取っていた。



■十六万打御礼の兎軋

煙草の灰がその体を重くしていくのを黙ってみていた。火は雨の中で燻って、雷に弱弱しく敵対しようとしている。屋根に叩きつけられている雨粒が、滝のように目の前を忙しなく墜落していた。
指先はじわりと冷たさに嘆いている。ふやけた指先が、新しい煙草を求めているようだった。
「おい、式岸」
ぱさりと墜落した大量の灰色を見送って、黒く汚れた灰皿へと煙草を押し付けながらすぐ隣で煙草をふかしている男を見れば、男は無言のまま懐から煙草のケースを取り出して、俺へと投げてきた。慌ててキャッチする。
一本抜き取り、同じようにケースを投げ返せば、式岸は難なくそれを片手で取って、滑らかな動きで懐に戻した。
「火」
「ライタぐらい持ってんだろ」
「俺は財布を持ち歩かない性質だ。財布よりライタを優先すると思うか?」
「・・・」
式岸はぎろりと俺を睨みつけると、ポケットから銀色のジッポを取り出し、それを同じように投げつけていた。どうやら年代ものというか高いものらしい。俺は気にせずがし、と火をつけようと擦った。
一度、二度、三度と、がしがしと音が鳴る。音だけが空しく鳴り響き、お目当ての赤色は姿を見せてくれない。式岸が業を煮やしたのか突然立ち上がり、俺の手からジッポを奪い取り、同じように擦った。
火は付かない。
「・・・」
「オイルが無いんだ」
式岸はぶすくれた顔をすると、ジッポを懐に荒々しく突っ込んだ。ふわりと口の端から漏れた紫煙が、ゆらりと一度ゆらめいて、消えた。
「返せ」
「何を?ああ、煙草?ケチケチするなよ」
俺は式岸の手に奪われるより早く、自分の口に煙草を銜えた。人の口に突っ込まれた煙草を奪うほどケチな男でもなく、それ以上に俺を毛嫌いしていた式岸はそれを見るなり眉根に皺を刻んで、くるりと背を向け、元居たベンチに戻った。
雨宿りのために入ったテラスに人気は無い。途切れ途切れのワルツが滑稽であった。
俺は火も付いていない煙草の先を上下に動かしながら、くるりと振り返り、苛々とした様子で煙草をふかす式岸を見下ろした。
「火」
「ねぇよ」
「あるじゃないか」
俺はすとんとしゃがみこみ、式岸に煙草を固定ように促した。意図に気づいたのか煙草を口から離そうとした式岸の胸倉を掴んで、顔を近づける。俺の煙草の先端と、式岸の煙草の先端が触れる。押し付ける。じゅう、と焼ける音がした気がした。
目算15cm。キスするには少し遠い。滑らかなグリーンライム。暗く沈んだような色合いの瞳孔。
無言のまま、十数秒。溜めるに溜めて、式岸の眉から瞼、睫毛から眼球の色、鼻の形まで眺め回す。俺の吐き出す空気と式岸の吐き出す呼吸が、煙草の先端で絡まっていると考えると、まるで面白いと思った。こんなに離れてるのに、呼吸だけは繋がってるんだぜ?
にやにやと口元が緩むと、式岸が無理に身を引いた。煙草の灰が地面に落ちる。ふわりと立ち上がる二つの紫煙。笑う。
「ありがとう。甘い火だ」
「喉から燃え上がれクソ野郎」
俺から今すぐ離れたがる式岸を嘲笑うように雨の勢いが増した気がして、俺はげらげらと笑った。煙草の火が一気に燃え上がった気がした。



■16万打御礼(蒼街か蒼害か

生きているのか、死んでいるのか。
少なくとも、産まれたかったわけではあるまい。
目の前の蒼色を見て、そんなことを考えた。
彼女は、まっさらな白いシーツの上に体を投げ出して、静かに眠っていた。青い眼球は薄い瞼に覆われて、今は見ることはできない。艶やかな睫毛がその瞼を縁取っている。
薄く開かれた唇は淡い桃色で、中から真っ白いピアノの鍵盤のような歯列と、石榴のような真っ赤な舌が覗いていた。この青い肉体にも、やはり赤があるのは、彼女がまだ人間であるが故だろう。
白い肌とそのコントラストが映えて、俺は一度目を閉じ、もう一度開けた。
彼女はぴくりとも動かぬまま、じっと目玉をこちらへ向けていた。眼球だけが、くるりと俺を覗く。
観察されているその視線は、音も発さぬまま静かに俺の顔を見て、そして目を縁取る睫毛が歪んだ。
「おはよう」
彼女の唇が揺れ動き、音が零れた。弛緩した口元が笑みを浮かべる。滑らかな動きで彼女は上半身を起こし、ベッドの上に座った。
細い腕が乱れたコートを引っ張りながら、彼女は微笑んでいる。
「おはようございます」
彼女はにこにこと笑っていた。何か良い夢でも見たのだろうか。
何か良いことでも、と俺が尋ねると、彼女は何か良いことでも、と重複した。
「うん、あった。海に居る夢を見た」
「それは、とてもお似合いですね」
俺が阿呆のような言葉を吐けば、彼女は小さく空気を吐きながら笑い、「じゃあ、私に似あわないものってなあに?」と聞いた。
俺は一瞬思案し、結局「ありませんね」と答える。彼女はどこにいても違和感がない。むしろ違和感があることが通常だ。俺は失言に頭を下げれば、彼女は気にせず言った。
「砂浜に立っている。海の先端が私の足を包んでは、暗い水の中に引きずり込もうと私を誘うの。とても真摯だったから、私は海に入ってあげた。海水はとても冷たくて、入っている度に体が軋んで、感覚が無くなっていくのが分かった。多分あれが、死に似ていると思う」
「それは重畳ですね」
「ついに頭のてっぺんまで海に使ったわ。息が苦しくて、体の中に水が入り込んでくる。魚は自由に泳いでいたけど、私は苦しくて仕方がなかったの。ついに死んでしまうって思ったとき、突然、大人に・・・いえ、男性かな。引き上げられた」
「死ねなかったのですか」
彼女は笑っていた。もう言うことは無いらしい。俺は失礼します、と頭を下げて、部屋から出ようとした。
「私が溺れそうだったら、きっとお前は私を助けないね」
俺の背中に彼女の言葉が投げかけられる。俺は一度振り返り、「当たり前です」と一度笑った。
「貴方の幸福を願うのが、俺たちですよ」
彼女は満足そうに一度笑って、「だから君達は駄目なんだ」と優しく囁いた。



■帝王の名を奪う(時真

向日葵は太陽を欲して喘いでいた。
腐りかけた水にその身を浸して、窓から首を突き出しそうな無様な格好で、切り取られた橙色はじっと暗闇を睨んでいる。
「あの向日葵は?」
ソファに座っていた真心が、一度聴いた。ミートソース・スパゲティはすでに皿の上からその身を消している。丁寧に揃えられたフォークとスプーンが銀色に光っていた。三つ編みから開放されている彼女の自由な橙色の髪の毛は、彼女の体を包むようにしている。不死鳥の子供とは、このような姿をしているものではないだろうか。時刻は思った。
黄金の羽で自分を包んで、未だ冠せられぬ帝王の首を手に入れることを望んでいる。ぞ、と背筋が凍る。なんと美しいのだろうか。その妄想だけで涙すら出そうである。
「昼に散歩していたら、見つけたんだ」
「外を出歩いても平気なのか?」
「おかげさまで」
時刻は真心に声をかけられたことに歓喜の声を心の中で上げながら、静かに彼女の目の前の皿を持ち、キッチンに戻った。真心はソファの上に座り込んだまま、頭の重そうな向日葵を見つめた。まるでその姿を網膜に焼き付けようとするかのように。
「向日葵は嫌いかい?」
「別に。俺様はなんだって好きだ。嫌いなのも、いーちゃんのお陰で認めることができるようになったけど」
花は嫌いじゃない。真心の言葉に時刻は「ふぅん」と気の無い返事をして、しかし内心かなりほっとしていた。
嫌いだといわれたらどうしよう、と、本当は心配だったのだ。
「昔から、よく向日葵みたいだって言われてた」
「君がか?」
「うん」
時刻の位置からは真心の鮮やかな橙色の後頭部しか見えない。元気に飛び跳ねている橙色の癖っ毛が、小さく彼女が動くだけでひょこりと揺れた。
可愛らしい。
「時刻はどう思う?」
「何が?君が、向日葵のようだということか?」
「うん」
真心はそう言ってくるりと振り向いた。橙色の大きな瞳に、困惑した顔の時刻が、小さく身じろぎしている。人を惑わす二つの目玉が、無様にも歪んで、真心を真正面から一瞬見て、すぐに離れた。
なんと滑稽。時宮時刻の名が泣くぞ!
「時刻」
「やめてくれ。お願いだ。僕は弱いんだ。人類最弱よりも無様な男だ。君の視線に耐えられない。許してくれ」
時刻はそういうなり、食器を置いて崩れ落ちた。濡れた両手で己の目玉を庇い、嗚咽をあげた。薄い病弱な肩が小刻みに震える。真心はシンクを回ってキッチンに入り、そこで蹲る惨めな大人を見下ろした。
「時刻」
時宮時刻は嘆いている。罪の意識と、面影真心という完璧な帝王への崇拝心に挟まれて、無様にも苦しんでいた。真心はゆっくりと傍らに膝をつき、時刻の背に手を添えた。
「俺様が好きか?」
「ああ・・・愛しているとも」
嗚咽に混ざった悲鳴を聞き、真心は小さく口を笑みの形へ変えた。そのまま愚かな背に体を押し付け、冷えた体に太陽のような暖かさを恵んだ。
「もう一度向日葵をとってきてくれるよな?」
「あなたのためならば」
縋るように男が言った。真心は慈母のように微笑むと、しばらく男の背を撫でた。男は今更、この向日葵こそが太陽ではないかと、自分の頭の回転の悪さを一人嘲笑った。



■人僕

「お前、鏡にキスをしたことあるか?」
「いつからナルシストになったんだ?いや、お前の顔が異常に女の子みたいにかわいいのは百も承知だけどさ」
唐突に呟かれた零崎の台詞に辟易した顔で対応すれば、恐るべき殺人鬼はああ?と顔をあからさまに顰めて「何馬鹿なこと言ってんだ」と僕の台詞を一蹴した。
「ナルシストどころじゃねぇだろ自分の顔にキスしたがるとか病気だよそれは。俺が病気だとでも言いたいのか?ん?」
「殺人鬼って時点でまぁ正常ではないとは思うけどね・・・」
ぼそぼそと僕は呟きながら、壁に背を凭れ掛けさせて座る零崎に向かって正座をする。
「したことないよ」
「そらそうだ」
「なんで聞いたんだよ」
零崎は溜息混じりにさらりと流した。何が言いたいんだお前は。
零崎は僕の意を汲んだように、「俺も鏡にキスしたことはねぇ」と言った。もしもお前が鏡にキスしたら僕は一刻も早くこの部屋から出るぞ。人類最速がなんだ。
僕の部屋だけど。
「だが俺はお前にキスをする」
「そうだね」
「こいつは一体どういうことなんだろうな?」
零崎の言葉は自問自答のようである。僕に聞いているのだからそれもそうだ。
「君である僕に分かると思うか?」
「考えることぐらいできるだろ」
零崎の言葉は尤もだ。
僕はふむ、と一度思案する。
自己愛ではないだろう。何しろ僕らは自分が嫌いだ。産まれてきたのを悔やんでいる。しかし、だからこそ、自分を愛せないからこそ、その愛の行方が鏡の向こう側、僕であれば零崎、零崎であれば僕に向かうのではないだろうか?
当然の帰結と考えれば、帰る所に帰ったというべきか。
「俺はお前が好きだと思うか?」
一人悶々と考え続ける僕に向かって、さらりと零崎は問いかけてきた。
唐突に。
自分に問いかけるように。
僕は自分に言い聞かせるように言った。
「僕は僕が嫌いだよ」
零崎は一瞬、俺も俺が嫌いだぜ、と言いたそうに口を開いたが、結局何も言わずに閉じた。音は発せられないままだった。
「俺はお前を愛していると思うか?」
「嫌になるほど」
僕は言う。頬の筋肉は笑みの形を取ることができない。
「自己愛というのが鏡の向こう側というのも、皮肉な話だと思わないか?」
「鏡に映る自分が自分でないと言いたいのか?」
「戯言だろう?」
僕はなるだけ優しく囁いた。これも一種の自己愛である。
零崎は一度肩を竦めて、僕が一生しないであろう、快活な笑みを顔に浮かべて、ふっと息を洩らした。
「傑作だよ」
僕らは互いにナルシストらしい。たしかに傑作であるかもしれないと、僕は声に出さずに思った。奴の口癖に便乗するのは僕のなけなしのプライドが許せなかったらしい。しかし、そんな僕を目を細めて見やり、零崎は笑った。
「傑作じゃねぇか」
戯言だよ。僕は笑わなかった。
2009/1・3


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