■岩礁
 

 先輩、今からお帰りですか。今日部活休みなので、一緒に帰っていいですか。
 授業の終わった後、掃除を済ませた帝人と杏里は二人でいつものように帰るところだった。そこにぎりぎり滑り込むようにして、一つ下の学年の黒沼青葉がやってきた。彼はいつもどおりの柔らかい声音と姿勢でそう言って、いつもの可愛い笑顔ではにかんだ。帝人も特に断る理由も無く、杏里も二つ返事で了承した。
 校門を通りながら、男子二人、女子一人で下校するという図は、一年前の人数と同じだ、と帝人は心の中で思ったけれど、青葉は正臣とは違う。較べようも無いほど違う生き物だと言うことを、帝人は知っていた。だから、そんな思いはすぐに打ち消した。
 本屋にぶらりと立ち寄って、思い思いに店内をうろついてから、帝人は池袋について特集をしている雑誌を一冊買って、その前で3人、一人一人の帰路につく予定だった。鞄を持ったままの杏里が、じゃあ、ばいばい、竜ヶ峰くん、黒沼くん、と言葉を残して去っていく。人ごみに消えていくその背中を見送って、帝人も、じゃあ、と言った。その直後、黒沼青葉は変わらぬ笑顔で言った。
「家までお送りします、リーダー」



 竜ヶ峰帝人がブルースクウェアの総長になってから、まだ片手で数えられる程度の日数しか経っていない。帝人はカラーギャングというものが一体どのようにつるんでいるものなのかよく分かっていなかったから、青葉の申し出を断りきれなかった。帝人は自分が弱いということを熟知していたし、自分が黒沼青葉という人間にとってよく使える駒であることも知っていた。利用する予定があるのならば、何かの因縁を吹っかけられて帝人が勝手に致命傷を負われては困るのだろう。青葉はどちらかといえば頭脳戦タイプなので帝人よりも異様に強いというわけではないので、護衛をするとしても役に立つかどうかは怪しいところだが、それでも青葉は帝人よりカラーギャングがどういうものなのか、知っているのである。その分帝人よりも喧嘩に巻き込まれることは多かったし、帝人よりは喧嘩になれているはずだ。
 今日も平和で穏やかな日を送っている池袋を、二人はしばらく無言で歩いた。ボールペンを青葉の手に突き刺してから二人きりで時間を潰すのはこれが初めてといってもいい。青葉の取り巻きはボールペンによって自分たちのブレインが怪我をしたということに警戒して、帝人と青葉が何か話をすると聞けば、一人か二人は青葉についてくるのである。
 大切にされてるんだね、と帝人が言えば、青葉はにこやかに、それだけ僕がブレインとして有能なだけですよ、と笑った。そこまで素直に自分を褒めるという行為ができる青葉を普通に尊敬する反面、青葉が自分自身のことを本当に道具としか見ていないことに気づいた。黒沼青葉の盤上において、黒沼青葉は使い勝手のいいただのツールにすぎない。帝人は少しそれが悲しいと思えたけれど、それを正す気もしなかった。そういう考えの黒沼青葉という人間は、別に嫌いではなかった。
 帝人は黙々と歩きながら、青葉をちらりと盗み見た。彼はどうやらじっと帝人を観察していたらしく、ばちりと目が合うと、にこやかに微笑んできた。青葉は帝人が自分にどのような話題を提供してくるか、それに期待しているようだった。帝人は青葉から目を逸らし、零れそうになったため息を唇を噛み締めることによって堪えた。落ち着け。流されてはいけないし、弱みも見せてはいけない。
「青葉くん」
「はい、なんでしょう」
「青葉くん、は、さ」
 名前を二回言った。青葉は心の中で思いながら、にこりと笑って先を促す。将棋などで相手が一体どういう手を使うか、期待する気持ちに似ている、と青葉は考えた。
「・・・好きな子っている?」
「・・・・・・・・へえ」
 思わず納得してしまった。どれかといえば、これは悪手だろう。が、最悪ではない。既に捨て身と考えれば良いとも言えなくも無いだろう。青葉は腹のうちをまったく見せない、爽やかで滑らかな調子で簡単に返した。
「いませんよ」
「え、そうなの?」
「帝人先輩は杏里先輩ですよね」
「ぶはっ」
 想像していなかった切り替えしだったのか、帝人はむしろわざとらしい、とさえ思えてしまうぐらい大きなリアクションを返した。青葉の好きな子はいない、という答えに驚いて、どうやら少し息を止めていたらしい。噴出す、というよりは咳き込むように空気を吐き出して、あっという間に顔を真っ赤にする。茹蛸、と青葉は心の中で思った。
「い、や、ちがっ、っていうか、なんで、そんな」
「見れば分かりますよ。それに皆噂してるじゃないですか。紀田先輩がいなくなったのだって、先輩達の恋の三角関係が拗れたせいだー、とか」
「噂だよ、そんなの」
「噂ってのはまず出所があるんですよ。話が曲がるのは仕方がないとしても、そのキッカケになる事象がかならずあるものなんです。どうせ先輩は紀田先輩と再会して、3人集まってから、告白するとかまた古風なこと考えてるんでしょう? 好きにすればいいじゃないですか。僕はとりあえずリーダーの恋を応援しますよ」
「――――・・・」
 帝人は苦虫でも噛み潰したような顔で青葉を睨みつけながら、真っ赤になった顔を覚まそうとぶんぶんと顔を振った。そして落ち着いたのか、でもさ、と口火を切る。
「てっきり、あの双子の女の子のどっちかが好きなのかな、とか思ってたからびっくりしたよ。・・・それにさ、青葉くん、モテるんじゃないの? 可愛いって言われない?」
「厳しいこといいますね・・・まぁこの顔はよく褒められますけど」
 ぺち、と青葉は自分の頬を軽く叩いて目を細める。
「俺、どっちかっていうと可愛い女の子より自分の興味のあるものに意識がとんじゃいましてね。人と付き合うのって、駄目なんですよ。すぐ本性出ちゃって」
「・・・ふぅん」
「でも、クルリとマイルは好きですよ。面白いですし、見てて飽きませんし。それに顔も可愛いですし。まぁあの双子は相思相愛みたいなので、俺は結局振られる立場なんじゃないですか」
 残念だね、と帝人は言って、残念です、と青葉は返す。そして少しだけ間を持って、青葉はちらりと帝人を伺い、また、同じように滑らかに切り返す。
「じゃあ、帝人先輩は、杏里先輩が体から刀を出すびっくり人間だから、好きなんですか?」
 その、あまりにも簡単に囁かれたその言葉に、思わず帝人は息を止めた。いつの間にか二人は人ごみから抜けて、帝人のアパートへと向かう細い裏路地に入っている。薄暗い夕暮れなのに多くの灯りに照らされたその場所に、少し立ち止まる。帝人のアパートは、もう見えていた。まっすぐ行った路地の端、その建物の塀が視界に入っている。それでも帝人は立ち止まってしまって、再び歩き出す瞬間を思わず逃した。
「ちがうよ」
「違うんですか。美人だからですか? 友達思いだからですか? 寄生虫だからですか? まさか、全部、なんて言いませんよね? だって帝人先輩は杏里先輩のことを全部知ってはいないんですから」
「人が、人を好きになるのに、理由はいらないと思うよ」
「でも、人が人を嫌いになるのに、理由はつきものですよ。あの、何にでも怒る平和島静雄だって、見ただけで殺したくなる折原臨也を『嫌いな理由』がある。じゃあ、帝人先輩が杏里先輩を嫌いにならない理由は? 好意を抱いてしまった理由は? なんですか? 聞きたいなぁ。是非聞きたい」
「君に教える必要はないと思うけど」
「そう、確かに。そうでしょうとも。俺が帝人先輩の好みを知っても俺にはどうしようもない。俺はなんてったって男ですからね。先輩に抱かれるのはごめんです。抱くのももちろんごめんです。でも、僕は貴方のことが知りたい。帝人先輩」
 振り向けば、黒沼青葉はいつもの通りに笑っている。しかし可愛らしい、女性に好かれるような爽やかで優しい笑みではない。いやらしい、ハイエナのように人の荒を探す時に浮かぶ、いやな笑みだった。
「貴方がどういう状況で異性に対して興奮するのか、貴方がどのような状況で異性に対して好意を抱くのか、何が好きか、何が嫌いか。何が愛しいと思い、何を憎いと思うか。貴方のどうでもいいような微かな情報でさえ、貴方を僕の盤上に巻き込む足がかりになる」
「・・・・・・・・」
「帝人先輩、僕はあなたのことが好きです。とてもとても、貴方は良い駒だ。貴方は自分が一体どれほど有益な意味を持つ駒なのか理解していない。でも僕は、僕という『ブレイン』である『駒』は、貴方に最も意味のある役割を与えられるんです」
「青葉くん」
 誇らしげにそう嘯く少年を真正面から見据え、帝人は一つ聞いた。
「君程度が僕の価値がわかるのかい?」
「・・・・・・・・」
 にやけていた唇をぴたりと硬直させて、青葉はじっとりと、帝人を睨んだ。帝人はただ静かに青葉を見返している。特に怒っているようでもなく、青葉を見下しているようでもない。感情の波の見えない、ただとにかく静かな、事務的に観察しているような目つきだった。
「・・・だからこれからその価値を知っていきたいんですよ、先輩」
「ああ、そっか。そういう意味だよね。ごめんごめん、勘違いしちゃったよ」
「・・・ええ。それじゃあまた明日。ここまで来れば十分でしょう」
「ああうん、ありがとう。でもいいよもう、見送りなんて。喧嘩吹っかけられるほど、僕そんな人の視界に入らないと思うし」
「・・・じゃあ、その話も、また。さようなら」
 青葉がそう言えば、帝人は手を振って、簡単に青葉に背中を見せて、一人アパートへと向かっていく。その背を少し見送って、青葉も逆方向に歩き出す。そう思いながら、思わず拳を握ってしまった。失態。なんて失態だ。熱が入りすぎてしまった。こんなにも簡単に崩されるなんて。握った指先が手の甲に刺さる。帝人にボールペンで突き刺された傷も忘れて握りこんでしまって、指先がいつの間にか血で湿った。
 まるで自分から岩礁に乗り上げた魚のようだ。餌にほいほいと釣られて、気がつかないうちに岩場の上で天日干しにされかけた。完璧な青葉のミス。それだけ帝人という駒に夢中になりすぎていた。帝人をブルースクウェアのリーダーに持ち上げれさえすれば、もはや青葉の手の内といっても良いほどだったのに、いつの間にか内側から勝手に崩されそうになっている。青葉のすることとは思えないほどの愚行だ。
 ブルースクウェアのリーダーにさせるためならTo羅丸の連中にタコ殴りにされてもいいとさえ割り切っていた。しかしそれももう無い。帝人は契約上の仕立て上げられたリーダーという立ち居地についた分、相応にブルースクウェアのために働いてくれることだろう。もはや帝人はまな板の上の鯉だったはずなのに。
「僕もまだまだってことか・・・?」
 ぽつりと呟いて、青葉は笑った。いつの間にこんな頭脳戦をする間柄になったのだろう。ただの駒とそれを指す人間との力関係だったはずなのに。竜ヶ峰帝人は確実に、青葉が今までに調べ上げてきた凡夫の領域から出かけている。手痛いしっぺ返しを喰らった屈辱で、青葉はますます掌に爪を立てた。この痛みこそが今回失敗した『黒沼青葉』への罰だ。次こそはうまく立ち回らなければならない。
 帝人の盤上には黒沼青葉なんてのは無いかもしれない。それなら無理やり組み込ませるだけだ。帝人の見ている世界の中に、黒沼青葉を捩りいれ、彼の世界を支配する。帝人がどうやって周りを守りきるか見物だが、青葉はそんな攻防戦などには興味ない。自分の期待する理想の盤上、それが作れれば、青葉はまたいつだって自分を駒として自由に扱える。それだけだ。
2010/3・5


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