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■エンディングロール
折原臨也は普通の人間だ。普通と言えるほど一般的な思考回路を持つ人間ではなかったが、彼の肉体は平均男性のものとして一般の域から脱していない。そもそも池袋最強などと言われる平和島静雄以外に普通の人間ではない、などと称される人間は海を越えた国にしかいないはずである。かのロシア軍人であるなどと囁かれている寿司屋の巨漢でさえナイフで刺されれば血だって出るだろう。力の強い人間に切られれば一発で心臓を貫通されることだってあるに違いない。
折原臨也はナイフで刺されれば力によりけりでそれは内臓に達するし、車で撥ねられれば骨だって普通に折れる。ナイフも刺さらない上に車に撥ねられてもすぐに立ち上がって吹っ飛んだ煙草を残念そうに踏みにじる男とは違う。
だから唐突に近寄ってきた女子高生の華奢な手に握られたサバイバルナイフが腹に深々と突き刺さり、その上内臓よ噴出せといわんばかりにその肉を裂かれたら、その場に崩れ落ちて携帯電話で救急車を呼ぶぐらいしかできないのである。
しかしもはや反射的と呼ばれるほどのスピードで手に握られた携帯電話はその女子高生の足によって遠くに飛ばされ、すでに血の巡りが止まったせいか感覚のない手が力なくアスファルトを撫でた。細かい砂が突き刺さる感覚は頬にしか感じられず、思考能力があっという間に低下していくのを臨也は横たわりながら感じた。
「・・・・・・・・はぁ」
湧き上がる感情はひたすらに悔しさだった。こんな女なんかに殺されてしまうという事実が酷く口惜しい。自分が死ぬのはもっと劇的で驚くべきような大事件であると信じていたのに。池袋を戦場にすることもできなかった。あの平和島静雄を殺すこともできなかったし、どれもこれも道半ばだ。
ぼやけた視界の中で辺りを見てみても、人気はなく、先ほど自分を刺した女子高生の姿も無い。サバイバルナイフさえ残っていなかった。まさか証拠品を残すわけがないとは思っていたが、そう考えると自分の腹は切り裂かれた上に止めるものがない。これは死んでしまう。
しかしこう死の目前にいるはずなのに走馬灯というものが見れない。臨也は人間の構造というものに兎角興味を持っていたので、それが見れないのが残念だった。しかし実際ここで走馬灯を見たらどうせあの憎い男のことしか浮かんでこないに決まっている。後は首ぐらいだろう。そんな吐き気のするような走馬灯見るぐらいなら見なくてよかったというものである。
それにしても中々死なないものだ、とぼんやり思い、ふ、と瞼を閉じてみた。途端に瞼を開けられなくなり、急激に脳味噌が凍結していくような感覚に陥る。さっきまで馬鹿みたいに鳴り騒いでいた心臓の脈の音がどんどん遠ざかっていく。最後に脳味噌の中で作られた誰かの姿さえも理解できず、臨也の意識はそこでぷつりと途切れた。二人の男女と少女が二人だった気がしたけれど、もうそれも誰だか分かりやしなかった。
「あ」
「あら」
その姿を見て咄嗟に声を上げてしまった。コンビニエンスストアから出てきた矢霧波江は黒いボストンバックを肩から提げており、丁度正面につけていた黒塗りの車に乗るところだった。そこに丁度鉢合わせてしまった帝人は彼女が酷く平然としていることを見て取ってから、戸惑いがちに、「こんにちは、お久し振りです」と挨拶をしてみた。
「出頭ならしないわよ」
「あ……」
「誠二のことも、貴方には手は出させない」
波江はそうきっぱりと告げると、帝人が何かを言おうとするのも無視して、さっと車に乗り、あっという間に走り去ってしまった。二の句を継ぐ暇も無い。中途半端に上げかけていた手もどこへ行くということもなく、宙に停止されたままだ。
「さっきの…鞄の中、お金みたいだったけど…」
ぽつ、と先ほど波江の持っていた鞄の端に見えたお金の束のようなものを見て、帝人は何かを考えかけ、結局やめた。
帝人の与り知らぬ所であったが、これまで折原臨也の元で助手として手伝っていた波江は、臨也が死んでしまったことによって様々な面倒ごとに巻き込まれそうになったのをからがら逃げてきた最中だった。警察の捜査が臨也のマンションに及ぶ前に首を回収し、臨也の金をあちこちで収集し既に逃げる算段をつけている。しかし彼女の弟とその彼女の管理をしなければならないので、池袋から離れすぎることはできない。
臨也の部屋が調べられればすぐに彼女にまで警察の手が及ぶことになるが、それについては手は打たれている。臨也が面倒ごとに巻き込まれそうになった時に警察の手から逃げるために、彼のマンションは燃えやすい設計がされてあった。自分や弟に関係するものには入念に注意を払って、臨也の住みかとしていた部屋は今頃火の海である。同じフロアの住民がどうなろうと波江と弟には関係のないことなのでそれについては特に考慮していない。むしろそんなどうでもいいことに思考を割けるほど波江は余裕を持て余していない。
とりあえず帝人はその黒い車が向こうの交差点を曲がるまで見送ってから、コンビニエンスストアに入った。彼女が一体何を思ってこのような行動をとっているのか分からなかったけれど、それでも池袋で再び何かをするつもりならばそれを迎え撃つ決意はできていた。
カップ麺の汁を啜っていると、すぐ隣から「よう」と気の抜けたような声が聞こえてきて、背後の喧騒をぼんやりと聞いていた門田は何故か、右側に座って昼飯であるカップ麺を食っていた渡草を見てしまった。既に食事を終えていた渡草はペットボトルの緑茶を飲んでいるところで、自分を見てきた門田を見てから、どうした、と言いかけ、そこでようやくきょとん、と目を丸くした。
門田の背後にいた平和島静雄にお茶を吹き出しかけたが、寸前で堪える。ようやく門田も振り返り、自分の方を向かなかった門田に怒ることもなく平然と立ってワゴンの中を覗き見る静雄に気づいた。静雄が現れたことでパンを食べていた狩沢と遊馬崎がわいわいと騒ぎ始めたが、静雄も既にそれにいらつくことに疲れ始めたのか、ふいっと顔を門田に向け直した。
「う、お、…なんだ、珍しいな。どうした?」
「いや、用っていう用はねぇけどよ。ぶらついてたらお前らのバン見つけたから来てみただけだ」
「そうか…」
「お前らの車、すげぇ目立つな」
「元はといえばてめぇがドアひっぺがしたせいでこうなったんだろうが!!」と無論渡草が言えるわけもなく、お茶を飲むことでそれを紛らわす。明らかに仲間のテンションが下がってきていることに感づき、とりあえずこの場は何事も起こさないうちに仕事に戻って貰おうと思い、あのドレッドの静雄の上司の話をしようかと思ったが、狩沢があれぇ? と一際大きな声を出しながら運転席と助手席の間に首をつっこんできた。
「静雄ったらもしかして機嫌いい?」
「お前黙ってろ!」
何が静雄の逆鱗に触れるかわかったものではないので、渡草はとりあえず買ってきていたコンビニのカップケーキを狩沢に押し付けながら後部座席に退却させる。しぶしぶといった様子だが、それよりもカップケーキを物色することに専念して、狩沢と遊馬崎は興味が静雄から上手く外れる次第になったようだ。静雄も特に変化もなく、門田がどうにか狩沢のことを紛らわせようと四苦八苦しているのを見ながら、そうだな、と一つ呟いた。
「最近調子良いな。キレることも少なくなってきてるし」
「そう…なのか」
「ああ、あのノミ蟲野郎も見ねえ。それが多分一番落ち着けてるんじゃねぇかと思うんだが」
普段ならばそんな言葉は何事も無かったかのように流せるはずであったのに、思わず門田も渡草も硬直してしまった。ニュースを見ない静雄といえど、それぐらいは知っているだろうと思っていたのだ。あのドレッドの上司は一応ニュースぐらいチェックするはずだ。しかし臨也が死んでいることを知らないということは、あの上司が隠蔽しているのだ。まぁ確かに臨也が死んだと知って静雄がどのような反応をするのかまったく想像がつかない。諸手を上げて大喜びして鍋パーティやら一晩飲み明かすやらやる可能性だって無きにしもあらずだが、臨也が死んだことにショックを受けるかもしれない。何せ何年間も殺しあった仲である。それが実際にどことも知らない場所で誰かも分からない人間に殺されたとあってはショックを受けるかもしれない。
いや、ショックを受けて欲しい、といった方が正しい。人が死んで喜ぶような男であって欲しくない、というのが本音だった。どれだけ憎んでいた男であっても、人一人が死んだのだ。平和島静雄はとんでもない規格外の人間だ。それでも人の死には揺らぐ男であってほしい。門田はそう願っていた。
「なんだ、変な顔して。…まさかノミ蟲に何かされたのか? あの野郎、やっぱりどこかでくだらねぇことを…」
「いや、ちげぇって」
あっという間にこめかみに青筋を浮かばせる静雄に、隣で渡草がヒッ、と小さく悲鳴を上げる。静雄の掌がバンの扉に触れる前に慌てて止め、なんとか落ち着かせた。
「何もねぇよ。まぁ、あいつに関する話はまた違う所で聞けるだろ。それよりお前、仕事は良いのか?」
「っと、ああ、そういやそうだな。じゃあ行くわ。またな、門田」
バンに設置されてあるデジタル時計を確認しながら静雄は早足で人ごみの中に去っていく。はぁぁぁぁ、と気の抜けたようなため息を吐いて、ずるずると渡草が椅子に沈んだ。お疲れさん、と渡草の肩をたたきつつ、人の波の中でもまだ見つけられる静雄の飛び出た金髪の頭を見送る。どちらにせよ嫌な気分になるなんて死んでも面倒くせぇ奴だ、と門田は小さく溜息を吐いた。
2010/4・1
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