■その掌の行方
 これはとても秘密の情報なのだが、兄貴の幼馴染という男の存在を知っているだろうか。
 俺が知っている限り兄貴の周りにずっと昔っからひっついている、否何を考えているのか『兄貴の殺人を初めとするちょっとヤバイことを止めようとしている』人なのである。
 これはぶっちゃけ凄い。
 表彰ものだ。
 その人に足を向けて眠れない。
 まぁその人の家がどこにいるかとか現在位置とか知らないから知らないうちに足を向けることになっているかもしれんが。
 とにかくそんな世界まるみえびっくり大賞の頂点とかに輝きそうな(グラハムさんなんですかその変な大賞)(うるさいぞシャフトそろそろその頭真剣にかち割ってやろうか。)そんな驚きの人物、あろうことか兄貴の初恋の相手を知っているらしい。
 というか兄貴は昔駆け落ちまでしたらしい。
 びっくりだ。情熱的レベルではない。灼熱レベルだ。
 あ?情熱は熱さのレベルじゃない?情熱は燃え上がらんとでもいうのか?アホかお前。
 とりあえずその偉大なる兄貴の幼馴染、実を言うと名前が分からない。兄貴を含め兄貴の周りの人間はフーとそいつを呼んでいる。who.つまり『誰』って意味だ。
 幼馴染の人と会うと、みんなが皆「who are you?」と言うからフーになったらしい。兄貴も名前を知っているはずなのに、フーと呼んでいる。その幼馴染の人は名前を呼んでもらえなくて嫌じゃないんだろうかと思って一度聞いてみると、驚くことにフーは「何かあって名前を覚えられることになって殺されることもあるかもしれんから、別にこのままでいい」とむしろ大歓迎のようだった。
 偉大だ。俺が思うに、名前というのは個人を区別する記号とよく言われているが、最もその人間を表すのに最適な記号だと思うのだ。例えば、髪が短くて帽子を被っていてなんか老け顔でやる気無さそうで生意気な口をきく茶色っぽい地味な服を好む俺の舎弟を知らないかと人に聞くより、シャフト知らんかと聞いた方が分かりやすい上に短くて済む。つまり名前というのは記号というには簡素化されすぎた、人間を一言で表すのに最適な言葉というわけだ。
 それを、フーは恐るべきことにあっさりと「別にどうでもいい」と切り捨てた。
 ただ事ではない。冗談ではなく。
 兄貴という恐るべき有名なありえない人物の幼馴染でありながら、そして殺人鬼に面と向かって「アホかやめろよ」とまで言える、その癖に名前を覚えられていない。
 そんな人物。
 ぶっちゃけありえん。
 「・・・・ありえんか」
 「ありえませんな」
 目の前の黒いソファに身を沈めながら、はぁ、と紫煙を吐き出す兄貴を眼前に、俺はきりりと答えた。今まで隣でウザいほどに突っ込みを入れていたシャフトは兄貴が口を開いたことによって逆に口を閉じる。ルッソ邸の兄貴に宛がわれた大きな部屋は、俺とシャフトと兄貴で貸切状態だ。俺たちのような路上でごろごろしそうな餓鬼がこんな部屋のこんな上質なソファに座っている状態にも自分で自分にびっくりだが、そこは全て兄貴の恩恵である。(恩恵っていっても飯食わせてもらったりこんな風に部屋でごろごろするだけだが)(とくにこれといって金のかかるものを貰ったことは無い)(あえていうなら兄貴から貰ったものは兄貴と一緒に過ごす時間とか、兄貴が人殺しにおでかけしたときに向かった場所の扉の解体とか車の解体である)
 「自分が死ぬことに対して尋常じゃないほど怯えているというか危機感を持っているとはいえ、兄貴にそこまでずばずばもの申せるなんて並大抵の人ができることじゃないですよ!」
 「まぁ、ラッドさんが身内に手を出さないって分かっているとはいえ、確かにそうかもしれませんね・・・」
 シャフトもふむ、と頷きながら肯定した。兄貴はふぅん、とやる気の無さそうに頷いて、考えたことなかったな、と言った。
 「何をですか」
 「あいつの喋り方」
 そりゃ幼馴染だから、と思ったが、兄貴の周りに居る人間は兄貴に対して特にこれといった敬語を使わない。敬語を使うのは、俺と、俺の舎弟ぐらいだろうか。兄貴の周りに集まる頭のどこかがぶっ千切れたような奴らは恐るべきことに兄貴にたいしてタメ口をきくのだ。俺も数度兄貴に敬語やめれば?などと言われたことがあるが、これが俺のけじめのつけ方である。
 何度も、何故フーが兄貴と幼馴染なのだろう、と思ったことがある。何故かといわれれば一言、フーがありえないほど常識人なのである。俺から比べれば皆常識人だ、と兄貴は言うかもしれないが、きっとこの世から見ても常識人の中の常識人だと思うだろう。フーは人を殺さない。いや、殺すかもしれないが、俺はその光景を見たことが無い。
 むしろ似合わないにもほどがある。死ぬことに怯えるせいか、他人を傷つけることすら臆病なのだ。彼は。
 そのくせ、何故人を害する人物の代名詞ともいえる兄貴と共にいるのか?わからない。さっぱりわからない。
 「フーって、何考えてるんでしょうか」
 「さぁな。昔からあいつは良く分からん。いい奴なのは確かだが」
 兄貴は葉巻を灰皿に押し付けて、ぼんやりと言った。俺に教えるというより、自分に言い聞かせるような口調で。
 「哀れんでるのかもしれねぇ。もしかしたら、希望を持ってるのかもしれねぇが」
 「哀れんでるって、誰をですか?希望を持ってるって?」
 「俺に決まってるだろ。希望ってのは―――――おれがまともに戻るかも知れねぇ、っていう、希望」
 兄貴はそう言うと、新しい葉巻をケースからとって、再び味わうように吸い始めた。俺とシャフトはそれを見ながら、柔らかなソファの上で黙って思考に耽った。フーが兄貴を哀れんでいる?兄貴が元に戻るかもしれないっていう希望?
 「はぁ、わかりません」
 「それでいいんじゃね?お前は」
 兄貴は一度だけ柔らかく笑った。それが何を意味しているのかまったくわからず、俺は眉根を顰めて追及するのをやめた。シャフトは少し眠そうだった。
2008/1・9


TOP