■命令



 どん、どん、と人を殴る音はけっこう太鼓を叩く音に近い、と青葉は偶に思う。血の詰まった袋を殴りつけると濁った低い音が、少しだけ空気を震わせる。それよりも高い人の悲鳴。そのおかしなハーモニーを聞いたまま、青葉は一人ドラム缶の上に座り、自分の携帯を見つめている。
「頑丈だなぁこいつ。なー、こいつが何発で気絶しないか賭けねぇ?」
 青葉の仲間の一人が、よろける男を蹴り飛ばしながらのんびりと声を上げた。げらげらと薄暗い室内に響く笑い声と、小さな呻き声、それらをまるで聞こえていないとでもいうように、青葉はずっと携帯を見つめ続ける。仲間たちも青葉の考えていることが分からずとも、自分たちに混ざって名前も無いチンピラ達をタコ殴りにするのに参加しないということは、いつもの悪巧みをしているのだろうと思って放っておいている。彼らは別に他人にできないことを押し付ける集団ではない。彼らは仲間なのだ。青葉はそもそも彼らのブレインだし、力も大してない少年にやらせることもない。
「ぎゃはは、んじゃあ俺三発」「あっ俺が言おうと思ってたのに!俺が三発だからお前五発にしろ」「四発を飛ばして!?」
「じゃあ俺四発」「じゃあ俺は百発」「おいおいどんだけ強いんだよ」「サイボーグかよ」
「おい、青葉は?」
 携帯を黙って見続ける青葉は、ゆっくりと顔を上げ、そこでようやく、ん、と不思議そうな声を上げる。
「何?」
「話聞けよ!」「どんだけ集中してんだよ!」「メール待ちか? はっまさか前言ってたキスした女子からの・・・!?」「死ね!」「死ね青葉!」
「・・・7発」
 青葉は苦笑して肩を竦めながら、中途半端にだけ聞いていた言葉を頼りに適当に言った。と、丁度その時に携帯が鳴った。ぱかりと蓋を開いて画面に映し出された名前ににんまりと笑う。メロディがサビに入るまで待ってから、通話ボタンを押して、耳に当てた。既に仲間たちは賭けの話に戻り、青葉を邪魔しないよう、少しだけ声音を押さえている。そういうところが変に可笑しい。青葉はそれでも彼らに意識を向けず、耳元から聞こえる一瞬の息を飲んだ音に耳を澄ました。
「はい。どうかしましたか」
『あ、青葉くん?』
「はい。黒沼青葉です。帝人先輩」
『今、どこにいるの? 家・・・じゃないよね』
 笑みが止まらない。なんて優しい理想を持っているんだろう。今、この状況で青葉に電話してきたということは、帝人は既に、青葉がどこで何をやっているか、どこかから情報を手に入れている。
 そのはずなのに、彼はそれを信じたくなくて、わざわざそう聞く。健気で惨めだ。
「どこにいるか、当ててみてくださいよ。先輩。帝人先輩は、だって、予測がついてるから俺に電話してきたんでしょう? 俺はしばらくここから移動してないので、多分あってますよ」
『・・・・・・・・・・・・青葉くん、じゃあ、何してるの?』
「それも―――当ててみてください」
 青葉は電話をしながら、まだ気を失うことができず、この状況で電話をする青葉を不思議そうに見る血塗れの男を片手で指差した。それだけで意味を理解したのだろう、仲間たちがゆっくりと唇を凶悪に歪める。そして、その賭けは始まる。一発、屈強な肉体の男の腹に、容赦なく青葉の仲間の一人の放った蹴りが炸裂した。
「がぁぁああっ!」
『っ!? 青葉くん!? 何今の、音、人の悲鳴が』
「先輩、三文芝居はやめましょうよ。聞いたんでしょう? ダラーズからの情報ですか? それとも知り合いの人からの情報ですか? なんでもいいですけど、分かってるんでしょう? 俺がどこで何してるかも・・・だから電話してきたんでしょう?」
『・・・・・』
 電話の向こうで、帝人は少し沈黙した。言葉を喉奥に溜めて、す、と息を吸う。そのかすかな呼吸音さえ聞くのが楽しい。青葉はにこにこと自分が笑っているのに気づいた。
『――――・・・もう、やめてくれ』
「・・・・・・」
 駄目だな。青葉は心の中で舌打ちをして、少し楽しそうに笑う。まだ、どうやら足りないらしい。
「ぎゃぶっ・・・っが」
『青葉くん!』
「言い方が違うでしょう、先輩」
 再び手で合図をして、仲間がチンピラの腹を蹴る。くの字に曲がる肉体。地面に落ちる血液。それすら青葉を楽しませるには程遠い。携帯についたストラップを指に絡めながら、青葉はくすくすと喉を鳴らす。
「先輩は俺らの統率者なんですから」
 肉のぶつかる音。鈍い悲鳴。
「もっと堂々と俺に」
 人の倒れる音。血を吐き出す音。湿った水音、下卑た笑い。
「命令してくれなきゃ、いやですよ」
 人の笑い声。
「ほら、ちゃんと言って。命令してください」
『っ・・・・・あ、青葉くん・・・』
「そうです。貴方の部下の青葉くんです」
 あおばくんだってよぉ、と仲間の一人が笑った。蹴り続けられた男はびくびくと体を痙攣させているが、偶に血を吐き出しては、激しく咳き込んでいる。まだ起きている。これで五発目だった。仲間達の残念そうな声と、それよりも高い数字に賭けていた奴の大喜びの声。それもまた青葉と楽しませてくれるが、今はそれよりも受話器越しの少年の息を詰める声の方が心地良い。
『君は―――僕に、何がしたいんだ・・・?』
「利用するって、言ったじゃないですか。先輩が自分で」
『っ・・・・っ! これの何が利用なのさ!? ・・・この声でも録音して使うつもりなの? 今やってることに僕を巻き込むつもり?』
「まさか。先輩を巻き込むだなんて恐れ多い。貴方は俺らのリーダーですよ? 何があろうと守り通してみせましょう」
 くすくすと楽しそうに笑みを零して、青葉はまた腹を蹴られて悶絶する男を見下ろす。ああ、先輩はきっとこういう奴には興味ないんだろう。興味ないくせに優しい人だから助けようとしてしまう。俺らのリーダーという位置にいるという身勝手な自己犠牲のせいで。
「先輩、これを止めたいのなら簡単な方法があるんです。ブルースクウェアは貴方のものですが、実質、今は俺が手綱を握っているようなものです。そうですね・・・例えるのならば、屋敷の主人は先輩、俺はその御者。そして俺らの仲間は俺の操る馬車を引く馬―――ってところですか。馬は俺にしか懐かないけれど、俺に命令できるのは、貴方だけだ。先輩」
『・・・・・・』
「俺は俺らの仲間内のブレインです。でも僕らは基本的に少数精鋭―――何かする時は基本的に俺がいなければ何もできないんですよ。俺の仲間が僕抜きで何かやろうとすると、すぐ捕まってしまう。だから僕がいなくなれば―――俺らも自然と解散になるわけです」
 沈黙した携帯電話の向こう側に、えへへ、と可愛らしく笑みを向けながら、青葉は心臓がどくどくと強く脈打つのを感じていた。興奮している。俺は俺の首を自分で絞めている。これは自分自身を餌、いや、チップに使った一種の賭け。そして竜ヶ峰帝人の調教だ。
 あの契約を交わした日、青葉は帝人の違う一面を見て、自らの選択を一瞬後悔した。しかし、本当にこの少年を手中に収めれば、青葉の目的は完遂される。そのためには帝人には青葉の思うとおりの人間像を投射させてもらわなければならない。簡単に使えるようになるために。
「ここまで言えば分かるでしょう先輩? 俺になんて命令するべきか。今後のことも考えて。ほら、先輩のお得意の頭脳戦ですよ。ねぇ」
『・・・・・・・・・・・・・・・』
 電話の向こうの少年は沈黙している。青葉は少し溜息を吐いて、手で仲間に合図を送る。虫の息のように浅い呼吸を繰り返す男をぐい、と吊り上げて、もう一発、男の腹に仲間の一人の蹴りが叩き込まれ――――。
 そこでようやく携帯電話の向こう側で帝人が口を開き。
『青葉。今すぐ僕のところに来い』
 そう、一言命令した。
「――――――」
 戦慄が全身を奔る。青葉は心の準備をしていたのに、この本当に彼の口から言われるその言葉の甘美さといったら!
「ええ。はい――――。勿論。いますぐ向かいますよ。帝人先輩」
 まるで意中の美少女にでも告白されたかのような幸福感で満たされている。楽しい。なんておかしい。まるで恋した子供のように、ゆっくりと満たされた心持ちのまま、携帯電話を閉じ、懐に仕舞う。
「うわ、青葉にやけすぎだろ・・・きもっ」「街中歩いたら補導されそうな勢いだぜ・・・こえぇ」「青葉きもすぎ」
「うるさいなぁ・・・俺これから帝人先輩のところ行くから、これで解散しよう。忘れ物するなよ」
「あ、そうだ。青葉」
 仲間の一人が倒れたまま動かない男をぐい、と持ち上げて、その男が気絶しているのを見せ付けるように青葉に押しやる。
「マジで7発目でいっちまった。お前の勝ちだけどどうする?」
「そういやなに賭けるか聞いてなかったな」
「・・・そういや決めてなかったな」「賭けの意味ねぇぇ!」「どうする? ジュース奢るとか?」「安っ!」
「まぁいいや。そんな景品・・・それより俺はもっといいもの手に入れたし」
 青葉はそう自慢げに呟けば、キモいキモいと呟く仲間たちも置いて、さっさと廃ビルから出て行ってしまった。適当に散っていくブルースクウェアの連中も見ないまま、一人帝人のアパートへと向かう。
 青葉にそこから出て行けと言えばまた違うどこかで集まってブルースクウェアの名ではなく、ダラーズの名を使ってチンピラをリンチするかもしれない。それならば自分の手元に呼んで監視した方が楽だし安全だ。青葉は絶対に帝人に手を上げない。そう信用されているのもまた面白かったし、そう信じられるのも嫌な気分ではない。
「ああ―――楽しいなぁ、帝人先輩。本当に楽しいなぁ、僕の帝人先輩」
 まるで喰らいあいだ。すれすれの場所で騙しあい、賺しあい、まるでくだらない茶番のような、詐欺師同士のお遊び。青葉はそれが楽しくてしょうがない。気に入らない情報屋にくれてやるには勿体無い駒だ。それなりのスリルとそれなりの快楽。青葉はぞくぞくと震える背筋に一度身震いして、そっと微笑んだ。馬鹿みたいに優しい俺の大切な道具を、どうやって躾けていこうか。青葉の頭はその興奮で麻痺していた。これから帝人のアパートで殴られようが前のようにボールペンで刺されようが、構いやしない。なんといったって今日は青葉の読み勝ちだ。敗者の惨めな悪あがきなど、笑って済ませられるのである。
2010/2・28


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