■便利な神さま
 



 駐車場に車を止めて、渡草は車についている時計で時間を確認し、一眠りすることにした。門田を仕事場に降ろして、狩沢と遊馬崎も本屋の前に置いてきてから、家に帰ろうかと思ったのだが、門田が今日は仕事が二つあると言っていたので、いっそ時間がくるまで近くに車を止めて寝ようと思ったのだ。
 幼稚園児の送迎車ではないのだが、自然と交通面では彼らの面倒を見る嵌めになっている。それでも楽しい時間を貰えるのだから、いい取引だ。それをおいても、彼らは親友と呼べるほどの仲間なのだ。高校生や中学生じゃあるまいし、この歳で親友。なんだか面白い。
 渡草はクラシックをかけたままエンジンを切り、窓を少し開けた。日光はぽかぽかとして暖かく、黒いバンが熱を吸収して少し暑いぐらいだったが、窓を開けると丁度いいぐらいだ。街の喧騒が入ってくるのが難点だが、エアコンもかけるのも億劫だし、渡草は携帯にアラームをセットして、少し仮眠をとった。

 それが、つい20分前のこと。
 渡草は何か嫌な気配を察して目を覚ました。嫌な気配、というか、実際は物音がしたのだ。それも、車の外から聞こえるものではなく、むしろ車の中から聞こえてくる衣擦れの音。窓に寄りかかってうたた寝していた渡草ははっと目を覚まし、隣にある人の気配に息を飲んだ。
 誰かが車に乗っている。目を開かないで寝ている振りをしながら確認するべきだった、と心の中ですぐさま反省する。寝ぼけていたらしい。正しい思考ができない。
 目を開けてしまったのなら仕方が無い、と普通に隣を見た。門田が仕事が滅茶苦茶早く終わって帰ってきたのだと思いたかった。
「お、おはよー」
「・・・・・・・・」
 そこにいたのはまったく予想していなかった人物で、基本的に冷静なツッコミ役だと言われる渡草も流石にすぐ反応ができなかった。忘れたくても忘れられない顔だ。この男のお遊びに巻き込まれて何度死ぬ羽目になったか。「新宿の折原」とか言われる情報屋のくせに、最近やたらと池袋をうろつく馬鹿野郎である。
「・・・・あ?」
「あ? って。大丈夫? 起きてる? ・・・渡草くん」
「・・・いや、いやいやいや」
 ここで何で俺の名前知ってるんだ、とか言ったら多分鼻で笑われるだろう。情報屋に何で名前知ってるって。馬鹿の台詞だ。渡草は頭を振って残った僅かな眠気を振り払い、深呼吸をして、いまだにかけっ放しのクラシックの曲名を思い出してから、きっ、と臨也を睨んだ。
「なんでアンタが俺の車に乗ってんだ?」
「そりゃ、逃げるために決まってるだろ? 変なこと聞くねぇ」
 逃げる、って。渡草はその言葉を舌で転がして、一瞬悩んだ末、頭に出てきたバーテンダ服の暴力男を思い出した。そう、この男が逃げる場合となれば、あの男以外に無いだろう。
「出てけ」
「酷いね。ドタチンの親友である俺を追い出すとは。後でドタチンに怒られちゃうかもよ?」
「いや、俺の信じる門田はお前を追い出したらきっと良い判断だと褒めてくれるに違いない・・・っつーかあんた、門田の親友だったのか? ただの級友だろ」
 逃げるために乗ったということは、この男、今現在進行中であの偽バーテンダと鬼ごっこの最中なのだろう。既に息は整えられているようだが、臨也の服には所々何かがかすったせいでボロボロになっている。
「頼むから出て行ってくれよ! 俺の車を完璧に痛車にしたいのかあんた!? 絶対この状況で見つかったら俺もあんたもこの車ごと潰されるだろうが!」
「いや、俺は車が潰される前に逃げれるし」
「そういう問題じゃねぇだろ!」
 こいつ喧嘩売ってるのだろうか。これはあのバーテンダじゃなくても切れるかもしれない。渡草はこの男と対峙することでふつふつと湧き上がる怒りを押さえ込みながら、精一杯男を睨む。この男、あのバーテンダを長年喧嘩を続けながらも未だ生きているそれなりの強者だ。敬愛する門田も「あの臨也にはあんまり関わらねぇほうがいいぜ」と口をすっぱくして言っている。この男をこれ以上この車に乗せていたくない。渡草はぶっちゃけ泣きそうだった。
 必死な渡草をにやにや笑いながら観察していたと思ったら、臨也はわかったよ、と肩を竦めながら言った。こんな簡単に引き下がるなんて、と心の中でびくつきながら、渡草は「そうか。じゃあすぐ出てって遠くに逃げてくれ」と言おうとする。
「じゃ、東京ハンズ前まで乗せてってくれたら降りてあげるよ」
「・・・・・・・・・・・・」
 折原臨也、何かをするとしたら確実に何かに迷惑をかけないと駄目らしい。きりきりと痛む胃に鞭打って、渡草は長く重苦しいため息を吐いた。
 神さま、今すぐこいつに天罰をやらなくともいいので、どうか東京ハンズにつくまではあのバーテンダに見つからないようどうぞよろしくお願いします。渡草はかなり本気で祈り、窓を閉め、臨也にシートベルトをつけろと低く吐き捨てた。




 変なところでちゃんと運は良い方向に働いたらしい。東京ハンズの前まで車を走らせるのに、なんと一度も赤信号に捕まらない上に、バーテンダとも擦れ違わなかった。駐車場まで入り込み、再び溜息を吐く。今度は安堵の意味の篭った、生きた心地のしなかった、苦しそうなものだったが。
「渡草くん、運はあるんだね」
「アンタに車に乗られた時点で運は無かった気がする」
 外に出た臨也は渡草の座る方向までぐるりと周り、窓を開けたげんなりした顔の渡草を見ながらくつくつと笑い、自分の財布から一万円札を一枚取り出し、それを渡草に押し付けた。きょとん、とそれを見ると、「タクシー代」と臨也は笑う。渡草は心の中で、「いや、慰謝料だろ」と呟く。
 小遣い稼ぎだった、と心の中で思いながら、それを受け取ってハンドル横のポケットに突っ込んだ。酒か何か景気付けに買おう。そしてこの事は忘れよう。
「じゃ、またね」
「勘弁してください」
 にこやかに臨也は手を振って、雑踏に消えて行こうとする。渡草もアクセルを踏もうとした直後、車のすぐ真横にコンビニのゴミ箱が吹っ飛んできた。
「・・・・・・・・・・あーあ」
「・・・・・・・・・」
 神さまはちゃんと東京ハンズにつくまでは見守ってくれたらしいが、着いた後のことは面倒を見てくれなかったらしい。臨也の引き攣った声を聞かずとも、吹っ飛んできたそのゴミ箱で渡草は泣きそうになった。
「いぃーざぁーやくーん」
 今度は何が吹っ飛んでくるのだろう。せめて車の後部扉だけで勘弁してほしい。剥がすのも勘弁してほしい。ああ、やっぱり俺の運は臨也にこの車を見つけられた瞬間に消えていたんだ・・・。渡草はハンドルに額を押し付けて一人涙を堪えた。俺の睡眠時間なども奪われたことより、これからの惨劇が辛い。
「シズちゃん・・・なんでこんなとこにいるのさ」
「それはこっちの台詞だろうが・・・新宿帰れ。消えろ。死ね」
 何度も見た光景を横目で眺めつつ、渡草はこの二人の言い争いに乗じて、静かにここから去れないだろうか、と思案する。勿論周りに人は居ない。もうゴミ箱が吹っ飛んできた時点で逃げたらしい。誰も居ない駐車場に、渡草とその愛車が置いてけぼりだ。
「おい、そこのバンの運転手」
「はっ!?」
 煙草をすり潰しながら、静雄は低く唸るような声を上げた。窓を開けていてよかった。これで閉めた状態で話を無視されたと思われたら、確実にこの車、折原臨也に向けて投げつけられていた。
 怒りを寸前で止めている、まさに噴火5秒前の火山の如く、静雄は体から溢れ出ようとする暴力を押さえ込み、渡草に言った。
「投げられたくなかったらすぐにここから出てけ」
「・・・・・・・っ、どうも失礼しましたっ!」
 言うやいなや、渡草はギアを切り替えてすぐに反転、あっという間に駐車場から退場した。運転手という立場にいつの間にか据えられたせいで、ドリフトテクニックは大したものらしい。凄まじい摩擦のせいでタイヤが溶け、嫌な匂いが一瞬立ち上ったが、そんなものを気にしている場合ではない。渡草が左折した瞬間、サイドミラーから見える後ろの光景はなんともいえず、大型トラックから小型車まで、駐車場に置いてあった車が空中で乱舞していた。




「・・・あ? なんだ。駐車場で寝てるんじゃなかったか?」
 約束していた駐車場の前で、置いてけぼりにされていた門田が携帯で渡草を呼び出そうとしているところに、丁度渡草が戻ってきた。動きは滑らかに、ぴたりと門田の前に助手席の入り口が止まるように停止するのだが、運転席の渡草は汗びっしょりで、どうやらかなり疲弊しているらしい。薄い背中が大きく上下していて、呼吸するのに必死、というぐらいだった。
「こっ・・・・」
「こ?」
「恐かったああああ!」
 助手席に乗り込み渡草を不思議そうに見やる門田に、渡草はがばりとしがみついた。がくがくぶるぶると震える渡草はまさにお化け嫌いの子供が無理やりにお化け屋敷に突っ込まれた状況を想定させた。普通なら男に抱きつかれても困る、と無慈悲に剥がすものなのだが、ぶるぶると震える渡草が余りにも可哀想だったので、門田はそれを引き剥がすのを思わず忘れた。とりあえず路肩に止め続けるのはまずいと思って、震える渡草を後部座席に押し込んで、あの二人を拾いに門田が運転席に乗る。その後狩沢と遊馬崎が合流してからなんとか渡草も冷静になって、門田に取り乱して悪い、と頭を下げた。あの冷静ツッコミの渡草さんがこんなことになるなんて! 聖辺ルリのライブチケットでも無くしたのか、とか色々聞こうとしたが、渡草は今回の恐怖事件については口を割らず、それから駐車場で居眠りは絶対にしないようにしたらしい。
2010/2・24


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