■思想・理論・概念
 むわっと香ってくる血肉の匂いに面の向こうで顔を顰めれば、面の下の顔が分かるのか、目の前に立っていた銀髪の男はふと振り向き、「息苦しい?」と心配そうに聞いてきた。
 「いいえ」
 足元で死にぞこなって苦しみに喘ぐ男の首に、垂直にクナイを振り下ろし、テンゾウは首を振った。室内の真っ白い絨毯を染める血液は、先ほど空気と触れ合い始めて、まだ月光のもと、鮮やかな赤を保っている。
 「人殺しは嫌い?」
 唐突な先輩の問いに、テンゾウは微かに動きを止めた。
 「いいえ」
 再び、先ほどと寸ほども変わらない返答を返し、テンゾウは死体が沈むソファの向かいの机から、無造作に巻物を拾い上げた。中身を素早く確認し、懐へと仕舞う。
 その音も無い動作を面の下で眺めながら、カカシは無言のまま脱出口へと向かう。穴の開いた天井裏へと跳躍し、後を追ってきたテンゾウの為に場所を空ける。埃のたっぷりと舞っているであろう空気を吸うのが億劫になり、カカシはテンゾウが天井裏へと身を入れたのを確認すると、一度外した板を再び嵌めなおした。
 「そもそも、そういう問題は僕らにとって意味なんてないでしょう」
 テンゾウの台詞の意味が分からず、うっかり「何のこと?」と聞いてしまいそうになったが、なるほど、先ほどの己の問いの答えかと気づき、カカシは脱出経路を辿りながら、意識のみをテンゾウへと向けて笑いかけた。
 顔が見えずとも、笑う空気や雰囲気が分かるのか、テンゾウは顔を顰める。そんな一挙一動も若造らしくどこか可愛らしく、カカシは子供をあやすように優しく聞いた。
 「嫌なら暗部をやめればいいじゃない」
 「やめてどうなるんです?」
 テンゾウは不思議そうに聞き返してきた。
 「忍である限りは人を殺しますよ」
 テンゾウの理論の芯には絶対的な忍としての酷さが根付いているらしい。
 感情の欠片も混じることなく、それが事実だと返答したテンゾウの言葉に苦笑を洩らし、カカシは「じゃあ忍をやめたら?」と軽く言った。暗部にまでなった人物が忍をやめるのは結構重大なことだったりするのだが、カカシにとってはそれはたいした意味を持たないらしい。嫌ならばやめる。強制されたことで無いのならば、それは確かに事実だ。
 「忍をやめたら、僕はどうやって生きればいいんですか?」
 問いかけるテンゾウの言葉はどこまでも澄み切っている。
 それが世界の理である、とでも言いたげだ。彼の根底にあるのは何なのだろうか。苦笑と共に外への抜け道へと出るため、一旦通路へと降りる。人の気配のない、旧倉庫であるそこには埃が一cmも近く積もっており、鼠ですら入り込んだ雰囲気も無い。
 「俺のお嫁さんにでもなるとか」
 冗談のように冗談過ぎる本音をさらりと特に感慨なさげに吐き出してみれば、テンゾウは面の向こうでやっと笑い、「僕、掃除嫌いなんです」と答えた。
 カカシの脳裏に思い出されるのは、テンゾウのアパートだ。物が禄に置いていない簡素すぎる忍らしい室内。
 「片付いてるじゃない」
 「掃除が苦手なので極力ものを置かないだけです。ものぐさなんですよ」
 そう言って冗談めかす男は大抵冗談を言わない種類だから困る。倉庫の唯一の窓へと向かえば、最初来たときと同じように中途半端に壊れて空いた窓がぎぃぎぃと軋んだ音を立てていた。倉庫の扉は強固な鉄の扉で塞がれており、音は廊下へと出ない。
 「じゃあ掃除は俺がやるから」
 「料理が上手くありません。洗濯も好きではありません。死ぬかどうかわからない人を放置するなんて行為もできません」
 ゆっくりと教え込むようにそう言われてしまえば、返す言葉が出てこない。テンゾウはそんなカカシの表情を面越しに感づいたのか、「そして何より」と微笑む。
 「人が殺せないじゃないですか」
 「・・・ほんと、俺、テンゾウに暗部は向いて無いと思うんだけどね」
 「それは希望でしょう?」
 カカシの願いも即座に一刀両断され、その頑固な所と意思の強さは確かに暗部向けかもしれないね、と心の中で小さく溜息を吐いた。
 「悪ぶるのも苦しいんじゃない?」
 「カカシ先輩には敵いませんね」
 まるでエスコートするかのように、テンゾウは窓を押し開け、一足先に屋根上へと出た。窓を固定し、カカシが外へと這い出るのを待ち、ようやく新鮮な空気を吸えるようになったからか、テンゾウはそっと仮面を外す。
 月光に照らされた白い肌が露出し、病弱な少年の肌を優しく際立たせる。線の細いテンゾウの体も少しは成長したとはいえまだまだだな、なんてそんなことを思っている間にも、テンゾウは思いついたかのようにそっと呟く。
 「もう一つ、僕が嫁になるには相応しくない理由があるんですが」
 「何?どんなふつつか者でもテンゾウなら何でも愛せる自信があるよ」
 そうやってにやりと嘯くカカシを困ったように見下ろし、テンゾウは冗談めかして、本気で呟く。
 「子供が産めません」
 「・・・それは残念だね」
 何を言い出すかと身構えてもやってきたのはその言葉で、肩透かしを食らった気分のまま、カカシは優しくテンゾウの頭を撫でた。
 また人を殺すだろう。また望まない行為に手を染めるだろう。本当に止めたい。
 どこかに攫って無理に結婚して監禁でもしてしまおうか、そんな馬鹿な考えを思いつきながら、カカシはそっと、「それじゃあ、子供が産めるようになったらいつでも娶ってあげる」と真剣に告白した。
 テンゾウは「産めるようになるといいですね」と、今にも笑い出しそうな顔で、なるだけ真剣そうに答えた。いっそ笑ってくれたほうが恥ずかしくもないのに!カカシは目の前の後輩が異常に愛しく感じられ、一瞬任務を忘れてそのままテンゾウを抱きしめた。
2008/2・29


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