■ブログ短文集

(蒼害)

「俺達は只死線に幸せになってもらいたかったんだよ」

男は言った。ちょっとだけ笑っていたが、その視線だけはいつまでも僕を睨みつけている。
あの研究所でも感じたことの無い、ただひたすらな男の激情だった。
「仲間だったとか俺達が彼女の奴隷だとか友達だったとか、愛してるとか好きだとか敬愛してるとか、そんなことはただの建前なんだよ。分かっているだろう?俺達が望むのは彼女の絶対な幸福だけなんだよ。今まで遠回りな事ばかり言って、君の機嫌を損なわないように、彼女の機嫌を損なわないように少ししか敵対しなかったのに。この様はなんだろうね。いや、別に君を責めているわけじゃない。責められるべきはむしろ俺達だ。結局俺達が彼女のためにできたのは、幸福を祈り続けることだけだったんだから」
青白く照らされた病院の廊下には、手術中と灯った赤いランプと、遠くに見える非常口の緑色の明りだけが異常に目立った。白いスーツに身を包む男は、色からすれば廊下に溶け込んでいるといっても過言ではないが、けしてこの現実味溢れる生々しい病院には不釣合いすぎた。
禿頭の男は、その冷え切った視線を緑色のサングラス越しに僕に注ぐ。
悲しみと、愛しさと、絶望とを含んだその視線が、哀しそうに歪められた。ああ、泣くのかもしれないなと僕は思った。
「俺は彼女を愛していた。敬愛していた。崇拝していた。神よりも彼女を信じた。世界はもはや彼女であり、俺はつまり彼女の一部でありたかった。それは夢半ばで君に奪われ、俺は世界を無くした。君は奪ったつもりは無いだろうが、俺たちにとっちゃ、君はただの恋敵にすぎないんだ。ただ、憎くて憎くて仕方が無い。それでも、俺は彼女が幸せになってくれるなら、君が彼女を救ってくれるなら、それで良いと思った。どうせ何が起こっても、俺は彼女を幸せになんてできないんだから。それを言ってしまえば、夢も半ばというよりは夢にも立てることができないほどの決定的なことだったけれど。それなのに、」
男は言葉を途切れさせた。
「俺は・・・・・・・・・俺は、ただ、君がほんの少しだけでも、彼女のことを嫌っているのだと信じていたのに・・・・」
『君は、本当は』
男の過去の言葉が反駁された。
でも、事実、今はけして。
僕は口を開いた。
「僕は友を、愛しています。嫌いな所なんて、一つたりともありません」
男は、ついに笑みを消して、顔を曇らせた。ああ、と哀しそうな声と共に、男の小さな呟きが、静かな廊下に響いた。
「そんな言葉、・・・・・聞きたくなかったよ」
その時、僕はこの男が彼女を本当に愛していたのだと理解したのだ。



(蒼街)
暴君は。
俺達を見て、酷く愛しそうな笑みで手を伸ばしてくる。
少しだけ、眩しそうに目を細めて、
少しだけ、恍惚に唇を歪ませて、
少しだけ、その蒼い双眸の奥に寂しさを孕んで、
その白く儚い細い両腕を、緩やかに艶やかに精一杯、伸ばしてくる。
「ぐっちゃん」
その口から零れるべきは、己の名ではないことを知っている。
だから、俺は何もできない。
縋ろうと手を伸ばす少女の手を振り払うことも、
今にも壊れてしまいそうな少女の細い体を抱きしめることも。



(蒼害)
「死線は、俺のこと好きですか?」
兎吊木は問いかけた。いつもの押し問答だった。
その問いかけに、一瞬の迷いも躊躇も微塵も持たず、少女は優しく微笑む。
「大好きだよ。運命の人だって、思ってる」
「本当に?」
「本当に」
兎吊木はそこで少しだけ笑みを深くして、今までと違う台詞を舌へ転がした。
「いーちゃんよりも、俺のこと、大好きですか?」
「頭のいいさっちゃんは好きだよ。でも、今みたいな頭の悪い質問するようなさっちゃんは、大嫌い」
「ふふ、嘘ですよ。機嫌を損ねないで下さい死線の蒼。ちょっとした、ジョークです」
くすくすと笑いながら少女の顔を伺うと、少女は小さく、「悪い子」と兎吊木を罵った。



(蒼屍)
「何をそんなに怒ってるの?」
唐突な少女の呟きに、統乃は一瞬言葉をつまらせた。怒ったような顔をしていただろうかと反省しながら、直に笑顔を取り繕い、「何も、怒ってなどいません。蒼」と頭を垂れた。
「そう。私の勘違いだったかな?」
「いえ、蒼の勘違いではありません。私がそんな疑惑を持たせるような顔をしていたのが悪かったのです。申し訳ございません」
「なっちゃんはいい子だね。少しだけ、臆病なのが難点だけど、」
でも、そこがまた、
蒼はそこで口を閉ざし、少しだけ楽しそうに口端を吊り上げた。統乃は、ああ、この言葉の後には、あの男の名が連なるのだと哀しく思い、そして小さく呪いを吐いた。
いーちゃんなんて、絶望の果てで、蒼の見えないところで、死んじゃえばいいのに。
しかしそこは死人にくちなし。統乃はそんな言葉、口から出すことは永遠に無いのだ。


(萌→姫→僕)
視線。視線。視線。
空を映しているかと思えばあの人に移し、剣玉の赤い玉を眼で追っているかと思えばあの人を負って、くるくると風に靡くリボンみたいに。
彼女の視線は気がつけばあの人を見つめ続けている。
それをまた、彼女が気づかないような遠くからそれを妹と眺めながら、ああ、なんて可哀想な図だろう、なんて煙草をふかしながらぼんやり思ってみたり。
「目は、口よりも雄弁だ―――なんて、誰が言ったんでしたっけ」
隣に座って行儀良く風を鍔で孕んだ帽子を押さえながら、妹は「さぁ―――知らずとも使えるのですから、別に良いんじゃないですか」と至極最もなことを赤い唇に乗せた。確かに。過去にそれを初めて言った人がいたとして、著作権なんてのが言葉にもあるわけが無い。まぁ、文章にも使われているのだからこれは怪しいかもしれないけれど、日常で使うのに著作権がなんたらと言える訳が無い。
僕はそんな空回りの思考のまま、不毛なほどにあの人に笑いかける彼女を見つめる。
「―――いー兄は、気づいてるんでしょうか」
「気づいてないんじゃないかと思いますね。鈍感なのは一億も承知でしょう。もしも気づいているのなら―――酷いですよ」
「・・・崩子もですけれど」
「嫌なことを言わないで下さい」
「すみません」
これは失言、と口を閉ざすと、妹は少しだけむくれながら、それでも視線を遊び続ける甚平姿の女性と彼女、そしてあの人に注ぎ続けた。
「雄弁といえど、聞かなきゃ意味が無いです、ね」
「それは目でなくとも言えるでしょう。仕草もしかり、それこそ口もしかり」
「うん、難しいですね」
少し笑うと、灰がぽろりと地面に落ちた。それに少しだけ視線を下げて、しかしまた元に戻す。妹は呆れたような声音で、不毛です、と小さく呟いた。
「まぁそうだね。いー兄も、気づいても良いと思うんだけど」
「それなら姫姉さまも気づくべきでしょうが」
突然の彼女の指名に、僕は首を少しだけ傾げながら妹を伺う。どういう意味だか分からなかったからだ。
妹はまるで可愛すぎるほど憎たらしく、ちょっとだけ小馬鹿にするように口元に笑みを乗せた。
「一番、目で雄弁に語りすぎるのは、何処のどなたを指してるんですか?」
「・・・・・・・――――――!」
僕は慌てて目を片手で覆う。ああ、しまった。今は何時だろう。
「僕、もしかしてずっと見てました?」
「ええ。姫姉さまがいー兄さまを見つめるよりも、30倍程熱弁に。愛を語り続けてましたよ」
囁くような妹の声を遠くに聞いたような錯覚に、自分で呆れて溜息を吐く。
ああ、これはあれか。目は口よりも雄弁に。
しかしそれ以上に、盲目である、とか。


(兎軋)
「・・・・・・あいしてる」
短絡的な言葉はテレビから流れ出るニュースキャスターの声と同じように、例えるのならば空気を思わせる程の音として途切れて消えた。
つなげる筈の無い会話もなかった故に、孤立してしまった愛の告白であろうその言葉を吐き出した兎吊木を正面に捕らえ、軋騎は口元に運んでいた白いマグカップに入っていた黒い液体から視線を逸らし、しかし何を言えばいいのか分からずまた液体を口の中に含ませることによって沈黙を保たせた。
当の愛の告白を口に乗せた男はといえば、反応のしない軋騎をぼんやり見つめながら、「うん」と納得したように呟く。もしかしたら愛してる、の答えを自分で言ったのかもしれない、と一人腹のうちで不安がるが、そんな思いが当たるわけもなく、「どう思う?」と兎吊木が問うてきた。
「どう思うって何だよ」
「その通りだよ。『愛してる』―――――なんともつまらないと思わないかい」
兎吊木はそう言うと、つまらなさそうに己の目の前の白いマグカップの取っ手の部分を指でなぞった。
「世の中溢れすぎて嫌になる。『愛してる』『愛してる』『愛してる』・・・一日に一度ぐらい聞くか見るかする気がするね。感動味の無い言葉だ」
「何が言いたいんだよ・・・」
呆れたように言ってみれば、「賛同しちゃくれないのかい」と同じく呆れたように返される。
「家族相手にも愛してる、友達にも愛してる、ペットにも愛してる、恋人にも愛してる、過大なところで言えば世界も愛してるんだぜ?この世の中は。愛愛愛と煩わしい。言葉というのは意外性が無く、そして在り来たりであればあるほど効力を無くすと思わないか」
じゃあ、どんな言葉で口説くんだ。
そんな台詞を言ったが最後、鼻で笑えそうな、そして警察を呼びたくなるほどの、『意外性が溢れる台詞』を吐いてくれることだろう。
軋騎は黙って、ついには無視することにした。兎吊木は返答の無い軋騎に、少しだけ言葉を溜めて、「興味無いかい」と囁いた。
「零崎に愛の言葉なんて要らない―――とか思ってるんじゃないか?式岸軋騎」
「五月蝿い黙れ。口を開くな」
「まぁ、記憶に残るような口説き文句が欲しいよね」
兎吊木は少しだけ悪意の無い笑みを見せると、恐らく只でさえ高音の声を女の子のように取り繕って、できるだけ哂えるようなノリで、ニュースキャスターの台詞に浮いたような言葉を乗せた。
「お慕い申しておりますんです」
「それは意外性以前に―――告白の言葉として間違えてるよな」
軋騎は緩やかに溜息を吐きながら、飲み干してしまったカップを片手に、どうやって誤魔化そうかと視線をテレビへとうろうろと動かした。
2007/10・14


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