■ブログ短文集
(兎軋)
無音のリビングのソファに座って、軋騎は何もせずにぼんやりとしていた。
部屋の中に時計は無いので、針が鳴る音も、聞こえない。
その時、ただ、静かなその中に、かちゃん、と乾いた音を立てて、軋騎の向かって右側にある扉が、開いた。
体は動かさずに、軋騎は首を微かにそっちへ向ける。
静かに開く扉の向こう側に、兎吊木垓輔が立っていた。その右手には、細身のナイフが握られている。
面白い絵面だな、と軋騎は少しだけ思った。笑える。
「何しに来たんだ?」
視線を前に戻し、お前が家を出るなんて珍しいな、という意味も込めて、聞く。
「お前を殺しに」
兎吊木は笑ったかのような微かに引き攣った声で、短く答えた。
「随分遅い行動だな。いや、臆病者にしちゃ、早い方か」
「怖がらないね」
少しだけ残念そうに兎吊木が呟いた。
「死ぬ方法はそこいらに沢山散らばってるって分かった、って、前言っていただろう」
「まぁ、死ぬのは怖いな」
「怖がらないんだ」
「お前は俺を殺せないからな」
「見くびるな、よ。俺が人間一人、殺せないと?」
「そういう事を言ってんじゃねぇよ。お前より俺のほうが強いから、殺せないと、言ってるんだ」
「成る程。納得」
感心したように兎吊木は腕を組んで頷き、そして歩き出した。
裸足だったので、フローリングに吸着して、ぺたりぺたりと音を立てる。
兎吊木はとうとう軋騎の座るソファまでやってきて、そしてソファに身を乗せた。ぎしり、と悲鳴を上げて、ソファが沈む。
真っ赤なソファに今気づいたかのように手を添えて、兎吊木は少しだけ目を見開いた。
「・・・・・・・お前、赤、好きだったっけ?」
「いや、知り合いの女が、酒を奢ってやったら寄越してきた。捨てると問答無用で殴られるから、置いてる」
「殴られる・・・・ね。殴り返すのかい?」
「いや・・・・一度頭に血が上って、殴りかかりそうになったが掠っただけで、その後とにかく蹴られた。それ以来、あの女に少しでも反抗するのは止めた」
「ふうん・・・・・・、羨ましいね。俺は、毎回お前に殴られるってのに」
すっと、兎吊木の持つナイフが軋騎の喉元に突きつけられた。それに軋騎は視線を落として、そして目だけ動かして兎吊木を見る。
ナイフと軋騎の首の間は、5cm程だ。
「俺は、これでもお前を殺せない?」
「殺せねぇよ」
「どうして?」
「俺のほうが強いからだと、そう言ってる」
「試してみる?」
「勝手にすればいい」
凶器が突きつけられている状態でも、軋騎は静かに両腕を下ろしていた。
それを見ながら、兎吊木がナイフをふっと前に突く。
次の瞬間、ナイフと首の間に素早く軋騎が手を割り込ませてきた。ナイフが軋騎の手を切りながらも弾かれて、兎吊木の手から離れて床に落ちると、からからと回りながら滑って、壁にぶつかった止まった。
ぱたぱたと音を立てて、軋騎の手の甲から血が滴り落ちて、そして床を汚した。
「どうだ、殺せなかっただろう」
「・・・・・・ずるい」
「何故」
「お前は俺を殺せるのに、俺はお前を殺せないなんて、理不尽、だ」
「そうだな」
ぱたりぱたりと血が零れる。軋騎は何事でも無いかのように己の手の甲に口に寄せて、傷口の血を舐め取った。
この馬鹿は、気づかないんだろうか。
ぼんやりと軋騎は思う。
己に刃を向けて未だ生きているのは、家族以外にお前しか居ないのに。
(電波兎()
「今日は彼女を愛した野郎とお話したよ」
優しい言葉は毒にしかならないだろうに(怯えた目でこっちを見るなよ殺したくなる、だろう?)電話越しにはそっけない返事。(二人っきりになったとき、俺がどうなってもいいからあいつを殺さなかった俺を憎むか?)
哀れんだ目で俺を睨んでいたあの若造は、腐っても彼女を手放さないかと思うと羨ましくて妬ましい。(まったく何が足りないというんだ)(誰か捨てられた俺達を刻んで燃やしてくれる奴は居ないのか!?)
健気な大人に少しでも情愛を注ぐ酔狂な人間はどこにもいない(ああくそ、試験用の薬が頭に響くぜ)いつも以上に愛しいお前にキスでも贈りたいよ。今日はさぁ何人殺した?
獣みたいに這いずり回って人を殺してるお前が今じゃ一番愛しいかもしれない?(彼女?あれは愛してるなんて比じゃねぇんだよ)(彼女に比べりゃ神なんてクソだ)
「あの子の瞳は相変わらず 蒼かった よ」
ばいばい、お客が来たから今はちょっとだけお別れ。
少ししたらキリストにお祈りして(いつでも願うのはあの子が幸せであれということだけさ)(甲斐甲斐しくも優しい俺)何日かたったら一目散に逃げ出してお前の元に駆けつけるよ!(扉は開けておいてね)
血の匂いの残るお前を沢山愛してあげる。
耳元で響く電話の切れる音!(いつものように手厳しい)続いてやってくる扉の開いた音に、笑顔で振り向く。
「やぁ神足くんいらっしゃい歓迎するよ」
ところで、早速でなんだが 彼女のために死んでくれるか?
(返答はイエス以外は受け付けない)
(電波兎軋)
壁と床と天上が肉で固められた部屋で、目を覚ました。
扉は無い。四畳ぐらいの長方形型の部屋で、中央に白いテーブルが一つ。
前後左右上下の壁が、みっしりと肉で塗り固められていた。
血の匂いは、何故かしない。
足元はぶよぶよとしていて、立ち上がると足がサンダルごとずぶずぶと沈んだ。
気分が悪い。
気持ちが悪い。
くらくらする頭で立ち上がり、辺りを見回す。
ここから出たいのに、出口が無かった。
『ぐっちゃん』
誰かが自分を呼んだ。
誰か、誰だ。
「ぐっちゃん」だなんて子供を呼ぶような呼び方するのは、世界を探してもあの人だけだって言うのに。
分からない。
誰だ。
『ぐっちゃん』
肉の向こうから、自分を呼ぶ声がする。
耐えられなくなって、肉に手をかける。爪を立て、引きちぎる。
みちみちと音を立てて、肉が破れたが、向こう側は見えない。
『ぐっちゃん』
声が遠ざかった気がした。
頼む。行かないでくれ。こんな所は、もう嫌だ。居たくない。一人は嫌だ。
殺さなくても良い仲間が欲しい。
懸命に、肉を千切って彫り続ける。血が溢れ出る。
誰か、誰か。もう嫌だ。ここは暗いし、生臭い。寒いし、寂しい。
指先が痺れてくる。
と、そこで。
肉の奥に、黒くて硬い、何かがあった。
掻き分けて、それを掴む。
「・・・・・愚神礼讃・・・」
崇拝していた、獲物だった。
肉から突き出たそれは、なんともグロテスクで血に塗れていたが、何故か、安心した。
「・・・・・・きひひ」
涙が溢れた。
何だ、前と全然、変わらないじゃないか。
引き抜こうと、力を込める。
次の瞬間、すぐ横の肉の塊から、人間の顔が突き出てきた。
口を大きく開き、手に噛み付いてくる。
「痛――――――・・・」
黒い髪を振り乱し、女の顔が、己を睨む。
「・・・・・母、さ」
女の顔をひっつかみ、肉に押し付ける。
そして、力任せに愚神礼讃をひっこぬいた。
釘が、女の顎を砕いて、全て抜き取られる。
「・・・・・・・・・」
ぽかん、としながら、掴んでいる限り死なない獲物を床に置き、(自重でずぶずぶと肉に沈んだ)腐っていく母親の顔を無視し、肉の壁を見る、外が少しだけ見えた。
蒼かった。
なんて、綺麗なんだろう。
外に行きたい。あの蒼を、もっと見たい。
「何処に行く気かな」
背後から、声が掛かった。
慌てて振り向く。
緑のサングラスをかけた、女みたいな顔した髭面の男が、白いテーブルに足を組んで座っていた。
「何処って、外に」
「そんな格好で、死線に会うつもりかい」
自分の姿を、見直す。
気づかないうちに、血まみれだった。全て赤い。
あの女のようだ。
「あ、」
「・・・・・・死線なんて、見なけりゃ良かったのにな」
「・・・・・・・お前がそんなこというなんて」
「思ってもいなかったか?××軋×」
「・・・・お前、今」
どっちで呼んだ?
目が覚めた場所は、自分のマンションのソファだった。
「よぉ。お目覚めかい?」
世界は赤くも無かったし、蒼くも無かった。
ましてや、緑なんてはず、あるわけ無い。
俺は認めたりなんてしないぞ。
「二度寝は止めろよ。コーヒー飲む?」
「不法侵入で殺すぞ馬鹿」
(兎吊木と軋識)
「お帰り」
呟く。
同じ部屋に居る男は、聞いているのか聞いていないのか分からないが、包まっているシーツをずるずると引き寄せたようだった。(微かに聞こえる衣擦れの音に混じって、息を吐いたような音も聞こえてきたが、もしかしたら耳鳴りだったのかもしれない。)
すぐ足元にはあいつのいつも持っている黒い細長い鞄があって、しかし閉じていないのか分からないが、中に入っている凶器に付着していた血がじわりじわりと出てきているようで、床に赤い染みを作っていた。
「具合でも、悪いのかな?」
部屋の中に入る。人間を100人殺しても明るく笑えるような男だと思っていたのだが、流石に100人は多かったかと反省する。
「何かあったんだね」
部屋の片隅で縮こまっている男に、自然と笑みが溢れ出てきた。しょげている子供のようだ。シーツには血がついているが、大した問題でもない。
男の前で立ち止まり、しゃがみこむ。
「変なものでも食べたわけじゃないだろ?・・・変なもんでも、殺した?」
少しだけ、間が開く。
「母親が」
「母親?親子を殺したの?」
「腹の中に、子供が、いる女が」
「ああ、妊婦を殺したんだね?」
「腹が、裂けて。水、が」
「釘でも引っ掛けちゃったのか。おなかが裂けて、破水?だね。それで?」
「中から、小さい」
「・・・・・・・・・胎児が出てきちゃったんだ?」
それは運が悪い。思わず顔を顰めた兎吊木に、男の台詞が続く。
「外に、出てきて、肉が、な」
啼いたんだ。
「そう。災難だね」
腹の中に居る子供は、おそらく人間の形になりかけだったんだろう。死体を見慣れてきたこの男にしてみれば、人間の腹から出てきた肉が、声を上げたのと大差ない。人間の子供も結構しぶとい物だと少しだけ感心する。
「俺の母親も」
「うん?」
「腹から、妹を、出した」
「・・・・・・・へぇ?お前が初めての人殺しはお母さんか」
「臭い、んだ。臭くて、苦しい。赤く、て」
「落ち着けよ。何処にも行かないから、手を握って居ればいい」
ずる、とシーツが引っ張られる。細い手が、シーツから伸びて、俺の手を捜すように揺らいだ。
「ここに居るよ」
優しく掴んでやると、手首を渾身の力で握られる。折れるんじゃないかと思うぐらいの握力で、ぎゅう、と掴まれた。凍えているように微かに震えていたので気分をよくして、握り返す。
力が少しだけ弱まった。
2007/8・01