■シャッターが押される前に
随分と綺麗になってしまったものだ、とがらんどうに開けた教室を見回して口が緩んだ。教室に綺麗に整列されてあった机は見るも無惨に教室の端っこに積まれている。といっても蛍光灯を取り替えるために机を綺麗に重ねているわけではなく、上下関係なく、倒れているのも正常に立っているのも含め、まったく無造作に重ね上げられた机の山。先ほどまで雄叫びを上げながらさながら血に飢えた獣が如く臨也を追いかけまわしていた平和島静雄の傑作である。彼が意図してそんな奇怪なオブジェを作り上げたというわけではないので傑作というのも語弊があるが、しかし力任せにそこいらにあった机を片っ端から投げ捲くったせいで、辺りにはこの教室の生徒のものである筆箱を初め教科書や漫画が散乱している。一度ここで暴れ、臨也と静雄の戦闘は廊下へ移動し、静雄を巻いたところで臨也はのうのうと始まりの教室に戻ってきたのである。犯人は事件現場に戻る、とかなんとか、そういう言葉を知らないわけではなかったが、むしろ静雄の方は知らないと思って適当に来てみたのだ。予想していたが教室にいたはずの生徒達はどこかへ非難し、黒板には殴り書きのような字で『時間割り変更。グラウンドに集合』と書かれてあった。次の授業は確か数学だったはずだが、机の飛び交う教室内でそんなのうのうと授業ができないと教師が判断したのだろう。
授業が終わったらまず掃除かな、と思いながら、臨也は床に落ちていたゲームボーイアドバンスを拾い上げる。これまた懐かしいものがあったものだ。電源を入れてみてもうんともすんともいわないので、ひっくり返してみると、電池を入れる部分の蓋が取れ、電池が一個だけ入っていた。二つないと動かないのだ。
興味を失って適当にその場にゲーム機を投げ落とす、と、同時にすぐ横に机が吹っ飛んできて、墜落途中のゲームボーイアドバンスにぶつかり、そのまま臨也の横を素通りし、壁に激突する。ころころころ、と足元に残りの一つの電池が転がってきて、臨也は心の中でゲーム機に向けて手を合わせようかと思ったが、そんな暇は無いかと思い出し、くるりと振り返る。
「よぉ………臨也くんよぉ…何やってたんだ? あ? 殺される前にゲームとは余裕だなぁおい。走ってる間に脳味噌からネジが吹っ飛んだか?」
「ネジ吹っ飛んでるのはシズちゃんでしょ? ぼろぼろ落としすぎるといつか脳味噌耳から出てくるんじゃない? あ、もうそうやってそのまま死んじゃえば?」
教室の入り口に立っている静雄はにんまりと口を歪めて、すぐ横にある教室の扉を片手で掴んだ。めしめしめしぃ、と塗装された木の扉の内側から中身の茶色い木片が零れ、扉が傾いだせいでついてあった硝子にびしっ、と亀裂が走る。臨也は今更驚きもせず、とりあえず袖口からバタフライナイフを取り出した。もうこれ一本しか残っていない。残りのナイフは全て使い切ってしまった。無論、先刻までの静雄との追いかけっこのせいでだ。
「ああ、どうせ俺が死ぬのは俺の頭の悪さが原因だろうよ…だがその前に、まずてめぇが死にやがれ!!」
まさにノーモーションで片手だけで静雄は扉を外し、そのままの流れで扉を臨也に投擲した。とにかく前方に放り投げるという動作。高校生男子でも両手で持てる扉をまるでプラスチック製の何かだとでも言うが如く、軽々と投げつけてくる。
臨也はそれを難なく跳躍することで避けた。なんといっても静雄は上手く狙うことさえする気がない。大きなものなら投げれば多分当たるだろうと思って投げているのだ。避けるのは容易い。平面を上にしての投擲だったので、臨也はジャンプをして、その扉を踏みつけた。ばんっ、と音を立てて扉が床にたたきつけられ、ついに嵌まっていた硝子が外れる。第二撃を予想して、臨也は前方を見る。教室の扉は二枚あるのだ。1枚投げつけて2枚目が来ないわけがない。
2撃目は既に目前に迫ってきていた。今度は横ではなく縦に投げつけられたので跳躍では避けられない。横っ飛びするように右側に撥ねる。
と、気がつけば静雄片手に机を掴んだまま臨也の目の前まで走りこんできていた。何が起こったのか脳味噌が追いついて来れない。避けたのを追うのにしても、この反応はいくらなんでも早すぎるのではないか。
そこで先ほど投げつけられた縦方向の扉が壁にぶつかり、ついでに窓ガラスを破壊した。もしかして先ほどの扉を避けるのに必死になりすぎて、避ける動作を見極められたのだろうか? それでほぼ同時に同じ方向に飛び出せば、簡単に俺を捉えられる――――。
そこまで考えた次の瞬間、静雄の持っていた机が臨也の胴体に叩きつけられた。体がくの字に折れ曲がり、防御のために使った腕から不可思議な音が上がった。
「がっ、あ――――!?」
当たった。机の角の部分が腕と背中に刺さった。血は出ていないし骨も出ていない。しかし腕は確実にイッた。どこが動いて、どこが動かないのか確認、しな、ければ―――。
臨也の体が床にたたきつけられ、勢い余って一度バウンドする。べしゃっ、と肉体が無様に床に転がるのを止めようとして、本能だけが臨也の手を動かし、冷えた床にべしゃ、とつかれた。ぶわっと吹き出る汗で臨也の体が震える。そして追い打ちをかけるように、静雄の足が臨也の心臓の上を踏みつけた。
「―――――…」
「はっ…いいザマだなぁイザヤくんよぉ―――骨折れたんじゃねぇか? あ?」
折れている。臨也が見る限り自分の手は酷く痛々しそうに逆方向に捻れていた。痛みも半端ではない。脇腹にもナイフでも刺されたかのような痛みが疼いていた。
「よし、殺す。今殺すすぐ殺す10回と言わず100回…殺して殺して潰し殺す」
荒々しい手つきで、一度屈みこんだ静雄は臨也の首根っこを片手で掴み上げ、全身の力を抜いているというのに平均的身長の男子高校生を吊るし上げる。学ランの襟に頭を預けるようにして、虚ろな目で静雄をぼんやりと見つめ、臨也は小さく、あは、と笑った。
「あ?」
そして次の瞬間には、臨也のまだ動く方の腕が素早く動き、ジャンケンのチョキの形をした手が、静雄の顔面に向けられていた。正確には、人差し指と中指が、静雄の眼球すれすれで止められていた。瞬きをすれば臨也の爪の先に睫毛が触れるぐらいの距離だ。
「………んだぁ、こりゃぁよぉ…?」
「道づれ」
愉快そうに臨也は笑った。
「シズちゃんが俺を殺す寸前に、シズちゃんの両目に指突っ込んで脳味噌をツメでひっかいてあげるよ。流石に死ぬでしょ?」
「……脅してんのか? くだらねぇ」
けっ、と唾でも吐き捨てるように、静雄は舌打つと、「ふざけてんじゃねぇぞテメェえ!!」と。怒髪天をつくが如く、怒鳴った。
「死に掛けのてめぇの筋肉で俺の脳味噌までその指が貫通するわけねぇだろうが! 思いあがってんじゃねぇそノミ蟲が! てめぇが俺の目玉抉る前にてめぇなんざ腹に風穴開けて窓から投げ捨ててやる!」
「でもさぁ、俺は別にそれでもいいんだよね」
授業中、恐らく静雄の怒鳴り声は近くの教室まで届いているかもしれない。が、臨也はそこまで激怒する静雄などどこ吹く風とでもいうように、柔らかく微笑んで、嘲笑うように鼻を鳴らす。
「シズちゃんの脳味噌がかき混ぜられなくっても―――シズちゃんから視力を奪うぐらいはできると思うよ」
「てめぇを殺せるのなら俺は視力なんざどうなったってかまわねぇがな」
「視力はでしょ? 記憶はいいの?」
「…………はぁ?」
意味が分からん、とでも言う風に、静雄はあからさまに顔を顰め、目の前のいけ好かない男を睨む。折れた腕が熱を持ち始め、その顔さえも苦痛で歪んでいるが、静雄の目の前に静止されている指はまったく動かない。静雄の臨也を嫌う気持ちというのと同様に、臨也の静雄を嫌う気持ちというのも、怖ろしく強いのだ。
苦痛や困難など気にしなくとも平気な程度には、互いを憎む気持ちは、どろどろに渦巻いている。
「シズちゃんが今目を引っかかれて、一生目が見えなくなったら―――最後にシズちゃんの目に映った人物って、俺じゃん?」
「………」
「しかもさ、殺人犯としてシズちゃんは投獄―――あ、未成年だから少年院? とにかく捕まったらさ、シズちゃんは俺のせいで人生の青春時代を棒に振るわけじゃない。シズちゃんの幸せな人生を、しかもその際たる時間を、俺がぶち壊すんだよ? ―――こんなに楽しいことはないね!」
微笑みは気がつけばにやにやという気持ちの悪いものに変わり、今や哄笑だった。あははははは! と臨也は笑い、血管を額に浮かせぎりぎりと歯を食いしばる静雄を嘲笑う。
「本当はシズちゃんを殺すのが俺にとって最高のエンディングだけど、これも有りっちゃ有りだね。シズちゃんは殺せなかったけど―――シズちゃんの人生は、殺せそうだ」
そう言って、臨也はずい、と指を押し出した。静雄の目の前には既に臨也の少し長い爪しか映っていない。静雄の振り上げられた片腕は、拳を作ったままぴくりとも動かない。俺の眼球がなんだ。俺の不幸がなんだというのか。この胸くそ悪い最低な生物がこの世から無くなれば、俺はこのまま不幸になるかもしれねぇが、確実にここらへんは平和になるはずだ。
そう、思った。勿論静雄はそこまで自己犠牲精神の強い心の優しい人間ではない。そんな人間ならば臨也をそもそも殺そうとはしない。静雄の脳裏に走ったのは、大切な弟とこんな自分に対してもそれなりに仲良く接してくれる数少ない友人、幼い頃好きになった優しい女性、両親などだった。まるで走馬灯だ。こんなくだらねぇ奴を相手にそんなもんを見ちまうなんて、屈辱だ。死ねばいい。今ここで魔法か何かが起こって、こいつがぱっと、そう、例えば紙くずの山にでもなっちまえばいいのに。
そう思いながら、はやりそんな夢のようなことは起こりはしない。ふふふ、あははは、といらつく男の笑い声を聞いているうちに、チャイムが鳴った。ざわざわと聞こえてくる生徒の声が近づいてきて、膠着状態の二人を見つけた教師が数人がかりで臨也と静雄を引きはがす。腕だけではなく内臓にもダメージがあるらしい臨也は、すぐに教師に支えられて教室を出て行く。それでも臨也は不敵に唇を歪めて、最後まで臨也を殺せなかった静雄を、最後にそっと冷笑した。
2010/3・27