■円環状の行路



 そのメールは夜の11時頃にかかってきた。飯も食って適当にぶらついて、いつも通りの変な会話をして、狩沢、遊馬崎、門田の順に家に送る。変なことに絡まれない限り、それは平和な日常におけるタイムスケジュール通りだった。その、メールが届くまでは。
 遊馬崎を送って一つ目の信号に引っかかった時、門田と二人きりのせいでいつもよりも静かな車の中に、聖辺ルリのヒットソングであるrain tearsのサビが響いた。クラシックの流れる車の中で異質な少女の歌声は、渡草が携帯電話を取り出したと同時に止まる。どうやらメールのようだ。
「読んでくれ」
「いいのか?」
「どうせ兄貴だ」
 信号が青に変わり、渡草はサイドブレーキを上げる。それよりもさっき携帯を取り出したのを警察に見られていないかに注意しているらしく、渡草はきょろきょろと周りを見回す。どうやらあの黒バイクさえも恐れる交通機動隊を気にしているらしい。つい数ヶ月前に駅前から異動してやってきた交通機動隊の葛原金之助に池袋を根城にしているバイク乗りやら暴走族やらが根絶やしにされている。正確に言えば葛原金之助だけが凄いわけではなく、新しく異動してきたその連中がこぞって凄い腕だという話なのだが。あの人知を超えた力を持つ黒バイク―――首なしライダーであるセルティ・ストゥルルソンでさえ、新しくやってきた交通機動隊の連中がトラウマになっているらしく、以前、彼女の良き人である岸谷新羅の開いた鍋パーティで、渡草と散々交通機動隊が怖すぎる、と語り合ったものである。
 渡草も以前、自分の車に当て逃げしていった車を追いかけていたとき、石段を駆け下りたことがあった。そこを丁度良く見られて、車と白バイとのカーチェイスである。最初は追う側だったというのに、気がついたら追いかけていた車も見失い、数時間ほど追い掛け回され、死ぬような思いをした。それから度々、白バイを見つけるたび胃の縮こまる思いをするのだ。
「おい、お前の兄貴からじゃねぇみたいだぞ」
「は? 誰だよ」
「葛原って書いてあるが」
「ぶふっ」
 丁度思い描いていた人物の名前が出てきて、渡草は思わず噴き出した。葛原金之助のアドレスが登録してあるのは、以前のカーチェイスで気に入られたせいだ。白バイに乗るせいなのか、ただの好みなのか知らないが、やはり乗り物好きは乗り物好きを気に入るようで、渡草と丁度街中で鉢合わせた時、捕まえられるかと思えば、普通に親しげに接してきたのである。
 曰く、捕まえるのは違反をしたその時に捕まえる、それでこそ俺達の凄さってのを知らしめることができるだろ、ということらしい。いや、もう十分車乗りやバイク乗りにとっちゃあんたらは凄い脅威だよ・・・!! と渡草は思ったのだが、下手な口を利いて憶えられるのも嫌だったので黙っておいた。しかし何故この時になって、一体何のつもりなのだろうか。渡草はハンドルをぶるぶると震えながら握り締め、で、と門田に聞いた。
「な、・・・なんて書いてあるんだ」
「見ていいのか」
「むしろ怖くて一人じゃ見れねぇよ・・・なんだ? 今から捕まえるってか?」
 辺りを慎重に見回して、白バイの姿を探す。かちかちとボタンを押す音がして、いや、と門田が少し笑うような声音でそれを否定した。
「お前の部屋に来てるから酒買って帰って来い、だと」
「・・・・・・・・・・はぁぁぁぁ?」



 そもそも、葛原とはそんな付き合いは無いのだ。話をしたのだって片手で数えられる程度だし、ちゃんとした接触だって一度偶然に飲み屋で鉢合わせしたときに絡まれて一緒に夕飯を食ったことがあるぐらいだ。その時生計をどう立てているか、という話になって家がどこかということを話してしまったが家に乗り込まれるのはこれが初めてだろう。
 心配する門田になんとか折り合いをつけて、彼を家まで届けてから、言われた通りにコンビニで酒と何かつまみを買って自宅へ帰る。自宅といっても親から受け継いだアパートだが。駐車場にバンを留めれば、階段近くに見たことのない良いバイクが停められている。その機体のかっこよさに思わず見蕩れつつ、それがおそらく、葛原金之助のものであると察知して、同時に恐ろしさも湧き上がってきた。本当にいるかもしれない。冗談ではなく。
 大家である兄の部屋は電気がついていない。どうやらもう寝ているか、友人達と遊びにでかけたのかもしれなかった。ただ、渡草の部屋の玄関からは灯りが漏れている。鍵はどうした、鍵は。
 恐る恐るといったふうにドアノブに手を伸ばし、捻り、引く。自分の家のはずなのに、何故こんなにも戦々恐々としなければならないのだろうか。と思った矢先、扉は内側のチェーンによって、がちん、と嫌な音を立てて開くのを止めた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
 人の家にチェーンをつけてやがる・・・。図々しいというか、さすが警察、用心深いというか、変なところで安心感、というか。
「あ? なんだ渡草、インターホン鳴らせよ」
「・・・・・・どうも」
 まるでここの住人かのように、男は堂々とやってくると、一度扉を閉め、チェーンを外した。そして改めて扉を開けて、渡草を確認し、そして渡草の手にぶら下がっている酒とつまみの入ったビニル袋を見て、にかりと笑った。
「鍵、どうしたんですか」
「あん? ああ、お前の兄貴が入れてくれたぞ。と、お前の兄貴はこれから飲み会らしい」
 あの、野郎・・・っ! 渡草が心の中で兄を詰れば、そんなことは気にも留めず、葛原は鼻歌交じりで渡草の手からビニル袋を取って、さっさと中へ再び入っていってしまう。その背中を呆れたように見やりながら、渡草も中へ入った。靴を脱ぎ、閉めた扉にチェーンを再びつける。アパートの一室なので、中は狭い。それでも小さな台所と一応風呂場、洗面台、トイレもついている、それなりに良いアパートだ。しかし部屋の狭さはどうにもできない。渡草は本を読まないので本棚とかは無いのだが、布団、テレビ、小さな机と大切な聖辺ルリのグッズやらDVDやら彼女の写真集やらを詰め込んでいる棚だけで結構場所が取られている。最近は遊馬崎を見習いながら、「オタクが酷い生活を送っているというイメージを払拭しよう運動っす!ドルオタがいるだけでアイドルの風当たりが酷くなるなんてこと、許しちゃいけないっすよ、渡草さん!」という言葉のに従って、清潔な生活を送っているので、むしろ部屋は殺風景だった。まぁ、こういう風に突然人が押しかけてくることだってあるのだ。心の中で遊馬崎に感謝しながら、一昨日まで貼っておいたポスターを剥がしておいてよかった、と安心の溜息を吐いた。
「・・・物色とかしてませんよね」
「しねぇよ。お前、俺の職業忘れたのか? お前らに訴えられたら俺は即座に職を失うんだぞ」
「そんなぐらいなら不法侵入とかしないでくださいよ・・・」
「不法侵入じゃねぇよ。お前の兄に入れて貰ったっつってんだろうが。お前の家に家族が勝手に入るのが不法侵入だと言うのか? あ?」
「・・・・・・・・」
 もうやだこの人こえーよ。喧嘩腰なのは構わない。それ程度は怖くは無い。しかしこの男は警察官で、しかもあの黒バイクさえも脅かす不思議な威圧感があるのだ。とりあえず買ってきた酒をテーブルに出してつまみの袋を開く。
「まぁ、とにかく、葛原さんは酒盛りがしたかったんでしょう? 早く飲んで帰ってくれませんか。俺実はすげぇ眠いんです」
「ふん、普段夜中まで友達連れて大騒ぎしてる若者の言う台詞じゃねーな」
「俺はもう若者じゃねぇっすよ」
「若者だよ。俺から見たら、黄巾賊もダラーズとやらも、おめーらも変わらん」
 そう大雑把に切り捨てて、葛原は缶ビールを勝手に取って、一気に呷った。その意味にも気づかず、渡草もビールを流し込む。そういえば、もう少し若い頃の自分は、ビールが美味く感じるようになれば大人だと勝手に思っていた時期もあったな、と考えながら。



 あの黒バイク、今度は会ったらぜってぇお縄につけてやる、と葛原はしばらく愚痴を吐きつづけた。なんとかっていう映画では警察がまるでボロ雑巾のように扱われていて、それが許せないだのなんだの、交機をなめるな化物め、などと呟く。ただそれが大声でないことだけが救いだった。滅茶苦茶に薄い壁というわけではないから、大騒ぎしなければ隣の部屋などから苦情は来ない。大家の人間とはいえ、怒られることだってあるのだ。
 酒も大分飲み終えて、残りのつまみをもそもそ食べていると、葛原はぼんやりと渡草の手を眺め、ふん、と鼻を鳴らした。
「渡草ァ・・・バイク乗らねぇのか? バイクはいいぞバイクは」
「人の乗り物にケチつけないでくださいよ」
「敬語いらねぇよクソガキ。ガキらしく大人にタメ口きけ」
「・・・葛原さん、なんかおかしいよなぁ」
 はぁ、と溜息を吐いて、空になった袋をゴミ箱に捨てる。空き缶をビニル袋に突っ込んで、酔い醒ましのために冷蔵庫から麦茶を取り出す。コップに入れてテーブルの上に置いて、促されるがままにそれを飲み干す葛原を観察し、渡草は自分の頭が麻痺しているのに気づいた。
 流されている。思えば、まず家に入ってきていた時点で追い出せば良かったのだ。・・・門田ではあるまいし、貧乏くじを引くのはごめんだった。
「葛原さん、あんたそろそろ帰った方がいいんじゃねぇか?」
「あ?」
「・・・明日もどうせ仕事なんだろ」
 葛原の不思議そうな声がどうにも要領を得ないようだったので、続けてそう言えば、葛原は思い切り変な顔をして、渡草をアホを見るような目で睨み、鼻を鳴らした。
「お前、アホか? この俺に飲酒運転しろってか?」
「・・・・・・・あ」
 そういえば、アパートの前に葛原のものらしきバイクが停めてあったのだ。交通機動隊のなかでも名高い葛原金之助が飲酒運転したとなっては大事である。じゃあどうしろと言うのだろうか。
「家まで送れってことじゃ―――ないよな、俺も酒飲んでるし」
「罰金か拘束すんぞ渡草ぁ」
 相手が警察なだけに洒落にならない。胡乱な目つきで睨まれて、渡草は言葉を呑んだ。
「じゃあ、あんたどうすんだ? バイク押して歩いて帰るのか?」
「お前は鬼か悪魔か? 泊まらせろ」
「・・・・・・・・・・・・」
 予想していなかった一言に今度こそ絶句する。なんだこの自由な男は。そんな行動して許されるのは映画の主人公ぐらいだ。・・・そういえば葛原は映画好きだったか。しかもB級の。
 渡草が呆然としていると、小さなテーブルがいつの間にか部屋の隅に移動されて、布団の上に積んであった毛布を適当にかけて、葛原は既に寝入る寸前だった。
「おおおいあんた何やってんだ!?」
「布団とらねぇんだからいいだろうが。おやすみさん。俺は明日4時に起きるからよ。あ、今日か? まぁどっちでもいいや。電気消せよ」
「・・・・・・・・・・・・」
 そう言うや否や、葛原はぴくりとも動かなくなる。鼾をかかないのが救いだが、結局最後まで流されてしまった気分だった。仕方が無いので布団に入り、電気を消す。怖くて寝れねぇよ、と思っていたのだが、酒の力もあったせいか、いとも簡単に渡草は睡魔の手に落ちた。



 携帯のアラームで起きると、既に葛原の姿は無かった。予告通り4時には出て行ったのだろう。そういえば昨日は葛原の勢いに流されて風呂に入っておらず、その上着替えもしないで寝たことを思い出して、慌てて風呂に入った。門田達との約束の時間にはもう少し時間はあったが、あの異常な時間から早く脱出したくて、早めに家を出た。外で兄と鉢合わせたが、彼は片手を上げただけでのろのろと自室に入っていく。どうやらそうとう呑んだらしい。酒臭かった。文句を言うのもすっかり忘れていた。二日酔いではなかったが、気分がふわふわと浮ついている。酒は残っていないのだけれど、どうにも現実離れした空気に触れていた気がしていた。
 バンに乗り込み、門田からの連絡が来るまでしばらくじっとしていた。慣れ親しんだ匂いに包まれながら、車のCDプレイヤーに入れたままのクラシックを流す。葛原にどう思われているのか分からないが、まさか気に入られてしまったんだろうか、とむずがゆい不安感がぽとりと渡草のなかに落ちている。好意なのか悪意なのかわからないけれど、どうしても振り回されてしまうという自覚はあった。葛原が何がしたいのか捉えられない。それが不安だ。
 曲が止まって、少し眠りかけたところで門田から電話が来た。すぐ行く、と答えると、具合が悪いのか、と聞かれた。んなわけねぇだろ、と苦笑気味に返して、電話を切る。
「大丈夫だろ」
 自分のことなのに何故か他人事のようだった。サイドブレーキを上げて、駐車場から出る。登校途中の学生や、会社へ向かうサラリーマンを追い越しながら、渡草はいつものように白バイを探すように注意しながら、慎重に右折する。そして、再びクラシックのCDを最初から再生した。
2010/3・16


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