■ブログ短文集
■バレンタイン (蒼街
ベッドの上に散乱している、丁寧な細工の入れ物に収まっている甘い塊を無造作に一つ摘み上げ、死線の蒼はにこりと笑って見せた。
「なんだろうね?」
不思議そうに呟かれれば、どう返答すればいいかと迷う。この物体がチョコレートであることを問われているわけではあるまい。カカオ何%だ、とか、トリュフだとか固形だとか、そういうのでもないだろう。どうにかして言葉を繋げようと口を開くも、何を言えばいいのかと音を無くした。
「なんだろうね?」
二回目の問いに、ついに顔を顰めれば、「これ、なっちゃんから貰ったんだけど」と少女は言葉を繋げた。
「友チョコかな?」
「―――――本命でしょう」
軋騎がそう言えば、「そうかな?」とくすくす笑いながら少女は一口大のチョコレートを口の中に押し込んだ。指先を汚したココアパウダーもぺろりと嘗め上げ、少女は「美味しいねぇ」と、食べてもいない軋騎に囁く。
「手作りかな」
「そうでしょうね」
「なっちゃんの手作りかな、それとも有名なパティシエの手作りかな」
「さぁ―――――死線が美味しいと思われたなら、どちらでもいいのではないでしょうか」
我ながら最低の返答だ。しかし、実際屍の手作りだろうがどこぞのパティシエのものだろうが、死線はどっちにしろ喜びなんてしないだろう。
「ぐっちゃんはくれないの?」
「男が起こすイベントではないと、永久立体に釘を刺されたもので」
「じゃあ、血のバレンタインでもやってよ」
死線の蒼はチョコレートの変わりだとでも言うように、さらりと呟いた。軋騎はその返答に一瞬言葉を無くし、「仰せのままに」と笑って答える。
「面白かったら、チョコレートあげるから」
「それは本命ですか?」
冗談交じりに呟けば、死線の蒼は優しく笑い、「本命に決まってるじゃない」と楽しげに嘯いて見せた。
■バレンタイン (僕友
「はい」
そっとテーブルに置かれた透明な袋の中には、歪な形をしたチョコレートが納まっていた。
「初めて自分で作ったんだよ」
にっこりと微笑む友は酷く満足そうだ。チョコを貰ったということより、友が幸せそうに笑っているだけで幸せになれる自分に驚く。僕も幸せになったものだ。
「ありがとう」
「本命チョコだよ」
にっこりと微笑まれて宣言される。・・・食べるのがなんだか惜しくなってきたんだけど。
そんな僕の苦悩もなんのその、友は微笑んだまま袋を己で開け、恐らくトリュフであろうチョコレートを一つつまみ、僕の口元に押し付ける。
僕は流されるままにそれを口に含んだ。
・・・・指を嘗めてしまったのは不可抗力だから。決して疚しい気持ちがあったわけじゃないから。
僕はそんなことを思いつつ、口の中に広がった甘ったるいチョコをゆっくりと味わい、ごくりと飲み込む。
「おいしい?」
「おいしいよ」
今まで貰ったチョコレートなんてほぼ義理チョコだった上、本命なんてのは全ての人に愛を振りまく哀川さんぐらいからしか貰ってなかったので、色々不思議な気分だった。基本的に好き嫌いが無い僕は、今日初めてチョコが好きになれたと実感した。
・・・いや、友からのチョコだからこんなに美味しいのか。
そんな恥ずかしい結論に結びつき、僕は単純な己の頭を呪うが、にこにこと笑う友が可愛くてなかなか次のチョコレートに手が向かなかった。
■兎軋
「まだ死なないのか?」
下腹部がひくりと波打ち、ざっと体温が低くなる。喉奥が引き攣って嗚咽を洩らし、振り返るその肩口で、軋騎は兎吊木を睨んだ。
眼を見開いて殺意と憎悪と嫌悪を綯い交ぜにしたその視線を真正面から受けながら、兎吊木はにこりと笑う。
「そう怒るなよ。俺は単純にお前の幸福を祈ってるんだぜ?」
「ほざけ、クソ野郎」
「ああ、本当に、お前が死ぬ日が楽しみだなぁ!」
兎吊木は軋騎のことを慈愛に満ちた、迷子の子供を眺めるような眼で見つめ、楽しそうに酷く楽しそうに、嘲笑った。
「上手な生き方も知らないくせに、上手な死に方も知らないなんて、馬鹿な殺人鬼だなぁ本当に!」
嘲りの言葉に侮蔑は含まれない。
今にも殴りかかりその首の骨叩き折ろうかとでも言おうとする軋騎の形相に笑顔で返し、兎吊木は再びげらげらと殺人鬼を笑った。
■時真
鏡に映った橙色がゆるりと揺れて、とさ、と軽い音を立てて三つ編みが床に墜落した。起きたのだろうか、時刻は素早く水道水で手についた泡を洗い流し、タオルで水分をふき取りながら隣の部屋へと移動する。ソファの上でただ目玉を見開いたままぴくりとも動かない少女は身じろぎしたのか、体の上にかかっていたタオルケットが床に落ちていた。向かいに設置していた鏡をじっと見つめたまま、真心はかさついた唇を微かに動かした。
「あいつはどこに行ったんだ?」
「さぁね。あまり、興味が無いから」
微笑みながらそう言っても、真心は澄み切った橙色の目玉を鏡に映してただ見取っていた。鏡に映っている真心の目玉にはソファに倒れこんでいる真心が映っており、それを見つめる真心の目玉にもソファに倒れこむ真心が映っている。合わせ鏡だ。ふと思って、笑えた。
「何が面白いんだ?」
「川に映った肉を咥えた己の姿を見る犬の話を思い出してね」
「俺様は別に、鏡の向こうの俺様を羨ましいとは思わない」
「どちらにせよ、自由にはなれないから?」
嘲笑うように言えば、真心はその名とその心にはありえないであろう呟きを持って、鮮やかに吐き捨てる。
「鏡の向こうにも世界があるから」
「世界は嫌い?」
「広すぎて嫌になるんだ」
不貞腐れたようなそんな囁きがどうにも愛しくて溜まらず、時刻はその柔らかな頬を手の甲でそっと撫ぜた。
「早く終わればいいね」
「人が死ぬのは嫌いだ」
「なぜ?」
真心は問いには答えず、四肢の自由を奪われたその体を動かすこともかなわず、その眼球をすいっと時刻へ向けた。
「(なぁ、人類最終。君、実は動けるんだろう?)」
先ほどタオルケットをどうやって落としたか、などと色々と指摘しようかと思ったが、真心はただ沈黙を保って、妬ましげに橙色の鏡の向こうの目玉を睨んでいた。
この子は僕のことすら殺したくないのか、そんな風に思ってしまえば、まるで慈母のようだと酷く笑えた。
「・・・なぁ、僕と『いーちゃん』、どちらかを殺せと言われたらどっちを殺す?」
「時宮時刻」
速攻返された返答に笑顔で返して、再び時刻は真心の頬を撫でた。大した慈母だ。満足感と幸福感で満たされた脳髄では、頬を撫でる己の手に嫌気が差すであろう真心の無慈悲な右手が首につきたてられるのを今か今かと待ちわびていたが、結局狐が帰宅するまで真心の手は欠片たりとも動くことはなかった。
2008/3・24