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■密会



 さっぱりと片付いている、高校生の部屋とは思えないような室内で、黒沼青葉は壁に背を凭れかけさせながら、ぺたりと床に座り込んでいる。申し訳程度に置かれた小さなテーブルの上、まだ湯気の立っている帝人の淹れたお茶があった。白いマグに淹れられたそれからは素朴な匂いがしてきて、腹が鳴りそうになる。青葉は黙って茶菓子を出すためにごそごそと何かを探している帝人の背中を見ていた。
「はい」
 帝人は鞄からポテトチップスの袋を一つ取り出して、豪快に裂くと、それをさりげなく綺麗に広げて、食べやすそうにテーブルの上に置く。帝人はとりあえず自分用に淹れたお茶を飲むと、で、なんだっけ、と青葉に聞いた。
 青葉は自分より少しだけ、本当に年齢の差だけが意味を持つような体格の帝人を見て、「とりあえずお菓子食べていいですか」と聞いた。時間は夕方、丁度青葉にとっては夕飯時だ。家に帰れば親の作った料理が食卓に並べられているだろう。それでも青葉は帝人の家に上がりこみ、ちょっとお話しましょう、とナンパよろしく誘ったのだ。ナンパというよりは押しかけ、むしろ一年前の矢霧誠二と張間美香に起きたイベントに似ている。彼らの場合は片方がキレて片方が死に掛けたのだが、青葉と帝人においては、帝人は家に押しかけた人がどれほど危ない人で、どれほどヤバイ人であろうが首を絞めて撃退、なんてことはありえないだろうが。
 家に帰れば夕食もちゃんと食べるのだろうが、青葉は普通に自分の食欲に任せて目の前のポテトチップスをぱりぱりと食べ続けた。相当お腹が空いていたらしい。育ち盛りの高校生、これぐらい、女の子でいう別腹に押し込められるのだろう。帝人も普通に、お茶を啜りながらぱりぱりとお菓子を食べ続け、ものの数分でテーブルの上はまた綺麗になってしまった。
「塩味が好きなんですか」
「え? いや、別に。ただどんな人が来ても嫌いとは言わないかなぁ、って思わない? 塩味ってさ」
「・・・そんなもんですかね」
 自分の食べたいものを買わないというところが、相変わらずおかしい。確かに、塩味が嫌いというなら一体その人は何が食べれるっていうんだろう。相当の甘党じゃないだろうか。ゴミ箱の中に片付けられたそのゴミを見送って、青葉はぬるくなったお茶を啜る。帝人は一度携帯電話を確認し、それで、と青葉を見た。
「今日はどうしたの」
「そう、先輩と色々お話しておこうと思いまして。まぁ、僕らの取り扱い注意事項・・・みたいなの、言っておこうかなぁ、とね」
 帝人は青葉の相変わらずの綺麗な笑みを見ながら、ああ、と納得したような、中途半端な相槌を打った。僕らの、というのは、つまりブルースクウェアの、という意味だ。青葉を中心とした少年達の集まり。しかも、埼玉を中心に活動するあの『To羅丸』の末端と喧嘩して勝つ、それなりに喧嘩の強いメンバー。帝人が新しく手に入れた力だ。
「まぁ、大体は分かりますよね」
「そうだね。大体はね・・・それでも、ブルースクウェアじゃ君が統率者なんだ。だから聞きたい。忠告はいくらでも、今は聞いておくよ」
「こういうの、釈迦に説法って言うんですかねぇ」
 僕は段々惨めな気分になってきましたよ、と青葉は笑った。じくじくと目の前の少年にボールペンで突き刺されたところが痛む。普段大人しい奴がキレるとやばい事になるだとか、聞いたことがあるけれど、そういうものだろうか、なんてくだらないことを考えながら。
「まぁ、忠告といっても、しばらく経てば勝手に落ち着くと思いますけど、僕の友達のことです」
「友達」
「ええ。先輩が苦手にするようなタイプの、あいつらですよ。でも何人か弱い奴もいるんですよ。・・・僕みたいに」
 穏やかな笑みの青葉は、本当に可愛らしいと言って過言ではない。なんといっても女装しても声を出さなければ女の子とも思える程度には、可愛らしい顔立ちをしている。だが、帝人はその腹のうちを垣間見ている。この少年が、可愛らしい生き物ではないと知っている。
「あいつらは、本当に僕に従ってくれる、というか、僕をリーダーにしておけば全てうまくいく、なんて考えているような頭のちょっと悪い奴らなんですよ。本当に良い奴らなんですけどね。でもまだ先輩のことを信頼していない」
「別にいいよ。だって僕だって君らをまだ信用してない。もちろん信頼もしてない。それをする気もない。僕はつまり、ブルースクウェアとの契約をしたんじゃない。むしろ、君との契約だったと、思ってるんだ」
 ぞくぞくとした悪寒、いや、適度な緊張による興奮が、青葉の背中を駈ける。この人は、今、どっちなのだろう。竜ヶ峰帝人か、ダラーズの創始者か。青葉は見極められない。
「ええ・・・ですから、あいつらと二人きりになるとか、僕を抜かしてあいつらと一緒にいる、なんてことはやめてくださいね。あいつらには言い聞かせてますけど、もしも先輩があいつらの癇に障ることを言って殴られて、酷い目に逢わされても―――僕は貴方の怪我を一瞬で治すようなことだってできない。でも、まぁ、あいつらに命令して先輩に延々と殴られ続けろ、って命令ぐらいは出せますけど」
「やらないよ。・・・それに言っちゃなんだけど、怖くて二人きりとかなんてなれないし」
「先輩はおもしろいなぁ」
 部下と二人きりになれない統率者なんてこの世にいるもんだろうか? 青葉は口がにやけるのが止められなかった。それは普段の笑顔とは少し違って、いやらしい笑みだったが、あの新宿の情報屋と違ってまだ顔に貼り付けられた優しい牧歌的な少年の仮面を脱がさないままだ。
「僕と二人きりはいいんですか」
「君が手を出したら契約は破棄される」
 帝人はどこまでも静かでどこまでも穏やかだ。お茶を啜って、帝人は痛々しそうに青葉の手をちらりと見た。心配している。青葉は笑いを堪えた。
「ねぇ先輩、だから自分を大切にしてくださいね。先輩は僕らの大切なリーダー・・・僕らの支配者であり統率者なんです。貴方はダラーズの創始者ですけど、ダラーズの統率者じゃない。でも、貴方はブルースクウェアの支配者だ。そこのところ、履き違えないでくださいね」
「分かってるよ」
「ダラーズは、貴方が殴られようが蹴られようが潰されようが腕が折られようが、どうでもいいでしょうけど・・・僕らは僕らの面子がある。貴方が怪我をしたのならば報復のためにそいつを殴り、蹴り、潰し、叩き折らなきゃいけないんですよ」
「青葉君、僕を利用して君が何をしようが構わないけれど、僕を暴力の理由にしなきゃならないのなら、君は駄目だよ」
「・・・・・・?」
 さらりと言われた言葉の意味が掴みかねて、青葉は一度沈黙する。駄目、って何だ? どういう意味で、『駄目』だ? 青葉は言葉の意味を図りかねて、目の前の穏やかな顔のままお茶を飲み続ける自分の一つ上の少年を見た。
 自分の言った言葉さえ既に時間と共に流したと言えるほど、彼は何事もないふうだ。青葉はお茶を飲んで、マグの底に少しだけお茶葉が沈んでいるのを見る。
「ところで」
「はい?」
「そろそろ帰らなくていいの?」
 時計を見れば、7時を過ぎている。携帯も見てみれば、親からかかってきた電話があった。サイレントマナーモードにしていたから気がつかなかったのだ。メールで手早く「先輩の家に遊びに行ってた。すぐ帰る」と連絡する。
「そうですね。じゃあ、帰ります」
「気をつけてね」
 青葉は立ち上がり、鞄を肩に提げて玄関へ向かう。帝人はマグを台所へ持っていって、既に冷蔵庫を開けて何かを探している。夕飯を作るのだろう。
「先輩も、気をつけてくださいね」
「うん。それじゃあバイバイ」
「さようなら」
 青葉はそう一言残して、帝人のアパートから出た。帝人は最後まで青葉を見ない。扉の閉まる音に続いて、帝人のかけたチェーンの音。がち、という金属音が自分を拒絶しているようで、何故か傷ついた。傷ついた? 何故? 青葉は口がいつの間にか笑っているのに気づいて手で押さえた。
 そういえば、不可解なことばかりだった。帝人の「気をつけてね」につられて、自分も言ってしまった「気をつけてくださいね」だと。おかしい。未だ先輩を慕う後輩という演技が、二人きりの時にも作られている。
 もはや帝人と青葉の間に作られた関係は、人が見ていない時にはそれが強く現れるべきもの、のはずだ。自分の服従のポーズが足りないせいだろうか? 違う。黒沼青葉は自分の目的のためならばあの生温い少年に、いつでもどこでも跪く用意ができている。しかしそれを使われない。帝人が青葉を使いたがらない。その意図はどうでもいい。
 先輩、貴方は気づいてないのか? 非日常へ入る鍵は貴方の周りに大量に散乱している。しかしそれを取らないのは自分自身だ。貴方は自分で手を出さずに、周りだけで勝手に起こる非日常を、渦中から見たいだけなのではないか? 青葉はマッチポンプのような状態になっている帝人を嘲笑いたくて仕方が無い。貴方が未だ日常から抜け出せないのは、貴方が非日常を日常に引きずり込もうとしているからなんですよ。それをもう一度、帝人の前に突き出したら、今度は彼はどうするだろう。
 ああ、楽しい。兄貴なんかよりよっぽど楽しい生き物だ。完璧な僕の道具にしてしまいたい。
「簡単に使える道具なんて、役立たず以外の何物でもないと思うんですよ・・・先輩」
 好きにすればいい。僕も貴方を好きにする。僕好みの道具に仕立て上げてあげましょう。ぱかりと開けた携帯電話に映し出される情報の数々に目を細めながら、青葉は微笑んだ。本当に可愛らしい、子供のような顔で。
2010/2・27


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